パリ五輪の開会式に思う

讃歌一条真也です。
7月26日、パリで夏季オリンピックが開幕しましたね。パリでの五輪開催は100年ぶり3度目で、200超の国・地域と難民選手団の約1万1千人が参加します。開会式はセーヌ川で行われ、17日間の大会が開幕しました。

 

夏季五輪史上初めて競技場外で行われた開会式は、観客席は満員。セーヌ川沿いに約30万人が詰めかけました。人気アーティストのレディ・ガガ、アヤ・ナカムラの登場や趣向を凝らした演出が繰り広げられました。地域一帯が大きな歓声に包まれて、華やかに迎えられた。チケットは五輪史上最多となる870万枚が販売され、米国など国外からも多くの観客が訪れる見込みです。久しぶりの通常開催の五輪となります。21年東京五輪、22年北京五輪はコロナ禍のため、観客など大きな制限があった中での大会でした。東京五輪では無観客で各国関係者とボランティアしかいない中で、選手らは行進。五輪とは思えない寂しい光景が広がったことが記憶に新しいですね。

ヤフーニュースより

 

日本のSNSでは3年前とは対照的な五輪の姿に「東京五輪も有観客で見たかった」、「東京五輪ははずれクジ引いたよ 20年にできていたら予定通りのメンツが演出した、盛大な、満員の観客を入れての開会式がみれたのに」、「マスク着用のアスリートと無観客って悲しすぎた大会だったな」と、3年前を思い返し、無念さを嘆く声が上がったようです。しかし、タイミングの悪いことに、この日のパリは激しい大雨に見舞われました。また開会式が4時間屋外というのは選手たちが気の毒でしたね。セレモニーが無駄に長いのは最悪です。時間を短縮して、もっと選手入場にスポットを当てるべきだったと思います。

 

演出盛りだくさんの開会式でしたが、わたしの評価は高くありません。まず、冒頭の映像で、ジダンが灯火されたトーチを持って地下鉄に乗り込む演出はアウトだと思いました。だって、乗り物しかも地下鉄に火を持ち込んではダメではないですか。しかも、フランスの高速鉄道TGVの3つの路線で放火があった直後なのに、非常に違和感をおぼえました。その後、ジーコから渡された聖火を持った走者がルーブル美術館などの屋内を走り抜けるシーンも、「おいおい、それはダメだろう」と思いました。要するにリアリティがないのです。「非日常」を演出したかったのかもしれませんが、聖火といえども火は火です。「非日常」というより「非常識」のイメージの方が強かったです。

 

選手団がセーヌ川で船上パレードを行う演出も良くなかったです。歌舞伎の船乗り込みじゃあるまいし、いたずらに時間がかかるだけでしょう? あと、気になったのは、出場選手が多いアメリカやフランスは豪華客船なのに、4か国で1つの船に同乗したり、ブータンは小さいモーターボートだったりと、あまりにも格差があったことです。これは「差別の見える化」と言ってもよいのではないでしょうか。人数が違うからというのは理由にはなりません。五輪とは「平和」の祭典であり、フランスとは「自由・平等・博愛」の国なのですから、まことに残念でした。さらには、川沿いに密集する建物がテロリストに使われる危険性がありました。船まで50メートルもない場所に窓が80以上ある建物もあり、すべての窓をスナイパーが監視していたそうです。でも、実際にスナイパーがテロリストを射殺したりしたら最悪ではないですか。やはり、通常スタイルで競技場内での入場行進にすべきだったと思います。

 

セレモニーの尺が長いと、いろいろと不手際も起こります。悪天候の中での開会式では、予期せぬトラブルが発生し、会場のファンを落胆させました。英大衆紙ザ・サン」は、「パリ2024オリンピックの開会式、突然の大雨で大型ビジョンが映らなくなるという技術的なミスを犯す」と題した記事を掲載。「1億ポンド(約200億円)もかけた開会式が始まって1時間後、大きなトラブルが起きた」と報じています。巨大スクリーンでは、選手団がセーヌ川で船上パレードに参加する様子が映し出されていました。しかし、開会式の途中で天候が悪化。同メディアによれば、「フランスは過去30年間で最も激しい大雨に見舞われていた」といいます。


ヤフーニュースより

 

ザ・サン」は、「レインコートを身に纏い、イベントを見物する観客は、暗い表情を浮かべていた」とレポート。「トロカデロ庭園の巨大スクリーンは、悪天候の影響で停電したようだった」と見解を述べました。さらに、同メディアは「会場に集結したファンは、素晴らしいはずだったイベントが天候のせいで台無しになり、がっかりした」と哀れむと、続けて「また、(サプライズ登場した)レディー・ガガのマイクの声が雨の音でかき消され、視聴者は不満を漏らした」と不穏な空気を伝えています。

 

わたしが一番不満だったのは、オリンピックの開会式というのはあくまでもセレモニーであるはずなのに、それを忘れて完全にショーとなっていたことです。もちろん儀式にも演出的要素、ショー的要素は不可欠ですが、それはあくまでも添え物であるはずです。パリ五輪では、完全にセレモニーがショーに化けていました。そのショー自体も趣味が悪く、マリー・アントワネットに変装した歌姫が、切り落とされた首を手に持って歌うという「フランス革命を血なまぐさく想起させる」演出は最悪でした。パリのイメージを下げただけではないでしょうか。マリー・アントワネットをフランスに嫁がせたオーストリアに対しても失礼ですし、「平和の祭典」に斬首刑を持ち込んでどうするのか? そもそも、企画の根本からして完全にズレてます!

 

さらには、エッフェル塔付近の橋で、女装したダンサー「ドラァグクイーン」らがレオナルド・ダ・ヴィンチの名画「最後の晩餐」の構図をオマージュしたシーンがありました。フランス司教協議会は、これについてキリスト教に対するひどい嘲笑」だとし声明を発表。世界中の教徒も連帯で遺憾の意を示したといいます。そして、司教らは、「オリンピックの祝賀会が、一部のアーティストの思想的な好みをはるかに超えていることを、彼らが理解することを願っています」と付け加えたといいます。このシーンを巡っては米実業家のイーロン・マスク氏もXで「キリスト教徒に対する無礼」「公正で正しいことのために立ち上がる勇気がもっとなければ、キリスト教は滅びるだろう」とポストしました。確かに、一部のアーティストの思想的な好みが政治的主張に発展していますね。「平和の祭典」にふさわしくありません!

ヤフーニュースより

 

最悪だったのは、選手入場後にトロカデロ広場で行われた式典で、五輪旗が上下逆さに掲げられるミスがあったことです。音楽とともにポールに掲揚された五輪旗は、本来は5つの輪のうち青、黒、赤の3色の輪が上になっていなければならないところ、下になった状態でした。夏季五輪で史上初となる競技場外で実施された開会式でしたが、海外メディアは相次いで「失態だ」などと報じています。わたしも儀式の専門家として、これは大失態であると思います。また、韓国の国名を北朝鮮と誤って呼称するなどといった運営側の大失態もありました。人類の平和と平等の祭典を開くにあたってのセレモニーとしての開会式という視点が完全に欠落しており、商業主義に偏重した近代オリンピックの問題点が凝縮されているように感じました。

儀式論』(弘文堂)

 

儀式と聞けば、儀式論(弘文堂)という合計600ページの本を書いた「儀式バカ一代」ことわたしの血が騒ぎます。同書の「世界と儀式」の冒頭に、わたしは「世界規模の儀式として真っ先に頭に浮かぶのはオリンピックである。オリンピックは平和の祭典であり、全世界の饗宴である。数々のスポーツ競技はもちろんのこと、華々しい開会式は言語や宗教の違いを超えて、人類すべてにとってのお祭りであることを実感させるイベントである」と書きました。古代ギリシャにおけるオリンピア祭の由来は諸説ありますが、そのうちの1つとして、トロイア戦争で死んだパトロクロスの死を悼むため、アキレウスが競技会を行ったというホメーロスによる説があります。これが事実ならば、古代オリンピックは葬送の祭りとして発生したということになるでしょう。五輪とは葬送儀礼だったのです!

 

オリンピックは、ピエール・ド・クーベルタンというフランスの偉大な理想主義者の手によって、じつに1500年もの長い眠りからさめ、1896年の第一回アテネ大会で近代オリンピックとして復活した。その後130年が経過し、オリンピックは大きな変貌を遂げました。「アマチュアリズム」の原則は完全に姿を消し、ショー化や商業化の波も、もはや止めることはできません。各国の企業は販売や宣伝戦略にオリンピックを利用し、開催側は企業の金をあてにします。「東京2020」をめぐる電通の問題でも明らかなように、大手広告代理店を中心とするオリンピック・ビジネスは、今や巨額のマーケットとなっています。


産経新聞」1992年1月22日朝刊

 

しかし、いくら商業化しようとも、オリンピックの火はけっして絶やしてはならないでしょう。「東京2020」のときは五輪不要論にも心が動きましたが、今は五輪はやはり必要であると思っています。言うまでもなく、オリンピックは平和の祭典です。悲しいことだが、古今東西、人類の歴史は戦争の連続でした。有史以来、世界で戦争がなかった年はわずか十数年という説もあります。戦争の根本原因は人間の「憎悪」であり、それに加えて、さまざまな形の欲望や他国に対する恐怖心への対抗などが悲劇を招いてきたのです。だが、それでも世界中の人々が平和を希求し、さまざまな手法で模索し続けてきたのもまた事実です。国際連盟国際連合の設立などとともに人類が苦労して生み出した平和のための最大の文化装置こそがオリンピックであることには違いありません。



オリンピックが人類の幸福のために、どれほどの寄与をしたかを数字で示すことはできません。ノーベル平和賞受賞者であり、第7回アントワープ大会の陸上銀メダリストでもあるイギリスのフィリップ・ノエル=ベーカーは、オリンピックを「核時代における国際理解のための最善のメディア」であると表現しました。古代のオリンピア祭典は民族統合のメディアとして、利害の反する各ポリスの団結を導きました。現代のオリンピックは世界の諸民族に共通する平和の願いを集約し、共存の可能性を実証しながら発展を続けています。その点が、もう1つの国際イベントである万国博覧会とは明らかに違うと言えるでしょう。特に、世界で戦争が続いている現在では、平和の発信メディアとしての五輪の役割は大きいと言えます。

 

近代オリンピック復興の構想そのものは、クーベルタンが1889年のパリ万博を経験したことから生まれました。クーベルタンはパリ万博の開会式に強い感銘を受け、入場行進や国旗掲揚、国歌斉唱、開催国元首による開催宣言、そしてメダル授与などのいくつもの要素が、万国博からオリンピックのなかに取り入れられていった。それにさらなる演出を加え、洗練したのがヒトラーでした。1936年にヒトラー政権下で開催されたベルリンオリンピックの記録映画「民族の祭典」は、最初にして最高のオリンピック映画といわれています。第二次大戦後になると、諸国家が覇権を争う国際的イベントとしては、万国博よりオリンピックが中心になっていきます。近代工業社会における産業見本市的な性格の強い万国博は、人類が共感するイベントとしてはその役割を終えたと言ってもよいでしょう。大阪万博など完全にナンセンスであり、即刻中止すべし! 

 

いろいろとパリ五輪の開会式に苦言を呈してきましたが、聖火台点火の直後、エッフェル塔のステージでセリーヌ・ディオン愛の讃歌を歌い上げた演出は素晴らしかったです。彼女の歌唱も最高で、非常に感動しました。まるでエディット・ピアフが乗り移ったような圧巻のパフォーマンスで、グダグダだった開会式を最後の最後に見事に締めましたね。セリーヌ・ディオンは筋肉がこわばるスティッフパーソン症候群の闘病中ですが、あの澄んだ歌声には魂が揺さぶられました。NBCテレビで開会式のコメンテーターを務めていたケリー・クラークソンは彼女を「声のアスリート」と呼びましたが、わたしは「平和の女神」のように思いました。エッフェル塔の上から、白く光り輝く女神が「人類よ、戦争を止めなさい。そして、愛し合いなさい!」と訴えているようでした。

 

2024年7月27日 一条真也