親と子、死者と生者

一条真也です。
ブラジルW杯のサッカー日本代表登録メンバー23人が発表されました。2012年2月のアイスランド戦以来、代表から遠ざかっていたFWの大久保嘉人(31、川崎)選手が選出されたのは大きなサプライズでしたね。ザッケローニ体制下での招集は同戦での一度きりでしたが、昨季J1で得点王に輝くなど結果を出し続けてきました。


サプライズを伝えるスポーツ紙



日本代表登録メンバーが発表された5月12日は、昨年他界した大久保選手の父・克博さん(享年61)の一周忌でした。
13日の「デイリースポーツ」には、次のように書かれています。
「“男の約束”を果たした。ちょうど1年前の昨年5月12日。長く闘病生活を続けていた父・克博さんが天国へと旅立った。『ミミズがはったような字やった』という最後の手紙には『嘉人、サッカー頑張れよ』と書かれていた。もう一度代表に――とは生前父と交わした約束。『嘉人、良かったなと言ってくれると思う』と喜びをかみしめた。右腕で渋い輝きを放つ腕時計は、亡き父の形見。『もともとは俺があげたヤツなんやけどね。腕時計するの嫌いやけど、これはずっとつけることにした』。昨季、得点王を決めた最終節も母・千里さんが克博さんの遺影を持ってスタンドに駆けつけた。『優しかった』という父は、今も大久保自身の中で生き続けている。
発表前日には地元・福岡に眠る父の墓前に立った。『選ばれるかな。選ばれるといいな』と父に語りかけた。運命の日が、命日と重なったことも『たまたまでしょ』と豪快に笑い飛ばすが『お父さんもこの日に選ばれることを願っていた? そうでしょうね』。照れながら語る表情は、どこか誇らしげだ」


「読売新聞」5月13日朝刊



わたしは、この話を知って、非常に感動しました。
確かに大久保選手のサプライズを実現したのは彼の亡父であると思いました。そして、それは大久保選手がずっと亡き父のことを思い出し、心の中で故人と対話を続けた結果であるとも思いました。


愛する人を亡くした人へ ―悲しみを癒す15通の手紙

愛する人を亡くした人へ ―悲しみを癒す15通の手紙

拙著『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)にも書きましたが、ドイツの神秘哲学者ルドルフ・シュタイナーによれば、死者たちは、この世に残してきた家族とか友人とか、そういう身近な人々のことをどんなに深く思いを寄せているとしても、この世にいる生者がその死者たちに向かって語りかけをしない限り、この世の生活を体験することはできないといいます。その理由は、まず死者は物質的な世界の情報は一切受け取れないからです。
それから死んだ直後は別ですが、この世の言葉も、イメージや感情がそれに伴わなければ、死者には通じないからです。すなわち、この世の言葉は物質空間の中でのみ響いているのです。



それでは、この世からあの世の人々に何を送ることができるのかというと、それはイメージだけなのです。だから、もし生者が死者たちのことを具体的にイメージすることができれば、死者はそのイメージを通して、この世の人間がどこにいるかを感じることができます。そうでない場合には、さまざまなイメージが自分の周囲に現われたり消えたりはしていても、そのイメージが自分の親しいこの世の人々が来たものかどうかは、区別がつかないのです。わたしたちが、霊的な内容について考えたり、感じたり、読んだり、語ったり、聞いたりするとします。そのとき、自分のかたわらに死者をイメージして、その死者がともにそれを体験しているように感じることができれば、死者はその場所で、その体験を生者とともにすることができるといいます。



したがってシュタイナーは、イメージすることを、とくに死者をイメージすることを非常に大切にしていました。そのような場合、たとえば後ろ姿をイメージすることが大事なのだそうです。親が道を歩いているときに見たその後ろ姿の肩の感じとか、少し前かがみになって歩いている姿とかが記憶に残っているとするとしますね。そういうところをできるだけ、ありありと思い浮かべると、死者は生者からの呼びかけを感じることができるのです。それから、案でもないような、一緒に食事をしたり、話し合ったりしたときの情景、何かしてくれたときの様子などが自分の中にはっきり思い出として残っている場合、それをイメージすると、やはり死者はそれによって生者からのメッセージを受け取ることができます。


それから死者に対する生者からの働きかけは、眠っているときにも生じます。夜眠ると、生者の魂は死者と同じ世界に入ります。毎晩、眠っているときのわたしたちは、実は死者たちと一緒に暮らしているのです。だから眠りの中に、死者に対する供養になるようなイメージを持ち込むことができるのです。また、自分の親しかった死者に対して、何か問いかけをしながら眠るとします。亡くなった父親に向かって、自分はいま、こういう問題をどう考えてよいかわからない、どうしたらよいだろうか、こういう道とこういう道があるけれども、その中のどれを選ぶべきなのかということを問いかけながら眠ります。すると、その問いは死者に働きかけて、死者はそれによって生者にメッセージを送ることができるのです。シュタイナーによれば、その答えは翌日、思いがけないかたちで出てくるそうです。たとえば自分の心の奥底から、まるで自分が考えたとは思えない素晴らしい思いつきが生じたとすれば、それは死者からのメッセージだというのです。死者が外から声に出して語るというのではなくて、自分の存在の最も核心の部分から聞こえてくるものが死者の声だというのです。



さらに、眠るときに死者に対する愛情を持って眠ると、死者はそれをまるで美しい音楽のように聞き取ることができるそうです。なつかしい思い出が感謝や思いやりとともに死者に届けられるのです。そういう気分の中で眠ることができれば、死者にとっても最大の供養になり、自分にとっても大きな心の支えになるのです。このように、死者のことを思うことが、死者との結びつきを強めるのです。メーテルリンクの『青い鳥』には「思い出の国」というのが出てきます。自身が偉大な神秘主義者であったメーテルリンクも、死者を思い出すことによって、生者は死者と会えると主張しているのです。
大久保選手は、きっとこの1年間ものあいだ、目がさめているときも寝ているときも、亡き父とずっと対話をしていたのではないでしょうか。そして、この世とあの世をつなぐ親子のコミュニケーションが、このたびのサプライズを招いたように思えてなりません。



大久保選手のサプライズは明るい話題でしたが、同じ日に暗い話題というか、悲しい事実も知りました。ブログ「韓国客船沈没事故」で書いた悲劇の犠牲者たちの遺族の自殺が相次いでいるというニュースです。
韓国の珍島沖で発生した旅客船セウォル号」の沈没事故において、韓国の検察はこのほど乗客を救助する義務を怠った船長ら船員15人を「遺棄致死罪」で起訴することを決定しました。一方、韓国では犠牲者の親たちが自殺を図るケースが相次いでいるというのです。


「サーチナ」5月13日



サーチナ」では、13日に「韓国旅客船沈没事故、遺族らの自殺相次ぐ・・・進展ない捜索、長時間のストレスが原因か」という記事を配信しています。そこには、以下のように書かれています。
「韓国メディアによると、検察と警察の合同捜査本部は11日、乗客の救助を怠り、先に避難したとしてセウォル号の船長をはじめとする船員15人を週内に起訴すると発表した。今回の沈没事故では11日夜までに275人が死亡、29人が行方不明となっているが、事故現場では高波などの影響で思うように捜索活動が進展していないという。
また、韓国では事故で最愛の子どもを亡くした遺族が自殺を図るケースが相次いで発生している。9日、事故で娘を亡くした44歳の遺族が自殺しようと大量の睡眠薬を服用、11日深夜には、事故で息子を亡くした51歳の遺族が犠牲者を追悼する合同焼香所の付近で首を吊っている姿で発見され、病院に搬送された。こうした状況について、韓国自殺予防センターの鄭澤寿主任は、『遺族が沈没事故現場付近で過ごすということは、強いストレスと刺激を長時間受け続けるということ』と指摘、悲劇が重なっても不思議ではない状況にあるとの見解を示した」



このニュースには、本当に胸が痛みました。そして、この沈没事故の犠牲者たちは、きちんと弔われたのだろうか。つまり、しっかり葬儀は行われたのだろうかと思いました。わたしは、「葬儀というものを人類が発明しなかったら、おそらく人類は発狂して、とうの昔に絶滅していただろう」と、ことあるごとに言っています。自分の愛する人が亡くなるということは、自分の住むこの世界の一部が欠けるということです。欠けたままの不完全な世界に住み続けることは、かならず精神の崩壊を招きます。不完全な世界に身を置くことは、人間の心身にものすごいストレスを与えるわけです。まさに、葬儀とは儀式によって悲しみの時間を一時的に分断し、物語の癒しによって、不完全な世界を完全な状態に戻すことに他ならないのです。葬儀によって心にけじめをつけるとは、壊れた世界を修繕するということなのです。ですから、わたしはわが社の葬祭スタッフにいつも、「あなたたちは、心の大工さんですよ」と言っているのです。



愛する人を失った遺族の心は不安定に揺れ動いています。
しかし、そこに儀式というしっかりした「かたち」のあるものが押し当てられると、不安が癒されていきます。 
親しい人間が死去する。その人が消えていくことによる、これからの不安。残された人は、このような不安を抱えて数日間を過ごさなければなりません。心が動揺していて矛盾を抱えているとき、この心に儀式のようなきちんとまとまった「かたち」を与えないと、人間の心にはいつまでたっても不安や執着が残るのです。この不安や執着は、残された人の精神を壊しかねない、非常に危険な力を持っています。この危険な時期を乗り越えるためには、動揺して不安を抱え込んでいる心に、ひとつの「かたち」を与えることが求められます。まさに、葬儀を行なう最大の意味はここにあります。


ロマンティック・デス』ハングル版



以上の内容も『愛する人を亡くした人へ』に出てきますが、わたしはぜひ同書がハングル訳され、韓国の遺族の方々に読んでほしいです。
じつは、わたしの著者はいくつかハングル版が刊行されていますが、その中に『ロマンティック・デス〜月を見よ、死を想え』(幻冬舎文庫)の韓国版があります。この本は『愛する人を亡くした人へ』を書くベースになった本でもあり、葬儀の本質はもちろん、グリーフケアの問題にも言及しています。
どうか、韓国の遺族の方々がネットなどで同書を入手され、一読されることを願っています。そして、悲しみの淵になる方々が少しでも考え方を変えていただき、自殺を思い止って下さることを祈っています。
亡き父の一周忌に起こった大久保選手の奇跡、今は亡きわが子を思って自殺を図る親・・・・・・この2つの事実を同時に知ったわたしは、「親と子」そして「生者と死者」との絆について深く考えさせられました。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2014年5月14日 一条真也