葬儀と音楽

一条真也です。
わたしは、日頃から「グリーフケア」について考えています。
そして、最大のグリーフケアとは葬儀そのものであると思っています。
孔子は「礼楽」というものを重視しましたが、葬儀という儀式にも音楽が欠かせません。わが社では、葬儀で流す弦楽四重奏の音楽をはじめ、グリーフケア・サロンである「ムーンギャラリー」でも音楽による癒しを重視しています。わたしが作詞した「また会えるから」も、いわばグリーフケアの歌であり、「月の広場」で毎日流れています。


特に、最近は以下の曲目を中心に葬儀で演奏するようにしています。
9月から大変な「音楽通」がサンレーに入社し、現在は企画課の課長を務めています。葬儀実務の経験も豊富な彼が選んだのが以下の6曲です。
1.マスカーニ「歌劇『カヴァレリア・ルスティカーナ』間奏曲」
2.エルガー弦楽合奏のためのエレジー
3.エルガー「弦楽セレナーデ 第二楽章」
4.チャイコフスキー「アンダンテ・カンタービレ
5.ラフマニノフ「ヴォカリーズ」
6.J.S.バッハ「G線上のアリア」


マスカーニ「歌劇『カヴァレリア・ルスティカーナ』間奏曲」



エルガー弦楽合奏のためのエレジー



エルガー「弦楽セレナーデ 第二楽章」



チャイコフスキー「アンダンテ・カンタービレ



ラフマニノフ「ヴォカリーズ」



J.S.バッハ「G線上のアリア」


いずれも、聴く者の魂をその最深部から癒してくれる力を持った曲です。
葬儀の場で、これらの名曲が弦楽四重奏で演奏されるとき、セレモニーホールはこれ以上ないほど密度の高い芸術空間と化します。
ブログ『澁澤龍彦 西欧芸術論集成』で紹介した本には、「楽器について」という秀逸なエッセイが収録されています。このエッセイには、「芸術」そのものの本質が語られているような気がします。


澁澤龍彦 西欧芸術論集成 上 (河出文庫) 澁澤龍彦 西欧芸術論集成 下 (河出文庫) ホモ・ルーデンス (中公文庫)


まず澁澤は、オランダの文化史家であるホイジンガの名著『ホモ・ルーデンス』を取り上げます。この本で「人間の文化は遊びとともに発達した」と主張したホイジンガは、「音楽は人間の遊戯能力の、最高の、最も純粋な表現である。そこには何ら実利的目的はない。ただ快楽、解放、歓喜、精神の昂揚が、その効果として伴っているだけである」と述べています。
これに対して澁澤は、「まことにホイジンガのいう通り、音楽ほど純粋な芸術はなく、それは私たちを日常の現実から救い上げて、一挙に天上の楽園に運んでくれるものだろう」と感想を記しています。



わたしも、つねづね、芸術の本質とは「私たちを日常の現実から救い上げて、一挙に天上の楽園に運んでくれる」ことであると思っていたので、わが意を得たりと思いました。ヨーロッパの中世の宗教画には、かわいい天使たちが手にいろんな楽器をもって音楽を奏でている場面が描かれています。現代日本の結婚式場やチャペルのデザインなどにも、よく使われていますよね。澁澤は、その天使の楽器について、さらに「天上」というキーワードを重ねて、次のように述べます。
「たしかに最高の音楽は、いわば天上的無垢、天上的浄福に自然に到達するものと言えるかもしれない。アンジェリック(天使的)という言葉は、たぶん、音楽にいちばんふさわしい言葉なのである」
英語でもフランス語でもドイツ語でも「遊ぶ」という言葉と「演奏する」という言葉は同じです。英語では「プレイ」ですが、日本語でも「遊ぶ」という表現は、古くは「神楽をすること」あるいは「音楽を奏すること」という意味に用いられました。


ここで、わたしが思い浮かべたのは、日本映画「おくりびと」です。
「旅のお手伝い」と記された求人広告は、「安らかな旅立ちのお手伝い」の誤植でした。その業務内容とは、遺体を棺に納める仕事だったのです。
戸惑いながらも納棺師として働き出す主人公には、さまざまな境遇のお別れが待っていました。「死」という万人に普遍的なテーマを通して、家族の愛、友情、仕事への想いなどを直視した名作です。特に興味深かったのは、納棺師になる前の主人公の仕事がチェロ奏者だということ。
チェロ奏者とは音楽家です。すなわち、芸術家ですね。
そして、芸術の本質とは、人間の魂を天国に導くものだとされます。
素晴らしい芸術作品に触れ心が感動したとき、人間の魂は一瞬だけ天国に飛びます。絵画や彫刻などは間接芸術であり、音楽こそが直接芸術だと主張したのは、かのヴェートーベンです。すなわち、芸術とは天国への送魂術なのです。



わたしは、冠婚葬祭、とくに葬儀こそは芸術そのものだと考えています。
なぜなら葬儀とは、人間の魂を天国に送る「送儀」に他ならないからです。
人間の魂を天国に導く芸術の本質そのものなのです。
納棺師という存在は、真の意味での芸術家です。
そして、送儀=葬儀こそが真の直接芸術になりえます。
「遊び」には芸術本来の意味があると述べましたが、古代の日本には「遊部(あそびべ)」という職業集団がいました。これは天皇の葬儀に携わる人々でした。やはり、「遊び」と「芸術」と「葬儀」は分かちがたく結びついているのです。



最後に、「週刊東洋経済」の「終活」特集に燦ホールディングスの古内耕太郎社長が登場して、インタビューに答えられていました。古内社長は、ブログ「葬式は、要るさ!」ブログ「朋あり遠方より来る」などで紹介した儀式産業における同志です。ブログ『グリーフケア』で紹介した本の著者でもあります。燦ホールディングスの中核企業が東証大証一部上場企業である公益社です。同社は、グリーフケアの普及に力を入れており、「陽だまりの会」という自助グループも支援されています。その古内社長が、インタビューで「葬儀は、音楽などと同じ文化産業です」と言われていました。わたしは、「古内さん、よく言った!」と快哉を叫びたい気分になりました。しかしながら、「でもね古内さん、葬儀は音楽よりも高次元の芸術ですよ」とも言いたくなりました。なにしろ、葬儀こそは究極の直接芸術なのですから・・・・・。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2013年10月24日 一条真也