一条真也です。
金沢に来ています。5日の早朝、金沢駅前の定宿で目を覚ましました。激しい雨の音で目覚めたのですが、午前6時の段階で気温25度でした。全国的に線状降水帯の予報が出ていますが、8時半ぐらいには雨は上がりました。
今朝の金沢駅前のようす
今朝の「北國新聞」より
ホテルの客室に届いていた「北國新聞」を開くと、三面記事に「『大観音』再び標的」「ユートピア加賀の郷跡」という大きな見出しが躍っていて驚きました。巨大な観音像が建つ加賀市の「ユートピア加賀の郷」の跡地内にある寺院に侵入し、屋根の銅板1塊を盗んだとして、大聖寺署は4日までに同市内の男2人を逮捕したそうです。能登半島地震後に閉鎖された施設では、5月に外国籍の男3人が侵入し、仏像などを盗もうとした事件が発生したばかりでした。かつて地域の観光資源だった「大観音」は、いまや犯罪を呼び込む場所となり、周辺住民の悩みの種となっているという内容の記事でした。ブログ「加賀大観音像の中へ!」で紹介したように、わが社は3年前にこの観音像の経営支援を依頼されたことがありましたが、宗教哲学者の鎌田東二先生とわが社の東孝則専務(当時)が「これを引き受けたら、サンレーにとって大きな負担になる」と大反対したことを思い出しました。あのとき引き受けていたら大変なことになっていたと、つくづく思います。これは行政、ずばり、石川県の馳浩知事が何とかしないと!
金沢名物の野菜ラーメンを食べました
朝食後は北陸総合朝礼に参加します。それで今朝はガツンと食べてガッツを注入しようと思い、金沢カレーのミニを食べようと思いました。ご存知のように、金沢カレーにはキャベツとともにカツが入っています。朝からカツを食べて、「負けてもカツ! 何が何でもカツ!!」と意気込んだのですが、なんとホテルの朝食メニューから金沢カレーが消えていました。それで、代わりに新メニューの野菜ラーメン(ミニ)を食べました。味噌味で美味でした!
会場に入りました
さあ、総合朝礼の始まりです!
最初は、もちろん一同礼!
「かたち」が揃えば「こころ」も揃う!
10時30分から金沢紫雲閣で、サンレー北陸の総合朝礼を行いました。今日はクールビズ・スタイルです。わたしもダークスーツにノーネクタイ、白のボタンダウンシャツの装いでした。小洒落爺としてポケットチーフだけは忘れませんでしたが・・・・・・。
全員で社歌を斉唱♬
「経営理念」および「S2M宣言」の唱和
まず、総務課の上本さんによる「開会の辞」に続いて全員で国旗・社旗拝礼の後に社歌をマスク越しに斉唱しました。それから営業推進部第二ブロックの上川ブロック長によって「経営理念」および「S2M宣言」を唱和しました。コロナ禍の最中の頃に比べると、だいぶん大きな声が出てきました。良いことです。
社長講話で登壇しました
今朝の「北國新聞」の記事を紹介
社長講話の時間となり、わたしが登壇しました。まず、わたしは「おはようございます!」と挨拶をしてから、「毎日、本当に暑いですね。くれぐれも熱中症には気をつけて下さい」と述べました。それから以下のような話をしました。8月は「死者を想う月」でした。4日には小倉の「リメンバー・フェス、佐久間名誉会長を偲ぶ会、初盆がありました。加えて、6日の「広島原爆の日」、9日の「長崎原爆の日」には現地で祈りを捧げました。15日の「終戦の日」も靖国神社を参拝したかったのですが、名誉会長の初盆と重なったため諦めました。戦没者の鎮魂も大切ですが、親の供養はもっと大切だからです」と述べました。
今年は戦後80年の大きな節目
今年は、戦後80年という大きな節目です。日本人だけで310万人もの方々が亡くなられた、あの悪夢のような戦争を直接体験した世代も少なくなりつつあります。いくら新型コロナウイルスの感染拡大の被害が大きかったと騒いでみても、戦争のほうがずっと悲惨です。現在も、世界では戦争が続いています。戦後60年の22005年8月15日、わたしは「ひめゆりよ 知覧ヒロシマナガサキよ 手と手あはせて 祈る八月」という道歌を詠みました。
巨大な物語の集合体について
先の大戦について強く思うことは、あれは「巨大な物語の集合体」であったということです。真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦、ゼロ戦、ビルマ戦線、神風特別攻撃隊、回天、硫黄島の戦い、東京大空襲、戦艦大和、ひめゆり部隊、木の上の軍隊、沖縄戦、広島原爆、長崎原爆、満州侵攻、ポツダム宣言受諾、玉音放送‥‥‥挙げていけばキリがないほど濃い物語の集積体でした。それぞれ単独でも大きな物語を形成しているのに、それというらが無数に集まった巨大な物語の集合体。それが先の大戦だったと思います。実際、あの戦争からどれだけ多くの小説、詩歌、演劇、映画、ドラマが派生していったでしょうか?
ヒストリー(歴史)が生まれるとき
熱心に聴く人びと
「物語」といっても、もちろん戦争はフィクションではありません。紛れもないリアルであり、歴史的事実です。わたしの言う「物語」とは、人間の「こころ」に影響を与えうる意味の体系のことです。人間ひとりの人生も「物語」です。そして、その集まりこそが「歴史」となります。そう、無数のヒズ・ストーリー(個人の物語)がヒストリー(歴史)を作るのです。戦争というものは、ひときわ歴史の密度を濃くします。ただでさえ濃い物語が無数に集まった集積体となるのです。「巨大な物語の集積体」といえば、神話が思い浮かびます。そう、『古事記』にしろ、『ギリシャ神話』にしろ、さまざまなエピソードが数珠つなぎに連続していく物語の集合体でした。
「終戦の日」の全面広告を紹介
いま、8月15日が「終戦の日」であることも知らない若者が増えているそうです。彼らにとって戦争など遠い過去の出来事なのでしょう。それこそ、太古の神話の世界の話なのかもしれません。わたしの好きな歌の1つに「戦争を知らない子供たち」があります。北山修が作詞し、杉田二郎が作曲し、ジローズが歌った1970年のフォークソングです。この歌は単純な反戦ソングなどでなく、もっと深い意味があるように思えます。「神話からの解放」、そして「新たな神話の創造」を宣言する歌のように思えるのです。 戦争という愚行を忘れるのはいい。でも、先人の死を忘れてはなりません。死者を忘れて生者の幸福など絶対にありえないからです。そんな想いから、終戦の日の「産経新聞」に「死者を忘れて、生者の幸福なし」の全面広告を掲載しました。
9月も死者と深く関わります
「8月は死者を想う月」と述べましたが、この9月も死者と関わりの深い月になります。まずは6日(土)に、サンレーグランドホールで「リメンバー・フェス」が開催され、「月への送魂」が行われます。この日は、昨年9月20日に逝去した佐久間進名誉会長と今年5月30日に帰幽した鎌田東二先生の御霊を光に乗せて月に送ります。13日(土)は、鎌田東二百日祭「かまたまつり」が京都府綾部の大本本部の「みろく会館」で行われ、わたしが葬儀委員長を務めます。20日(土)は、佐久間名誉会長の「一周忌法要」「墓石開眼供養」および納骨があります。じつに3週続けて、土曜日にビッグ・イベント&セレモニーが行われるのです」と述べました。
佐久間名誉会長と鎌田先生について
佐久間名誉会長と鎌田先生は國學院大學の院友であり、ともに「日本人の幸福」を追求した人生を送りましたが、わたしに最大の影響を与えてくれた二人でもあります。心して、三大行事に臨みたいと思います。今月、鎌田先生との最後の共著となる『満月交命 ムーンサルトレター』(現代書林)が刊行されます。日本を代表する宗教哲学者であり、わが魂の義兄である鎌田東二先生(Tony)と、わたしの(Shin)がWEB文通の「ムーンサルトレター」を開始したのは、2005年10月18日のことでした。それから毎月、満月が夜空に上がるたびにレターを交換し、それらは『満月交感』上下巻、『満月交遊』上下巻として水曜社から、『満月交心』として現代書林にまとめられました。そして、第181信から第244信が『満月交命』にまとめられたのです。
20年間にわたる「命」の交換!
熱心に聴く人びと
第一信から、じつに20年。正直、こんなに長く続くとは思ってもみませんでした。そのうち、この文通は永遠に続くのではないかと思うようになりました。しかし、その思いは現実のものとはなりませんでした。鎌田先生が帰幽されたからです。鎌田先生は、1951年、徳島県生まれです。わが‟魂の義兄“は、5月30日18時25分、ご自宅で奥様に見守られながら、その偉大な生涯を閉じられました。享年74。ステージ4のがん患者でありながら、八面六臂の大活躍でした。その元気な姿に驚きつつも、わたしは「どうか無理をしないで療養に専念してほしい」と思い続けてきました。
「命」を交換するということ
鎌田先生からのレターを読むたびに、わたしは「これは命の一部だ」と思えてなりませんでした。命とは使命であり、天命であり、何よりも生命です。20年ものあいだ文通が続いたということは、とりもなおさず、わたしたちが20年間生きてきたということになります。わたしたちはWEB上で言葉の交換をしながら、「明るい世直し」や「天下布礼」といった、お互いの使命や天命をレターの交換によって確認し、激励し、鼓舞し合ってきました。そして、まさに生命としての「命」の交換をしてきたように思うのです。それは、いつも真剣勝負の連続でした。
死は光源である!
「命」の輪郭をくっきりと示すものこそ「死」です。鎌田先生の遺作となった『日本人の死生観Ⅱ 霊性の個人史』の第一章「死に臨む」の「1、ステージⅣのがんになって『死を光源として即身を生きる』」では、ステージⅣのがんになってから元気になったとして、鎌田宣誓は「元気が出た。覚悟が定まり、余分なものが削がれて、スッキリしたことは確かだ。生のかたちがシンプルになり、いのちのいぶきに素直になったのだ。だから、ずいぶん楽になったし、ある意味、楽しくなった。というより、たのしいことしかしたくない」と書かれています。また鎌田先生は、「死は光である。死は光の元、すなわち、光源である。それは、くっきりと生を、いのちを照らしてくれる。自分の全体ばかりではなく、『在る』、ということの全体を照らしてくれる。なぜなら、死は自分の生と思っているもの、いのちと思っているものが『無い』ものとなる、なくなってしまう、消滅してしまうと思える事態だからである」とも述べられています。
1首目の道歌を披露しました
先人の 想ひを胸に
生くるなら 光は見えり
八十年(やそとせ)の夏
庸軒
鎌田先生には言い尽くせないほど、本当にお世話になりました。父である佐久間進の通夜・葬儀告別式、お別れの会にもご参列いただき、心ある弔辞も賜りました。火葬場にまで同行して下さり、父の骨を一緒に拾って下さいました。感謝の言葉もありません。生涯をかけて「明るい世直し」を目指した鎌田先生の志は、わたしが受け継ぐ覚悟です。鎌田東二という、こんな凄い思想家と20年以上も文通させていただいたことは、わが生涯における最大の誇りであり、人生の宝である。わたしもいずれそちらに行くので、そのときはまた文通させていただきたいと思っています」と述べてから、以下の道歌を披露しました。
2首目の道歌を披露しました
満月の 文を交はして
二十年(ふたととせ)
互いの命(めい)を
想い思はれ 庸軒
郡取締役の話を聴きました
小谷部長の話を聴きました
大谷部長の話を聴きました
山岸課長の話を聴きました
それから、北陸事業部長である郡事業部長の挨拶がありました。その情熱的なメッセージから、郡事業部長のやる気を強く感じました。その後は、営業推進部の小谷部長、葬祭事業部の大谷部長、それから退職された伊藤課長の後を受けて新たに総務課長を兼任する冠婚事業課の山岸課長が新任の挨拶をしました。どれも熱のこもったメッセージでした。特に、山岸課長には大いに期待しています!
互助会消費者アドバイザーの合格表彰
古田さんと記念撮影しました
その後、「互助会消費者アドバイザー」合格者表彰が行われました。全互協が認定する資格ですが、今回は小松加入者相談センターの古田諭史さんが合格されたので、表彰させていただきました。
「終活コーディネーター」の合格者を称える
「終活コーディネーター」の合格者と記念撮影
続いて、わたしが理事長を務める冠婚葬祭文化振興財団が認定する「終活コーディネーター」の合格者表彰を行いました。今回は、金沢加入者相談センターの中山雅智さん、小松加入者相談センターの古田諭史さん、営業推進部の田中雅人さん、七尾営業所の武内美智代さん、小松営業所の岡田正栄さんの5人が合格されました。
最後は「和のこえで!
小田課長の口上を聴く
ガンバロー✖3回
こちらも、ガンバロー✖3回
拍手の中を退場しました
サンレーに幸あれ!
それから、最後は「和のこえ」を行いました。コロナ禍の最中は手を腰に当てて「ガンバロー!」と3回唱和するウイズ・コロナ・スタイルでしたが、今日はみんなで手を繋ぐ従来のスタイルとしました。情報営業課の小田課長の音頭で「和のこえ」が行われ、全員の心が1つになりました。この後は小松空港に向かって、そこから小さな飛行機に乗って九州に帰ります。明日は「リメンバー・フェス」と「月への送魂」です。「天下布礼」に休みなし!
退出時に一礼しました
2025年9月5日 一条真也拝