西田敏行 見事な生涯

一条真也です。
俳優の西田敏行さんが76歳で亡くなられました。俳優として数々の名作に出演しただけでなく、歌手としてNHK紅白歌合戦出場、さらに紅白をはじめ数多くのバラエティー番組で司会をこなすなど、マルチな才能を存分に発揮しました。日本の芸能史に名を残した方でした。


ヤフーニュースより

 

西田さんは1947年(昭和22年)11月4日、福島県出身。明治大入学と同時に日本演技アカデミー夜間部に入学。67年、TBS渥美清の泣いてたまるかでデビュー。1968年に青年座俳優養成所に入り、1970年に卒業して座員となりました。1977年にはテレビ朝日特捜最前線、1978年には日本テレビ西遊記にレギュラー出演。1980年には日本テレビ「池中玄太80キロ」テレビ朝日「サンキュー先生」で主演を務め、翌1981年にNHK大河ドラマおんな太閤記で準主役を務めるなど、次々と各局の連続ドラマに出演。

 

西田さんはNHK大河ドラマに数多く出演しました。初出演したのは1972年の「新・平家物語で、22年の「鎌倉殿の13人」まで12作に出演。1990年翔ぶが如く、1995年八代将軍吉宗、2000年「葵 徳川三代」では主演に抜てき。2024年10月時点で、大河ドラマ歴代最多主演俳優となっています。特に、歴代の徳川将軍家の人物を演じることが多く、「八代将軍吉宗」では徳川吉宗、「葵 徳川三代」では徳川秀忠功名が辻では徳川家康を演じました。一方、「おんな太閤記」では豊臣秀吉を演じ、西田さんのセリフ「おかか」(正室・ねねの呼称)は当時の流行語になりました。



映画釣りバカ日誌シリーズは1988~2009年まで22作に主演し、ハマちゃん役は国民的人気キャラクターになりました。しかしながら、才能は俳優業のみにとどまりませんでした。1981年には歌手デビューし、「もしもピアノが弾けたなら」(池中玄太80キロ主題歌)は大ヒットを記録。NHK紅白歌合戦では司会、歌手、審査員、応援全てで出演経験がある、稀有な存在となりました。親しみやすい容姿とキャラクター、俳優としてのアドリブ力に加え、バラエティー番組でも軽快なトークを展開。2001年からは朝日放送「探偵!ナイトスクープの2代目局長に就任し、2019年11月22日放送分まで、約19年間にわたりレギュラー出演しました。



西田さんは福島・郡山市出身で、2011年の東日本大震災の際には現地に赴いて復興を支援。復興CM出演に、ブログ「遺体 明日への十日間」で紹介した実話をもとにした映画に葬祭ディレクター役で主演。さらには、震災の自衛隊災害派遣について取り扱った番組「絆~キズナノキオク~」にも出演し、演技で故郷の復興を支えました。2008年には紫綬褒章を受章しています。ブログ『丹波哲郎 見事な生涯』で紹介したように、2006年(平成18年)9月30日に東京の青山葬儀所で行われた俳優の丹波哲郎さんの告別式では、西田敏行さんが弔辞の最後に「丹波さん・・・・・・、お見事な生涯でございました!」と万感の思いで叫びました。わたしは、「西田さんも、お見事な生涯でございました!」と言いたいです。

 

 

2024年10月17日 一条真也