春彼岸法要 

一条真也です。
19日の夜遅く、東京から北九州に戻りました。「春分の日」となる20日は彼岸の中日。わたしは、菩提寺である広寿山福聚寺で行われた「春彼岸法要」に参加しました。

広寿山福聚寺

広寿山福聚寺の前で

広寿山福聚寺の由来

広寿山福聚寺のようす


広寿山福聚寺は黄檗宗の寺院で、1665年(寛文5年)に小倉藩小笠原初代藩主忠真が菩提寺として建てたものです。1866年(慶応2年)の長州藩との戦いの時、1802年(亨和2年)に再建された寺に、自ら火をつけましたが、本堂や入り口の門、鐘つき堂などは焼けず、当時のまま残されています。境内には、小笠原忠真の墓をはじめ小笠原氏とゆかりのある人々の墓があります。また、寺の建物は、福岡県の文化財に指定されています。

本堂の前で


本堂の内部のようす


天井には古い龍の絵が・・・

本堂の中で

 

春彼岸法要は、福聚寺の本堂で13時から執り行われました。パイプ椅子に座ったわたしたち家族は、昨年9月20日に亡くなった父の冥福を祈りました。それにしても、亡くなってからジャスト半年後が「春分の日」であることに御縁を感じました。冠婚葬祭も仏事も数字と密接な関わりがありますが、ちゃんと数字を合わせてくる父は大したものだと感心しました。死してなお、ミスター冠婚葬祭!


最初に法話を行う髙渕副住職

春彼岸法要のようす


合掌しました
決定版 年中行事入門』(PHP研究所)

 

拙著決定版 年中行事入門(PHP研究所)にも書きましたが、春分の日は昼夜の長さが同じで、太陽が真西に沈みます。仏教では西方遥か彼方にある極楽浄土にちなみ、この日に仏事をおこなうようになりました。分の日をはさんだ前後3日ずつの7日間のことを指します。最初の日を「彼岸入り」。春分の日を「彼岸の中日」。最後の日を「彼岸明け」。彼岸とは向こう岸。死者が成仏して住む西方の極楽浄土のことを意味します。此岸とは、わたしたちが生きている煩悩に満ちた現世のことです。彼岸の意味するところは、一切の悩みや煩悩を捨て去り悟りの境地に達することです。仏教思想と日本古来の祖先信仰が合わさり、お彼岸行事が生れました。


春彼岸法要のようす


大般若経を転読する黒田住職


大般若経を転読する僧侶たち

リメンバー・フェス』(オリーブの木

 

また、拙著リメンバー・フェスオリーブの木)にも書きましたが、彼岸は、春分秋分を中日とし、前後各3日を合わせた各7日間(1年で計14日間)のことです。この期間におこなう仏事を、「彼岸会(ひがんえ)」と呼びます。最初の日を「彼岸の入り」、最後の日を「彼岸明け」(あるいは地方によっては「はしりくち」)と呼び、俗に、中日に先祖に感謝し、残る6日は、悟りの境地に達するのに必要な6つの徳目「六波羅蜜(ろくはらみつ)」を1日に1つずつ修める日とされています。彼岸とは文字通り、先祖を供養する日なのです。日本にはよく宗教がないという言われ方をしますが、そうではありません。「先祖供養」という考え方があり、それに対し、神道や仏教、さらには儒教を取り込んで儀式を完成させてきました。その形がお彼岸に集約されています。


天寿国の父を想いました


大般若転読法要のようす

黒田住職による大般若転読法要のようす

仏と冠婚葬祭』(現代書林)

 

福聚寺の御住職には、最新刊仏と冠婚葬祭(現代書林)をお渡しいたしました。4月4日発売の本ですが、18日に見本が出たのです。芥川賞作家で臨済宗僧侶の玄侑宗久先生との対談本ですが、福島にある玄侑先生の臨済宗のお寺も「福聚寺」というのです。それで広寿山福聚寺の御住職が早く同書を読みたいと言って下さっていました。本をお渡しすると、御住職はたいへん喜んで下さいました。お寺の名前が同じというのも奇遇というか、ありがたい御縁ですね。やはり、この世は「有縁社会」です!


父の霊前にも『仏と冠婚葬祭』を捧げました


父も喜んでくれているでしょう

 

2025年3月20日  一条真也