天恩郷

一条真也です。
30日、サンレー北陸の社員旅行に合流すべく、京都に向かいました。
宿は、亀岡にある湯の花温泉「松園荘 保津川亭」です。
いわゆる「京都の奥座敷」として知られる場所ですね。


JR亀岡駅前で



JR亀岡駅に降り立ったわたしには、どうしても行きたい場所がありました。
その場所とは、大本教の本部である「天恩郷」です。
日本の霊的巨人である出口王仁三郎が築いた地上天国です。


大本教本部にて

天恩郷を訪れました



大本教は1892(明治25)年の正月に突如、艮の金神が降りてきて神憑かりとなったという老女出口ナオによって開かれた、いわゆる新興宗教の1つです。1898(明治31)年にナオと出会った上田喜三郎ことのちの出口王仁三郎の手によって急速に信者を増やしていきました。なおの昇天後、王仁三郎は主著である『霊界物語』の口述を開始し、教団は隆盛をきわめます。
しかし、その時代の枠にまったくとらわれないでハイパーなアナーキー性のため、1921(大正10)年と1935(昭和10)年の2回にわたって当局から大弾圧を受け、今では大本教そのものとしては衰退してしまいました。



しかし、生長の家を創立した谷口雅春をはじめ、世界救世教の教祖・岡田茂吉、三五教の中野与之助、神道天行居友清歓真などがいずれも、かつては王仁三郎の弟子であり、大正期の大本教の青年幹部だったことを知れば、大本教がまさに現代宗教の「おおもと」であったことがわかります。さらに、念写の福来友吉と並ぶ「心霊学」と大家であった浅野和三郎や、合気道の開祖として知られる植芝盛平らも王仁三郎の右腕であったと聞けば、今さらながらに「日本霊学のダム」としての大本教の巨大さを思い知らされます。


かつて、ここには亀山城がありました

天恩郷の参道で



拙著『遊びの神話』(PHP文庫)にも書きましたが、丹波の国亀岡生まれの出口王仁三郎こそは明治維新以後の日本において最も注目すべき個性だと思います。王仁三郎は、「世界には数多くの宗教があるが、そのもとは同じで、目指す理想も同じはず。ただ、表現の仕方が違うだけだ」という万教同根の思想を持っていました。彼は、同じ考えを抱いている外国の宗教と次々に提携をします。その中には、中国の予言教団「道院・紅卍字会」も含まれていました。これは、至聖先天老祖を中心に世界5大宗教の宗祖である老子孔子、釈迦、キリスト、マホメットをまつるという、非常に興味深い教団です。


天恩郷の案内図

エスペラント



また、王仁三郎はザメンホフによって提唱された世界言語エスペラントにも大いに関心を示し、自らエスペラント普及会という団体を創立して会長になっている。このあたりは同時代の宮沢賢治、さらには人智学運動のルドルフ・シュタイナーともつながってきます。おそらく、王仁三郎は宗教も言語の区別もない平和な理想郷をつくろうとしていたのではないでしょうか。


久々にやってきました

広大な宗教施設です



わたしが天恩郷を訪れたのは二度目です。
最初は、2004年にサンレーグランドホテルがオープンする直前で、同ホテルに設置した宗教美術館「宗遊館」の参考にするための視察としてでした。
天恩郷は、亀山城跡にあります。築城400余年・かの明智光秀の居城でした。その姿を今に残す壕と石垣の一部から、当時の姿をしのぶことができます。
丹波亀山城は別名を亀宝城、霞城ともいい、層塔型の5層の天守閣と3重の堀をめぐらしたその偉容は、亀山5万石の規模をはるかに越えた全丹波29万石にも相当する城塞でした。しかし、1878年(明治11年)、政府の方針で廃城処分されることになりました。天守も解体され、建物の一部は払い下げられました。以降、土地も建物も転売を繰り返されるうちに見る影もなく、荒れ果てました。


大本大道場の前で

緑ゆたかな神苑でした



1919年(大正8年)、本丸、出口王仁三郎が聖師を務める大本が亀山城の二の丸付近を入手しました。そして、城内に残った石を掘り起こし、積み直し整備しました。翌年には大道場を開設し、建造物を建て、やがて「天恩郷」と命名したのです。1935年(昭和10年)の「第二次大本事件」での破壊を経て復興し、現在に至っています。
天守跡の石垣の一部に、築城、整備された時代のものが残っています。


「ギャラリーおほもと」の前で

天声社売店

万祥殿で拝礼する

万祥殿の縁側で「有縁社会」を想う



天恩郷には、万祥殿という礼拝殿があります。
昭和33年(1958)8月7日に完成しました。
「おほもとすめおほみかみ」をまつり、天恩郷の至聖所・月宮山を拝します。殿内には、切り妻造りの能舞台が造られ、建物の北側に茶室「万祥軒」が隣接し、大本の教風である「宗教と芸術の一致」の教えが表現されています。
大本教は、あらゆる宗教の源が同じであるという「万教同根」を唱え、「人類愛善協会」を設立して世界語としての「エスペラント」運動も積極的に推進しました。


大本花明植物園の前で

木の花桜(このはなざくら)



天恩郷には、「花明山植物園」という素晴らしい植物園もあります。
園内の中ノ島西南端に生育している「木の花桜」は樹齢約250年だそうです。
木の花桜は、ヤマザクラ(山桜)の変種で、花弁が60枚前後もあります。一花に雌しべが2本ついているのが特で、昭和29年、花明山植物園の竹内敬・初代園長と、バラ科の世界的権威・小泉源一博士によって、学会に発表されました。


現在の月宮宝座のようす

月宮宝座を遠くから拝礼する



天恩郷のシンボルとなるのは、至聖所・月宮宝座です。第二次大本事件が起きるまでは、十字の形の礎石に月宮殿が建っていました。1928年(昭和3年)に完成した月宮殿は、出口王仁三郎が高熊山修行(1898年・明治31年)中に見せられた天界の宮殿を地上に模写したものとされています。
約9000個にのぼる石を使用した総石造りで、日本建築史上にまったく類例がありません。しかも、古代アジアの伝統絵画を参考にしたというその様相は独創的で、まるで竜宮城のようだったとか。
わたしは、この月宮殿のエピソードに限りないロマンをおぼえます。
いつか、わたしも「月の宮殿」を地上に造ってみたいです。


これが今回の収穫物です!



第二次事件で、月宮殿は破壊されます。警保局保安課の記録には「数十発のダイナマイトを一時に爆発させても局部的損傷にしかならず、異常の苦心を重ねた」とあります。完全に破壊するまでに21日を費やし、使用したダイナマイトも実に1500発を数えたそうです。たまらなく想像力をかき立てられますね。
戦後になって新たに発足した大本では、出口王仁三郎教祖の意志に基づき、散乱した国魂石を積み上げ、1949年(昭和24年)、現在の月宮宝座が完成しました。頂にある「天拝石」は重さは約7.5トンにもなるとか。月宮宝座は、1992年(平成4年)から至聖所として、禁足の地となりました。現在も立ち入り禁止のため、わたしは遠くから拝ませていただきました。
久々に大本教の聖地を訪れ、いろいろと考えるところがありました。


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2013年10月30日 一条真也

心学の道

一条真也です。
30日、サンレー北陸の社員旅行に合流すべく、京都に向かいました。
宿は亀岡にある湯の花温泉「松園荘 保津川亭」です。JR亀岡駅の改札をくぐったわたしの目は、改札前の銅像に釘付けになりました。
なんと、その銅像石田梅岩像だったのです!


京都駅にて

亀岡に着きました

改札前に石田梅岩像が!



石田梅岩といえば、言わずと知れた「石門心学」の祖です。
梅岩は、儒教をベースとしながらも神道や仏教も取り入れて、神仏儒の一致を目指しました。そして、日本人の「こころ」のあり方を求めたのです。
平成心学塾」を主宰し、日本人の「こころ」の三本柱としての神道・仏教・儒教を研究しています。そんなわたしは、先達としての梅岩を心より尊敬しています。


観光案内所で貰ったパンフレット



亀岡には「石田梅岩 心学の道」というものがあるそうで、わたしは居ても立ってもいられず、スキップしながら「心学の道」を進みたいと思いました。そこで駅の構内にある観光案内所に行き、「心学の道」の具体的な場所を尋ねたのですが、非常に長距離で、しかも峠を越えて行かなければならないことがわかりました。しかも、その峠が11月15日まで通行止めだそうです。


「心学の道」を歩いてみたい!



それを聞いて、わたしは泣く泣く断念しました。でも、観光案内所の人は「石門心学の開祖 石田梅岩」というパンフレットをくれました。いつかまた亀岡を訪れて、「心学の道」を歩いてみたいです。


「心学の道のれん街」にて



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2013年10月30日 一条真也

『即効!ビジネス心理法則』

一条真也です。
新しい監修書である『即効!ビジネス心理法則』(実業之日本社)の見本が出ました。造事務所と一緒に作った本ですが、担当の中田浩平さんが非常に頑張って下さり、おかげで満足のいく内容になりました。


即効!ビジネス心理法則』(実業之日本社



人が行うビジネスの現場では、確実に「心理法則」が使われています。
なぜ、あの上司に「部下」はついていくのか?
自他の「モチベーション」を挙げるにはどうするか?
人を動かし、組織をコントロールし、自分を変える・・・・・これら「心理法則」の三位一体で、ビジネスの世界はあなたの思いのままになります。


こんなところで使われているビジネスの「心理法則」



本書の目次構成は、以下のようになっています。
<はじめに>
他人や自身の「心理」をつかめば、ビジネスはうまくいく
こんなところで使われているビジネスの「心理法則」
【パート1】「組織」をコントロールするビジネス心理法則
      1.バランス理論
      2.同調現象
      3.PM理論
      4.ピグマリオン効果
      5.社会的証明の原理
      6.スティンザーの三原則
    <すぐに試してみたくなる「心理法則」の話>
      ホームグラウンド効果
【パート2】「人」を動かすビジネス心理法則
      1.ハロー効果
      2.ザイアンスの法則
      3.認知的不協和
      4.一貫性の原理
      5.明示的説得と暗示的説得
      6.連合の法則
      7.選択肢削減の法則
      8.ピークエンドの法則
    <すぐに試してみたくなる「心理法則」の話>
      二者択一話法
【パート3】「自分」を変えるビジネス心理法則
      1.ワイズマンの4つの法則
      2.メラビアンの法則
      3.エメットの法則
      4.ABC理論
      5.フォールス・コンセンサス効果
      6.ヤーキーズ・ドットソンの法則
      7.宣言効果
    <すぐに試してみたくなる「心理法則」の話>
      スノッブ効果



わたしは、かつて『法則の法則〜成功は引き寄せられるか』(三五館)という本を書きました。そこで、古今東西のありとあらゆる法則を集め、それらの法則を貫くメタ法則を求めました。この世には数多くの「法則」が存在するとされています。あるアイデアが、とりあえず「仮説」として立てられる。その「仮説」から具体的・個別的な「命題」を導き出す。そして、その「命題」を観察および実験で検証し、有効性が検証されれば、ようやく「法則」に格上げされる。そのようにしてできた複数の「法則」を体系化したものが「理論」と呼ばれるものなのです。



わたしは、企業の経営者としてビジネスの世界に身を置いています。また、「平成心学塾」という勉強会を主宰し、人間の「こころ」というものを総合的に研究しています。いくら最新の経営理論を持ち出そうが、ビジネスとは結局のところ非常に人間くさい営みです。企業も人間の集まりであり、顧客も人間だからです。そして、人間を動かすのは「こころ」です。



「こころ」の語源は「ころころ」であるという説があります。ころころ転がる不安定なものが人間心理なのです。しかし、そこには確実に一定の方向性があります。
簡単に言うならば、人間は誰でも優しくされれば嬉しいし、冷たくされれば悲しいものです。わたしの経営する会社は冠婚葬祭業を営んでおり、わたしもよく結婚式や葬儀の現場に立ち会います。愛する人と結ばれる新郎新婦は希望でいっぱいですし、愛する人を亡くした遺族の方々が絶望の淵におられます。


2冊同時発売されます!



喜び、悲しみ、希望、絶望・・・・・人間の「こころ」の変化のバリエーションとそのエネルギーの大きさを毎日のように感じています。
人間の「こころ」の働きを研究する学問が心理学ですが、本書にはビジネスの世界における「こころの法則」がたくさん紹介されています。
本書を読んで、上司や部下、取引先、そして消費者の心理を知っていただければ、あなたのビジネスはきっと進化を遂げるでしょう。
即効!ビジネス心理法則』は11月2日に発売されます。
姉妹本の『即効!ビジネス成功法則』も同時発売されます。
ぜひ、ご一読下さいますよう、よろしくお願いいたします。



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2013年10月30日 一条真也

『即効!ビジネス成功法則』

一条真也です。
新しい監修書である『即効!ビジネス成功法則』(実業之日本社)の見本が出ました。造事務所と一緒に作った本ですが、担当である松原智徳さんが非常に頑張って下さり、おかげで満足のいく内容になったと自負しています。


即効!ビジネス成功法則』(実業之日本社



ビジネスで成功している会社やビジネスマンは、例外なく「成功法則」を活用しています。成功する会社(人)と失敗する会社(人)はどこが違うのか?
なぜ、「努力」や「根性」だけではうまくいかないのか?
これらは、およそビジネスの世界に身を置く者にとっては、永遠の命題といえるでしょう。これらの問いに答えるのが本書です。


こんなところで使われている成功する「ビジネス法則」



本書の目次構成は、以下のようになっています。
<はじめに>
『ビジネス法則』を知ることが「成功」への近道になる!
こんなところで使われている成功する「ビジネス法則」
【パート1】成功する「経営」のビジネス法則
      1.ランチェスター戦略
      2.ポーターの競争戦略
      3.ブルー・オーシャン戦略
      4.XY理論
      5.パーキンソンの法則
      6.ムーアの法則
      7.グレシャムの法則
    <すぐに試してみたくなる「成功法則」の話>
      ザイアンスの法則
【パート2】成功する「経済」のビジネス法則
      1.希少性の原理
      2.限界効用逓減の法則
      3.バンドワゴン効果
      4.80:20の法則
      5.AIDMAの法則
      6.スリーパー効果
      7.黄金比
    <すぐに試してみたくなる「成功法則」の話>
      煩瑣の原理
【パート3】成功する「儲け」のビジネス法則
      1.返報性の原理
      2.プロスペクト理論
      3.行動・非行動の法則
      4.選好逆転の法則
      5.イノベーター理論
      6.1:5の法則
      7.引き寄せの法則



わたしは、かつて『法則の法則〜成功は「引き寄せ」られるか』(三五館)という本を書きました。そこで、古今東西のありとあらゆる法則を集め、それらの法則を貫くメタ法則を求めました。
わたしが同書を書くきっかけになったのは、世界的ベストセラーの『ザ・シークレット』に登場した「引き寄せの法則」というものに興味を抱いたからでした。これは、他の言葉を使えば、「思考は現実化する」ということです。 



世には、さまざまな「法則」についての本があふれ、成功の法則をはじめとして、幸せの法則、愛の法則、繁栄の法則、お金の法則、儲けの法則、仕事の法則、人間関係の法則などが紹介されています。どうやら、この世は「法則」にあふれているようです。いや、宇宙は「法則」に満ちているのでしょうか。 
では、「法則」とは何でしょうか。それは、いつでも、またどこででも、一定の条件のもとに成立するところの普遍的・必然的関係です。ニュートンの「万有引力の法則」、ダーウィンの「適者生存の法則」、メンデルの「遺伝の法則」などがすぐに思い浮かぶ代表的な「法則」でしょうか。



法則は、ビジネスの世界にも存在します。
厳密な科学的法則というよりも経験則のようなものもありますが、とにかくビジネスで成功するためには法則を知るのが近道です。
「経営の神様」と呼ばれた松下幸之助は、かつて事業経営に発展の秘訣があるとすれば、それは「天地自然の理」に従うことであると喝破しました。事業というものは天地自然の理に従って行なえば、必ず成功する。いいものをつくって、適正な値段で売り、売った代金はきちんと回収する。簡単に言えば、それが天地自然の理にかなった事業経営の姿である。そしてその通りにやれば、100%成功するものだというのです。この「天地自然の理」は、まさに「法則」ということでしょう。


2冊同時発売されます!



本書は、読んでも面白いですが、何よりも実際のビジネスに役立つ法則がたくさん紹介されています。本書に紹介されている法則たちが、あなたのビジネスを成功に導いてくれることを願っています。
即効!ビジネス成功法則』は11月2日に発売されます。
姉妹本の『即効!ビジネス心理法則』も同時発売されます。ぜひ、ご一読下さいますよう、よろしくお願いいたします。



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2013年10月30日 一条真也

ミャンマーと日本つなぐ仏教シンポ

一条真也です。
ブログ「仏教文化交流シンポジウム」で紹介したイベントには大きな反響がありましたが、「ふくおか経済」11月号に紹介されました。


「ふくおか経済」11月号



ミャンマーと日本つなぐ仏教シンポ」のタイトルで、次のように書かれています。
「日緬仏教文化交流協会佐久間進会長)は9月21日、北九州市門司区の旧大連航路上屋で「仏教文化交流シンポジウム」を開催した。同区のミャンマー式仏教寺院「世界平和パゴダ」の建立55周年を記念して開かれたもの。当日は、世界平和パゴダの住職・ウィマラ長老が基調講演した後、「仏教が世界を救う〜世界平和パゴダの可能性」と題して井上ウィマラ高野山大学教授、天野和公みんなの寺坊守、八坂和子ボランティアグループ一期会会長、作家の一条真也氏らによるパネルディスカッションがあった。その中で一条氏は『日本仏教は制度疲労を起こしている』と指摘。同時に『世界平和パゴダは平和の象徴で戦没者慰霊の施設。安倍首相やアウンサンスーチー女史にも訪れてほしい』と訴えた。会場には約300人が集まった」



「ふくおか経済」のナイスガイ・八尋修平さんが見事にまとめて下さいました。
このシンポジウムは大変好評だったので、いずれ内容を書籍化する予定です。
これからも、世界平和パゴダを拠点として、日本人の「こころ」が平安になるお手伝いをさせていただきたいです。



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2013年10月30日 一条真也

『戦略読書日記』

戦略読書日記 〈本質を抉りだす思考のセンス〉


一条真也です。
『戦略読書日記』楠木健著(プレジデント社)を読みました。
著者は、一橋大学大学院 国際企業戦略研究科教授で、専攻は競争戦略とイノベーションです。著書にベストセラーとなった『ストーリーとしての競争戦略』(東洋経済新報社)、『経営センスの論理』(新潮新書)などがあります。



本書のサブタイトルは「本質を抉りだす思考のセンス」で、帯には「『ストーリーとしての競争戦略』の原点がここにある」というキャッチコピーに続いて、「『日本永代蔵』『最終戦争論』『一勝九敗』『プロフェッショナルマネジャー』『クアトロ・ラガッツイ』『生産システムの進化論』『日本の喜劇人』・・・・・。読んでは考え、考えては読む。本との対話に明け暮れた挙句の果てに立ち上がる、極私的普遍の世界。楠木健の思考のエッセンスとスタイルが凝縮された一冊」とあります。
さらに、カバーの前そでには、「読書は経営のセンスを磨き、戦略ストーリーを構想するための筋トレであり、走り込みである。即効性はない。しかし、じわじわ効いてくる。三年、五年とやり続ければ、火を見るよりも明らかな違いが出てくるはずだ」と書かれています。



本書の目次構成は、以下のようになっています。
「まえがき」
序 章  時空間縦横無尽の疑似体験
     『ストーリーとしての競争戦略』楠木建
第1章  疾走するセンス
     『元祖テレビ屋大奮戦!』井原高忠
第2章  「当然ですけど。当たり前ですけど」
     『一勝九敗』柳井正
第3章  持続的競争優位の最強論理
     『「バカな」と「なるほど」』吉原英樹著
第4章  日本の「持ち味」を再考する
     『日本の半導体40年』菊池誠
第5章  情報は少なめに、注意はたっぷりと
     『スパークする思考』内田和成著
第6章  「バック・トゥー・ザ・フューチャー」の戦略思考
     『最終戦争論』石原莞爾
第7章  経営人材を創る経営
     『「日本の経営」を創る』三枝匡、伊丹敬之著
第8章  暴走するセンス
     『おそめ』石井妙子
第9章  殿堂入りの戦略ストーリー
     『Hot Pepper ミラクル・ストーリー』平尾勇司著
第10章 身も蓋もないがキレがある
     『ストラテジストにさよならを』広木隆著
第11章 並列から直列へ
     『レコーディング・ダイエット決定版』岡田斗司夫
第12章 俺の目を見ろ、何も言うな
     『プロフェッショナルマネジャー』ハロルド・ジェニーン著
第13章 過剰に強烈な経営者との脳内対話
     『成功はゴミ箱の中に』レイ・クロック著
第14章 普遍にして不変の骨法
     『映画はやくざなり』笠原和夫
第15章 ハッとして、グッとくる
     『市場と企業組織』O・E・ウィリアムソン著
第16章 日ごろの心構え
     『生産システムの進化論』藤本隆宏
第17章 花のお江戸のイノベーション
     『日本永代蔵』井原西鶴
第18章 メタファーの炸裂
     『10宅論』隈研吾
第19章 「当たり前」大作戦
     『直球勝負の会社』出口治明
第20章 グローバル化とはどういうことか
     『クアトロ・ラガッツィ』若桑みどり
第21章 センスと芸風
     『日本の喜劇人』小林信彦
ロング・インタビュー「僕の読書スタイル」
[付録]読書録


ストーリーとしての競争戦略 ―優れた戦略の条件 (Hitotsubashi Business Review Books)


序 章「時空間縦横無尽の疑似体験」で、著者は自著である『ストーリーとしての競争戦略』を取り上げながら、次のように述べています。
「戦略分析は担当者(たとえば『経営企画部門』の『戦略スタッフ』)の仕事である。しかし、戦略をつくるということは、商売全体を組み立てるということであり、担当者の手に負えない。あくまでも経営者の仕事だ。戦略をストーリーとして考えるという僕の視点からすれば、戦略は分析の産物ではない。戦略の構想は何よりも『綜合』(シンセシス)の思考を必要とする。戦略をつくるという仕事にはそもそも『分析』(アナリシス)の思考とは相容れない面がある」
著者いわく、分析と綜合の違いは、「スキル」と「センス」の違いといってもよいそうです。分析がスキルを必要とするのに対して、綜合はセンスにかかっているとする著者は、次のように述べます。
「スキルとセンス、どちらも大切である。ただし、両者はまるで異なる能力であり、区別して考える必要がある。戦略『分析』がそうであるように、スキルは分業の結果として現れる個別の『担当業務』に対応している。ファイナンスのスキルがある人がファイナンス担当をやり、法律のスキルのある人が法務担当をやり、アカウンティングのスキルがある人が経理担当をやる」




さらに、著者はスキル偏重の風潮について、次のように述べます。
「だから今の時代、多くの人がスキルに傾く。センスがないがしろにされる。会社の中でもスキルばかりが幅を利かせるようになる。気がつくと会社全体が『担当者』だらけになる。挙句の果てに、『代表取締役担当者』タイプの社長が出てくる。何をやっているのかというと、代表取締役の担当業務を粛々とこなしているだけ。まるで戦略が出てこない。こうなるともはや笑えない状況だ。誰も本来の意味での経営をしていないということになる。『担当分野』がないのが経営者の仕事だ」
なるほど、この「担当分野」がないのが経営者の仕事というのはよくわかります。


龍馬とカエサル―ハートフル・リーダーシップの研究


そして、著者はなんと「モテる」という言葉を持ち出して、次のように述べます。
「スキルがビジネスのベーシックス、『国語算数理科社会』の世界だとすれば、センスというのは課外活動、『どうやったらモテるか』という話である。『こうやったらモテるようになりますよ』という標準的な方法論は存在しない。それでも『モテる人』と『モテない人』がいることは厳然たる事実だ。実際に『モテる人』を見ればすぐにわかることだが、『なぜモテるか』は人それぞれ千差万別。モテている人にはその人に固有の理由がある。センスとはそういうものだ」
わたしはこれを読んで、「なぜ、あの人はモテるのか?」というキャッチコピーが帯に入った拙著『龍馬とカエサル』(三五館)の内容を思い出しました。
同書には「ハートフル・リーダーシップの研究」というサブタイトルがついていますが、これはもちろん「センス」と深い関係があります。



「センス」について、著者は次のように述べています。
「センスのいい人がそう都合よく自分のそばにいてくれるわけではないし、鞄持ちをできたとしても見る対象がごく少数に限定されてしまう。もう一段さらに擬似的ではあるが、もっと日常的に手軽にできる方法があったほうがよい。それが読書である」



著者は、戦略のセンスを錬成する手段として、読書が優れていると断言します。
では、なぜ読書が優れているのか。著者は、このように述べます。
「論理を獲得するための深みとか奥行きは『文脈』(の豊かさ)にかかっている。経営の論理は文脈のなかでしか理解できない。情報の断片を前後左右に広がる文脈のなかに置いて、初めて因果のロジックが見えてくる。紙に印刷されたものでも電子書籍でもよい。あるテーマについてのまとまった記述がしてあるものを『本』と呼ぶならば、読書の強みは文脈の豊かさにある。空間的、時間的文脈を広げて因果論理を考える材料として、読書は依然として最強の思考装置だ」



さらに、読書について著者は次のようなことを言います。
「あくまでも一般論ではあるが、戦略のセンスをつけるための読書としては、フィクションよりもノンフィクションが向いている。具体的な事実のほうがロジックが強いからだ。フィクションだとロジックは作家のつくりたい放題なので、どうしても論理が緩くなる」
まあ、論理を獲得するという目的のためならノンフィクションが適しているでしょうが、経営者として総合的な人間力を獲得するためにはフィクションを読むことも必要ではないかと思います。このあたりは、ブログ『本を読んだら、自分を読め』を参考にされて下さい。



また、著者は読書するときの姿勢についても言及しています。
「読書をするときには姿勢が大切である。本をあまり目に近づけないように、といった物理的姿勢も大切だが、心の構えはもっと大切だ。著者や登場人物と対話するように読む。対話をすることによって自分との相対比が進む。本当は生身の優れた人間と直接対話できればいいのだが、そういう人は遠くにいたり、忙しかったり、死んでしまっているのでなかなかかなわない。そこに相手がいないときでも、いつでもどこでも誰とでも、時間と空間を飛び越えて対話ができる。ここに読書の絶対的な強みがある」


あらゆる本が面白く読める方法―万能の読書術


拙著『あらゆる本が面白く読める方法』(三五館)にも書きましたが、わたしは本の「著者プロフィール」を見ながら、出来る限り具体的に著者の姿を想像しながら対話をしているつもりで読書します。
また、古典の著者は基本的に亡くなっています。つまり、死者ですね。死者が書いた本を読むという行為は、じつは死者と会話しているのと同じことです。わたしは、よく『読書とは交霊術だ』というのですが、きわめてスピリチュアルな行為が読書なのですね。わたしは、三島由紀夫の小説を読むときは『盾の会』の制服を着た三島が、小林秀雄の評論を読むときは仕立ての良いスーツを着た小林秀雄が目の前にいることを想像します。
古代の人でも同じです。『論語』を読むときは孔子が、プラトンの哲学書を読むときはローブ姿のプラトンが、わたしの目の前に座って、わたしだけのために話してくれるシチュエーションを具体的にイメージするのです。



序章の最後に、著者は次のように読書の効用を述べています。
「戦略のセンスを磨くためのいくつかのアプローチのうちで、読書はもっとも『早い・安い・美味い』方法だ。本格的なフランス料理のフルコース(=商売丸ごとを自ら経験して、試行錯誤を通じてセンスを磨く)には及ばないけれども、相対的に低コストで、時間をかけずに、いつでもどこでも日常のルーティンとして生活に取り込めるというのが読書の素晴らしいところ。
スポーツに例えれば、毎日シビれるような試合はできないが、ジムでの筋トレや走り込みならばルーティンとして取り組める。読書は経営のセンスを磨き、戦略ストーリーを構想するための筋トレであり、走り込みである。即効性はない。しかし、じわじわ効いてくる。3年、5年とやり続ければ、火を見るより明らかな違いが出てくるはずだ」
この部分が、カバーの前そでで使われた文章ですね。





第1章「疾走するセンス」では、井原高忠著『元祖テレビ屋大奮戦!』を取り上げながら、著者は次のように述べています。
「戦略ストーリーとは全体の『動き』『流れ』についての構想である。分業は仕方ないにしても、戦略の実行局面では『分業しているけれども分断されてない状態』を保つ。ここにリーダーの本領がある。サブ・コンからトークバックを全開にして全員に指示を飛ばすというスタイルにはまことに味がある。理想的なリーダーの構えだ。
戦略づくりは民主主義ではうまくいかない。戦略ストーリーは組織や部署ではなく、特定の人が担うものだ。その意味で、戦略ストーリーをつくる立場にある人は丸ごと全部を動かせる『独裁者』である必要がある」


スパークする思考  右脳発想の独創力 (角川oneテーマ21)


第5章「情報は少なめに、注意はたっぷりと」では、内田和成著『スパークする思考』を取り上げながら「情報」について次のように述べます。
「毎日インターネットとまじめに向き合っていたら時間がいくらあっても足りない。自分の読んだ本や観た映画の備忘録として僕もツイッターを使っているが、タイムラインにバーッと情報が入ってくると読み切れなくて困るので、極力フォローしない。もちろん全部読む必要はないとわかっていても、情報が流れてくれば読んでしまう。目の前の情報を取り込もうとするのはおそらく人間の本能なのだろう。これがインターネットの抱えている本質的な矛盾である。情報の遮断とそのための方法論がこれからのアウトプットのカギを握っていると思う」



また著者は、「検索」が「情報遮断」であるとして、次のように述べます。
「検索というサービスがある。これにしても、自分の注意や関心から外れる情報をスクリーニングするための作業であり、ある意味では『情報遮断』である。ただ、ごく消極的で緩い遮断にすぎない。情報通信技術が進歩すればするほど、人は注意を犠牲にするようになる。だとすれば、もっと積極的というか攻撃的に情報を遮断する必要がある。人間の脳のキャパシティが向こう1万年ぐらい増大しないとすれば、遮断こそが注意を取り戻すいちばん手っ取り早い方法になる。内田さんの本はこの点でまことに実用的だ」


レコーディング・ダイエット決定版 (文春文庫)


第11章「並列から直列へ」では、岡田斗司夫著『レコーディング・ダイエット決定版』を取り上げて、次のように述べます。
レコーディング・ダイエットのコンセプトは『太る努力をやめる』、この一言に尽きる。単純にして明快、しかも独創的。秀逸至極なコンセプトである。
なぜ単純明快なのか。このコンセプトが『何ではないか』がはっきりしているからである。『太る努力をやめる』ということは『痩せる努力をするのではない』ということだ。言葉の上では当たり前に聞こえるが、『痩せる努力をする』から『太る努力をしない』への転換、ここにレコーディング・ダイエットの独創性がある。これまで人々がいいと思って目指していた方向を所与として、そのさらに先に行きましょうという話ではない。そもそも拠って立つ次元が異なる。文字どおりの新機軸であり、言葉の正確な意味でのイノベーションであるといえる」



この「太る努力をやめる」というレコーディング・ダイエットのコンセプトは非常に深いですね。マネジメントや個人の生き方を考える上でも大いに参考になる発想だと思います。著者は、さらに述べています。
「このコンセプトは人間の本性を的確にとらえているという意味でも秀逸である。戦略の実行に向けて人々の気持ちに火をつける力がある。ダイエットを『痩せる努力をする』ことだと考えると、体重が減らないと自分を責めてしまう。しかし、太っているのは『努力の結果』と再定義すれば、無理な努力をやめればいいのだから、やたらとポジティブな話になる」
なるほど、そうすると酒の飲みすぎも、タバコの吸い過ぎも、すべては努力の結果であり、努力をしなければ簡単にやめられるわけですね。


新版 日本永代蔵 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)


第17章「花のお江戸のイノベーション」では、井原西鶴著『日本永代蔵』(掘切実訳注、角川ソフィア文庫)を取り上げて、次のように述べています。
「その業界で既存の支配的な戦略やビジネスモデルのもとで『合理的』で『大切』なことであれば、みんなが必死に資源と努力を投入する。しかし、『今みんなが必死になってやっていること』の先には、戦略のイノベーションはない。裏を返せば、従来の支配的な戦略にとってカギとなる武器を完全に無力化する、ここに戦略のイノベーションの本質がある。これが(手前勝手な推測かもしれないが)、西鶴が記述した越後屋呉服店のケースから僕が引き出した洞察だ。
現代の戦略イノベーションでもこうしたロジックが見てとれる。『ストーリーとしての競争戦略』でも書いた話だが、ガリバーインターナショナルの『買い取り専門』の戦略ストーリーは、それがイノベーションであったという意味で、論理的には越後屋呉服店と相似形にある」



この越後屋呉服店ガリバーインターナショナルが相似形にあるという見方もユニークですが、この章では以下の一文に深く共鳴しました。
「最新の経営手法を紹介するビジネス書もいいけれども、たまには歴史を過去に遡り、古い本を読んでみることをおすすめする。具体的なレベルで全然違っているほうが、中途半端に実践的な『これは使える』という話が出てこないので、抽象レベルにある論理に目を向けやすいからだ」


直球勝負の会社―日本初! ベンチャー生保の起業物語


そして、本書で最も興味深く読んだのが、第19章「『当たり前』大作戦」でした。
著者は、出口治明著『直球勝負の会社』を取り上げますが、出口氏は日本で74年ぶりに生まれた独立の生命保険会社である「ライフネット生命保険」の創業経営者です。
ライフネット生命保険の創業ビジョンは以下の3つで、きわめてシンプルです。
1.保険料を半額にしたい
2.保険金の不払いをゼロにしたい
3.(生命保険商品の)比較情報を発展させたい



本書には、次のようにライフネット生命の創業秘話が紹介されています。
「近代的生命保険の創始者とされるのは、イギリスのオールド・エクイタブルのジェームズ・ドッドソン。出口さんは考えた。もしドッドソンがタイムスリップして、今の日本に来て、売り出されているさまざまな生命保険商品を見たら何と思うだろうか。『私が世のため人のためを思って考案した生命保険が、こんな奇妙な商品に変質してしまったのか・・・・・・』と嘆くだろう、と。つまり、それだけ生命保険というものが複雑きわまりない、いったい誰にとってどういうメリットがあるのかがわからない商品に成り果てていたということだ。
そこでライフネット生命は、仮にドッドソンがみても、『これぞ生命保険』と太鼓判を押してもらえるような、設計がシンプルで価値が明確な商品を目指した」
素晴らしい発想であると思います。つまるところ、「必要最小限」であること。これが出口氏の考える「いい保険」の条件なのです。



また著者は、次のように同社の戦略を紹介しています。
ライフネット生命の戦略は『何をしないか』というトレードオフがはっきりしている。『変額保険はやらない』『生存保険はやらない』『セールスパーソンや代理店は使わない』『特約はやらない』。その意味でも、戦略の王道を行っている。教科書通りの明確な戦略だが、当たり前といえば当たり前。面白くないといえば面白くない」



保険金の不払い問題に関する以下の記述も大変参考になりました。
「保険金の不払い問題にしても、この本で出口さんが書いているように『販売を優先したため、(複雑な商品を売るのであれば)当然に必要とされる被保険者単位での名寄せシステム開発など、必要十分な支払管理体制を構築するに足る経営資源(ヒト、モノ、カネ)を支払管理部門に配分しなかった』ことが理由で起きている。供給側の論理でことが循環していくなかで、『消費者の論理が入り込む余地がなかった』のである。
これは保険の世界に限った話ではない。あらゆる業界において、手前勝手な供給側の論理で、商品や流通が複雑化していくのは世の常である。お客の立場で考える。ますお客を儲けさせてから自分が儲ける。商売をするうえで当たり前すぎるくらい当たり前の原理原則だ。ところが、供給側の論理にどっぷりつかった会社にとって、これほど難しいことはない」



ここで著者は、「プロクルステス」という言葉を持ち出し、説明します。
「プロクルステスというのはギリシャ神話に出てくる強盗だ。この人は厄介な人で、旅人を自分のベッドに寝かせ、身長がベッドより長いとそれに合わせて身体のほうを切り落とし、短いと引っ張って無理やりに伸ばそうとする。出口さんは問いかける。『人間も会社も自分の都合に合わせて相手の都合を切ったり伸ばしたりしていないだろうか。』
プロクルステスの寝台は、戦略をつくろうとする人がハマりがちな陥穽の典型だ。知らず知らずのうちに、自分の都合に相手の都合を合わせるような方向に走ってしまう。生保業界は絵に描いたような『プロクルステスの寝台』状態にあった。ライフネット生命の戦略ストーリーは、業界に定着していた巨大なプロクルステスの寝台をぶち壊そうとするものだといえる」


クアトロ・ラガッツィ―天正少年使節と世界帝国


第20章「グローバル化とはどういうことか」では、若桑みどり著『クアトロ・ラガッツィ』を取り上げて、次のように日本におけるキリスト教について述べます。
「日本にキリスト教が伝来したのは16世紀後半のことだった。日本に入ってきたキリスト教は、その後急速に日本の社会に浸透していく。数十年で九州の全人口の30%を超える30万人が信者となったという。これはキリスト教の布教の歴史においても活目すべき大成功だった。
初期の布教がなぜこれほど成功したのか。その答えは、戦国時代にあった日本の状況にあった。中世的な秩序が崩壊し、『なんでもあり』の下克上の争いがあちこちで勃発した。当時の日本は弱肉強食を絵に描いたようなワイルドな社会だった。
戦国時代といえば大名同士が全国で天下取りの戦いを展開していたというダイナミックで勇ましいイメージなのだが、その時代に生きた普通の人々の暮らしたるや、悲惨としか言いようがない。家族は分散し、子女は売られ、棄て児、堕胎、間引きは公然、さらに重税、略奪、飢餓、飢饉、疫病・・・・・・」
こうした中、キリスト教の宣教師たちは、貧窮者、病人、子供に救いの手をさしのべ、隣人愛を発揮したのでした。



日本におけるイエズス会の戦略とはどのようなものだったか。それは、以下の通りでした。
「日本に乗り込んできたイエズス会がとった布教戦略は『垂直型伝道』だった。宣教師が町へおもむき大衆に辻説法をしてボトムアップで信者を増やしていく(水平型伝道)のではなく、イエズス会はまず社会の上層部に働きかけた。指導者層を説得して改宗させたのちに、彼らの影響力をテコにして庶民へと信者を増やしていく。これが垂直型伝道の戦略である」



さらに、日本における「垂直型伝道」について以下のように述べられています。
「日本における垂直型布教の推進者は、布教長のカブラルだった。彼は、自分が日本人の心や習慣に合わせるのではなく、自分の心や習慣に日本人を合わせようとした。垂直型布教の性格からして、自然な成り行きだった。しかし、これが『プロクルステスの寝台』になり、布教は踊り場を迎えた。『これはキリスト教が全世界の異なった文明とまじわるときに犯した大きなあやまりのひとつ』と、著者の若桑みどりさんは指摘している。
この限界を打破したのが、イエズス会東インド管区巡察師、アレッサンドロ・ヴァリニャーノである。巡察師というのは全世界における布教の様子を定期的に視察して歩く監査官のような仕事である」



このヴァリニャーノこそはきわめて有能なグローバル化のリーダーでした。彼は、自分たちのほうが日本に学ぶ必要はあると気づき、遣欧少年使節の生みの親となりました。また、イエズス会の「アジア支社長」としてグローバル化に絶大な貢献をしました。
著者は、次のように述べています。
グローバル化へと舵を切る戦略的な意思決定をしたのはバチカン本社(教皇庁)であったにせよ、グローバル化が成功するかどうかは、結局のところヴァリニャーノのような非連続を乗り越えることができる経営人材がいるかどうかにかかっている。
過去の日本の企業にしてもそうだ。高度成長期の日本の製造業は、猛烈な勢いで商売を世界に広げた実績がある。そこでもヴァリニャーノばり経営者(その典型例がソニー盛田昭夫さん)が相手の市場や文化を深く理解して、率先して切り込んでいった。グローバル化はヴァリニャーノのようなリーダー抜きにはできない」



著者はファーストリテイリングを例として挙げ、次のように述べています。
ユニクロでつくった商売の基本を崩さずに、市場のニーズや労働環境も異なる国で商売を展開しようとしている。ここでユニクロが直面する課題は、キリスト教を日本に根づかせようとしたイエズス会のそれと同じである。キリスト教の教義自体を変えてしまったらそもそも布教の意味がなくなってしまう。ユニクロにしても、これまで日本でつくってきた競争優位の根本部分を崩してしまえば、競争にも勝てないし、海外の顧客に価値を提供することもできない。そうなれば、そもそもグローバル化する意味がない。一方で、日本で培った経営をそのまま相手に押しつけるだけでは、カブラルになってしまう」



最後に掲載されている「僕の読書スタイル」というロング・インタビューでは、次の言葉に大いに賛同しました。
「僕に言わせれば、読書というのは、女好きの人が世界の大女優と取っ替え引っ替えデートしてるようなものです。
それを現実にやったら10億5000万円ぐらいかかる。
ところが、本だとたったの105円。コストパフォーマンスは超絶ですね」
この喩えは、ユーモアもあって素晴らしいですね。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2013年10月30日 一条真也