「愛の讃歌」

一条真也です。パリ五輪の開会式のフィナーレでセリーヌ・ディオンエッフェル塔から歌った愛の讃歌には非常に感動しました。カナダ人である彼女がフランス語で熱唱したのも素晴らしかったですが、筋肉がこわばるスティッフパーソン症候群の闘病中とは思えない圧巻のパフォーマンには世界中の人々が魂を揺さぶられました。


愛の讃歌」を熱唱するセリーヌ・ディオン

 

NBCテレビで開会式のコメンテーターを務めていたケリー・クラークソンセリーヌ・ディオンを「声のアスリート」と呼びましたが、わたしは「平和の女神」のように思いました。エッフェル塔の上から、白く光り輝く女神が「人類よ、戦争を止めなさい。そして、愛し合いなさい!」と訴えているようでした。「愛の賛歌」は、フランスを代表するシャンソン歌手であったエディット・ピアフの代表作であり、彼女自身が作詞しています。7月26日の夜、セリーヌ・ディオンが「愛の讃歌」を歌ったとき、近くにピアフがいたように思えてなりません。

 

愛の讃歌」の歌詞は1947年10月、ピアフがアメリカ初公演時に出会い、恋の相手であったプロボクサー、マルセル・セルダンが1949年10月28日に飛行機事故で亡くなったのを悼んで作られたと言われてきました。しかし、(わたしも今日知って驚いているのですが)、セルダンの生前に書かれたものであることが判明しているそうです。2人は相思相愛で誰もが知る仲ではありましたが、妻子を持つセルダンとの恋愛に終止符を打つために書いたものだと考えられているというのです。ちなみに、レコーディングは1950年5月2日ですので、亡きセルダンへの想いも当然あったと思います。

 

わたしは歌にはグリーフケア(悲嘆からの回復)の力があると思っています。歌うこと、そして歌を聴くこと。人間にとってこれはごく自然な行為ですが、それによって人は悲しみを乗り越えられるのではないでしょうか。セルダンの突然の死により深い悲嘆にくれた彼女はこの歌を歌うことで、少しづつ立ち直っていったのでしょう。そう、「愛の讃歌」こそはザ・グリーフケアソングだったのです。ピアフは48歳という若さでこの世を去ります。彼女の葬式には4万人もの人が集まりました。パリ中の商店が彼女に弔意を表して店を閉めたといわれています。葬儀の最中には、パリ市内の交通が全面ストップしたそうです。今回のパリ五輪開幕直前に発生したようなテロではなく、葬儀で交通がストップしたところが凄いですね!

 

愛の讃歌」は人気を集め、ピアフの後も幾度も別の歌手に歌われました。ピアフのトリビュート・アルバムでは、カナダのロック歌手コリー・ハートが歌唱しており、ケベックでは歌手ニコール・マルタンが1976年にアルバムの表題曲にしてヒットしました。米国の歌手ジョシュ・グローバンもフランス語歌詞で本作歌っています。日本では岩谷時子の訳詞(日本語詞)により越路吹雪が唄ったものが特に有名です。越路版の「愛の讃歌」が収録されているCDなどの売上はトータルで200万枚以上に達し、越路の代表曲の1つとなり、生涯の持ち歌にもなりました。わたしも以前、よくカラオケで歌いました♪


わがカラオケ愛唱歌です♪


いつも歌い上げてしまいます♪

 

この岩谷時子の訳詞は、後には本田美奈子.がアルバムで取り上げた他、桑田佳祐日本生命のテレビの中でアカペラで歌唱するなど、数多くの歌手が歌っています。岩谷詞は原詞にある「愛のためなら宝物を盗んだり自分の国や友達を見捨てることも厭わない」という背徳的な内容とは異なったものとなっています。しかし、岩谷が甘い歌詞で日本人向けに大胆に訳したことで結婚披露宴などでも歌われ、日本でも本作が広く親しまれるようになりました。最後にオリンピックが「平和の祭典」なら、結婚式とは「最高の平和」を祝福するセレモニーだと訴えたいです!

 

2024年7月28日  一条真也