親孝行とは?

一条真也です。
「月刊リトル・ママ」2020年11月号が刊行されました。朝日新聞社系の「ママと子どもの明日を応援!!」するフリーペーパーで、各幼稚園などに配布されます。わたしは同紙で「一条真也のはじめての論語」というコラムを連載しています。拙著『はじめての「論語」 しあわせに生きる知恵』(三冬社)の内容をベースに、毎月、『論語』の言葉を紹介していきます。

f:id:shins2m:20201016142001j:plain「リトル・ママ」2020年10月号 

 

第9回目は、「子游、孝を問う 子曰く、今の孝なる者は是れ能く養うを謂う 犬馬に至るまで、皆能く養うことあり 敬せずんば何を以て別たんや」という言葉を紹介しました。弟子の子游(しゆう)が「孝行」の意味を聞くと孔子さまは「ただ食べものや着るものに困らないようにするだけでは、親孝行とはいえない」と言いました。

 

リトル・ママ読者のお母さん、お父さんも子どものころがあったはずです。小さなころ、お母さんやお父さんは、あなたに対して、ただ食べるものや着るものをくれただけではありません。学校に行かせて勉強させてくれるのも、あなたに将来、立派な人になってもらいたかったからです。

 

これが親の「愛情」というものです。そんなたくさんの愛情を受けて育った皆さまは、きっとご両親を大切に想う気持ちがあることでしょう。孔子さまは、その気持ちこそ「孝行」だと言われたのです。

 

現在、子育てを頑張っている皆さんは、自分がそうしてもらったように、子どもたちにたくさんの愛情を注いでいることと思います。子どもたちはその愛情をうけて、両親を大切に想う心をはぐくんでいっているのです。

 

はじめての「論語」 しあわせに生きる知恵

はじめての「論語」 しあわせに生きる知恵

  • 作者:一条真也
  • 発売日: 2017/07/07
  • メディア: 単行本
 

 

2020年10月16日 一条真也

前川清さん等身大パネル

一条真也です。
16日の午前中、ブログ「コロナ後を生きる教養」で紹介した天道塾を終えて、松柏園ホテルからサンレー本社に移動し、エレベーターに乗りました。

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これが前川清さん等身大パネルだ!

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パネルの横に立ってみました

 

エレベーターを4階で降りると、巨大なパネルが置かれていました。このたび、サンレーグループのイメージキャラクターとなられた国民的歌手の前川清さんの等身大パネルです。各地のサンレーグループの冠婚葬祭施設に置かれます。

f:id:shins2m:20201016100627j:plain前川さんと「こころ」を1つに!
 

前川さんの等身大パネルは、笑顔でサンレーマークを大事そうに抱えています。このパネル作成の話をサンレー企画部の石田部長から聞いたとき、わたしは「観光地によくある顔出しパネルにできないか?」と言いました。顔出しパネルから顔を出して、前川さんと一緒にサンレーマークを抱えるようにしたかったのです。しかし、石田部長は「できません」の一点張りで埒があかず、わたしも諦めました。その代わりに、パネルの横に立ってサンレーマークに手を添えると、前川さんと「こころ」が1つになった気がしました。





現在、前川さんが出演するわが社のテレビCMも流れています。また、今日からは各地のシネコンでもCMが流れます。サンレーグループ篇とセレモニー篇の両方がありますが、桑田佳祐福山雅治もリスペクトする国民的歌手の前川清さんがサンレー・オリジナルソングの「ありがとう」を歌い、最後は「サンレー~♪」とか「紫雲閣~♪」とかのサウンドロゴを歌い上げる信じられない光景は、何度見ても感動します!

 

2020年10月16日 一条真也

コロナ後を生きる教養

一条真也です。
16日、早朝から松柏園ホテルの神殿で恒例の月次祭が行われました。コロナ後のニューノーマル仕様で、コロナ以前よりも人数を減らしてソーシャルディスタンスに配慮し、マスクを着用した上での神事です。

f:id:shins2m:20201016080600j:plain月次祭のようす

f:id:shins2m:20201016081705j:plain拝礼する佐久間会長

f:id:shins2m:20201016081748j:plainわたしも拝礼しました

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神殿での一同礼!

 

月次祭では、皇産霊神社の瀬津神職が神事を執り行って下さり、祭主であるサンレーグループ佐久間進会長に続き、わたしが社長として玉串奉奠を行いました。わたしは、会社の発展と社員の健康・幸福、それから新型コロナウイルスの疫病退散を祈念しました。

f:id:shins2m:20201016083301j:plain最初は、もちろん一同礼!

f:id:shins2m:20201016083816j:plain天道塾のようす


神事の後は、恒例の「天道塾」を開催しました。通常と人数は同じですが、会場の広さは3倍です。最初に佐久間会長が訓話を行いました。会長は会場を埋め尽くしたマスク姿の人々を前に、中曽根元首相の葬儀の問題についての感想を述べ、わが社で施行された社葬などの大規模葬儀の思い出を語りました。

f:id:shins2m:20201016083450j:plain訓話する佐久間会長

f:id:shins2m:20201016084252j:plain熱心に聴く人びと

 

また、佐久間会長は「八共道」に言及し、コロナ禍の社会に「つながり」を作ることが大切で、それには風呂や茶の湯がふさわしいという持論を述べました。もともと、日本における風呂の文化は寺院と密接な関わりがあり、わが社がコミュニティホール創造を目指すなら、風呂は欠かせないとのこと。また、自身が関わる「小笠原古流」の茶道と風呂のミックスで新しい「つながり」作りをする構想を述べました。さらには、「社会の改革は、食の改革にあり!」と訴え、「健康の相互扶助」というアイデアを披露しました。

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この日は黒マスクで登壇

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黒マスクを外しました

 

続いて、わたしが登壇しました。わたしは黒マスクをしたまま、まずは「みなさん、お元気ですか? 創立54周年記念日まで、あと1か月ですね。コロナ禍で、時間の感覚がなくなります」と言いました。それから、黒マスクを外して「読書の秋ですが、みなさんは本を読んでいますか?」と問いかけました。読書は大切です。読書は、教養を育てます。最近、例の日本学術会議の任命問題などで「教養」という言葉をよく聞きますが、「教養」とは何でしょうか。「教養」は「知識」でも「学歴」でもありません。あえて言えば、「知恵」に似たものだと思います。もちろん生きていく上で必要なものです。

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「教養」について述べました 

 

APU(立命館アジア太平洋大学)の出口治明学長がおられます。わたしも何度かお会いしていますが、現代日本を代表する教養人の1人とされています。出口学長は、『リーダーの教養書』(幻冬舎文庫)と言う本の中で、「教養の特徴には、知の広がりの大きさがあると思います。僕は、世の中の事象というのは、‟氷山”と似ていると思っています。人間の脳が意識できるのは1、2割で、無意識の部分が脳の活動の大半を占めていますが、それと同様に世の中の事物で見えているのは氷山の内の1、2割で、残りの8、9割は海の中に隠れているわけです。即ち、いわゆる『早わかり』系の知識というのは、氷山の上だけをなぞっているにすぎません」と語っています。

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読書で真の「教養」を身に付ける!

 

また、出口学長は、「教養は、役に立たないことも含めて関連する情報を全部集めて成り立つものですから、海中に隠れている8、9割の知識もしっかり認識することが必要だと思います。ですから、目に見えるものだけではなく見えないもの、役に立つものだけではなく役に立たないものも含めた氷山全体の大きさが、その人の知的な体系をかたちづくっている気がします」とも述べています。リーダーの読書にも二種類あり、1つは氷山の全貌を知るための読書。すなわち、古典ですね。渋沢栄一翁は『論語』を読み倒し、大前研一氏は『古事記』を愛読されています。もう1つは、時代を知るための読書。日本電産永守重信氏はリーマン・ショックのとき、1カ月間会社に行かずに、大恐慌に関する本を読み漁ったといいます。

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感染症&コロナ後の世界の本を読破しました 

 

さて、コロナ禍になってから、わたしは、あらゆる感染症に関する本を読破し、最近はコロナ後の世界について書かれた本を片っ端から読んでいることを告白しました。その中で、『コロナ後に生き残る会社 食える仕事 稼げる働き方』遠藤功著(東洋経済新報社)という本についてお話したいと思います。この本は具体的にコロナ後の社会やビジネスを在り方を示し、コロナ後に日本人を襲う「会社・仕事・働き方の大変化」をわかりやすく解説しています。著者の代表作に『見える化』という好著がありますが、この本はまさしくコロナ後の世界を「見える化」してくれました。

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「VUCA」について説明しました

 

まず、近年、大企業の経営者たちがよく使う「VUCA」という言葉が紹介されます。「VUCA」とは「Volatility」(不安定性)、「Uncertainty」(不確実性)、「Complexity」(複雑性)、「Ambiguity」(曖昧模糊)という4つの単語の頭文字からとった略語であり、「先がまったく読めない不安定、不透明な環境」を言い表しています。この「VUCA」について、著者は「私たちは『VUCA』という新たな混迷する環境を頭では理解し、備えていたつもりだった。しかし私たちの認識は、とんでもなく甘かったと認めざるをえない。『VUCA』とは『まさかこんなことに・・・』という事態が起きることなのだと思い知らされた。中国に端を発する新型コロナウイルスは、わずか半年ほどで世界を震撼させ、経済活動や社会活動をいっきに停滞させ、世界中の人々の生活をどん底に陥れようとしている。『つながる』ことや『ひとつになる』ことの恩恵ばかりを享受していた私たちは、その裏で広がっていた『感染』というリスクの怖さを、日々身をもって体験している」と述べます。

f:id:shins2m:20201016093054j:plainトンネルの出口を掘ることが大事!

 

また、著者は「コロナの影響を免れる国や産業などない。一部の限られた業界を除けば、ほぼすべての業界が、すでに大きな打撃を受けている。現在は航空、鉄道、タクシーなどの交通関係、ホテル、旅館などの観光業界、飲食業、娯楽産業などを直撃しているが、これからは製造業や不動産業など、きわめて広範囲な産業に甚大な影響を及ぼすのは必至だ」と述べています。「移動蒸発→需要蒸発→雇用蒸発」という「蒸発のドミノ倒し」。わたしたちは「出口の見えないトンネル」に入り込んでしまったというのです。そして「出口のないトンネル」から脱出する方法はひとつしかない。それは、自分たちで「出口を掘る」ことであると訴えます。逆にいえば、いま覚醒できなければ、この国は間違いなく終わるだろうというのです。

f:id:shins2m:20201016093018j:plain本当に必要な人は誰なのか?

 

さらに、コロナによって「必要な人」と「不要な人」が顕在化したとして、いざ会社が本格的に再始動するときに、「本当に必要な人は誰なのか」「本当に役に立つ人は誰なのか」が明白になることが指摘されます。逆にいえば、「不要な人」「役に立たない人」、つまり「いらない人は誰なのか」が白日の下にさらされてしまうのです。著者は、「世界経済や日本経済が堅調であれば、『不要な人』を救う手だてはあるかもしれない。しかし、サバイバル戦略において述べたように、中長期的な経済の低迷が予測されるなか、企業が『いらない人』を抱えている余裕などない」と述べています。コロナ後に日本企業が再生できるかどうかは、すべて人材にかかっています。有能な人材を確保し、活用できる会社だけが生き残るのです。

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「タスク」よりも「ミッション」を!

 

同書によれば、ポストコロナの組織運営においてなにより大事なのは、1人ひとりの社員に与える「ミッション」(使命)を明確にすることです。会社が苦境を乗り越え、新たな成長を実現するためには、どのような「ミッション」を遂行しなければならないのかを、社員全員が自覚し、実践しなければなりません。わが社も、かつての苦境時に社長に就任したばかりのわたしが新たなミッションを掲げて全社一丸となって業績回復に取り組んだ経験があります。平時のときは、「ミッション」など意識しなくても、会社はなんとか回る。自分に与えられた目の前の「タスク」(任務)だけをやっていれば、それなりにやっていける。しかし、有事はそういうわけにはいかない。組織の上から下までが、自分に与えられた「ミッション」を自覚し、日々実践に努めなければならないのです。

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天道塾のようす

 

著者は「自分が得意な分野、自分が興味ある分野、自分が経験を積んできた分野においては、ほかの人たちを凌駕する卓越した知見、スキル、実績をもつ人材こそが『プロフェッショナル』である。これからの経営においては、さまざまな分野、領域で『プロ』が求められる。『戦略のプロ』『マーケティングのプロ』『ITのプロ』『AIのプロ』『デジタルのプロ』『M&Aのプロ』『法務のプロ』『監査のプロ』など、高度専門性を磨かなければ、会社の中で力を発揮し、認められることはない」と述べます。

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「精神的な豊かさ」を高めよう!

心ゆたかな社会 「ハートフル・ソサエティ」とは何か
 

 

いくら会社が利益を上げ、内部留保を貯め込んでも、そこで働く人たちが疲弊し、暗い顔をしていたのでは、とてもいい会社とは言えないとして、著者は「平成の30年は、そんな会社が増えていった時代だった。私たちはコロナ・ショックを機に、その流れに終止符を打たなければならない。真の豊かさとは、『経済的な豊かさ』と『精神的な豊かさ』が共存するものだ。コロナがきっかけとなってこれから起きてくるだろうさまざまな働き方の変革は、私たちの『精神的な豊かさ』を高めてくれる可能性がある。『資本の論理』『会社の論理』ばかりがまかり通った時代から、『人間の論理』『個の論理』が通用する社会に変えていかなければならない」と述べています。このあたりは、拙著『心ゆたかな社会』(現代書林)の内容に大いに通用しています。

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「コロナ革命」の時代を生きる 

 

「歴史は70~80年サイクルで繰り返す」と多くの歴史学者が指摘しています。日本の歴史をさかのぼれば、江戸時代の1787年に「天明の打ちこわし」が起きました。天明の大飢饉に端を発した民衆暴動が、江戸、大坂など主要都市で勃発し、国内は混乱を極めたのです。その81年後の1868年に、明治新政府が樹立され、日本は開国へと大きく舵を切りました。さらにその77年後の1945年、第2次世界大戦は終結し、日本は終戦を迎えました。そして、終戦から75年たった2020年、わたしたちを襲ったのは未知のウイルスだったのです。この「目に見えない黒船」は、日本という国、日本企業、そして日本人が覚醒するまたとないチャンスでもあり、今から80年後には「コロナ革命」と呼ばれているかもしれない大変革の真っただ中に、わたしたちはいるのです!

f:id:shins2m:20201016093435j:plain天下布礼」で行こう!
 

 80年後には「コロナ革命」と呼ばれているであろう、現代のさまざまな変化に乗るか、乗り遅れるかで、会社の命運は大きく変わります。ここで大切なことは、ブレないこと。世の中には、変わるべきものと、変えてはいけないものの両方があるのです。わが社の活動の根底には「天下布礼」という思想があります。これは時代の変化に左右されない、わが社の背骨です。かつて織田信長は、武力によって天下を制圧するという「天下布武」の旗を掲げました。しかし、わたしたちは「天下布礼」です。武力で天下を制圧するのではなく、「人間尊重」の思想で世の中を良くしたいのです。天下、つまり社会に広く人間尊重思想を広めることがわが社の使命です。最後に「わたしたちは、氷山の8、9割、すなわち普遍に関わる仕事をさせていただいています。冠婚葬祭が変わることはあっても、冠婚葬祭がなくなることはありません。これからも冠婚葬祭を通じて、良い人間関係づくりのお手伝いをしましょう!」と述べ、わたしは降壇しました。

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最後は、もちろん一同礼! 

 

2020年10月16日 一条真也

『危機の正体』

危機の正体 コロナ時代を生き抜く技法 (朝日新書)

 

一条真也です。
14日に発表された東京都の新型コロナウイルス感染者数は、177人でした。危機は、なかなか消え去りませんね。『危機の正体』佐藤優著(朝日新書)を読みました。「コロナ時代を生き抜く技法」というサブタイトルがついています。

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本書の帯

 

帯には、いつものように著者の顔のどアップの写真が使われ、「『新しい日常』で幸せになれるのか?」「緊急出版〈ニューノーマル〉の先にある闇」と書かれています。また帯の裏には、「国家機能強化に飲み込まれないためのサバイバル術」と書かれています。

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本書の帯の裏

 

カバー前そでには「密集と接触を極力減らす〈反人間的〉な振る舞いが要求されるニューノーマル(新しい日常)の時代、変容する価値観の中を私たちはどう生き抜けばよいのか?」として、「人とのつながりを断絶させた新型ウイルス。国家機能は強化され、格差はますます加速し、富の多寡が感染リスクを左右する。疫病がもたらす不条理を生き抜く知恵を近過去の歴史と思想から探る」と書かれています。

 

さらにアマゾンの【出版社から】では、 「『料理に集中、 おしゃべりは控えめに』『横並びで座ろう』――事細かな“生活様式"を無条件で受け入れていくうちに、私たちの生活はもちろん、思考回路や価値観までもが変質していってしまうのではないでしょうか。『ニューノーマル(新しい日常)が何をもたらすかは歴史が教える』と著者の佐藤優氏は力説します。1968年『プラハの春』以後に起きたチェコスロバキアでの出来事(「正常化」の名のもとでの言論弾圧)をフェイト『スターリン以後の東欧』から説き、カミュ『ペスト』、オーウェル動物農場』、冨山和彦『コロナショック・サバイバル』等を援用しつつ、〈反人間的〉時代を生き抜く思考法が明かされます」と書かれています。

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。
 序章 「新しい日常」を強いる権力の存在
第1章 リスクとクライシスの間で
第2章 食事の仕方に口を出す異様さ
第3章 繰り返されるニューノーマル 
    ――歴史で見る悲劇と全体主義
第4章 企業と教育界に激震
    ――淘汰の時代がついに来た
第5章 コロナ下に起きた安全保障の異変
「あとがき」

 

序章「『新しい日常』を強いる権力の存在」の冒頭を、「けっこう幸せなのかも」として、著者は「限られた人への30万円給付から、全国民一律10万円給付へ。2020年3月から4月にかけて、新型コロナ禍における家計支援策をめぐり、安倍晋三首相は方針を大きく転換しました。安倍首相のブレは、新型コロナ感染が拡大する日本の「国家」と「社会」の動揺を反映したものでもあり、新型コロナ禍は、混沌としてその姿が見えづらかった国内外の問題を可視化するのではないか。私にはそう感じられました」と書きだしています。

 

また、「新型コロナで休業した職種」として、著者は「新型コロナ禍をきっかけに、働き方が変わるといわれています。リモートワークはその代表的なものでしょう。自宅から参加するウェブ会議に慣れなくて大変。子どもも休校で家にいて、在宅での仕事に集中できない。仕事と生活との区切りがつかず、かえって労働時間が増えた、などというリモートワークをしているビジネスパーソンの声をメディアは伝えていますが、ネット環境が整いリモートワークができるのは大企業の話です。給与も保証されています。アンダークラスの大変さとは根本的に質が異なります」と述べています。

 

不安定な雇用状況にある個々人が真剣に生き残りを考えるならば、サービス業から大規模な農業法人に移ったり、小規模ながら地産地消型で農業に取り組むグループに移ったり、産業間の移動も選択肢として出てくるだろうと推測する著者は、「新型コロナの影響は、正規雇用労働者にも及びます。企業では、コロナ禍で広がった在宅勤務を働き方の1つとして定着させようという動きが加速しています。在宅勤務とのセットで注視されているのが、企業が社員の職務内容を明確にし、成果で評価する『ジョブ型』の導入です。成果主義の導入は、日本経団連が2000年代初頭から提言していましたから、新型コロナ禍という“外圧”により、一気に在宅勤務が進んだことに伴って導入されるのではないでしょうか」と述べます。

 

さらに、「政治を『戦時の発想』に」として、新型コロナウイルスによる家計支援について、政権に対する国民の風当たりが厳しいにもかかわらず、立憲民主党や国民民主党などの野党が力を発揮できなかったことを指摘し、著者は「その理由は、どの党も『小さな政府』路線をとっているからです。野党で比較的、大きな政府路線を唱えているのは、増税による中負担、中福祉を主張する前原誠司氏(国民民主党)のグループくらいです。与党の自民党も小さな政府路線です」と述べます。小さな政府路線の何が問題になるのかというと、「簡単にいえば、小さな政府路線とは国民への再分配を絞って自由競争を促す。公共部門を民営化し、政府は借金を減らして身軽になり財務体質を改善するというものです」といいます。



10万円の一律給付について、公明党は一歩も譲りませんでした。これは、1964年(昭和39年)の発足時に、池田大作創価学会第3代会長(当時)が提唱した「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく」という指針が、公明党の価値判断の基準なのだと説明されます。創価学会はさまざまな社会階層の会員で構成されています。30万円給付が強行された場合、本来支援されるべき経済的弱者が「家」というセーフティネットに吸収されて、給付を受けられない可能性、また給付者に対する周囲の視線について、著者は「公明党は非常時に社会が分断されるような事態が起きることを危惧したのだと思います。しかも大衆に党の基盤を置く政党である以上、公明党大きな政府路線を採ります。エリート中心の閉鎖空間にいる人たちの危機感とは質的に異なる民衆の皮膚感覚を体現する形で、公明党は与党にありながら、一旦決まった政策を動かしたのだと私は見ています」と述べています。



著者は、新型コロナが落ち着いて経済活動が再開されても、景気回復に時間がかかり、アンダークラスまでお金が回ってこなくなる可能性があることを指摘します。それでなくても一度アンダークラスに転落すると、上の階層に上がりにくくなるというのです。そして、「予想どおりアンダークラスが1000万人を超え、階層として一定の規模をもつと、独自の階層文化が生まれ、その文化の中にいる人々の間で再生産が始まるでしょう。そうなると、日本社会の分断が起きるかもしれません」と推測しています。

 

 

「ハラリモデルとトッドモデル」として、ニューノーマルの世界が新型コロナ禍前の世界と比べて、どのような世界になるのかについて、2人の学者の見解が紹介されます。両者ともに世界の論壇に影響力のある人物です。1人はイスラエル歴史学者で、ブログ『サピエンス全史』ブログ『ホモ・デウス』で紹介した世界的ベストセラーの著者であるユヴァル・ノア・ハラリ氏です。〈新型コロナの嵐はやがて去り、人類は存続し、私たちの大部分もなお生きているだろう。だが、私たちこれまでとは違う世界に暮らすことになる〉(日本経済新聞電子版、2020年3月30日)というハラリ氏の発言を紹介し、著者は「ハラリ氏は、新型コロナ後の世界の状態を『抜本的な変化』と考えています。新型コロナ感染拡大防止を大義名分とした国家による市民監視を許すか否か。長時間の海外渡航禁止による国際社会の機能麻痺からどう脱却するかを、主な論点にしています」と説明します。

 

帝国以後 〔アメリカ・システムの崩壊〕
 

 

もう1人はフランスの人口学者で、『帝国以後』という世界的ベストセラーの著者であるエマニュエル・トッド氏です。〈新型コロナウイルスパンデミックは歴史の流れを変えるのではない。すでに起きていたことを加速させ、その亀裂を露見させると考えるべきです〉(朝日新聞デジタル、2020年5月23日)というトッド氏の発言を紹介し、著者は「トッド氏は『すでに起きていた変化の加速』だといいます。グローバリズムの進展によって、すでに医療を含む公共性の高いインフラが『合理化』されていたこと、経済的な格差拡大が進んでいることなどを挙げ、新自由主義で生じた社会制度の脆弱性や矛盾を新型コロナウイルスに突かれたと捉えています」と説明します。

 

両者の言説は、どちらが正しいという性質のものではないとして、著者は「そもそも、新しいタイプの疫病の世界的拡大が人間社会にどんな影響を及ぼしたのかを巨視的に捉えることができるのは、事態が落ち着いた後から振り返って初めて見えてくるからです。2人の言説は、新型コロナ禍で起きた変化とニューノーマルという生活様式が私たちの仕事や暮らしに今後及ぼしうる影響と、こうした状況下でどのような思想を軸にして生きていくべきかを考える上で示唆に富んでいます。そのキーワードは、新自由主義、国家と市民、監視、格差、グローバルです」と述べるのでした。



第1章「リスクとクライシスの間で」では、イスラエルのネタニヤフ首相が、イスラエル公安庁に対して新型コロナの患者を追跡するために通常はテロリスト対策にしか使わない監視技術の利用を認めたことを取り上げ、著者は「イスラエルがそこまでして新型コロナウイルスの感染を防ごうとするのは、第2次世界大戦時のゲットーの記憶があるからだと思います。ユダヤ人の強制居住区域であるゲットーは、中世ヨーロッパに起源を持ち、20世紀に入って消滅していますが、ナチス・ドイツによって建設されたゲットーはその環境の劣悪さ、また、絶滅収容所移送までの一時的な居住地の役割も果たしていたという点において、かつてのゲットーの比ではありませんでした」と述べています。



たとえば、ポーランドに設けられた「ワルシャワ・ゲットー」という最大のゲットーでは栄養、衛生状態の悪さから発疹チフスが流行し、餓死者も含め約10万人のユダヤ人が命を落としたとされています。当時は満足な医療体制もなく、罹患者たちはバタバタと倒れていきました。著者は、「もし、新型コロナウイルスの感染が爆発的に広がると医療崩壊を招き、同じような事態が起きかねません。自国民に対する強権的な行動規制や個人情報の収集は、ゲットーでの悲劇を再び起こしてはならないという国家の強い意志の表れだと思います」と述べていますが、それに加えて、わたしはホロコーストで「人間の尊厳」が完全に失われた負の記憶が、新型コロナウイルスの感染対策を重視させているように思います。ホロコーストの犠牲者も、新型コロナ肺炎による死亡者も、人間らしい葬儀を行ってもらえないからです。葬儀は「人間の尊厳」に直結しているのです。



現時点では、新型コロナ禍が終息した後の世界は、すでに起きていることの加速、つまり変化に過ぎないのか、ハラリ氏が考える違った世界に暮らすことになるのかと問いかける著者は、「結論は出せません。私は今回の新型コロナ禍を、リスク以上、クライシス未満と考えていますから、いまのところ、トッド氏の見解に近い立場をとっています」と述べます。また、トッド氏のインタビューで興味深いと思った点が2つあるとして、「1つは、新型コロナ感染症対策が比較的うまくできた国と失敗した国とでは、国民の政府や政治エリートに対する信頼に差が生じると述べていることです。信頼が高まることが予想される国の例として韓国やドイツを挙げています。これらの国は歴史上、権威主義的な政治を経験した国だという共通点があることを指摘しています。日本も同じ権威主義の歴史がありますが、政治エリートに対する信頼が下がっていることを付け加えておきます」と述べます。



もう1点は、人口学者のトッド氏らしい視点だとして、著者は「興味深いというより、引っかかるものを感じたと言うほうが適切なのかもしれません。トッド氏は、新型コロナ禍が戦争だとは言えない理由を、自身の専門分野に立って展開しています」と述べ、トッド氏の〈私は人口学者ですから、まず数字で考えます。戦争やテロと今回の感染症を比較してみましょう。テロは、死者の数自体が問題ではありません。社会の根底的な価値を揺さぶることで衝撃を与えます。一方戦争は、死者数の多さ以上に、多くの若者が犠牲になることで社会の人口構成を変える。中長期的に大きな社会変動を引き起こします。今回のコロナはどちらでもありません〉という言葉を紹介します。



本来、高齢者よりも死ぬ確率が低い若者が多く亡くなったら、社会はどうなるか。著者は、「この世代は生産年齢人口として数えられます。つまり富を産み出す労働力の中心です。同時に、次世代を再生産する能力がある世代でもあります。若者が多く亡くなるということは、労働力と次世代の再生産力が失われるということです。こちらは明らかに『社会構造を決定づける人口動態に新しい変化』をもたらします。また、「今回のコロナの犠牲者は高齢者に集中しています。社会構造を決定づける人口動態に新しい変化をもたらすものではありません」というトッド氏の言葉の奥には、世代による命の価値の違いがあることが示唆されているとして、「スウェーデンでは新型コロナに対して、放置して集団免疫をつける方策をとりました。しかし、感染は拡大し続け、破綻しました。死者の90%は70歳以上の高齢者です」と述べています。



第3章「繰り返されるニューノーマル」では、「『自粛警察』という翼賛の手法」として、著者は「新型コロナウイルス対策の過程で、無意識のうちに翼賛という手法が強まっていると感じました。たとえば『自粛警察』がそれです。誰からも頼まれていないし、権限もないのに、自分の正義感から、新型コロナの感染を拡大させそうな人や店を攻撃する人々。公園で遊んでいる子どもたちを怒鳴る人々。咳をしただけで激昂する人々。県外ナンバー狩りをする人々。あるいは感染者ゼロの岩手県達増拓也知事がコロナに感染した『第1号になっても県はその人を責めません』(朝日新聞デジタル、5月15日)と会見で言ったことの裏を返せば、岩手県で最初に感染した人は、プライバシーを晒され、激しく非難される危険性があり得ると考えたからでしょう。こうした自粛警察は、大政翼賛会の末端組織である隣組のようなものです。隣組は互助会組織であると同時に、お互いを牽制・監視する機能も果たしていました」と述べています。

 

動物農場: おとぎばなし (岩波文庫)

動物農場: おとぎばなし (岩波文庫)

 

 

また、「オーウェル動物農場』の七戒」として、こうした自粛警察と肥大化する行政権の関係は、ジョージ・オーウェルの小説『動物農場』で説明できることを指摘し、著者は「イギリスの『荘園農場』の家畜たちは、自分たちをこき使い、搾り取れるだけ搾り取る農場主を追い出します。家畜たちは『動物農場』と名前を変え、七戒を掲げて民主的な農場を運営しはじめましたが、やがて、異論を許さない全体主義的な運営へと変わっていくという、示唆に富んだ小説です」と説明。さらに、自粛警察の「状況はよくわからないが、営業を続ける店は悪だ!」的な正義感、あるいは無自覚な「翼賛」は、権力に利用され、気づかないうちに自分たちもまた支配される者になるとして、「お前たちは支配され服従することで幸せになれる、という構造です。その構造はさらに強い同調圧力となり、翼賛体制は廃れることはなく、社会はさらに息苦しいものになっていくわけです。ニューノーマルの行き着く先が『動物農場』では困ります」と述べています。

 

第5章「コロナ下に起きた安全保障の異変」では、「人と距離を置くことが招く事態」として、東日本大震災の後、「絆」という言葉が叫ばれ、人と人とがつながることが呼びかけられたが、新型コロナ禍では、逆に人と距離を置くことが求められていることを指摘し、著者は「バラバラになった個人は必然的に内向きになり、関心が自分とその周辺に集まりがちです。一方で、私たちの暮らしを担保し続けてきた安全保障環境に変化が起きつつあることや、そのために噴き出した矛盾に関心が向かない――このような現状に私は強い危機感をおぼえています」と述べるのでした。わたしも、まったく同感です。

 

後期資本主義における正統化の問題 (岩波文庫)
 

 

「あとがき」では、著者は、政治的にもっとも気をつけなくてはならない構造悪は民主主義(デモクラシー)の形骸化であると述べます。それについてドイツの社会哲学者ユルゲン・ハーバーマスの考察が優れているとして、以下の文章を引用しています。
〈デモクラシーはもはや、あらゆる個人の普遍化可能な利益を認めさせようとする生活形式の内容によって規定されてはいない。それは、もっぱらたんに指導者と指導部を選抜するための方法とみなされている。デモクラシーはもはや、あらゆる正統な利益が自己決定と参加への基本的な関心の実現という道を通って満たされうるための条件という意味では理解されていない。それはいまやシステム適合的な補償のための分配率、すなわち私的利益を充足するための調節器ということでしかない。このデモクラシーによって自由なき福祉が可能となる。デモクラシーはもはや政治権力の平等な分配、いいかえれば権力を行使する機会の平等な分配という意味での政治的平等と結びついていない〉(ユルゲン・ハーバーマス〔山田正行/金慧訳〕『後期資本主義における正統化の問題』岩波文庫、2018年)

 

新型コロナウイルス対策の過程で国家機能が強まっていることを、著者は本書で繰り返し指摘しました。国家機能の内部では、司法権立法権に対して行政権が優位になっているとして、著者は「行政府の自粛要請に応じて、危機を克服するというアプローチが所与の条件下ではもっとも合理的であることは事実だ。しかし、この日本型の解決策は、ハーバーマスが指摘する『自由なき福祉』そのものだ」と述べるのでした。ハーバーマスの発言を最後に引用するところは、読書家の著者らしいなと思いました。新型コロナウイルスに関連して、著者は何冊かの著書を出していますが、ざっと読んだところ、本書が最も最新の情報が反映されていて、ニューノーマルに対する考えがまとまっている印象がありました。

 

 

2020年10月15日 一条真也

鏡リュウジさんのツイート

一条真也です。
鏡リュウジさんといえば、日本を代表する占星術研究家として有名な方ですが、ご自身のツイッターで近刊の『満月交心 ムーンサルトレター』(現代書林)を紹介していただきました。ありがとうございます!

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鏡リュウジ氏のツイッターより

 

満月交心 ムーンサルトレター』の写真とともに、鏡さんは「鎌田東二一条真也さんからご恵投いただきました。ぎっしり、しかも熱量ハンパない往復書簡。本当に毎度、驚きます、、」と書かれています。鏡さんのことは、ブログ『タロットの秘密』で紹介させていただきました。わたしは、「バク転神道ソングライター」こと宗教哲学者の鎌田先生と毎月1回、「ムーンサルトレター」を交わしています。満月の夜に手紙を交わすからムーンサルトレターです。最初、鎌田先生は本書の著者である鏡リュウジさんと満月の文通をされていました。

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世にも不思議な満月通信!

 

「カマタトウジ」と「カガミリュウジ」、なんとなく二人の名前は似ています。さらに二人の顔も似ているということから、ムーンサルトレターを始められたそうです。そのうち、鏡さんは「時の人」となって超多忙になりました。なかなかレターを書く時間が取れなくなり、鎌田先生は「Tonyのムーンサルト独りレター」というのを書いておられました。でも、やはり1人では寂しかったのでしょうか。次なる文通相手として白羽の矢を立てられたのは、わたしでした。

f:id:shins2m:20201014125611j:plainムーンサルトレター」第1信

 

こうして、2005年10月18日の満月の夜、わたしが第1信を書きはじめました。鎌田先生が2日後の20日に返信を書かれて、ついに「ShinとTonyのムーンサルトレター」がスタートしたのです。記念すべき第1信の冒頭で、わたしは「敬愛する鎌田先生の満月レターのお相手に指名していただき、正直おどろいています」と書き出しました。そして、前任者の鏡さんがその第1信に「満月のごとに書簡を往復させようなんて、なんて素敵なアイデアなのでしょうか。こんなロマンティックな企画の相手に僕を指名してくださったこと、とても光栄に思います」と書かれてていたことに触れ、今の自分もまったく同じ気持ちであることをお伝えしました。f:id:shins2m:20200407204807j:plain
第1弾と第2弾!

f:id:shins2m:20201007131729j:plainもうすぐ第3弾が出ます!

 

あれから早いもので、なんと180信に達しました。鏡さんが全部で41信でしたが、とてもそこまでは続けられないだろうと思っていました。じつは途中でフェードアウトすることも想定していたのですが、2005年10月20日の夜にわたしが第1信を書いてから、ちょうど15周年になります。第1信から第60信までは『満月交感』、第61信から第120信までは『満月交遊』にまとめました。そして、第121信から第180信までが『満月交心 ムーンサルトレター』として今月28日に発売されます。約580ページの厚さで、秋の夜長の読書にぴったりです!

松柏園ホテルの貴賓室で、鏡リュウジさんと

 

一度、鏡リュウジさんが小倉の松柏園ホテルに来てくれてお会いしたことがありました。鎌田先生抜きで新旧2人の文通者がコーヒーを飲んでいるのは、まるで夫抜きで前妻と後妻が直接会っているかのような不思議な感覚でした(笑)。いつか、鎌田先生と鏡さんと3人でお会いしたいです!

 

満月交心 ムーンサルトレター

満月交心 ムーンサルトレター

 

 

2020年10月14日 一条真也

究極のビーフシチューを求めて

一条真也です。
14日の昼、わたしは松柏園ホテルのレストランを訪れました。「GoToイート」に対応したレイアウトにしていましたが、多くのお客様がお越しになられていました。これから、さらに忙しくなると思います。

f:id:shins2m:20201014133327j:plain松柏園ホテルのレストランで

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大好評の松柏園カレーのレトルト(700円)

さて、ブログ「贅沢カレーできました!」で紹介したように、2010年に発売開始した松柏園ホテルのレトルト・カレーは大変好評で、多くのお客様から愛されています。発売10周年を記念して、今度はビーフシチューのレトルトを発売する予定です。

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これが究極のビーフシチューだ!

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いろんなタイプを試食しました

 

これまでも約1年をかけて試食を重ねてきましたが、今日は最終チェックで試供品を食べてみました。味にインパクトがあって、一口食べたら、「おっ!」という感じです。美味しいです。肉なしでも、シチューだけでパンやライスが進みます。もちろん、肉も最高級のもので、とても柔らかく、豊かな味です。コロナもぶっ飛ぶ旨さです!(笑)

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レストランのビーフシチュー・セット(1800円)

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どうぞ、お楽しみに!
 

今日は、通常のレストランで提供しているビーフシチューも食べてみましたが、こちらも相変わらず美味しいです。テイクアウトでも人気があるようです。もともと、松柏園の洋食は、ビーフシチューとローストビーフが人気メニューとして知られています。ローストビーフは松柏園特製「おせち」にも入っています。もうすぐ、究極のビーフシチューが完成して販売を開始いたしますので、どうぞ、お楽しみに!

 

2020年10月14日 一条真也

『パンデミックの文明論』

パンデミックの文明論 (文春新書)

 

一条真也です。
パンデミックの文明論』ヤマザキマリ中野信子著(文春新書)を読みました。新型コロナウイルスの感染拡大によるパンデミックについての対談本です。
ヤマザキ氏は、1967年、東京都生まれ。漫画家・文筆家。東京造形大学客員教授フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。2010年、『テルマエ・ロマエ』(エンターブレイン)で第3回マンガ大賞受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。2015年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。
中野氏は、1975年、東京都生まれ。東日本国際大学特任教授。脳科学者。東京大学工学部応用化学科卒業。東京大学大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。2008年から2010年までフランス国立研究所ニューロスピンに博士研究員として勤務。

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本書の帯

 

本書の帯にはヤマザキ氏、中野氏の上半身の写真とともに、「古代ローマのペストからコロナまで」「洋の東西でこんなに違う感染症との付き合い方」と書かれています。帯の裏には、以下の言葉が並んでいます。
「空気」を読む日本では
                  ウイルスも生きづらかった!?

イタリアで大流行したのは、ハンカチで洟をかむから
「自粛警察」は不倫カップルのことも許せない
欧米でマスクをしたら、病気に負けた証拠と思われる
日本の政治家は古代ローマの「お風呂外交」に学べ
パンデミック成金がルネッサンスを生んだ
ずっと前から日本はソーシャル・ディスタンス
オランダ人の50%はトイレの後に手を洗わない

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本書の帯の裏

 

カバー前そでには、こう書かれています。
「新型コロナの話で意気投合した、異色の二人が緊急対談。各国の感染症対策を見れば国民性がわかる。徹底して根絶を目指す欧米に対して、アジアはほどほどに共存しようとする。話題は古代ローマから現代まで時空を超えて、目からウロコの文明論が展開される」

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。
「対談のはじめに」
第1章 コロナでわかった世界各国「パンツの色」
第2章 パンデミックが変えた人類の歴史
第3章 古代ローマの女性と日本の女性
第4章 「新しい日常」への高いハードル
第5章 私たちのルネッサンス計画
「対談を終えて」



第1章「コロナでわかった世界各国『パンツの色』」では、ロックダウンについてのヤマザキ氏の以下の言葉が印象的です。
「ロックダウンなんてことをしたら、観光に大きく依存しているイタリアの経済は死んでしまいます。そういった弊害は考えていないのかと問えば、『経済は生き延びている人間がいればなんとかなる、歴史上でもそうだった。お金と人命、どっちが大事なの?』と返されました。『人命が大事って言うけれど、リーマンショックのとき日本では不景気で3万人以上も自殺したのよ』と反論しても、貧困が苦となって人が自殺することにリアリティが感じられないらしい。自殺を罪とするキリスト教の倫理観とともに生きている人たちと、日本みたいな国とで、対策が同じにならないのは当然なんですよ。イタリアだけではなく危機管理は国によってまったく違う。自分たち日本人の考える対策をスタンダードと捉えて、他国と比較する無意味さを痛感しました」



古代ローマ史に精通したヤマザキ氏はイタリア在住ですが、中野氏と以下のような対話を繰り広げます。
ヤマザキ  イタリアでは、外出禁止令が解除された途端、「ああ、やっと解放された!」とマスクを外した人がニュースのインタビューに出ていました。マスクでパンデミックの意識を強制されるのが本当に嫌だったんでしょう。マスク姿は、感染予防というよりも、病気になったことを認めてしまうアイテムという意識が強いんだと思う。ちょっと鼻水や咳が出る程度なら、「病気なんて気持ちでねじ伏せてやる!」と気構えるのがあの人たちの傾向かもしれない。
中野  アメリカでは、そういったマッチョ思想の人は共和党員に多いと聞きました。トランプ大統領もいっときマスクをしないことを売りにしていましたし、オクラホマ州のトランプ陣営の選挙集会では、支持者のほとんどがマスクなし。相当の飛沫が飛び交ったことでしょう。彼らがマスクをしないのは、やっぱり病気に負けたと認めたくないというメンタリティの表れなんですね。



中野氏は著書『不倫』(文春新書)で、「社会が過剰な不倫バッシングに走りがちになるのはなぜなのか?」という問いの答えについて「フリーライダー」という概念を持ち出して持論を展開しましたが、本書でも、「ヒトは共同体を営む生物ですが、個人は共同体に一定の貢献をして犠牲を払い、その代わり共同体から利益を受け取ることで暮らしています。しかし、中には共同体に貢献をせず、利益だけを得て『ただ乗り』する者(フリーライダー)もいるわけです。フリーライダーとして標的になるわかりやすい例が、給食費を払わないのに給食を食べる人、でしょうか? また、脱税しているのに社会保障などはしっかり受けている人や、多くの人が守っているルールを逸脱して自分だけは楽しもうとする不倫カップルなどです。フリーライダーが増えてしまうと、ルールは死文化し、共同体は成り立たなくなってしまう。そこで人類の脳には、フリーライダーを見つけて、その人を罰することに快感を覚える仕組みが備えつけられているんです」と述べています。



フリーライダーだと認識した対象に「正義の制裁」を加えると、脳の快楽中枢が刺激され、快楽物質であるドーパミンが放出されるとして、中野氏は「この快楽は強烈です。有名人の不倫スキャンダルが報じられるたびにバッシングが横行するのも、人々の脳内でこのシステムが働いているからです。しかも『正義中毒』は共同体が危機に瀕すれば瀕するほど盛り上がりやすい」と述べます。それに対して、ヤマザキ氏は「他人の不倫にあれこれ批判をするなんて私的には余計なお世話だと思うけど、人類の脳の仕組みである以上、『正義中毒』は誰もが陥ってしまう可能性があるということですね」と語ります。

 

「各国指導者の演説力」では、両氏の対話が以下のように展開されています。
ヤマザキ  人と同じことをするのは想像力の欠落とみなされますから。学校の口頭試問でも人と同じことを言うと良い点はもらえません。個性や独立心を重視する。長いものに巻かれない人が評価される世界です。だから今回パンデミックが始まりかけた時、いちばん違いが顕著に出たのが各国首脳の演説です。ドイツのメルケル首相の演説がそれを示していました。
中野  彼女の演説はしびれましたね。かっこよかったですよね。
ヤマザキ  まず、民主主義とはどういうものであるか、から入るわけですよ。「開かれた民主主義のもとでは、政治において下される決定の透明性を確保し、説明を尽くすことが必要です。私たちの取組について、できるだけ説得力のある形でその根拠を皆さんに説明し、発信し、理解してもらえるようにします」と。そしてカメラをじっと見つめて、「皆さん、頑張っていますか」「レジに座ってるあなた、いかがですか」と二人称で語りかける。あれは見事でした。



また、ヤマザキ氏は、「イタリアのコンテ首相は、自身が首相でもありますが弁護士であることを踏まえ、まずイタリアの法に則って、何があろうと国民の命が何よりも保障されるべきだと断言する。『ロックダウンにより皆さんを守るところから入ります』とズバリ言い切った。そしたらテレビの前の国民は皆、『そうだ、言われる通りだ』と納得するしかない。普段はあれだけ好き勝手に行動し、他者を容易には信用しないイタリア人も、あの演説で一気に団結しちゃった。ああいう演説パフォーマンスは、日本のリーダーにはできないですね」と述べています。



ポピュリズム、そしてファシズム」では、ヤマザキ氏が「コロナ対策の違いはいろんなところに表れましたね。平時には隠れていた世界各国の『本性』が明らかになった気がする。下世話な表現を使うと、コロナが『お前はどんなパンツをはいているのか、脱いで見せてみろ』とそれぞれの国に迫ったような感があった」と語れば、中野氏は「ハハハ、確かに。各国の対応は驚くほど分かれて、普段はマッチョなことを言って格好つけてるけど、実は穴の空いたパンツをはいていたことが分かった、というような国や指導者もありました、どことは言いませんけど。民主主義って、やっぱり指導者を選ぶ側それぞれに、考える力がないと、あっという間にポピュリズムになるんですよね」と返しています。



さらに、ポピュリズム、それに続くファシズムをめぐって、2人は以下のような対話を展開します。
ヤマザキ  ムッソリーニヒトラーの持っている、あの演説力は大したものですよ。生きる気力を失っているところに、あんなに力強い思想と説得力のある言語を使える人が現れれば、皆目を輝かせて「この人についていこう」ってなるでしょう。
中野  ああいうのをいま振り返って考えると、もはやマジックとしか言いようがないほどの魔力なんですけれど、ちゃんとした道筋があるわけですね。
ヤマザキ  第1次世界大戦の最中にスペイン風邪がはやりだし、長い時間をかけて何千万人と言われる犠牲者を出してしまった。人々は疲弊していて、物事を自分たちの力で考えるエネルギーが残っていません。だから、リーダーになってくれる人が現れるのを待っていたわけです。それが政治家であっても宗教家であっても、卑弥呼みたいなシャーマンでもよかったんです。今、まだコロナは収束していないけど、カリスマ的なリーダー待望の空気が現れつつあるのかな。メルケルの演説を見ていて感じました。
中野  民主主義の健全性というものは、大きな物語に対して小さな物語をどれだけ確保できるかにあると思うんです。けれど、パンデミックのような大規模な危機があると、世の中は大きな物語のほうを優先しようという方向に動きます。パンデミックにつけ込むような形でポピュリズムが蔓延し、独裁者がもてはやされるようになるのは、民主主義の持つセキュリティホール――脆弱性のようなものなんでしょう。



日本が流動しない国であるということについては、以下の対話が展開されています。
中野  日本だけに限って見れば、実をいうと地域によって流動性が高いところ、低いところがあるんです。それに伴って気質も違ってくると考えられる。流動性の低さでいちばん顕著なのは北東北の内陸部です。その証拠といえるかどうか、岩手県ではいまだ1人の感染者も出していません(2020年7月14日現在)。
ヤマザキ  あれは不思議ですよねえ。
中野  あの地域は、異質なものを受け入れず、異質な人も出さない、という傾向がやはり強くあるのかな、と感じさせられる現象ですね。それに比べて、北海道はかなり流動的な土地ですね。北東北と地理的にはそう遠くはないのですが、北海道は日本で最初期にクラスター感染が起きた場所でもありました。



「『浮気遺伝子』と感染率の関係」では、以下の対話が展開されています。
中野  日本のような流動性の低い社会においては、適応戦略は「集団の論理に従う」ことです。目立たず、自己主張せず、長いものに巻かれるのが、最もダメージを受けない、いわば「賢い」生き方になるんです。
ヤマザキ  存在していないように生きるわけですね。
中野  興味深いのは、今回の新型コロナはアメリカやブラジルなど、社会の流動性が高くて移民が多い地域で爆発的な感染拡大がみられたことです。一方、日本のような流動性の低い地域は、それほど大きな被害はなかった。この差はいったい何なのか。その謎を解くカギになるかもしれないのが、「新奇探索性」――新しもの好き――という観点かもしれません。これまでに、新奇探索性をつかさどる遺伝子が見つかっており、アメリカ人やブラジル人にその遺伝子を持つ人が多く、東アジアではそうではないことが分かっています。スペキュラティブ(推論的)な話ではありますが、どうもこの遺伝子の持ち主が多い地域は、爆発的な感染拡大地域と重なるように見えますね。なお、このタイプは性的にもアクティブで、一夜限りの性体験が多いという傾向がある。だから「浮気遺伝子」と呼ぶ研究者もいるぐらいです。



また、「普段からソーシャルディスタンス」では、中野氏が「もし本当に日本の感染率や死者数が低いとしたら、その理由のひとつはソーシャルディスタンスかもしれません。普段からベタベタくっつかないですからね。家族内でもハグしない、街中で抱き合ってキスするなんてもってのほか、現代ではもはや高齢者と同居もしない、それに握手の習慣もほぼないという」と言えば、ヤマザキ氏も「イタリア人のように飛沫を飛ばしあって喋る感じではないですからね。それにイタリアだと毎日とにかく誰かしらとは接触があるわけですよ。店に行ってもそこのおじさんと『やあ』なんて握手するし、馴染みのレストランに行けば、そこで働いている人たちと一通りハグするし、知り合いと通りで出会ってもやはりキスにハグだし、そしてその場でお喋りが始まるし」と言います。ブログ「コロナ禍の中で礼を考える」でも紹介したように、コロナ禍の中にあって、わたしは改めて「礼」というものを考え直しています。特に「ソーシャルディスタンス」と「礼」の関係に注目し、相手と接触せずにお辞儀などによって敬意を表すことのできる小笠原流礼法が「礼儀正しさ」におけるグローバル・スタンダードにならないかなどと考えています。ですので、日本の感染率や死者数が低い理由のひとつはソーシャルディスタンスという説は正しいと思っています。

 

礼を求めて

礼を求めて

 

 

「疫病には打ち勝つのか、交渉するのか」では、ヤマザキ氏は「私が思うに、古代の人は感染症を天災と同じように捉えていたのではないでしょうか。日本人にもそれは当てはまりませんかね。一言でいうなら『しょうがないな』と――。一方で、中世からヨーロッパでは感染症を敵だとみなすようになり、これは敵だ戦争だと形容していますけど、ああいう解釈は人間至上主義でなければ発生しないかなと。他の生き物は感染症を敵扱いなんかしませんよ」と述べています。また、以下の対話が展開されるのでした。
ヤマザキ  ヨーロッパに「疫病に打ち勝つ」という概念が生まれたのは、14世紀の黒死病パンデミックのときですかね。あのときキリスト教がペストを逆手に取って、主導権を握ったわけです。キリスト教会は美術界にとってもとても大きなパトロンで、教会に掲げる絵画を媒体にして、「ペストは信仰を持たない者への天罰だ」と大キャンペーンを繰り広げたわけですよ。
中野  ペストを骸骨の姿に描いて、死神のイメージを強調したわけですね。
ヤマザキ  そうやってキリスト教は死神と戦っているんだという意識を植え付け、民衆の信頼と信望を得ようとした。あれが大きかったように思います。

 

世界史を変えた13の病

世界史を変えた13の病

 

 

第2章「パンデミックが変えた人類の歴史」では、「ヨーロッパを変えた黒死病」として、以下の対話が展開されています。
中野  人類史の転換点では、パンデミックが大きなファクターとなってきました。ローマ帝国でも、ペストをはじめ大規模な疫病の流行が何度もあり、それが結果として歴史を動かす源にもなって来ました。疫病などの危機に直面すると、人々の経済的・社会的不安が一気に高まります。この時に最も攻撃の標的となりやすいのは、その共同体にとって「異質」な者――例えば、移民などのマイノリティたちです。現代のアメリカでも「Black Lives Matter」などの運動が起こってくるほど、黒人への差別が過激化しているわけですが、ローマ帝国では、疫病の流行とともに、こうした人たちへ「迫害」や「差別」は起こらなかったのでしょうか?
ヤマザキ  古代ローマ時代のパンデミックで感染者への迫害があったという記録は、私の知る限りありませんね。そもそも、差別による排除が彼らにとっては非合理的だったということもあります。ローマ帝国があそこまで領土を広げることができたのは、属州にした地域の民族の文化や習慣を、積極的に帝国内に取り込んでいったからだという話は先ほどもしました。「すべての道はローマに通ず」と言われるように、属州と都市を道路で結び、流通を活発化させ、人と物の行き来が盛んになっていった。今とは違った形ですが、グローバル社会を築き上げ、繁栄を享受しました。



また、ヤマザキ氏が「14世紀のヨーロッパを中心に猛威を振るった黒死病は、これまでの歴史で最もインパクトが大きいパンデミックだったと言えますね。2500万~5000万人が死んだと言われますが、欧州全体の3分の1~3分の2が亡くなったとされていることから、実際の全死者数は億単位だったとも言われています。死者の数もさることながら、パンデミックのあとに農奴たちの猛反乱が起きて、仕方なく領主たちは農奴を解放するようになり、なんとか人間扱いされるようになった。これは大きな変化でしたね。その影響は、封建社会の崩壊へとつながり、ある種の精神改革の領域にまで及んだのですから」と述べます。また、「けっこう高位にある王侯貴族も黒死病で亡くなっているんです。つまり、死は誰にでも襲いかかる不幸だ、みたいな捉え方が社会に拡がっていった。そこにキリスト教が入り込む余地があったわけです」とも述べています。

 

木版画を読む―占星術・「死の舞踏」そして宗教改革
 

 

黒死病キリスト教の関係については、以下の対話が展開されています。
中野  個々人の行いが悪かったからというよりも、お前たちがキリスト教を信じなかったからこうなったんだぞ、という考え方でしょうか。
ヤマザキ  その通りです。それで教会は「死の舞踏」という一連の絵画を描いて啓蒙を始めました。
中野  骸骨やミイラとなった死者が生きている者たちと手をつないで踊っている絵ですね。行列を成して死へと導かれる絵だったりするのですが、なかなか迫力があり、かなりインパクトのある画面です。
ヤマザキ  あれがまた、ユダヤ人の迫害につながるわけです。ユダヤ人がイエス・キリストを処刑したその仕返しが、今このような黒死病となって襲ってきたのだというユダヤ陰謀説まで飛び交って、ま、一種のスケープゴートなんですけれどね。



古代ローマでは、「アントニヌスのペスト」と言う疫病が流行しましたが、「疫病が帝国瓦解の遠因に」として、ヤマザキ氏は「メソポタミアから兵士たちが持ち帰った疫病によって、総死亡者数は1000万を超えたとも言われ、経済機能が止まってしまいます。生活インフラを担う商人たちが軒並み倒れたので、食料が尽きてしまった。さらに貿易を扱う人も船を漕ぐ人もいなくなってしまったので、物資が港に入ってこない。都市全体が飢餓に直面する中、兵士たちも次々と死んで軍隊が脆弱化する。そうした負の連鎖が続いた結果、ついに広大な帝国を監視・維持できるだけの国家の体力が奪われてしまったのです。ローマの国力が衰亡していったところへ、それまでは奴隷を中心に広まっていた一種のカルト宗教的な存在だったキリスト教の信仰が、一般の人にまで及ぶようになった。こうした疫病の広がりとそれによって引き起こされた社会の変化がローマ帝国瓦解の第1段階となった、と指摘する歴史家は少なくありません」と述べています。



また、「キリスト教を受け入れる心理作用」では、中野氏は「危機に際しては、善なるものであるかどうかを吟味する以前に、理性で判断するのを放棄するようになる、という傾向が強くなりますよね。理性の代わりに、勘だとか、情報の分かりやすさだとかに頼ってしまうようになる。というのも、正しいかどうかの検証には、時間と労力というコストがかかるからです。危機に際しては、それにコストをかける余裕がなくなるため、平時の余裕のある冷静な状態における判断とは異なる、極端に言えばあり得ない選択をしてしまったりすることも十分起こり得ます。実は『真・善・美』という3つの価値は、脳のほぼ同じところで処理されているんです。その領域は進化の過程ではかなり遅い時期にできてきたところなので、あまり効率的には働かない――例えば、酸素や栄養、睡眠の不足、アルコールの摂取などで、容易に働きが落ちてしまう。そういうときは、いつにもまして対象を冷静に吟味することなく、直感でわかりやすいリーダーを選んだり、難しいことを四の五の言わずに手っ取り早く道を示してくれそうな宗教家に頼ったり、ということが起こりやすくなるのではないでしょうか」と述べています。非常に興味深い指摘ですね。



中野氏は、「考えるのって、意外にエネルギーを食うんですよ。脳の重さは全体重の2~3%にすぎないのに、カロリー消費量は全体の5分の1~4分の1にもなる。すごい浪費家ですよね。なので、体の方から予算をカットしろと要求される時があるんです。危機が迫ると特に、逃げたり闘ったりしなくてはなりませんから、体の方にもリソースを分けないとならない。そんな状況下で脳は特に前頭葉の機能がオフにさせられやすいものですから、ゆっくりと時間をかけた理性的な判断をしにくくなります」とも述べています。気鋭の脳科学者の意見だけに、説得力がありますね。



メディチ家の系譜はパンデミック成金」では、以下の対話が展開されます。
ヤマザキ  14世紀のペスト(黒死病)が終息したあと、ヨーロッパにルネッサンスが芽吹き始めます。ヨーロッパ人口の3分の1とか3分の2が死んだといわれる黒死病のあとに、なぜルネッサンスみたいなエネルギッシュな精神と文化の改革が生じ得たのか? 実はルネッサンスの種火というものは、すでに11世紀、12世紀ごろからあったわけです。個々に、散発的に、面白いことをやる人間が現われて、いってみればサブカルチャー的な現象としてあったんですね。そこへ襲ってきたのがペストです。これによって大災害と大凶作が重なり、ヨーロッパ中が混乱しました。農地が広がっても耕作する人間がいない。そんなときフィレンツェに勃興したのがメディチ家です。
中野  ローマ教皇も輩出したフィレンツェの名門貴族ですね。
ヤマザキ  メディチはその名が示すように、もともとは医療関係――医師か薬種問屋をなりわいにしていた家柄だったと言います。銀行業で財を成してローマ教皇庁パトロンとして名を馳せる2世紀ほど前は、村で丸薬を売っていたメディチ家ですが、それが銀行業に進出できたのは、ペストのお蔭でもある。
中野  言葉は悪いですが、いわばパンデミック成金だったんですね。



「ヨーロッパにパンデミックが起きると、そのたびにキリスト教が拡大していることが分かりますね」という中野氏に対して、ヤマザキ氏は「疫病が流行れば、キリスト教会は『さあ俺たちの出番だ』とばかりに、『これらの疫病や凶作は不信心な者どものせいだ』というプロパガンダをくりひろげたので、すごい勢いで信者が増えています。地獄では死者が炎で焼かれる、というイメージを持っていた人々の目に、疫病で死んだ人たちが焼かれている有様は地獄絵図として映っていた。本来は土葬なのに、感染死した者は火葬に付されていましたからね」と答えます。それに対して、中野氏は「視覚イメージが強烈に植え付けられたわけですね」と言うのでした。



イデアギリシャとリアルのローマ」では、ギリシャ文化とローマ文化を対比しつつ、ヤマザキ氏が「ローマの建築技術にしても、もともとはギリシャ人がつくり上げた概念を合理的につくり直したものです。たとえば劇場。ギリシャの場合は、市民が倫理観や道徳観を養うために喜劇や悲劇を見る場として設けられたもの。心を洗って、おのれのあり方を考える機会を提供したわけです。それがローマになると、観衆の前に自分を晒し、承認欲求を満たす場となっていった。ギリシャで遺跡を巡っていると、厳かな神殿の敷地の外側に商業施設の遺構のようなものが残っているんですが、それは全部古代ローマ支配下に置かれてからできたものなんです。お土産の他に、他人様に見せるためのアクセサリーとか素敵なトーガ(1枚布の上着)とか売ってたのかもしれない」と述べます。また、「集団としての成熟」として、ヤマザキ氏は「ギリシャの市民は、劇場で父殺しとか近親相姦とかスキャンダラスな題材の悲劇・喜劇を観て、そこに思い入れを持ったり反感を覚えたりしながら自分たちの生き方・思想を育てていくんですね。それが時代をへて、ローマでは大観衆の盛り上がりの中で剣闘士が殺し合ったり、時にはライオンと闘ったりするのを目にして、なんて野蛮なことを、と思う人が出てくる。これも人類としての成長であって、そこに至るにはそれだけの時間が必要だったのかなと思うんです」とも述べます。



「『排除』の心理的カニズム」では、以下の対話が展開されます。
中野  ローマでは、属州出身の人は嫌な目にあったりしましたか?
ヤマザキ  それがそうでもないんです。初めのうちはそういう排除の動きもあったと思うけれど、でも、ローマは急速にグローバリズムが進んで、次々に属州が増えていく。属州が増えると経済的には裕福になり、奴隷もたくさん入ってくる。異質な人が増えることのデメリットよりは、先ほどの話にあったように、異文化をうまい具合に商業化することも含め、メリットのほうが大きいと捉えている。その果てに、属州出身の皇帝まで出てきますしね。
中野  それがトラヤヌス帝(在位98~117年)ですね。
ヤマザキ  1世紀が終わるころ、トラヤヌス帝が誕生します。彼の治世においてローマの版図が最大になるんですが、私はバラク・オバマが米国大統領になった時、ちょうどシカゴに暮らしていて、アメリカ人の熱狂を見ながら、トラヤヌスが皇帝になった時もこんな感じだったのでは、と思ったんです。



属州はただ拡大させるだけではなく、そこで生まれる利点をしっかりと活用の方向へ持っていくとして、ヤマザキ氏は「版図を拡大したローマ帝国では、属州の出身者や奴隷たちの手を借りないと市民社会が成り立たないことを、本土の人は早くから認識していたわけです」と述べるのですが、それに対して、中野氏が「ああ、やっぱり古代ローマの人々は現実主義的ですね」と言うと、ヤマザキ氏は「ですから、ローマは多種多様な民族や文化を抱えてしまったので、『これこそがスタンダード』という物差しがなくなった。いってみれば混沌の世界――。そのへんが、どこを見ても金太郎飴のような今の日本の社会状況とは違いますよね」と述べます。さらに、「ローマは版図を広げた結果、疫病にかかるリスクも広がったのではないですか?」という中野氏の問いに対して、ヤマザキ氏は「まったくその通りですね。すべての道に通ずるローマの道は疫病も運んできてしまうわけです」とし、最後に「すべての感染症はローマに通ず」と述べるます。



第4章「『新しい日常(ニューノーマル)への高いハードル』では、「日本の若者の『圧』」として、以下の対話が展開されています。
中野  日本の高齢者がいちばん嫌う死に方は、若い人たちと同居している家で孤独死することなんですって。
ヤマザキ  同居してるのに孤独死
中野  ひとつ屋根の下でも別々の部屋にいるから。
ヤマザキ  「ご飯ですよ」とか「お風呂ですよ」とか声かけはしないのですか?
中野  二世帯住宅だと、食事やお風呂も別なんです。東京にはものすごい人口がいて、とっても密な生活をしているようでも、それぞれ異なるレイヤーで生きているんです。
ヤマザキ  だからコロナの感染が拡がらなかったんじゃないですか。子どもが帰宅しても「ただいま」も言わずに部屋に入っちゃうとか、夫婦が別々の部屋で寝ているとか、家庭内ですでにソーシャル・ディスタンスになってるんだもの。イタリアだったらあり得ないですものね。どんなにケンカをしていようと険悪だろうと、食事は家族一緒にするものと、儀式のように決まっていますから。



また、「集団の中で生き延びるためには」として、以下の対話が展開されます。
中野  確かに感染症対策の観点からすれば、排除されているほうがずっと安全ですよね。日本の人々が無意識に行ってきた工夫としては、明文化されない厳しい掟のある集団を形成しはするけれど、やはり、“密”の中で暮らしているのにアクリル板で隔てられているかのように、見えないアクリル板を私たちのマインドセット(思考様式)の中に作った、というところじゃないでしょうか。それはすごいなと思う。
ヤマザキ  満員電車の中でみんなつらい状況にいるのに、誰ひとりストレスを表に出すことなく、目的地まで黙って揺れに身を委ねている様子を、常々すごいなあと感じます。
中野  そう、私もそれを強く感じます。日本って、コロナ以前から通勤電車の中でしゃべってる人がいないですよね、ヨーロッパは電車内での会話の声がすごい。



中野氏は、「もし生活習慣の違いで感染率に差が出るとわかれば、その生活習慣をすべての国でニューノーマルにすればいいわけです。それがとてもシンプルな解決策だと思いますね。アジア人は罹りにくいとわかっただけでは、それが感染防止策に採り入れられるわけでもないですから」と語りますが、その後、「もしも鎖国をしなかったら?」として、以下の対話が展開されます。
ヤマザキ  人類はもともと狩猟で生活の糧を得てきた、移動性の生物です。ところが多くの祖先は農耕の始まりとともに定住生活に落ち着いた。だから農耕民族と遊牧民族とでは、メンタリティがまったく違いますね。日本ではあまり遊牧民族系のメンタルは根付かなかった。
中野  日本の地形が移動を阻むんでしょうね。山あり海ありで。それに、東日本と西日本との通婚率が最近までかなり低くて、他の地域との婚姻が少ない。だから方言がわりと残っているといわれますね。



移動しない日本人について、対話は続きます。
ヤマザキ  この、移動をしないという民俗的傾向が、パンデミックの拡がり具合にかなり関係があるようにも思います。古代ローマ人は、北はスコットランド、東はユーフラテス川まで領地を広げましたが、その分ペストなどの疫病もローマの道を通じてどんどん入ってきてしまった。その後の大航海時代は、コルテスやピサロがヨーロッパの疫病をアステカ王国とかインカ帝国に持ち込んで先住民をほぼ全滅させてしまったし、スペイン風邪は第1次世界大戦の軍隊の遠征によって拡大していった。結局、流動性が高ければパンデミックを招き、低いと疫病は蔓延しない。そう考えると、日本から外へ病原菌が運び出される機会は他より少ない。
中野  本人の意思にかかわらず移動させないというのは、意外と重要なことだったのかもしれません。その意味では、日本が鎖国をせずにキリスト教も入り放題、海外からの移住大歓迎となっていたら、けっこうなパンデミックが発生していたと思います。戦国時代から江戸期にかけて海外から梅毒が持ち込まれて、大流行したわけですから。


第5章「私たちのルネッサンス計画」では、「コロナウイルスが考えていること」として、ヤマザキ氏は「そもそも私には、ウイルス対策を勝ち負けで捉えることに違和感があります。根絶を目指すのではなく、コロナと共存していくという東洋的なあり方のほうが、むしろ合理的なのではないかと感じています。実はウイルスの立場から見ても、共存のほうが本望だったのかも知れませんよ。ネズミにしてもレミングにしても、ものすごい数まで増えると自然に病気に罹って数が減少する――そういう摂理が生き物の世界にはある。だから人間にも同じことが起きないはずはないんであって、人間は素晴らしい万物の霊長だから、他の動物に優越して生きる価値がある、資格がある、だから今回のコロナは不条理なものである――という西洋式の人類至上主義的考えはどうも納得がいかない」と述べています。



14世紀のペストで何千万という単位の人が死んだ後、ルネッサンスがなぜあそこまで盛り上がったのでしょうか。ヤマザキ氏は、「疫病というものは、人間を混乱させもしますが、考える時間というものを与えてくれる、ある意味で貴重な機会です。何せ未曽有の天変地異を経験させられるわけですから、人間とはなにか、ウイルスとはなにか、社会とは、生きるとはと、様々な思いが頭をめぐる。今はテレビだネットだと、誰かの意見に自分の考えを便乗させるという思考の怠惰が顕著ですが、むかしはとにかく自分の想像力をたくましくするしかないわけですよ。想像力の訓練なしにはルネッサンスなんていう精神改革は発生しません」と述べています。



100年前のスペイン風邪の後、ナチズムやファシズムが待ち構えていました。そうならないためには、どうすればいいのでしょうか。この問題をめぐって、以下の対話が展開されます。
中野  「合成の誤謬」という行動経済学でよく言及される概念があるでしょう。みんなが少しずつ自分のためにいいと思ってふるまっても、それらが合わさると全体としては間違った方向に行ってしまうというものです。その誤謬に気づいて、1人だけで正そうとすると、正そうとした人が最も損をする。なので、一気にみんなで正さなくてはいけないし、一斉にやり方を変えないと、絶対に誤謬は修正されないんですね。でも、こういうパンデミックの後というのは、「いっせーのー、せ」で変える機会になり得るんです。
ヤマザキ  私は、今回のパンデミックにはスペイン風邪の後とは違う流れになる可能性を感じています。今の時代は、エンターテインメントというものが経済的な生産性を持つようになっているから、経済を元に戻そうとする勢いがエンタメと繋がれば、新たな世界を作り上げることもできるんじゃないかと。それこそ14世紀のルネッサンスが一気に力を帯びたのに似た兆候です。つまり、昔だったらナチズムやファシズムの勢いに囚われた、不安や怒りや鬱憤を抱えた人たちが、奇抜で凶暴な思想に夢中になる代わりに、もっと楽しい方向性を選ぶのかなって。それがエンタメなのか、あるいはグルメなのか、そこはまだ分かっていないんですけど。

 

この合成の誤謬に関連していうと、中野氏は「私、一斉に変えられたものとしては『テレワーク』が典型的な例かなと思うんです。一人だけ『テレワークします』と言い出しても、怠け者のレッテルを貼られてしまうけど、コロナの自粛でみんな一斉にやってみたところ、意外と効率的だったり、メリットがたくさんあると分かったわけです」と述べています。たしかに、そうですね。わたしも同感です。



「土葬が火葬に変わる?」では、新型コロナウイルス感染による死者の遺体について、以下のような対話が展開されています。
中野  死亡者が大量に発生したニューヨークでは、埋葬待ちの棺が山積みでしたが、お葬式のあり方も変わりますかね。ヨーロッパは土葬でしょ?
ヤマザキ  いや、今はイタリアでも、火葬が推奨される傾向になってきています。土葬をする土地がもう足りなくなってきているんですよ。イタリアの場合、20年ほど前までは、「火葬にしてほしい」という遺言を残しておかないと許可してもらえなかったんです。今から30年ほど前ですが、知り合いの日本人の男性がフィレンツェでがんで亡くなった時は、遺言を書いていなかったために、火葬の許可をなかなか出してもらえず、大変でした。
中野  土葬するにもスペースが足りないのですね。
ヤマザキ  そうなんです。壁の棚に棺を収めるという、集合式のシステムもありますが、それすらスペースがなくなってきた。埋葬前の棺を安置する場所っていうのが墓地などにもあるわけですけど、積み重ねられた棺の中でガスが発生して破裂してしまう。40年ほど前のものですが、その埋葬問題を揶揄している映画作品すらあります。
中野  それはそれで大変なんだ。

 

さらに、火葬について対話は続きます。
ヤマザキ  それが、今回のコロナで火葬をためらっている場合ではなくなりました。
中野  それがヨーロッパのニューノーマルになるかも知れないですね。何十年か前までは、「あの人は火葬したらしい」というだけで変人扱いされたものですが。
ヤマザキ  キリスト教は復活が中心概念の宗教ですから、肉体への思い入れが強いわけですよね。焼かれるなんて、ましてや。
中野  しかも煉獄をイメージさせる。
ヤマザキ  早い話が火あぶりですものね。ちなみにイタリアの火葬は、日本と違って完全に灰にしちゃうんです。
中野  骨も残らないんですか。ヤマザキ  完全にパラパラサラサラの灰みたいな感じでしたね。だから、お骨を拾うなんていうこともしないし、できない。
中野  そのニューノーマルは死生観にも影響を与えそうですね。


「対談を終えて」では、ヤマザキ氏が「新型コロナウイルスの感染拡大が始まってからというもの、それまで視野を遮っていた靄がはらわれて、あまり輪郭のはっきりしていなかった、いろんなことが開けて見えてきた気がするんです。普段見えないものが突然視界に入ってきたような感覚ですかね。実際、しばらく中国の経済活動が停止していたおかげで、だいぶ空気がきれいになって、エベレストなんかも何百キロも離れたところから見えるらしいですけど」と述べれば、中野氏は「マリさんがおっしゃってるのは、コロナのお蔭で立ち止まって考えたことで、今までと違ったいろんな風景が見えてきたという意味でしょう。私もそうなんですよ。改めて考えてみると、こんなに世界の全体の動きを身近に意識したことって、初めての経験だったんじゃないかな」と述べます。



そして最後に、ヤマザキ氏が「歴史を振り返ってみても、感染症は人類にそのような思索の機会を導き入れる、時空の節目なのかもしれません。できれば感染による死は避けたいし、感染症で亡くなった方とそのご家族には本当にお気の毒なんですけど、自分の人生でこのようなパンデミックを経験し、普段であれば気がつかない人類という生き物の動向を、綿密に分析することができたというのは、とても貴重なことだと感じています」と述べるのでした。本書は、ヤマザキ氏と中野氏の話のテンポが見事に噛み合って、非常にわかりやすいパンデミック文明論となっています。なにより、2人ともユーモアに溢れており、面白い本でした。パンデミックというのは深刻なテーマですが、楽しみながら読みました。

 

パンデミックの文明論 (文春新書)

パンデミックの文明論 (文春新書)

 

 

2020年10月14日 一条真也