ビルマ日本人墓地

一条真也です。
12日の朝、念願だった「ビルマ日本人墓地」参拝を果たしました。
場所は、ブログ「ヤンゴン市火葬場」で紹介した施設のすぐ近くでした。
ここには、太平洋戦争のビルマ戦線で亡くなった方々の墓地が並んでいます。じつに19万人に及ぶ日本人がビルマで命を落としたのでした。


ビルマ日本人墓地の門の前で

墓地の中は花でいっぱいです

入口脇に置かれた2体の仏像



「日本人墓地」と書かれた門を開くと、目に眩しいほど色彩の豊かなブーゲンビリアの花々がわたしたちを迎えてくれました。
中に入ると、右脇に2体のおだやかな顔をした仏像があります。
ビルマ日本人墓地は、正式には「エーウィ日本人墓地」といって、ヤンゴンから車で30分ほどの距離の北オカラッパにあります。
もともとはヤンゴン市タモエ地区チャンドゥにありましたが、「ヤンゴン市都市計画により、ヤンゴン空港のさらに奥に移転したのです。
チャンドゥ日本人墓地には、明治時代から自然と日本人の墓が集まってきたようです。日本とミャンマーの歴史的関係というと、『ビルマの竪琴』や「インパール作戦」に代表される太平洋戦争がまず思い浮かびます。
しかし、実際にはもっと古くからビルマには日本人が来ていました。


無縁仏もありました



明治期の墓は女性、それも長崎県をはじめとする九州の出身者が多いのですが、。彼女たちは、いわゆる「からゆきさん」と呼ばれた人々です。1910年前後には数百人の「からゆきさん」がビルマで生活していたそうです。
九州の山村から、はるばる異国の地までやってきた若い娘たちは、幾多の辛苦を舐めながら、ビルマで生を終えました。
チャンドゥに日本人墓地が正式に開かれたのは昭和15年といいます。もちろん軍人の墓が圧倒的に多いですが、医師などの職業が書かれた人たちの名前も目にします。歴史上の日本とミャンマーの関係が浮かび上がってくるようです。


戦没者慰霊の碑

福岡県ミャンマー戦没者慰霊碑

戦友と共にここに眠る

ビルマの竪琴』主人公のモデルの墓

わたしも、世界平和を祈念しました



チャンドゥから北オカラッパに移転した日本人墓地は、3500坪に及ぶ広大な面積を有します。あちらこちらに、「英霊の墓」「家族が建てた碑」「無縁仏」などが建立されています。その他、都道府県別の慰霊碑もあり、「福岡県ミャンマー戦没者慰霊碑」というのもありました。
比較的最近亡くなった日本人の墓もあります。「戦友と共にここに眠る」と記された墓は、2009年に逝去された故・稲田清氏のものです。
また、『ビルマの竪琴』の主人公である水島上等兵のモデルになった故・中村一雄氏の墓もあります。中村氏は2008年に逝去され、墓には「祈世界平和」と大きく記されています。この方は、戦争から帰った後は曹洞宗雲昌寺の大和尚になられた方です。それらの墓や慰霊を見ていると、それぞれの方々の人生ドラマを垣間見たようで、いろいろと考えさせられました。


ビルマ平和記念碑

心をこめて祈りました



そして、日本人墓地の一番奥には「ビルマ平和記念碑」が建てられています。
1981年(昭和56年)、日本の厚生労働省戦没者慰霊事業として「ビルマ平和記念碑」をチャンドゥ日本人墓地に建立しました。碑には、「さきの大戦においてビルマ方面で戦没した人々をしのび平和への思いをこめるとともに日本ビルマ両国民の友好の象徴としてこの碑を建立する」と記されています。ヤンゴン市政府の要請により、1998年(平成10年)に北オカラッパ地区、エーウィ日本人墓地内に移転しました。「ビルマ平和記念碑」は、今年1月にミャンマーを訪問した麻生太郎副総理兼財務相が参拝したことでも知られます。
わたしも、記念碑の前で数珠をもって合掌し、鎮魂と平和の祈りを捧げました。


ふるさとを遠く離れて眠る地は 仏陀に近き南方楽土



記念碑の他にも日本人墓地に散在する多くの墓や慰霊塔を眺めながら、わたしは「こんなに遠い異国の地まで日本から来て、さぞ心細かっただろう。そして、帰国できなかったのはさぞ辛かっただろう」と思いました。明治の「からゆきさん」のことも、昭和の兵隊さんのことも、その他のすべてのミャンマーで亡くなった日本人のことが心に浮かんできて、胸がいっぱいになりました。わたしは合掌しながら、「でも、このビルマの地は、お釈迦様の生誕地に近く、また尊い教えにも近い上座部仏教の国ですよ。みなさん、この南の楽園で、どうか、安らかにお眠り下さい」と心からの祈りを捧げました。そして、次の歌を詠みました。



ふるさとを遠く離れて眠る地は 
      仏陀に近き南方楽土 (庸軒)



ビーゲンビリアの花が美しかったです

日本人墓地の管理人さんと



それにしても、ビーゲンビリアの花が美しかったです。この世のものとは思えぬほどの花の美しさに、ここが本物の楽土のように思えました。
わたしが日本人墓地を後にしようとしたとき、ガイド兼通訳のモン・モンさんが1人のミャンマー人を紹介してくれました。この墓地を守っておられる管理人の方だそうです。わたしは深く一礼して、「わたしたち日本人の先祖のお墓を守っていただいて、心より感謝いたします」と申し上げました。その言葉をモン・モンさんがミャンマー語に通訳すると、管理人さんも一礼して下さいました。わたしは、死者の尊厳を守ることこそ「礼」の根本であることを改めて痛感しました。
この日本人墓地に眠るすべての方々の御冥福をお祈りいたします。合掌。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2013年4月13日 一条真也