「そうそう」インタビュー

一条真也です。
ブログ「葬儀ライター」で紹介した奥山晶子さんからの取材を受けたインタビュー記事が掲載された雑誌が送られてきました。


「そうそう」第3号の表紙



送られてきた雑誌とは、「そうそう」第3号です。NPO法人・葬送の自由をすすめる会が発行しています。ブログ「島田裕巳氏と再会しました」にも書いたように、同会の現会長は『葬式は、要らない』の著者である島田裕巳氏です。
わたしは「散骨」と呼ばれる海洋葬や樹木葬などには大いに賛成していますので、島田氏の新しい活動を好意的に受け止めています。そもそも「葬送の自由」といった時点で「葬式は、要らない」とは考えていないことは明白です。



奥山さんが連載されている「ニッポンの葬送を訪ねる」というコーナーの「第三回 福岡県」編で、サンレーに触れた箇所にかなりのページが割かれています。
続いて、わたしのインタビュー記事が掲載されています。
表紙にも「『葬式は必要!』著者、株式会社サンレー社長 一条真也」と書かれています。おそらく、業界関係者や宗教関係者の多くは驚かれたのではないでしょうか。インタビュー記事は「『縁』を感じつつ自由な形式で見送り、弔う」のタイトルで、3ページにわたって掲載されています。「禮鐘の儀」や「鎮魂の森」など、わが社の葬送イノベーションについても紹介されています。



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「縁」を感じつつ自由な形式で見送り、弔う


作家・株式会社サンレー社長 一条真也 


今、葬儀業界の最先端にいる人が考える「理想のお葬式」とは?福岡県に拠点を置き九州・沖縄・北陸に計55ヵ所の式場を構え、1万以上の施行実績を持つ株式会社サンレー代表取締役社長であり、『葬式は必要!』など約60冊の著作を持つ作家の一条真也氏にお話を伺った。



●相互扶助の精神が生きている 沖縄の葬儀
日本の葬儀が抱えてきた問題点としてよく取り沙汰されるのが費用の高さと参列者の多さ。そして最近では「直葬」や「家族葬」といった、料金が控えめで会葬者数も抑えた葬儀が広まっているとよく言われます。しかしそれはあくまで都市部の流行であって、とくに九州はその限りではありません。規模の面からいえば、まだまだ100人規模の葬儀は当たり前。
南に行けばいくほど人との縁が濃いと感じます。
料金の面でいえば、たしかに日本の葬儀は世界で一番高いといわれています。しかし日本固有の文化である「香典」を忘れてはいけません。香典での収入を加味すれば、世界の葬儀費用の平均にかなり接近してくるとさえいえます。そして日本の葬儀費用が基本的に香典で賄われてきたという事実は、相互扶助が日本の葬儀の本質にあることを示しているのではないでしょうか。
葬儀の役割として、故人を見送ることばかりに力点が置かれがちですが、お世話になった人に感謝を伝える場でもあるのです。
本質からいえばむしろこの面がとても重要です。
私が考える理想の葬儀は、沖縄において実現されています。
沖縄では、地縁・血縁で結ばれた大勢の人たちが集まって、より近しい人たちは葬儀のお手伝いをしながら故人を見送ります。そこには日本が失いかけている相互扶助の理想形があると感じます。わが社自体、「冠婚葬祭互助会」と呼ばれる組織の一つですが、互助の精神が失われつつあるのであれば、まさに私どもには、それを再生する責任があるのではないでしょうか。
血縁・地縁の再生が、互助会の使命であると感じています。



●「迷惑をかけたくない」という言葉の裏側
九州では葬儀の極端な縮小化はみられないものの、近隣の方々によるお手伝いがだんだん減少している傾向にあります。
これは遺族の意向によるところが大きく、「迷惑はかけたくないから」と口をそろえます。近親者の死を知らせることすらしないという方までいます。
このような遺族の気配りは美しいものといえるかもしれませんが、その言葉の裏側には、どうも違う本音が隠されているように思えます。
死を知らせ、お悔やみをいただき、そのお礼をする。こういったやりとりを面倒と感じる心が「近所には迷惑をかけたくない」と言わせているのではないでしょうか。面倒が先に立ってお世話になった方にも死を知らせないのであれば、「家族葬」どころか「密葬」になってしまいます。一般人がこぞって密葬を始める社会。大切な文化が失われるような寂しさと危機感を覚えています。



●本質は大事にしながら発想は自由に
そんな中で表われているお墓の新しい形、散骨や樹木葬といったお骨を自然に還す形式は弔いの方法に選択肢があることを人々に伝えるためにも大いにすすめていくことが大切と感じています。わが社でも樹木葬霊園「鎮魂の森(仮称)」の造成を計画しています。島田会長がすすめる「0葬」についても、私自身はやはりお骨は多少なりとも残すことが生きている人のよりどころになるのではと考えますが、必ずまとまった量の収骨をしなければならないという先入観を打ち破るという点では賛成です。本当の豊かさは高価なものを買うことではなく、様々な選択肢の中から選べることにこそありますから。
葬儀も、失ってはならない互助の精神や縁を大事にしながらも、お墓と同様に新しい形をさまざま示すことが必要です。
例えば、出棺時のクラクション。クラクションというのは注意を促すときに鳴らす音ですよね。私はあれを聞くと、なんだか脅かされているような気持ちになり、わが者の出棺ではクラクションを鳴らさないことに決めました。代わりに、神社・仏閣で用いられている鰐口という鐘(禮鐘)を三回打つ「禮鐘の儀」という新しい儀式を提案しています。お客さま方にたいへん好評です。
このように「儀式とはこうである」とう先入観を打ち破ったところにこそ自由な発想が生まれるものです。これからも、葬儀の本質を守りながら、日々新しいお見送りの形を提案していきたいと考えています。


インタビュー取材のようす



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2014年3月3日 一条真也