北陸総合朝礼 

一条真也です。
金沢に来ています。4日の早朝、金沢駅前の定宿で目を覚ましました。今朝の金沢は曇りで気温は32度です。


今朝の金沢駅前のようす


北國新聞」2024年7月4日朝刊

 

わたしは、金沢に来るといつも地元紙である「北國新聞」をじっくり読むのですが、この日の朝刊の一面には「石川 富山 復興へ絆」という大見出しが躍っていました。富山県内で活躍する石川県出身者でつくる、とやま石川県人会「つるぎクラブ」の懇親会が開催され、両県が連携して能登半島地震からの復興を進めることを誓ったそうです。こういうローカルな記事が地方面ならまだしも、新聞の一面トップに来ることに少し驚きましたが、まことに良いことだと好ましく思いました。それでこそ地方紙!


カツ入りの金沢カレーで勝つ!!

 

朝食後は北陸総合朝礼に参加します。それで今朝はガツンと食べてガッツを注入しようと思い、金沢カレーのミニを食べました。ご存知のように、金沢カレーにはキャベツとともにカツが入っています。朝からカツを食べて、負けてもカツ! 何が何でもカツ!!


入場のようす

さあ、総合朝礼が始まります!


最初は、もちろん一同礼!


「かたち」が揃えば「こころ」も揃う!

 

10時から金沢紫雲閣で、サンレー北陸の総合朝礼を行いました。ずっと北陸の総合朝礼はマスク着用でしたが、今日は、通常のクールビズ・スタイルです。わたしもグレーのストライプのスーツにノーネクタイの装いでした。小洒落爺としてポケットチーフだけは忘れませんでしたが。

全員で社歌を斉唱♬

「経営理念」および「S2M宣言」の唱和

 

まず、総務課の上本さんによる「開会の辞」に続いて全員で国旗・社旗拝礼の後に社歌をマスク越しに斉唱しました。それから営業推進部第二ブロックの上川ブロック長によって「経営理念」および「S2M宣言」を唱和しました。コロナ禍の最中の頃に比べると、だいぶん大きな声が出てきました。良いことです。

社長訓示で登壇しました

 

社長訓示の時間となり、わたしが登壇しました。まず、わたしは「おはようございます!」と挨拶をしてから、「東専務の御母堂様の訃報に接しました。故人様の御冥福を心よりお祈りいたします」と述べました。それから、「昨日、東京から北陸新幹線で金沢入りしました。梅雨の時期は雨続きで気分も沈みがちですが、もう7月ですね。今年も半分が過ぎたということですが、元旦に発生した能登半島地震のことが早くも忘れられているような気がしてなりません。しかしながら、けっして過去ではなく、現在進行中の災害なのです!」と述べました。

能登半島地震の死者が300人に!

 

能登半島地震のあとに避難生活などが原因で亡くなった災害関連死について、石川県などの審査会は6月25日、3回目の会合で新たに18人を災害関連死に認定しました。近く市や町が正式に決定し、死者は300人に上る見通しになりました。実際に被災した大谷部長によれば、被災地の状況を伝える報道の多くは、希望を持って復興に向けて頑張っている人たちの様子ばかり映し出しているそうです。実際にそういう姿に人はとても勇気づけられると思います。悲しみを抱えて落ち込んでいる人たちの姿よりも、その方が世の中に受け入れられやすいのかもしれません。

珠洲で「月への送魂」を!


熱心に聴く人びと

しかしながら、悲しみに目を背け、悲しむことを避けている社会は、生きることを大切にしていないのではないでしょうか。大谷部長は、「『瓦礫』や『災害ごみ』。生まれ育った家や、大切な品、遺品までもがそう呼ばれる苦しみは被災者にしか分かりません。ケア士として『私たちが何を援助できるか』を模索するだけではなく、『私たちが被災者によって何を与えられているか』を考えていきたいと思います」と述べていました。会社としても、その想いと活動をサポートしていきたいです。わが社では、今年の10月14日に能登半島珠洲で「月への送魂」を行います。絶対に「1・1」を忘れてはなりません!


玄侑宗久先生との対談を報告

先日、芥川賞作家で福聚寺住職である玄侑宗久先生と対談させていただきました。わたしはこれまで、京都大学名誉教授で宗教哲学者の鎌田東二先生と「神道と日本人」をテーマに対談し、古事記と冠婚葬祭として刊行されました。大阪大学名誉教授で中国哲学者の加地伸行先生とは「儒教と日本人」をテーマに対談し、論語と冠婚葬祭として刊行されました。そして今回、玄侑先生と「仏教と日本人」をテーマに対談させていただきました。神道儒教・仏教は「日本人の心の三本柱」というのはわが持論ですが、ついに三本柱が揃いました。まことに光栄です。神道儒教・仏教の第一人者であるお三方との対談は、必ずや冠婚葬祭文化の振興に大きく寄与すると信じています。

竜巻発生のメカニズムとは?

 

玄侑先生との対談からは、日本仏教および葬儀の未来も垣間見えた気がしました。わたしたちは現代日本人の「こころ」に関するさまざまな問題について語り合いましたが、特に自殺の話が印象的でした。玄侑先生のお寺は福島県の三春にあるのですが、同じ福島県内の「霊山こどもの村」という施設にボタン1つでガラスケースの中に竜巻が起こる装置があるぞうです。竜巻というのは、4つの風を別な角度から合流させて起こします。2つでも3つでも難しいですが、4種類の風が絶妙なバランスで合流すると発生するといいます。


自殺は「こころの竜巻」である!


熱心に聴く人びと

 

玄侑先生は、自殺というのはこの竜巻のようなものだと思ったそうです。そしてたまたま合流した四つの風すべてを知ることができない以上、自殺を簡単な「物語」で解釈するのはやめておこうと思い至ったと語ります。自殺によって体を殺そうとした「私」は普段の私ではありません。鬱とか心身症のことも多いですし、竜巻がさまざまな要因で起こっているのかもしれません。自殺が起こるのは現実の変化に対応するための「物語」の再構成ができなかった可能性があります。

なぜ、若者たちは自殺するのか?

 

いま、15歳から39歳までの死因の第1位は自殺です。10歳から14歳の1位は小児がん。2位が自殺。むろん戦争も感染症も大きすぎるほど大きな問題ですが、こんな切ない体験をしている家族が今の日本には無数にあり、また今日も大勢の若者が、竜巻に吹き飛ばされようとしているのです。これほど重い事実はないのではないでしょうか。自殺は幾つもの原因が竜巻のように合流すると考えているのは事実ですが、これはある意味で死者の尊厳のための物語でもあります。


自殺のメカニズムについて

玄侑先生は、「実際のところ、自殺する人の根底には、鬱的な思いがあります。つまり、現状の悪い要素は更に深まっていき、突発的な慶事が起こるはずもない。なぜかそんなふうに思い込んでいるわけです。これは限られた情報や能力による思い込みの覇権主義ではないでしょうか。いわば大脳皮質、もっと言えば左脳による思い込みが、我々の全身に対して今のロシアのように覇権的に振る舞うわけです。それがたぶん自殺なんです」と述べています。

神は「むすぶ」もの


仏は「ひらく」もの

玄侑先生の最新刊は『むすんでひらいて』(集英社)です。同書の最後で、終戦直後に生まれた童謡「むすんでひらいて」を取り上げる玄侑先生は、この歌に日本復興のための深謀遠慮を感じるといいます。結んで開く、と始まりますが、これは本来、神と仏です。 神は「結ぶ」ものであり、仏とは、解脱した存在ですから「ほどける」わけです。玄侑先生はこの歌を憶いだすと、「さまざまな人生上の問題って、じつは解決できるものじゃなくて、何度も結んだり開いたりしながら向き合っていくものだと思えてきます」と述べます。そうしているうちに、いつしか状況は変わってくるというのです。

「1つの正解」ではなく「正解の1つ」を!

 

今の若い人たちは、何にでも「1つの正解」があると思っているように見えて仕方ないという玄侑先生は、人生は後戻りできない以上、結んだり開いたりしながら、悩みながら、自分の歩む道を「正解の一つ」にしていくしかないのではないかと訴えます。自殺を考える若者たちは、結んだ「思い込み」を開くことができず、どんどん自縄自縛になっていきます。しかも思い込んだ「正解」から乖離していく自分が許せない。というより、「取り返しがつかない」という感じに近いのではと、玄侑先生は推測します。

最後に道歌を披露しました

 

人生はひたすら目的に沿って結びつづけるものではなく、結んだり開いたりを繰り返すものだと思ってほしいという玄侑先生は、「結んだり開いたりすることがコミュニケーションでもあるし、何かと向き合うことだと思うのです。だから人は、死に対しても、結んだり開いたりを繰り返しながら近づいていくしかない。それはつまり、死ぬ直前でも人は笑うことができる、ということでしょう」と述べられました。素晴らしい死生観だと思います。最後に、わたしは以下の道歌を披露して降壇しました。

 

思い込み 命を奪うものと知れ
  むすんでひらく日本のこころ 

 

郡事業部長の話を聴きました

小谷部長の話を聴きました


大谷部長の話を聴きました

山岸支配人の話を聴きました

 

それから、北陸事業部長である郡事業部長の挨拶がありました。その情熱的なメッセージから、郡事業部長のやる気を強く感じました。その後は、営業推進部の小谷部長、葬祭事業部の大谷部長、それから冠婚事業部の山岸支配人が挨拶しました。どれも熱のこもったメッセージでした。

これが「和のこえwithコロナ」だ!

ガンバロー✖3回

最後は、もちろん一同礼!

退場のようす

 

それから、最後は「和のこえ」を行いました。
コロナ禍の最中は手を腰に当てて「ガンバロー!」と3回唱和するウイズ・コロナ・スタイルでしたが、今日はみんなで手を繋ぐ従来のスタイルとしました。情報営業課の小田課長の音頭で「和のこえ」が行われ、全員の心が1つになりました。この後は、施設の建設予定地を見てから、小松空港へ。そこから九州に帰ります。

 

2024年7月4日 一条真也