鎌田東二先生とお別れに京都へ

一条真也です。
5月31日、前日に亡くなられた「魂の義兄弟」と最後のお別れをしました。30日の夜、京都大学名誉教授で宗教哲学者の鎌田東二先生の訃報に接したわたしは、翌朝、小倉から新幹線のぞみ20号で京都へ向かいました。サンレーグリーフケア推進室の市原泰人室長も一緒でした。

JR小倉駅の前で


のぞみ20号の車内で


前田日明氏の対談を読みました

 

のぞみ車内では、混乱する心を落ち着かせるために読書をしました。この日は、「KAMINOGE」160号というプロレス雑誌を読みました。今月5日に東京で対談する前田日明氏の特集号だったからです。赤い表紙には前田日明氏の顔写真が使われ、「俺たち人生をやり直す必要まったくなさすぎる。」と書かれ、背表紙には「世の中にはまた前田日明が足りない。」と書かれています。


前田氏の発言に泣けました

KAMINOGE160

KAMINOGE160

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ターザン山本氏との対談の中で、前田氏は、自身がアントニオ猪木と対立しなかったことについて、「師弟関係ってそういうことじゃん。師の影を踏まずについて行くんだよ。そして師がへたばった瞬間だけピュッと前に出るんだよね」と語っています。この言葉は実際にかけがえのない師を失ったばかりのわたしの心に響き、泣けました。

JR京都駅のホームに到着


京都駅には、ものすごい数の人が・・・・・・


タクシー乗り場には長蛇の列が・・・・・・


金沢から迎えの車が来ていました!

 

JR京都駅に着いたら、ものすごい数の人に圧倒されました。インバウンドの外国人とともに全国各地からの修学旅行生も密集して、完全にカオスです。この日が土曜日ということもあったのでしょうが、修学旅行は土日を避けて平日に行った方がいいと思います。土日だと神社仏閣も観光客が多すぎて、生徒さんたちがゆっくり視察できないからです。あまりの人の多さに、「これではタクシーも拾えない」と思いましたが、幸い、金沢からサンレー北陸の大谷賢博部長が社用車を運転して京都まで来てくれました。金沢から京都まで、3時間半かかったそうです。その車に乗って、京都市左京区の鎌田先生の御自宅へ!

鎌田先生の御自宅の前で

ご自宅で鎌田先生とお別れをしました

 

京都駅から車を走らせること、約30分。わたしたちは、鎌田先生の御自宅に到着しました。奥様に挨拶して、ベッドに横たわっている故人を拝顔しました。そのお顔はまるで即身成仏のように穏やかでした。微笑んでいるようにも見えました。わたしは、深々と拝礼し、「鎌田先生、お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。どうぞ、安らかにお休みください」と言いました。鎌田先生の御長男と奥様とお嬢ちゃんにもお会いしました。鎌田先生にとっての初孫となるお嬢ちゃんは天使のように可愛く、昨夜は旅立ったおじいちゃんのために木魚を叩いてあげたそうです。鎌田先生の穏やかな表情を見ながら、わたしは「ああ、先生の人生は幸せだったんだなあ」と思い、「鎌田先生、お見事な人生でございました!」とご遺体に語りかけました。すると、また泣けてきました。


古事記と冠婚葬祭(現代書林)

 

鎌田先生が横たわるベッド横のサイドテーブルの上には、死亡診断書と一緒に古事記岩波文庫版が置かれていました。かなり読み込んだと思われる年季の入った文庫本で、おそらく鎌田先生の座右の書だったのでしょう。それは棺に入れられる本だと思われました。わたしは、「ああ、鎌田先生は『古事記』と共に霊界に参入するのだ!」と思いました。2023年11月に、鎌田先生とわたしは古事記と冠婚葬祭(現代書林)という対談本を上梓しました。ブログ「鎌田東二先生との対談」ブログ「鎌田先生との対談2日目」で紹介したように、2023年3月8日・9日に小倉の松柏園ホテルでわたしたちは対談しましたが、そのときの内容が本書に掲載されています。わたしたちの長年の親交を総括する一冊となりました。

鎌田東二先生と

 

古事記と冠婚葬祭の冒頭に置かれた「一条真也は歌う人であり、書く人である。」を、鎌田先生は「一条真也は歌う人であり、書く人である。どちらも圧倒的なエネルギーと質量を持っている。余人の追随を許さないほどのボリュームと速度で。すっとばす。かっとばす。ぶっとばす。すごい。すさまじい。すばらしい。すえおそろしい」と書き出しておられます。まことに恐縮です。また、鎌田先生は「一条真也さんに初めてお会いしたのは、1990年の11月。以来、観世音菩薩の化身の数の『33年』が経った。この間に、一条さんは、33冊どころか、その3倍の100冊以上の本を出版した。そして、本書は115冊目となる。凄い!」と書かれています。恐縮しました。


わたしたちの共著の数々

 

さらに、鎌田先生は「なぜ、これほどの数の本を短時間で書けるのか? 単純に言うと、そのアウトプットを支えるだけのインプットをしているからである。インプットとは、読むこと、見ること、考えること。つまり、読書と観賞と思考である。本を読み、映画を観、思索する。それを毎日欠かさない。その姿は、まさしく本書の第五章でも触れた二宮尊徳の示した四徳『至誠・勤労・分度・推譲』の実践である。志を持ってまことを尽し(至誠)、心を込めてアクションをし(勤労)、自分自身の等身大のサイズを現状認識して在るべきサイズに修理固成し(分度)、いのちあるものみんなと分かち合ってシェアーし合いリレーし合う(推譲)」と述べておられます。


大いに語る鎌田先生

 

そして、鎌田先生は「一条真也が粉骨砕身して本を書き続けることは、このような四徳の実践でもある。これによって、彼が父から受け継いだ命題『礼経一致的天下布礼的世直し心直し』ができるのである。彼にとって書くことは、私的行為ではない。常に公共的行為として行なう社会発信である。世阿弥が『風姿花伝』で能とは『天下の御祈祷』と何度も強調したことを敷衍して言えば、一条真也の書き物はすべて『天下の御布礼』の道しるべであり、道直しである」と述べられるのでした。もう穴があったら入りたいくらい恐縮の至りでした。

鎌田先生のお話を拝聴しました

 

これまでにも鎌田先生とは何度も対談やトークショーやパネルディスカッションなどで御一緒してきました。最初は、わたしの対談集魂をデザインする国書刊行会)に収録されている対談が行われた1990年11月でした。そのときに初めて鎌田先生にお会いしたので、わたしたちの親交も33年になります。わたしたちは大いに意気投合し、義兄弟の契りを結びました。古事記と冠婚葬祭での対談は、三分の一世紀を共に生きてきたわたしたち魂の義兄弟の総決算となりました。


わたしたち義兄弟の総決算になりました

 

「知の巨人」である鎌田先生の肩書は「宗教哲学者・民俗学者」となっています。宗教学とは個別の宗教現象などを研究する経験主義の科学という性格を持っていますが、宗教哲学は対象そのものを捉えて、その本質を探り、抽象的な思考をするもの。「宇宙とは何か」「心とは何か」「鬼とは何か」といったテーマにも取り組む。それは、数学と天文学をミックスしたような抽象的な学問なのです。


2日目も対談しました

 

一方の民俗学ですが、特定の地域の祭であるとか習俗であるとか、徹底してローカルなテーマを扱います。この「蟻の目」ともいうべき緻密な現場主義が民俗学にはあるのです。鎌田先生は、「宗教哲学はマックスであり、民俗学はミニマムであり、わたしは両方を求めたい」と述べられました。わたしは、これはまったく経営にも通じる考えだと思います。経営には「理念」と「現場」の両方が必要だからです。「理念」だけでは地に足がつかないし、「現場」だけでは前に進めません。マックスとミニマム、鳥の目と虫の目、理想と現実・・・鎌田先生が学問で追及していることは、すべて経営者としてのわたしの課題でした! 

2日目の対談のようす

 

その意味で、わたしは「経営も学問である!」と悟りました。けっして経営学のことではない。経営という行為そのものが学問なのです。鎌田先生は現在、ステージ4のガン患者です。ご病気のことはご本人から知らされていました。酒も煙草もやらず、比叡山への登頂を繰り返す先生の生き方を知っていたので非常に驚きましたが、その後も日本全国を飛び回る精力的な活動を続けておられ、勇気を与えられています。古事記と冠婚葬祭に収められた2日にわたる対談は、じつに多様なテーマで自由自在、縦横無尽に思考を巡らせ、言葉を紡いできました。


別れ際、固い握手を交わしました

 

対談しているうちに、わたしは「はるか昔にも、わたしたちは語り合ったことがある。それも何世代にも渡って・・・」という不思議な既視感をおぼえました。わたしたちが「魂の義兄弟」なら、その縁は過去からずっと何度かの転生を経て続いてきたものかもしれません。そして、それは未来へも続いていくのだと信じています。本書の最後に、わたしは「いにしへの記憶とともに 語り合ふ 神話と儀礼 未来への道」という道歌を披露しました。

中外日報」WEB版より

 

鎌田先生は、わたしにとっての最大にして最高の理解者でした。そんな方を失った今、わたしは巨大な喪失感とグリーフに包まれています。鎌田東二のいない世界が信じられません。しかし、共に「明るい世直し」を誓い合ったわたしは、悲しんでばかりはいられません。魂の義兄弟の志を受け継いで、残りの人生を賭けて挑戦するのみです。そして、いつかわたしがあの世に行ったとき、鎌田先生から「本当によく頑張ったね!」と言っていただきたいです。

f:id:shins2m:20211001182943j:plain日本経済新聞」2013年10月18日朝刊

 

わたしとの往復書簡集であるムーンサルトレター20周年の書籍化である『満月交命~ムーンサルトレター』(現代書林)は結果的に鎌田先生の遺作となりますが、わたしが責任をもって「かまたまつり」の日までには刊行します。また、次回作『死者とともに生きる』産経新聞出版)の巻頭に、鎌田先生への献辞を記させていただきます。明日の6月2日の朝、小倉紫雲閣の大ホールでサンレー本社の総合朝礼が開かれますが、そこで鎌田先生が作詞・作曲された社歌「永遠からの贈り物」を社員全員で斉唱し、鎌田先生のご帰幽を悼んでの黙祷を捧げたいと思っています。

 

 

2025年6月1日 一条真也