経済よりも社会が大事!

一条真也です。
新型コロナウイルスの感染拡大による緊急事態宣言を受けて、休業業種の選別が国と東京都の間で協議されています。
「今頃、議論してどうする?」という声も大きいようです。
しかし、それぞれの業種にとっては深刻な問題でしょう。

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産経新聞」2020年4月10日朝刊 

 

幸いなことに、わが「冠婚葬祭業」は「緊急事態宣言時に事業の継続が求められる事業」にリストアアップされました。わたしは日頃から、冠婚葬祭業は「こころのインフラ」産業であり、「社会のインフラ」産業でもあると考えていましたが、それが間違っていなかったことが証明されたように思います。身の引き締まる思いで、わが社も社員一同、心からのサービスに努める所存であります。

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日本経済新聞」2020年4月9日朝刊 

 

広範囲の休業を想定する東京都に対して、国は経済が急速に収縮することを懸念し、意見が一致しないようです。わたしから見ても、「この業種は休業すべきではないか」というものもあるのですが、これほど業種の意義や重要性が問われたのは、初めてのことではないでしょうか。例の民主党の「事業仕分け」や東日本大震災発生直後よりも、さらに「この仕事は必要か?」ということが問われているように思います。もちろん、教育のように社会に必要なことが明白であるにも関わらず、感染拡大を防ぐために大学から幼稚園までの教育機関が休業するケースなどもありますが・・・・・・。

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ヤフー・ニュースより 

 

それにしても、国はどうして広範囲の休業に消極的なのか? このままで、新型コロナウイルスの感染拡大を本当に封じ込められるのか? 小池都知事の意見のほうが正論ではないのか・・・・・・そんな疑問が次々に湧いてきますが、「PRESIDENT Online」が10日9時15分に配信した「『遅すぎる緊急事態宣言・・・』一番恐ろしいのはコロナじゃなくて安倍晋三」という記事では、政経ジャーナリストの麹町文子氏が、「安倍政権が緊急事態宣言の発令を躊躇した理由の1つは、日本経済への打撃だ。感染拡大地域は人口や企業が集まる東京都や大阪府、福岡県など大都市であり、対象となった7都府県の国内総生産(GDP)は日本全体の半分近い約260兆円に上る。麻生太郎財務相が率いる財務省経済産業省などの慎重論は強く、そこには政権に近い民間企業からの悲鳴も加わった。2012年末に政権奪還を果たし、円安・株高を誘引するアベノミクスで景気を浮揚させてきた安倍政権の果実が今回の事態で吹き飛んでしまうのではないか――。そう逡巡した政権中枢の慎重論は4月に入るまで根強かった。与野党から要望が相次いだ経済的打撃を受けている事業者への『補償』についても、政府内では『そんなことをしたら大変になる。絶対にダメだ』と冷淡だった」と述べています。

f:id:shins2m:20200410145551j:plain「読売新聞」2020年4月10日朝刊 

 

いま、「社会と経済はどちらが優先するのか」ということが問われているように思います。もちろん、わたしも経営者の端くれですから、経済の重要性は誰よりもわかっているつもりです。実際、このたびの感染拡大の影響で、わが社の冠婚部門の売上と利益は大幅にダウンすることが確実です。葬祭部門だって、このまま参列者数が減少し続ければ、売上も利益もダウンすることが想定されます。それでも、企業の業績などよりも大切なことがあると思います。それは、わが社のお客様や社員のみなさんが感染しないように細心の注意を払うこと。すなわち、経済よりも社会が大事なのです。
ですから、わたしは、国は経済的打撃を受けている事業者への「補償」も行うべきであると考えています。

f:id:shins2m:20200410141404j:plainネクスト・ソサエティ』(ダイヤモンド社

 

昨夜、わたしがリスペクトしてやまない経営学ピーター・ドラッカーの遺作にして最高傑作である『ネクスト・ソサエティ』(ダイヤモンド社)を再読しました。同書のメッセージは、「経済よりも社会のほうが重大な意味を持つ」ということです。同書の冒頭で日本の読者に対して、ドラッカーは「日本では誰もが経済の話をする。だが、日本にとっての最大の問題は社会のほうである」と呼びかけています。90年代の半ばから、ドラッカーは、急激に変化しつつあるのは、経済ではなく社会のほうであることに気づいたといいます。IT革命はその要因の1つにすぎず、人口構造の変化、特に出生率の低下とそれにともなう若年人口の減少が大きな要因でした。IT革命は、世紀を越えて続いてきた流れの1つの頂点にすぎませんでしたが、若年人口の減少は、それまでの長い流れの逆転であり、前例のないものでした。その他にも、雇用の変容、製造業のジレンマ、ビジネスモデルの多様化、コーポレートガバナンスとマネジメントの変貌、起業家精神の高揚、人の主役化、金融サービス業の機器とチャンス、政府の役割の変化、NPOへの期待の増大など、さまざまな逆転現象が起こっています。それらすべての変化への対応が、今回の緊急事態宣言では求められているのです。

ハートフル・ソサエティ』(三五館)

 

2001年10月、わたしは株式会社サンレーの社長に就任しましたが、その頃、数多く翻訳出版されていたドラッカーの著書をすべて読みました。中でも遺作となった『ネクスト・ソサエティ』のインパクトの大きさは想像を絶するものでした。当時のわたしは21世紀の社会像について漠然と考えていました。そんなときに読んだネクスト・ソサエティ』はドラッカーからわたし個人へ送られた問題集ではないかと思えてなりませんでした。「あなたなら、ネクスト・ソサエティとはどのような社会であると考えるか」という質問がそこに書かれていると思い込んだのです。わたしは、その質問に対する提出レポートとしてのアンサーブックを書きたいと思うようになりました。そして、一気に『ハートフル・ソサエティ』を書き上げたのです。本書で、わたしは、ネクスト・ソサエティとはハートフル・ソサエティであると結論づけました。すなわち、心ゆたかな社会、思いやりにあふれた社会です。人間の「心」というものが最大の価値を持つ社会です。

ネクスト・ソサエティ』→『ハートフル・ソサエティ

 

それから15年の時が過ぎ、『ハートフル・ソサエティ』を大幅に加筆したアップデート版として、わたしは『心ゆたかな社会』(現代書林)をもうすぐ上梓します。もともとは『ハートフル・ソサエティ2020』という書名を考えていたのですが、内閣府が発表した「Society5.0」の本質と可能性を探り、ポスト・パンデミック時代の社会ビジョンについて書きました。グリーフケア、セレモニー、ホスピタリティ、マインドフルネスなどのキーワードを駆使して、来るべき「心の社会」を予見し、さらには「心ゆたかな社会」のビジョンを描き出します。『心ゆたかな社会』は100冊目の一条本」となります。ポスト・コロナ社会を考えるためにも、どうか、ご一読下さいますよう、お願いいたします。

f:id:shins2m:20200417153026j:plain『心ゆたかな社会』(現代書林) 

 

2020年4月10日 一条真也拝