『死を乗り越える読書ガイド』

一条真也です。
16日、東京都で新たに286人が新型コロナウイルスに感染したことが判明。 都内の1日の感染者数としては過去最多ですが、こんな状況で観光産業の支援事業である「GoToトラベル」を22日から本当に実施するのか? 
感染拡大時には、旅行よりも自宅で読書すべきです!

f:id:shins2m:20200715153103j:plain死を乗り越える読書ガイド』(現代書林)

 

さて、101冊目の「一条本」の見本が届きました。
書名は、『死を乗り越える読書ガイド』(現代書林)です。
といっても、オリジナルの書き下ろしではありません。
2013年刊行の『死が怖くなくなる読書』を全面的に改訂した本で、最後はグリーフケアの書である拙著『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)を新たに自著解説しました。

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本書の帯

 

カバー表紙にはタイトルの英文表記として、‟Book  Guide  for  people  wanting  to  overcome  death”と書かれています。サブタイトルは、「『おそれ』も『悲しみ』も消えていくブックガイド」です。また本書の帯には、「アンデルセンから村上春樹まで・・・」「死生観は究極の教養である!」「『死』があるから『生』がある その真理に気づかせてくれる50冊」と書かれています。

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本書の帯の裏 

 

帯の裏には、「一条真也『死を乗り越える』シリーズ」として、拙著『死を乗り越える映画ガイド』および『死を乗り越える名言ガイド』(現代書林)の表紙画像が掲載されています。『死を乗り越える映画ガイド』では、「あなたの死生観が変わる究極の50本。『風と共に去りぬ』から『アナと雪の女王』まで・・・・・・暗闇の中で人は生と死を考える。さあ、紙上上映の始まりです。生きる力と光を放つ50本」と書かれています。また、『死を乗り越える名言ガイド』には、「言葉は人生を変えうる力をもっている・・・・・・ブッダからアイルトン・セナまでーー古今東西の聖人・賢人・偉人・英雄たち100人の言葉を収録」と書かれています。

f:id:shins2m:20200715155818j:plainグリーフケアの時代」を生きるための三部作が完成! 

 

これで「死を乗り越える」三部作が完成しましたが、それはそのまま「グリーフケアの時代」を生きるための三部作でもあります。本書のカバー前そでには、「読書という行為には、グリーフケア=死別の悲しみに対処する機能がある」と書かれています。わたし自身、本書に紹介されている多くの書を読んで、死と正面から向き合うことができ、死が怖くなくなっていきました。

 

長い人類の歴史の中で、死ななかった人間はいませんし、愛する人を亡くした人間も無数にいます。その歴然とした事実を教えてくれる本、「死」があるから「生」があるという真理に気づかせてくれる本を集めてみました。これまで数え切れないほど多くの宗教家や哲学者が「死」について考え、芸術家たちは死後の世界を表現してきました。医学や生理学を中心とする科学者たちも「死」の正体をつきとめようとして努力してきました。まさに死こそは、人類最大のミステリーであり、全人類にとって共通の大問題なのです。

 

なぜ、自分の愛する者が突如としてこの世界から消えるのか、そしてこの自分さえ消えなければならないのか。これほど不条理で受け容れがたい話はありません。本書には、その不条理を受け容れて、心のバランスを保つための本がたくさん紹介されています。本書の読了後、そのことをよく理解されると思います。本書では、あなた自身が死ぬことの「おそれ」と、あなたの愛する人が亡くなった「かなしみ」が少しずつ溶けて、最後には消えてゆくような本を選びました。

f:id:shins2m:20200715160513j:plain1冊目は『メメント・モリ

 

死別の悲しみを癒す行為を「グリーフケア」といいます。
カバー前そでにもありますが、もともと読書という行為にはグリーフケアの機能があります。たとえば、わが子を失う悲しみについて、教育思想家の森信三は「地上における最大最深の悲痛事と言ってよいであろう」と述べています。じつは、彼自身も愛する子どもを失った経験があるのですが、その深い悲しみの底から読書によって立ち直ったそうです。

f:id:shins2m:20200715160536j:plain50冊目は『愛する人を亡くした人へ

 

本を読めば、この地上には、わが子に先立たれた親がいかに多いかを知ります。また、自分は一人の子どもを亡くしたのであれば、世間には子を失った人が何人もいることも知ります。これまでは自分こそこの世における最大の悲劇の主人公だと考えていても、読書によってそれが誤りであったことを悟るのです。本書では5つの章に分けて、50冊の本を紹介しています。「目次」は、以下の通りです。

 

「はじめに」
第1章 死を想う
メメント・モリ藤原新也 
「死」の博学事典荒俣宏監修 
死にカタログ寄藤文平 
あした死ぬかもよ?』ひすいこたろう 
「死ぬのが怖い」とはどういうことか』前野隆司 
日本人の死のかたち』波平恵美子 
日本人の死生観を読む島薗進 
わたしが死について語るなら山折哲雄 
そうか、もう君はいないのか城山三郎
ぼくがいま、死について思うこと椎名誠 

第2章 死者をみつめる
今日は死ぬのにもってこいの日』ナンシー・ウッド 
先祖の話柳田國男 
災害と妖怪』畑中章宏
恐山』南直哉 
遺品柳原三佳 
遺体 石井光太 
納棺夫日記青木新門 
悼む人天童荒太 
降霊会の夜浅田次郎 
アミターバ 無量光明 玄侑宗久 

第3章 悲しみを癒す
おかあさんのばか 』写真:細江英公、詩:古田幸 
人生で大切な五つの仕事』井上ウィマラ 
悲しんでいい』郄木慶子 
悲しむ力』中下大樹
僕の死に方 金子哲雄 
伴侶の死平岩弓枝編  
さよならもいわずに』上野謙太郎 
古事記ワンダーランド 鎌田東二 
人は死なない 』矢作直樹
天使のまなざし 』ジャッキー・ニューカム 

第4章 死を語る
色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年村上春樹 
小暮写眞館 宮部みゆき 
人質の朗読会 小川洋子 
スウィート・ヒアアフター吉本ばなな 
その日のまえに重松清 
 白石一文 
ナミヤ雑貨店の奇蹟東野圭吾 
永遠の0(ゼロ)百田尚樹 
ツナグ辻村深月 
盆まねき富安陽子
第5章 生きる力を得る
幸せの遺伝子村上和雄 
ありがとうの花山元加津子 
こころの手足 中村久子自伝』中村久子 
夜と霧』V・E・フランクル 
人魚の姫 アンデルセン 
マッチ売りの少女アンデルセン 
青い鳥メーテルリンク 
銀河鉄道の夜宮沢賢治 
星の王子さま』サン=テグジュぺリ 
愛する人を亡くした人へ一条真也
(「あとがき」に代えて)

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3冊読めば、死を乗り越えられる!

 

本書を最後まで読まれたならば、おだやかな「死ぬ覚悟」を自然に身につけられることでしょう。それとともに、あなたが「生きる希望」を持って下さったなら、これ以上に嬉しいことはありません。『死を乗り越える読書ガイド』は、8月11日に全国の書店およびネット書店で一斉発売されます。
お盆休みに読む本を見つけるブックガイドとして、どうぞ。
愛する人を亡くされた方へのプレゼントにも最適です。
どうぞ、よろしくお願いいたします。

 

死を乗り越える読書ガイド 「おそれ」も「かなしみ」も消えていくブックガイド
 

 

2020年7月16日 一条真也

『紫の雲』

紫の雲 (ナイトランド叢書3-4)

 

一条真也です。
緊急事態宣言の期間中、『紫の雲』M・P・シール著、南條竹則訳(アトリエサード)という本を読みました。
原題の‟The Purple Cloud”を直訳したこのタイトルを見て、ギョッとしたサンレー関係者も多いことでしょう。なぜなら、わが社は「紫雲閣」という名前の施設を各地で展開しているからです。「『紫の雲』とは、どんな本なのか?」というと、1901年に発表された幻想文学です。ずばり言うと、猛毒のパープル・クラウドによって人類が滅亡する物語です。古典SFと言った方がいいかもしれませんね。ブログ『夏への扉』ブログ『タイタンの妖女』ブログ『星を継ぐもの』で紹介した一連のSF史に燦然と輝く名作を読んできましたが、最後に超名作、あるいは怪作に行き着きました。とても奇妙な話ですが、面白かったです!

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本書の帯

 

本書の紫色の帯には、ロンドン塔や帆船とともに、生きた人間の衣装を着て帽子を被った不気味な骸骨の絵が描かれ、「誰かいるか? 誰かいるか?――呼びかけても、答える声はない」「ただ一人の生存者が旅する死の世界・・・・・・世界の滅亡と再生を壮大に描く幻想文学の金字塔、遂に邦訳成る!」と書かれています。 

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本書の帯の裏

 

帯の裏にはキリスト教会やイスラム寺院のような建物を背景としたトルコのお姫様のような女性が描かれ、「邪恋と功名心に駆られ、北極点を目指すアダム。だが、何処からか毒の雲が立ち昇り、地上の動物は死に絶えた。ひとり死を免れたアダムは、孤独と闘いつつ世界中を旅する。生存者を求めて――」「異端の作家が狂熱を込めて物語る、世界の終焉と、新たな始まり」と書かれています。



著者のM・P ・シール(Matthew Phipps Shiell)はイギリスの作家。1865年、西インド諸島モントセラット生まれ。20歳で渡英し、教師、通訳などの職業のかたわら小説を書きました。1895年、短篇小説「ユグナンの妻」で小説家としてデビュー。以降、数々の怪奇幻想小説や冒険小説、本書『紫の雲』をはじめとするSFの先駆的作品を手掛けました。H・G・ウェルズ(1866年―1946年)とは完全な同時代人で、シールはウェルズより1年早く生まれ、ウェルズが死去した1年後の1947年に死去しました。代表作である『紫の雲』には『海の主』『最後の奇蹟』という続編があり、三部作を成しています。

 

復活の日 (角川文庫)

復活の日 (角川文庫)

 

 

『紫の雲』三部作は、人類が滅亡した仮想世界の物語です。わたしは小松左京の『復活の日』を連想しました。同作では数少ない人類の生き残りは南極に移住しますが、『紫の雲』の主人公アダムは北極の極地に到達します。ネタバレを承知で書くと、「紫の雲」とはウイルスの王様(!)である可能性が高いのですが、「人類の滅亡」という重いテーマといい、リアルな死者の描写といい、『紫の雲』と『復活の日』は非常に似ています。もしかすると、小松左京は原書で『紫の雲』を読んでいたのかもしれません。

 

ザ・スタンド(1) (文春文庫)
 

 

また、現代における「ホラーの帝王」であるスティーブン・キングは自作『ザ・スタンド』への『紫の雲』の影響を認めています。1978年に発表されたキングの『ザ・スタンド』は、カリフォルニア州にある軍の細菌兵器研究所から、実験中のウイルスが流出する物語です。パニックの中、ゲート封鎖の命令を無視して逃げ出した門番の男によって、ウイルスは外の世界に洩れ出してしまいます。事態を重く見た軍は、門番が最後にたどり着いた町に戒厳令を敷き、被害を食い止めようとするのですが、感染率99%という驚異的な致死率のウイルスは、それをあざ笑うかの如く全米に蔓延していくのでした。

 

幻想文学大事典

幻想文学大事典

  • 発売日: 1999/02/01
  • メディア: 単行本
 

 

わが書斎に鎮座する『幻想文学大事典』(国書刊行会)を久々に開くと、『紫の雲』については、「評論家はほぼこぞって、ウェルズの最良作に比肩しうる同時代の唯一のSF長篇と賞賛している。また、R・D・マリンは、『シール作品にくりかえし現れる実存的恐怖のテーマを、最も想像力豊かに表現した』と鋭い洞察を見せた。シールは生涯を通じて、善悪に関する哲学的な問題と取り組んだ。科学に啓発されたシールは、メソジスト派の牧師で伝道に専心した父親から押しつけられた型通りの宗教的信仰は拒んだ。しかし、全人類は結局は善なるおのだというゆるぎない信念をもっていた。その善なる力が個々の人間に及ぼされることはなく、いかに苦しめられていようとも」と書かれています。

 

『紫の雲』の主人公アダムは基本的に何事にも理屈っぽく、自己の満足のみを追求するエゴイストなのですが、一応はキリスト教徒のようで、何か苦境に立つと「主よ」などと祈ります。この小説、桃の花やアーモンドの芳香を放つ謎の「紫の雲」によって世界中の人々が死ぬ話で、とにかく死体の描写が多いです。各地で倒れてる屍をアダムが発見し続けるわけなのですが、じつに百数十ぺージにわたって、毎ページで死体が発見され、しかもその外見的様子や腐敗ぶりが具体的に描かれているのです。こんな死体まみれの小説は初めて読みました。わたしのような「死」の話に免疫がある人間でもさすがに鬱々としてきます。まさに死屍累々・・・膨大な死体の山を見て、アダムはこう独言するのでした。

 

 これが世界の終わりなのか? 我々はそれを信じないし、信じられない。我々が今日頭上に見る澄んだ空も、九日後には、あるいはもっと早く、この‟闇の奈落”の煙に侵されてしまうのだろうか? 科学者達は断言するが、我々はそれでも疑う。なぜなら、もしそうだとすると、我々がその中に‟作劇者の手”を見る‟歴史”の長い劇には、一体何の目的があったのか? “第五幕”の幕切れはわかりやすく、完(まっと)うしたという感覚を満足させるものであるべきだ。しかし、“歴史”は長く思われたものの、今までのところ、“第五幕”というよりは、むしろ“前口上”に似ている。“劇場支配人”がすっかり失望して、一切を掃き除け、芝居を永久に「中止する」ことがあり得るのだろうか? たしかに人類の罪は明々白々であった。もしも人類が地獄に変えた美わしき地球が、今彼に地獄の煙を吹きつけているのだとしても、不思議はない。だが、我々はそれでもまだ信じられない。自然には容赦があり、世界を通じて、微笑みかかえる沈黙が糸のように紡がれている。そして出来事の終わりには、『汝等はなぜ恐れたのだ?』という言葉が貼紙で大きく掲示されるのである。されば、我々には――この全地を覆う‟死のコンドル”の翼の影で怯える今とても――威厳ある‟希望“がふさわしい。実際、我々の国民のもっとも賤しい人々の間に、そうした態度が見られるのである。かれらの心からは、このような叫びが上がる。「‟彼”我を殺すとも、われは‟彼”により依頼(たの)まん」(「ヨブ記」第13章15)されば、おお主よ、おお主よ、此方を見そなわし、助けたまえ!
(『紫の雲』P.98~99)

 

旧約聖書 ヨブ記 (岩波文庫 青 801-4)

旧約聖書 ヨブ記 (岩波文庫 青 801-4)

  • 発売日: 1971/06/16
  • メディア: 文庫
 

 

ここでは世界が「舞台」に例えられていますが、舞台にいる役者はアダムだけではありません。そこには「地球」や「白いやつ」や「黒いやつ」や「神」もいます。ちっぽけな人間どもが紫色をした雲によって一掃された結果、大いなる「諸力」が姿を現して、その世界は『旧約聖書』の「ヨブ記」の世界に近づくのでした。伝道に専心したメソジスト派の牧師であった父の影響で、キリスト教に対して屈折した心情を持っていたシールは、『紫の雲』の中で、「キリスト教は選ばれし者の宗教であって、すべての人間が呼ばれるが、選ばれるのは少数であり、その点が回教や仏教と異なっていた。後者は手のとどく範囲の人間すべてをとらえ、征服した。キリストの影響はプラトンやダンテのそれとやや似ているかもしれない。一方、マホメットのそれはホメロスシェイクスピアのそれにいっそう似ている」などと書いています。



そして、最後にアダムの他にもう1人の生存者が登場します。それはレダという名の若い女性でした。当然、読者は『旧約聖書』の「創世記」のアダムとイヴの再来を想像するでしょうが、なぜかアダムは彼女を拒絶し、あろうことか殺そうとさえします。なぜなら、それまでアダムが想っていた恋人の正体は毒殺者であり、彼は女性不信に陥っていたのです。そのために、アダムはレダから逃げまくり、絶対に子孫を作らないことを誓うのでした。それでも、第二の紫雲が発生して彼女が命を奪われそうになったとき、初めてアダムは彼女に対する愛情を自覚します。そして、レダを「わが妻」と呼び、人類最後の2人は結婚するのでした。



全篇を通じて陰鬱で禍々しい雰囲気の漂うこの小説は最後にロマンティックな結末を用意したわけですが、怪奇小説の第一人者であったH・P・ラヴクラフトは『紫の雲』という作品全体としては高く評価しながらも、ラストの部分は買いませんでした。ラヴクラフトは評論『文学における超自然の恐怖』において、「小説『紫の雲』ではシール氏は圧倒的な迫力に満ちた筆致で、北極から立ちのぼり人類を滅亡させようとする呪いの紫雲を描いている。紫の雲のお蔭で地上にはどうやらたった1人の人間しか生き残っていないようなのだが、自らの置かれた情況に気づき、死体が散乱し貴重品が散らばっている今や絶対君主のような存在となった世界で、町をさまよい歩くこの孤独な生存者の心情が、実に風格さえ備わっている芸術性の高い技巧によって描き出されている。ただ惜しむらくは、この小説の後半に、陳腐な浪漫的要素が入りこんできて、著しく作品を損なっている。(植松靖夫訳)」と書いています。



さて、本書では「紫の雲」が人類を滅亡に追いやる最強・最悪のウイルスのように描かれていますが、もともと「紫の雲」は良い言葉です。辞書を引くと、紫雲とは「紫色の雲。めでたい雲。念仏行者の臨終のとき、仏がこの雲に乗って来迎するという」と出ています。つまり、わたしたちが死ぬときに極楽浄土から迎えにきてくれる仏様の乗り物が紫雲なのです。来迎という考え方は浄土教に由来します。五色の雲に乗った阿弥陀仏が、人の臨終の際に、二十五菩薩を引き連れて迎えにくるという華麗な来迎幻想。それは、死後もなお現世の享楽を維持したいという貴族や、現世では得られなかった至福の時を得たいと願う民衆の魂を魅了しました。彼らは、死に臨んで念仏を唱え、来迎図に描かれた阿弥陀の手と自分の手を糸で結びました。来迎を待つ者を、親鸞は「いまだ信心を得ぬもの」と否定しました。宗教的にはそのとおりかもしれませんが、人は夢を見たいものです。死後への幸福なロマンを抱くことはまったく間違っていないと思います。

 

往生要集〈上〉 (岩波文庫)

往生要集〈上〉 (岩波文庫)

  • 作者:源信
  • 発売日: 2003/05/16
  • メディア: 文庫
 

 

 浄土に往生したいというあくなき願いが生み出した来迎図は、源信の『往生要集』から始まったとされています。およそ源信ほど日本人の死の不安を取り除いた仏教者はいなかったでしょう。彼は942年に現在の奈良県に生まれましたが、九歳にして叡山にのぼり、天台宗の中興の祖といわれた良源の弟子となります。天性聡明、特に論理の才に恵まれました。984年11月に『往生要集』3巻の執筆を始め、翌年四月、わずか半年で完成しました。源信44歳のときです。たちまちにこの書の写本がつくられ、人々は争ってそれを読みました。藤原道長も、紫式部も、鴨長明も、西行も、この書物を愛読し、多くの影響を受けました。またこの書は宋にも送られ、宋でも高い評価を得たといいます。

 

往生要集〈下〉 (岩波文庫)

往生要集〈下〉 (岩波文庫)

  • 作者:源信
  • 発売日: 2003/05/16
  • メディア: 文庫
 

 

源信は、ふつうは共存することが困難である2つの才に恵まれていました。学者としての才と詩人としての才です。『往生要集』は、引用典籍160数部、引用文は900か所に及びますが、そのような多くの文献を引用しながら論旨は整然として、一点の論理の乱れもありません。しかも引用文および彼自身の文章も美しいものが多く、単に理性のみでなく、情感にも訴えます。源信は詩文に巧みであったばかりか、絵や彫刻もよくしました。
『往生要集』は、厭離穢土、欣求浄土、極楽の証拠、正修念仏、助念の方法、別時念仏、念仏の利益、念仏の証拠、往生の諸業、問答料簡の十門からなります。この論の中心は第4の正修念仏ですが、影響からいえば、第1の厭離穢土、第2の欣求浄土がそれに劣らず重要です。

 

図説 地獄絵の世界 (ふくろうの本/日本の文化)

図説 地獄絵の世界 (ふくろうの本/日本の文化)

  • 作者:小栗栖 健治
  • 発売日: 2013/07/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

『往生要集』をもとに多くの地獄絵や餓鬼絵が描かれました。最近まで、日本の多くの寺には地獄絵があり、たとえば幼い白隠太宰治など、その絵を見て異常な恐怖に襲われ、それが彼らの後の人生に大きな影響を与えました。源信はこのような「六道」すなわち地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天の6つの苦の世界を離れて、清浄で美しい極楽を願い求めよといい、その極楽の比類なき浄さ、美しさを多くの経典を引用して語ります。彼自身もすばらしい極楽の絵を描きましたが、多くの画家が彼にならって多種多様の極楽の絵や阿弥陀来迎の絵を描きました。これらが死の不安におびえる民衆の心をどれだけ慰めたか想像もつきません。ちなみに、現在も残る宇治の平等院は極楽の見事な造形化です。

 

観無量寿経 (ちくま学芸文庫)

観無量寿経 (ちくま学芸文庫)

  • 発売日: 2015/01/07
  • メディア: 文庫
 

 

この極楽へ往生する方法が念仏にほかなりません。念仏には5つの紋があります。つまり礼拝、讃歎、作願、観察、廻向ですが、この中心が観察です。観察には、別相観と惣相観と雑略観の3つがあります。別相観とは阿弥陀仏の個々の相好を順次に観想すること、惣相観とは阿弥陀仏を総体的に観想すること、雑略観とは阿弥陀仏の一定の部分にかぎって観想することです。中国の浄土教において、もっとも重視された浄土経典は『観無量寿経』です。この経は、阿弥陀仏と極楽浄土が目を開けても閉じても常にありありと見える観想の行をすれば、臨終にあたって阿弥陀仏が迎えにきて、必ず極楽往生することができると教えます。源信が勧めているのはこのような観想の念仏なのです。

 

しかし、このような観想の行ができない人はどうするか。源信は「もし相好を観念するに堪えざるものあらば、或は帰命の想により、或は引摂の想により、或は往生の想により一心に称念すべし」と言います。浄土宗の祖・法然はこの一文を、源信が観想の念仏のできない人に口称の念仏を勧めていると解釈します。しかしここでいう「称念すべし」とは、もっぱら阿弥陀仏を思えという意味であり、必ずしも口称の念仏の進めとは言えません。源信の念仏はあくまで美的想像力を行使する観想の念仏とみるべきです。法然によって浄土教は易行となり、より倫理的なものになりましたが、残念ながらすぐれた造形芸術を生むことはできませんでした。それに対して、観想の念仏を説く平安浄土教は多くのすばらしい造形芸術を生み、今でも日本人の大きな誇りとなっています。

 

 

多くの人々の死の不安をやわらげた源信を私は心から偉大だと思います。拙著『ロマンティック・デス〜月を見よ、死を想え』のことを現代の『往生要集』であると言ってくださる人もいますが、不遜ながら、わたしも源信のように人々の死の不安を払拭し続ける人生を歩みたいです。現代の観想の行としての死のイメージ・トレーニングを提案し、ハートピアという極楽を表現してみたいです。そして、人生という旅が終わるとき、紫の雲に乗った仏様が迎えにくるお手伝いを多くの 紫雲閣において行いたいと思うのです。

 

坂の上の雲(一) (文春文庫)

坂の上の雲(一) (文春文庫)

 

 

以前、明治日本に生きた人々の希望を描いた司馬遼太郎の『坂の上の雲』にかけて、「坂のぼる上に仰ぐは白い雲 旅の終わりは紫の雲」という道歌を詠んだことがありますが、いつか人が亡くなっても、「不幸があった」と日本人が言わなくなる日を信じて、わたしにとっての坂の上の雲をめざしたいと思います。それにしても、本書『紫の雲』のラストは葬儀ではなく結婚式のシーンが描かれていたことに感動しました。本書は「滅亡」と「再生」の物語ですが、結婚式とはまさに再生のセレモニーなのです。いま猛威を振るっている新型コロナウイルスの感染拡大が終息した世界においても、どうか多くの結婚式が行われますように!

 

紫の雲 (ナイトランド叢書3-4)

紫の雲 (ナイトランド叢書3-4)

  • 作者:M・P・シール
  • 発売日: 2018/12/12
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

2020年7月16日 一条真也

『星を継ぐもの』

星を継ぐもの (創元SF文庫)

 

一条真也です。
緊急事態宣言の期間中、『星を継ぐもの』ジェイムズ・P・ホーガン著、池央耿訳(創元SF文庫)を読みました。
1977年に発表されたSFの名作です。ブログ『嘘と正典』で紹介した現代SFの短編集を読んだら、もっと本格的なSFの長編が読みたくなりました。そこで、ブログ『夏への扉』ブログ『タイタンの妖女』で紹介した本に続けて本書を読んだのです。アマゾンで見つけたのですが、レビューがなんと450本以上もあって驚きました。

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本書の帯

 

本書のカバー表紙には宇宙船の残骸の中を調査する2人の宇宙飛行士のイラストが描かれ、帯には「100刷突破!」と大書され、「今でもこれからも愛され続ける永遠のロングセラー」「創元SF文庫 読者投票第1位」「圧倒的な支持!」と書かれています。

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本書の帯の裏

 

扉には以下の内容紹介があります。
「月面調査隊が真紅の宇宙服をまとった死体を発見した。すぐさま地球の研究室で綿密な調査が行なわれた結果、驚くべき事実が明らかになった。死体はどの月面基地の所属でもなく、世界のいかなる人間でもない。ほとんど現代人と同じ生物であるにもかかわらず、5万年以上も前に死んでいたのだ。謎は謎を呼び、一つの疑問が解決すると、何倍もの疑問が生まれてくる。やがて木星の衛星ガニメデで地球のものではない宇宙船の残骸が発見されたが・・・・・・。ハードSFの新星ジェイムズ・P・ホーガンの話題の出世作

 

作者のホーガンは1941年、英国ロンドン生まれ。コンピュータ・セールスマンでしたが、1977年に一気に書き上げた長編『星を継ぐもの』でデビュー。同書は日本に翻訳紹介されると同時に爆発的な人気を博し、翌年の星雲賞を受賞。さらに『創世記機械』『内なる宇宙』でも同賞を受賞。『造物主(ライフメーカー)の掟』『時間泥棒』など、最新科学技術に挑戦する作品を矢つぎばやに発表し、現代ハードSFの旗手として幅広い読者を獲得。2010年没。

 

巨人たちの星 (創元SF文庫 (663-3))

巨人たちの星 (創元SF文庫 (663-3))

 
内なる宇宙〈上〉 (創元SF文庫)

内なる宇宙〈上〉 (創元SF文庫)

 

 

『星を継ぐもの』(1977)には『ガニメデの優しい巨人』(1978)、『巨人たちの星』(1981)、『内なる宇宙』(1991)という続編も生まれ、宇宙叙事詩ともいうべき壮大な物語世界を構成しています。このシリーズは星野之宣によって漫画化されており、星野作品の大ファンであるわたしは、小説に先立って、まずは漫画から読みました。『宗像教授』シリーズとはまた違った星野之宣の魅力が輝いており、素晴らしい傑作であると思いました。創元SF文庫の『星を継ぐもの』は活字が小さくて、老眼の始まったわたしには読むのが辛かったため、先に漫画を読んでストーリーを把握しておいたのが良かったのです。それでも、ハヅキルーペをかけて読みましたが・・・・・・。

 

 

『星を継ぐもの』を愛してやまないという作家の小野不由美氏は、「SFにして本格ミステリ。謎は大きいほど面白いに決まっている。」という推薦の辞を寄せていますが、たしかに「いかにスケールの大きい嘘をつくか」ということがSFの醍醐味ですので、その意味で本書はSFの最高傑作と言えるかもしれません。ヒューゴー・ガーンズバックジュール・ヴェルヌH・G・ウェルズ・・・SF作家とは人類における想像力のチャンピオンであるというのがわが持論ですが、アーサー・C・クラークの不朽の名作『2001年宇宙の旅』『地球幼年期の終わり』などとともに、本書『星を継ぐもの』こそはSFの最高の到達点ではないかと思います。



『星を継ぐもの』の物語は、月面から始まります。1969年7月16日、ニール・アームストロングマイケル・コリンズ、バズ・オルドリンの3名がケネディ宇宙センターでサターンV型ロケットに乗り込みました。「アポロ11号」です。NASAアポロ計画における5度目の有人ミッションにして、11番目の機体が、ついに人類を月に送ることに成功したのです。1972年12月、アポロ17号が史上6回目の月面着陸を果たしました。人類の英知を結集して地球以外の世界に到達し、直接その世界を探索しようという初の試みに有終の美を飾るものでした。アポロ計画以後、経済危機による財政圧迫のためにNASAの活動は規模を縮小しました。その最後の第17次アポロ計画の5年後に、この物語は発表されたのです。

ロマンティック・デス〜月と死のセレモニー

 

地球に棲むわたしたちにとって、月は謎の宝庫です。1991年10月に上梓した『ロマンティック・デス〜月と死のセレモニー』(国書刊行会)において、わたしは月の謎について詳しく書きましたが、「月の先住者」として、アポロが月に行った後も、月の裏ではどうしても何かやっているとしか考えられない人々が月人工天体説を唱えたりしていると紹介しました。NASAの元職員たちもグループを組み、明らかに月には2種類の生命がかつていたという説を出しました。ひょっとしたら今でもまだいるのではないかと推測する者もいます。彼らは、月の裏や表の仔細な痕跡をコンピューターにかけて分析し、その結果、どうしても1つの起源から生まれたパターンというふうには考えられないパターンがあることを発見したといいます。つまり、大体2つの起源から出ているパターンのバリエーションが組み合わさっているというのだ。彼らは、月に何かを仕掛けて、月に何かを作った連中がいたとすれば、これは別種の知的生命がいたのであるというふうに結論を出しているのです。ジョージ・レオナードの『それでも月に何かがいる』や、ドン・ウィルソンの『月の先住者』といった本は、この奇妙な説の延長線上にありますが、SFとしての『星を継ぐもの』にも「月の先住者」説の影響を見ることができます。

 

 

2020年の現在、月の謎の多くは解明されてきました。今や月は最大の観光地にさえなりつつあります。『星を継ぐもの』にはUNSA(国連宇宙軍)が運営する月旅行についての以下の描写があり、興味深かったです。
「21世紀初頭30年の間に、月への旅客便の座席は大手の旅行代理店で予約できるようになっていた。宇宙船はUNSAの定期便が就航していたし、UNSAの将校を乗員とするチャーター便もあった。旅客宇宙船は乗心地がよく、大きな月面基地の宿泊施設も安全快適で、月旅行は多くのビジネスマンにとって海外出張とさして変わらぬ日常茶飯事であり、月旅行を一生の思い出とする観光客の数も増加の一途を辿っていた。月旅行には特別な知識や訓練はいっさい不要であった。現にあるホテル・チェーンと国際線を持つ航空会社、パッケージ旅行斡旋業者、それに、ある土木工事会社から成る企業連合は月面にホリデー・リゾートを建設中であり、早くも次のシーズンの予約で満員となっている」
こういった未来の社会風景を覗き見するのも、SFを読む大きな楽しみの1つです。現在の人類は新型コロナウイルスに翻弄されている最中ですが、感染拡大が終息すれば、再び月旅行が話題になるでしょう。


創元SF文庫の『星を継ぐもの』のカバー裏表紙には「月面で発見された深紅の宇宙服をまとった死体。だが綿密な調査の結果、驚くべき事実が判明する。死体はどの月面基地の所属でもないだけでなく、この世界の住人でさえなかった。彼は5万年前に死亡していたのだ!」と書かれています。その死体は「チャーリー」と名付けられますが、どう見ても人類としか考えられません。しかし、人類が月に行けるようになったのはほんの数十年前の話です。それ以前に月に行ける高度な文明が存在したのか。だとすれば、なぜ、その痕跡が地球上に全く残っていないのか。チャーリーが地球外の別の星からやってきた宇宙人だとしたら、なぜ、彼の姿は人類そのままなのか。謎は深まる一方ですが、主人公である物理学者のヴィクター・ハントと生物学者のダンチェッカーたちは「チャーリーは何者か?」という疑問に挑みます。

 

 

本書の「解説」で、SF作家の鏡明氏は「月面で、深紅の宇宙服を着こんだ死体が発見される。それは人類が生まれる以前から、そこにあったのだ。はたして、何者なのか、その死体は」と書き、さらに以下のように述べています。
「すでに使い古されたアィディアかもしれない。エドモンド・ハミルトンの『虚空の遺産』、アルジス・バドリスの『無頼の月』、あの『2001年宇宙の旅』といった作品も、それと似たアィディアからはじまる。けれども、いったいそれは何者なのか、それではじまり、その謎を解明し、それで終わる作品というのは、ほとんどない筈だ。『星を継ぐもの』は、その死体の謎の解明だけで書かれている。近未来の科学技術や知識のすべてが動員されて、その謎に迫っていくわけだ。何度も解答が提示されるたびに、逆に謎が深まっていく。ミステリ専門誌のEQMMで、レヴューが載ったというが、たしかに謎解き小説としても、よくできている」

 

邪悪なものの鎮め方

邪悪なものの鎮め方

 

 

そう、このSFの名作は基本的に「謎解き」の物語であり、探偵小説でもあるのです。思想家の内田樹氏は著書『邪悪なものの鎮め方』(文春文庫)において、探偵の仕事について鋭く分析し、次のように指摘しています。
 「探偵は一見して簡単に見える事件が、被害者と容疑者を長い宿命的な絆で結びつけていた複雑な事件であったことを明らかにする。読者たちはその鮮やかな推理からある種のカタルシスを感じる。それは探偵がそこで死んだ人が、どのようにしてこの場に至ったのかについて、長い物語を辛抱づよく語ってくれるからである。その人がこれまでどんな人生を送ってきたのか、どのような経歴を重ねてきたのか、どのような事情から、他ならぬこの場で、他ならぬこの人物と遭遇することになったのか。それを解き明かしていく作業が推理小説のクライマックスになるわけだが、これはほとんど葬送儀礼と変わらない」

ロマンティック・デス〜月を見よ、死を想え

 

「探偵の仕事は葬送儀礼と同じ」という考えには、つねに葬儀の意味を考え続けているわたしも膝を打ちました。内田氏は、さらに「死者について、その死者がなぜこの死にいたったのかということを細大漏らさず物語として再構築する。それが喪の儀礼において服喪者に求められる仕事である。私たちが古典的なタイプの殺人事件と名探偵による推理を繰り返し読んで倦まないのは、そのようにして事件が解決されるプロセスそのものが同時に死者に対する喪の儀礼として機能していることを直感しているからなのである」とも述べています。『星を継ぐもの』にはチャーリーの死体が登場しますが、その場所は月面でした。そして、その謎を解明していく作業は葬送儀礼に通じる・・・・・・まさに、「月」と「死」と「葬」について書いた『ロマンティック・デス〜月と死のセレモニー』の世界そのものではありませんか! 同書は2005年8月に『ロマンティック・デス〜月を見よ、死を想え』として幻冬舎から文庫化されましたが、『星を継ぐもの』を読みながら、わたしはずっとこの自著の内容を思い出していました。チャーリーの死の原因、そして出自を明らかにしていくことは、5万年ぶりに行われた彼の葬儀でもあったのです。

 

 

2020年7月15日 一条真也

観光について考える

一条真也です。
新型コロナウイルスの感染拡大で打撃を受けた業界支援策「GoToキャンペーン」のうち、観光分野の支援事業である「GoToトラベル」が、22日に先行して始まります。

f:id:shins2m:20200714122017j:plain産経新聞」2020年7月14日朝刊

 

14日の「産経新聞」朝刊には、「壊滅的な被害を受けている観光業界の要望もあり、8月上旬予定から前倒しの実施となった。だが、足元で感染者の拡大が止まらない首都圏や近畿圏からの旅行客が、観光地でのクラスター(感染者集団)発生につながれば、経済を優先させた政府へ批判は強まる。チグハグともとれる安倍晋三政権の決断は、大きな“賭け”ともいえる」と書かれています。

f:id:shins2m:20200714130613j:plain産経新聞」2020年7月14日朝刊

 

わたしは、「Go To トラベル」を前倒しして実施することには反対です。首都圏で「第2波の到来」が叫ばれているのに、その首都圏の人々が全国に旅行するなど狂気の沙汰だと思います。特に、米軍基地内でクラスターが発生した沖縄に大量の観光客が押し寄せることが心配でなりません。観光業界の苦境はもちろん承知していますが、各地でクラスターが多発すれば、逆に日本の観光は命脈を絶たれます。観光業界のためにも、「Go To トラベル」は前倒しどころか、実施は今年の秋以降、できれば来年にすべきです。



記事には、「経済重視 感染増と隣り合わせ」という見出しも見えます。現在、「社会と経済はどちらが優先するのか」ということが問われています。それについて、わたしの考えは、ブログ「経済よりも社会が大事!」に詳しく書きました。わたしも経営者の端くれですから、経済の重要性は誰よりもわかっているつもりです。実際、このたびの感染拡大の影響で、わが業界の冠婚部門の売上と利益は大幅にダウンしました。葬祭部門だって、参列者数が減少し続けれているので、売上も利益もダウンすることが確実です。それでも、企業の業績などよりも大切なことがあります。それは、お客様や社員のみなさんが感染しないように細心の注意を払うこと。すなわち、経済よりも社会が大事なのです。

f:id:shins2m:20200714122350j:plainネクスト・ソサエティ』(ダイヤモンド社) 

 

わたしがリスペクトしてやまない経営学ピーター・ドラッカーの遺作にして最高傑作である『ネクスト・ソサエティ』(ダイヤモンド社)のメッセージは、「経済よりも社会のほうが重大な意味を持つ」ということです。同書の冒頭で日本の読者に対して、ドラッカーは「日本では誰もが経済の話をする。だが、日本にとっての最大の問題は社会のほうである」と呼びかけています。90年代の半ばから、ドラッカーは、急激に変化しつつあるのは、経済ではなく社会のほうであることに気づいたといいます。IT革命はその要因の1つにすぎず、人口構造の変化、特に出生率の低下とそれにともなう若年人口の減少が大きな要因でした。IT革命は、世紀を越えて続いてきた流れの1つの頂点にすぎませんでしたが、若年人口の減少は、それまでの長い流れの逆転であり、前例のないものでした。その他にも、雇用の変容、製造業のジレンマ、ビジネスモデルの多様化、コーポレートガバナンスとマネジメントの変貌、起業家精神の高揚、人の主役化、金融サービス業の機器とチャンス、政府の役割の変化、NPOへの期待の増大など、さまざまな逆転現象が起こっています。それらすべての変化への対応が、今回の新型コロナウイルス感染拡大対策では求められているのです。

f:id:shins2m:20131002120305j:plainハートフル・ソサエティ』(三五館)

 

そもそも、観光業界の業績回復を目指す前に、わたしたちは観光の意味や本質について考える必要があると思います。ドラッカーの『ネクスト・ソサエティ』へのアンサーブックが2005年に上梓した拙著『ハートフル・ソサエティ』(三五館)の最終章「共感から心の共同体へ」で、わたしは観光について書きました。多くの人々が「21世紀は観光の時代である」と言いました。もともとホスピタリティが旅人へのもてなしから生まれ、発展したように、ホテルや航空機などの交通サービスを含め、観光とは人間の心に関わる巨大な概念です。観光の問題は、心の問題なのです。



観光を儀礼として捉えることもできます。事実、観光の原型の1つである巡礼は儀礼的な旅行にほかならず、日本の観光も「お伊勢まいり」や「熊野詣で」をはじめとした巡礼のフレームの中で形成されてきました。旅行とは、時間においても、空間においても、日常性から非日常性へ移行していく行為ですが、そこで旅行者は何より「いつもとは違う経験」を求めます。それは見るもの、聞くもの、食べるものとさまざまな次元にわたり、それによって「異文化」を体験するわけです。こうして、観光客は旅行によってリフレッシュする、つまり新たな存在として生まれ変わります。それゆえに、観光広告というものは「もう1人のあなたを発見するために、旅に出てみませんか」と語りかけるのです。



旅行という経験を、本物性、本来性を意味する「オーセンティシティ」の追求としてとらえる考え方があります。つまり、わたしたちは近代の疎外された世界に住んでおり、そこでは本当の自分を実現することができません。そこでもう1つの世界を求め、本当の自分をさがすために人は旅に出るというのです。そもそも住み慣れた家、あるいは田舎を捨て、都市へ出て、自己実現をはかろうとした近代人とは、実は「観光客」そのものなのです。その意味で、ツーリズムこそはグローバリズムに対抗する思想になりうるのではないでしょうか。そもそも世界中がマクドナルド化(なつかしい言葉ですが)してしまったら、観光という発想自体がありえなくなります。

 

 

「観光」とは、もともと四書五経の1つである『易経』の中の「観國之光」という言葉に由来します。「國之光」とは、その地域の「より良き文物」や「より良き礼節」と「住み良さ」をさします。すなわち観光とは、日常から離れた異なる景色、風景、街並みなどに対するまなざしなのです。どんな土地にも、固有の光り輝く魅力があります。観光とは文字通り、その光を観ることにほかなりません。世界にあふれている多彩な「光」をただそのまま「観る」こと、これこそが観光という営みなのです。そして心の社会においては、観るだけでなく、その土地の人々の心が放つ「光」を「感じる」こと、いわば「感光」が求められていくと言えるでしょう。「観る」から「感じる」へ、「観光」から「感光」へ、そして、「まなざし」から「共感」へ。ここにおいて、ツーリズムとは、グローバル化が進む21世紀を生きる私たちの「心の共同体」をつくる作業として位置づけられるはずです。そのように、わたしは『ハートフル・ソサエティ』に書きました。同書のアップデート版の『心ゆたかな社会』(現代書林)でも、まったく同じ観光論を展開しました。

f:id:shins2m:20200417153030j:plain心ゆたかな社会』(現代書林) 

 

その『心ゆたかな社会』のアマゾン・レビューに北陸の観光業者と思われる方からの感想がありました。「ふく」さんという方ですが、「今こそ光を求めて・・・」のタイトルで、以下のように書かれています。
「本書は、すべての観光を生業とする者にとってのバイブルだと思った。現在私が居住する石川県は和倉、加賀など国内でもメジャーな温泉街を有する。また日本三大庭園の兼六園、お揃いの着物を着たカップルたちがそぞろ歩く東茶屋街など。四百年以上にわたり戦禍に見舞われなかった金沢の町並みには、藩政時代から脈々と培われた伝統と文化が息づく。誇り高き加賀百万石。5年前に北陸新幹線が開通、加えて急激なインバウンド需要により観光業界は飛躍的な成長を遂げてきた。そしてコロナショック。打ち出の小槌のごとく『北陸新幹線×インバウンド需要』による明るい未来(投資)を語ってきた人たちは一瞬にして沈黙。恩恵に浴してきた業者から悲壮な叫びがこだましている。我々に未来はないのか・・・・・・」



また、「ふく」さんは以下のようにも書かれています。
「観光とは何か。未来への『光』がみえない中、観光業界に携わる一個人として『光』を求めて、すがる思いで本書を手にした『観光とは、日常から離れた異なる景色、風景、街並みなどに対するまなざしにほかならない。どんな土地にも、その土地なりの光り輝く魅力がある。そして、観光とは文字通り、その光を観ることなのである』『世界にあふれている多彩な「光」を「感じること」、いわば「感光」が求められていくと言えよう』『「観る」から「感じる」へ、「観光」から「感光」へ、そして「まなざし」から「共感」へ』『ツーリズムとはグローバル化が進む21世紀を生きるわたしたちの「心の共同体」をつくる作業として位置づけられるはずだ』と、ポストコロナには心ゆたかな思想が必要だと喝破する。本書の帯にあるワード『コロナからココロへ』がこころに染みる。観光業界に携わる我々に必要なフィロソフィーがここにはある。未来をみつめて志高き哲学(光)を求めていきたい。誇り高き国で、誇り高き都市で、誇り高き町で、光を放とう」



この「ふく」さんのレビューには大変感銘を受けましたが、その「感じる」「感光」「共感」を実現するためにも、感染拡大のリスクの高い「Go To トラベル」の前倒しは考え直すべきでしょう。「一度決めたことだから、予定通りやる」というのはお役所発想であり、現在のような非常事態にはふさわしくありません。もっと、状況の変化に合わせて臨機応変にやるべきです。第一、感染の不安を抱えたまま旅をしたところで、旅行者は少しも楽しくないではないですか!
たとえ、「Go To トラベル」の時期は後になろうとも、観光という営みは不滅ですので、日本人は必ず旅を続けることと思います。でも、日本の観光業界も、悪いことは言いませんから、海外からのインバウンド観光客に頼ることだけは、もう期待しない方がいいでしょうね。

 

心ゆたかな社会 「ハートフル・ソサエティ」とは何か
 

 

2020年7月14日 一条真也

「リトル・ママ」に『心ゆたかな社会』が紹介されました

一条真也です。
朝日新聞社系の「ママと子どもの明日を応援!!」するフリーペーパー「月刊リトル・ママ」の2020年8月号に、拙著『心ゆたかな社会』(現代書林)が紹介されました。

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「リトル・ママ」2020年8月号

 

「話題の新刊紹介」として、以下のように紹介されています。
「本紙で『はじめての論語』を寄稿いただいている一条真也さんの100冊目の著書が発売されました。同書は新型コロナウイルスが収束した後に、世の中がどうなるかを描き、思いやりにあふれた『心の社会』の到来を予見しています。一条さんは『これからの社会は全ての人が幸福を目指して思いやり、感謝、癒し、共感などが価値を持つハートフル・ソサエティを目的とするべきだと考え、サブタイトルにしたためました。心を失った「ハートレス・ソサエティ」から「ハートフル・ソサエティ」に進路変更し、心ゆたかな社会を実現する必要があります』と話されています。コロナからココロへ。全国の書店・ネット書店で好評発売中です」
1人でも多くのママさんに読んでいただきたいです。

 

心ゆたかな社会 「ハートフル・ソサエティ」とは何か
 

 

2020年7月14日 一条真也 

仲よくない人の忠告こそ大事

一条真也です。
「月刊リトル・ママ」2020年8月号が刊行されました。朝日新聞社系の「ママと子どもの明日を応援!!」するフリーペーパーで、各幼稚園などに配布されますが、コロナ禍で3ヵ月ぶりの刊行となります。わたしは同紙で「一条真也のはじめての論語」というコラムを連載しています。拙著『はじめての「論語」 しあわせに生きる知恵』(三冬社)の内容をベースに、毎月、『論語』の言葉を紹介していきます。

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「リトル・ママ」2020年8月号 

 

第6回目は「子曰く、君子は言を以て人を挙げず、人を以て言を廃せず」という言葉を紹介しました。だれかがあなたに忠告をしてくれたとします。そのとき、相手が人気のある人、みんなに好かれている人だったら、よろこんで聞くでしょう。でも、ちょっと評判の悪い人、自分でも気に入らない人だったら、なんとなく聞き流したりしていないでしょうか。

 

孔子さまはむしろ、つまらないと思う人が言ってくれた忠告こそよく聞きなさいというのです。そういうなかにこそ、「ああ、そうだよね」という真実がつまっているかもしれないのです。というのは、人気がある人や、あなたと仲がいい人は、「あなたに悪く思われたくない」という気持ちから、正直にいわないでごまかしてしまうかもしれないからです。でも、あまり仲よくない人は、そんなこと関係ないので、ズバリと言ってくれることが多いのです。

 

言葉は、そのなかみをよく考え、その人柄と、言葉を切り離して考えなければいけません。仲がよくない相手なら、いつも忠告してくれるわけではないでしょうが、「めったにない忠告」だからこそ、とても大事な意味がこめられているのです。

 

はじめての「論語」 しあわせに生きる知恵

はじめての「論語」 しあわせに生きる知恵

  • 作者:一条真也
  • 発売日: 2017/07/07
  • メディア: 単行本
 

 

2020年7月14日 一条真也

一条本100冊祝い&映画を語る夕べ

一条真也です。
13日の夜、じつに久々に松柏園ホテルで会食をしました。メンバーは、「出版寅さん」こと出版プロデューサーの内海準二氏、ブログ「映画監督、来る!」で紹介した映画監督の雑賀俊朗氏とプロデューサーの藤田修氏、そして小生です。

f:id:shins2m:20200713175035j:plain松柏園ホテル のロビーで内海さんと

f:id:shins2m:20200713175652j:plain記念すべき100冊目の『心ゆたかな社会』を持って

 

まずは内海さんと感動の再会を果たしました。内海さんにプロデュースしていただいた2冊、「一条本」の99冊目である『死を乗り越える名言ガイド』(現代書林)および100冊目である『心ゆたかな社会』(現代書林)が刊行されて初めて会いました。コロナ禍のために、ずっと会えなかったわたしたちは久々の再会を喜び合いました。

f:id:shins2m:20200713180803j:plain一条本100冊を祝ってカンパイ! 

 

少し遅れて雑賀監督と藤田プロデューサーが来られ、わたしたちは松柏園の茶室「松露庵」で合流しました。まずは、シャンパンで「一条本」100冊のお祝いをしていただきました。乾杯は実際にグラスを合わせず、エアで行いました。雑賀監督と藤田プロデューサーは、拙著『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)を読まれたそうで、ありがたいことに同書を絶賛して下さいました。同書のプロデュースおよび編集も、内海さんによるものです。内海さんは希代の映画通でもありますが、わたしたち4人は酒を飲みながら大いに映画について語り合いました。もちろん、ソーシャル・ディスタンスをしっかりと守って、大声を出さないように気をつけながら・・・・・・。

f:id:shins2m:20200713190204j:plain和牛ステーキ 野菜一式

f:id:shins2m:20200713191459j:plain河豚白子天ぷら 野菜一式

f:id:shins2m:20200713193158j:plain
蟹御飯 香の物

 

ブログ「カノン」で紹介した映画に主演した佐々木希さんの近況をはじめ、有村架純さんや広瀬すずさんといった人気女優の実力、雑賀監督が北九州市で撮影する新作映画のキャスティング、藤田プロデューサーが好きな昭和のプロレスラー(特に、アントニオ猪木ジャンボ鶴田)、雑賀監督がリスペクトしているというスタンリー・キューブリックやジャン・リュック・ゴダール黒澤明といった映画監督の作品について、ついにはヤバい俳優の噂など・・・・・・じつに、さまざまな話題で盛り上がりました。久々に食した松柏園の料理も美味しかったです。最後の〆の蟹御飯は全員がおかわりしました。みなさん、大変満足して下さいました。

 

2020年7月13日 一条真也