小倉原爆の真相

一条真也です。
ブログ「小倉原爆スクープ」で紹介したように、7月26日の「毎日新聞」朝刊1面に「八幡製鉄 原爆当日に煙幕」の大見出しで衝撃的なスクープ記事が掲載されました。その追加記事が8月22日朝刊に掲載されています。


毎日新聞」8月22日朝刊



新聞の4面に「よみがえる 煙幕の記憶」の大見出しで、「8・9『小倉原爆』回避に新証言 八幡製鉄の抵抗作戦」「B29が見た『空襲の煙』の正体か」「――体験風化 不明点も多く」「報道に反響 新たな目撃談も」「小倉からナガサキ祈り」の見出しで、以下のリード文が続きます。
「長崎に原爆が投下された1945年8月9日、米軍爆撃機B29の来襲に備え、福岡県八幡市(現北九州市)の八幡製鉄所構内で『煙幕を張った』との証言が戦後69年のこの夏、新たに出てきた。米軍は当初、小倉市(同)を原爆投下の第1目標としていたが、視界不良で第2目標の長崎に変更しており、煙幕が視界不良の一因になった可能性がある。本紙が7月26日付朝刊で『煙幕作戦』を報じると、国内外から数多くの反響が寄せられた」


毎日新聞」8月22日朝刊



4面記事の最後には、以下のように書かれています。
「記事はネット上でも注目を集めた。毎日新聞のニュースサイトで読んだネット利用者によるツイッターでの投稿は2000件を超えた。英文に翻訳されて米国の大手ネット掲示板でも話題となり『私の祖母は日本人で、戦争中小倉にいた。投下されていれば私は生まれなかったということか』と生い立ちに思いをはせるコメントなどがあった一方で、『日本人は戦争の話になると、犠牲者としての話しかしない』と否定的に捉える書き込みもあった。



また26面にも、小倉原爆に関する追加記事が掲載されています。
「『小倉投下なら私たちはいない』元米捕虜の娘 驚き」の大見出しで、「英訳記事に反響」「原爆回避に新証言」ときて、次のリード文が続きます。
「長崎に原子爆弾が投下された1945年8月9日、福岡県八幡市(現北九州市)の八幡製鉄所で、米軍爆撃機B29の来襲に備え煙幕を張ったという新証言を報じた毎日新聞の記事が、米国内で反響を呼んでいる。毎日新聞のニュースサイトの英訳記事には延べ約30万回の閲覧(PV)があり、約9割が米国内からだった。記事には多数の意見も寄せられ、中には戦時中、捕虜として八幡製鉄所で働かされたという元米兵の遺族からの声もあった」


原爆投下は予告されていた 国民を見殺しにした帝国陸海軍の「犯罪」

原爆投下は予告されていた 国民を見殺しにした帝国陸海軍の「犯罪」

ブログ『原爆投下は予告されていた』で紹介した本によれば、爆弾を落とさせないために、当時の小倉では2つの作戦が実行されたそうです。
1つは、アメリカ人の捕虜を大量に集めるという古典的な作戦。
もう1つは、人工の煙幕で空を覆うというハイテクを駆使した作戦。
本当にこれらの作戦が実行されたならば、これはもう危機を回避する最大のリスク・マネジメントであり、「史上最大の作戦」と呼べるでしょう。
そして、煙幕作戦に続いて、捕虜作戦の存在も今回明らかになりました。
原爆投下70周年を前にして、歴史の真実が次々にわたしたちの前に姿を見せ始めている・・・・・・この体験に、わたしは感動さえ覚えています。


毎日新聞」8月8日朝刊



風のあしあと」の第99回「小倉原爆の真実」の最後にも書いたように、小倉原爆は、わたしにとって大問題です。なぜなら、わたしの「生き死に」に関わる重大事だからです。まさに、「他人事」ではない「自分事」そのものなのです。わたしにとって、8月9日は1年のうちでも最も重要な日です。
わたしは小倉に生まれ、今も小倉に住んでいます。
わたしは、死者によって生かされているという意識をいつも持っています。
死者を忘れて生者の幸福など絶対にないと信じています。わたしは、これからも小倉原爆の真相について求めていきたいと思っています。


「毎日」「朝日」「読売」「西日本」新聞8月9日朝刊広告



最後に一言。嘘八百従軍慰安婦報道を展開し、日本の国益を大いに損なっておきながら弁解のみで謝罪しない某新聞と違って、このように歴史の真実を明らかにしようとする「毎日新聞」の企業姿勢に敬意を表します。
不都合な史実に向き合わない新聞など廃刊すべきでしょう。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2014年8月22日 一条真也