『玉袋筋太郎の闘魂伝承座談会』

玉袋筋太郎の闘魂伝承座談会

 

一条真也です。
玉袋筋太郎の闘魂伝承座談会』玉袋筋太郎堀江ガンツ椎名基樹著(白夜書房)を読みました。プロレス界のレジェンド達が、闘魂の炎のもとにいざ集結!『KAMINOGE』内の大好評連載「変態座談会」が闘魂スペシャルにて単行本化したものです。アントニオ猪木のロングインタビューをはじめ、闘魂の時代を共に過ごした9名のレジェンドが集結し、名エピソードと証言で語り継ぐ一冊です。共著者の玉袋筋太郎は1967年、東京都生まれ。お笑いコンビ「浅草キッド」の片割れ。堀江ガンツは1973年、栃木県生まれ。プロレス・格闘技ライター。椎名基樹は1968年、静岡県生まれ。構成作家


本書の帯

 

帯には本書に登場するプロレスラー・プロレス関係者のイラストが描かれ、「アントニオ猪木を見つけろテメエで!」「アントニオ猪木藤波辰爾藤原喜明北沢幹之新間寿舟橋慶一/タイガー服部/永田裕志村上和成」と書かれています。


本書の帯の裏

 

本書の「目次」は、以下の通りです。
「まえがき」
燃える闘魂 アントニオ猪木
炎の飛龍 藤波辰爾
問答無用の仕事師 藤原喜明
極めの魁勝司 北沢幹之
過激な仕掛人 新間寿
昭和の名実況 舟橋慶一
Free as a Bird  タイガー服部
ブルージャスティス 永田裕志
平成のテロリスト 村上和成
「あとがき」


「まえがき」の冒頭は以下のように書き出されています。
「元気ですか――ッ! ・・・・・・って、元気なわけねえよな。猪木がもうこの世にいねえんだもん。われわれ昭和のプロレスファンにとって『神』である“燃える闘魂アントニオ猪木さんが亡くなって早1年。『アントニオ猪木を探して』なんていう映画も公開されたけど、あれから猪木を求めてさまよい続ける日々を送り続けている人も多いんじゃないかな。俺がそうだもん。気が動転しちゃってさ、真っ暗闇に放り込まれた気分だったよ。その暗闇の中、懐中電灯ひとる持って猪木を求めてさまよい続けてきた1年のような気もするんだけど、この本はそんな『猪木ロス』状態に陥っているプロレスファンに一筋の光を差す一冊だと、自信を持ってお届けするよ」


本書の各章の中で、印象に残った箇所を紹介したいと思います。「燃える闘魂 アントニオ猪木」(2020年3月収録)では、猪木のベストバウトをめぐって、以下のような会話が展開されます。
椎名 以前、猪木さんはテレビで「ベストバウトは?」って聞かれたとき、「ドリー・ファンク・ジュニア戦だ」って答えてましたよね。
猪木 彼は俺がアメリカに(武者修行で)行っていたときに出会っていて、ちょうど世代が一緒なんですよ。兄弟で凄かったね。お父さんがプロモーターで。そのときのクラスでいえば彼らのほうが上だから。
椎名 いまでもベストバウトといえばドリー戦って答えますか?
猪木 大阪で指を骨折しながら1時間やりましたからね。いまみたいに照明がいいわけじゃないから、マットが焼けるように熱いんですよ。
ガンツ そういう中で60分フルタイムですもんね。その最大のライバルを、新日本を旗揚げしてからは一度も呼べなかったんですよね。馬場さんの全日本が完全に囲ってしまっていて。
猪木 俺はあまり抱えたことはないんだけど、馬場さんのほうがね。まあ、いまの俺があるのは馬場さんのおかげですよっていう。ある意味では反面教師でね。


「炎の飛龍 藤波辰爾」(2013年1月収録)では、藤波が大ブレイクしたニューヨークMSGでのWWWFジュニアヘビー級戦(1978年1月23日)の話題が出ます。カルロス・ホセ・エストラーダを破った藤波は見事に新王者となりますが、そのときのフィニッシュホールドが「ドラゴン・スープレックス」でした。今でもプロレス技では史上最高の芸術と絶賛されている超美技をめぐって、以下の会話が展開されています。
藤波 あの試合は入場したときはブーイングだったのに、試合後はお客さん総立ち、スタンディングオベーションだったからね。
玉袋 それを味わっちゃうから、プロレスってたまんないんですよね。
藤波 でもね、控室に戻ったら、逆に凄い冷たい視線なの。
玉袋 そうなんですか?
藤波 要するに、あの頃はジャーマン・スープレックスでも業界の中では危険技っていう認識があったんだけど、羽交い絞めで受け身が取れない状態で投げるわけでしょ? 「こいつは何をするんだ」って目で見られてね。
ガンツ まさに“掟破り”みたいに思われたわけですか?
藤波 だから喜んでいるのは、日本から来たテレビ朝日の人と、新間(寿)さんだけ(笑)。


「問答無用の仕事師 藤原喜明」(2013年9月収録)では、師弟の証について以下のような興味深い話が語られます。
藤原 いいかい? これ、ちゃんと書いておけよ。カール・ゴッチはね、ずっと葉巻を吸ってたんだよ。アントニオ猪木も葉巻を吸うんだよ。俺もたまに吸うし、佐山サトルも吸う。
ガンツ 道場にシガーバーを併設させてますもんね。
藤原 そして前田日明も吸うだろ。いいかい? 師匠っていうのは、何か大きな影響を受けて、何かを学んだ人なんだ。凄いことを学ぶか、つまらないことを学ぶか、そういうことなんだよ。俺は、つまらないことも学んだけど、いいことも学んだかな。ちゃんといいところを学んだかどうかはゴッチさんが決めることで、ゴッチさんは死んでしまったからもう言えないわけで、人生ってそういう曖昧なものなんだよな。
玉袋 いやー、深い。
ガンツ あの葉巻が、遺伝子をつなぐ、暗黙の証ということですもんね。


「極めの魁勝司 北沢幹之」(2020年10月収録)では、日本プロレスからリングスまで知り尽くしたセメントの達人が、さまざまなレスラーの裏話を披露します。そのどれもが抜群に面白いのですが、特に以下の坂口征二のくだりは衝撃的でした。
玉袋 坂口征二さんの印象はどうですか?
北沢 日プロのときからよく知っていたし、(マサ)斎藤の同級生なんですよ。
椎名 明治大学の同級生ですよね。
北沢 こないだも、三澤整骨院で会って話をしたんですけど、柔道時代、東京オリンピック出場を決める全日本柔道選手権の決勝で神永(昭夫)と試合をやりましたよね。あのときは勝っていた試合なのに最後の最後で大内刈りかなんかで負けて、オリンピックに行けなかったんですよ。だから、「あれ、ガチンコだったの?」って聞いたら「いや、それなりに」って言ってて(笑)。
ガンツ それなりに(笑)
北沢 明治っていうのはそういうのがあったみたいですね。まだ若いからオリンピックは次でもいいだろっていう。
ガンツ その神永さんがアントン・ヘーシンクに負けて、「日本柔道の敗北」って言われたじゃないですか。マサさんなんかは、「坂口が出ていたら金メダルだったのに」って言ってました。「あれだけの体格があって、パワーでも外国人に対抗できるのは坂口だ」って。
玉袋 柔道の中でも格というか、そういうのがあったんだね。


「過激な仕掛人 新間寿」(2022年1月収録)では、新日本プロレスの営業本部長として数々の大きな仕掛けを成功させた偉業が次のように語られます。
新間 新日本プロレスが躍進するきっかけになったのは、ストロング小林戦、大木金太郎戦といった大物日本人対決。さらにルスカ戦、モハメド・アリ戦といった異種格闘技戦。そして最後に真の世界一を決めるIWGP.これらを実現させたのが私の誇りですよ。だから昭和の新日本プロレスがあれだけおもしろかったのは、そういった企画をぶち上げる新間寿がいて、それをリングで成し遂げたアントニオ猪木がいたからですよ!
玉袋 その通りです!
新間 猪木さんを筆頭に坂口さん、藤波、長州、タイガーマスクなど、超一流のレスラーが揃っていたし、フロントも私を含めてみんな闘っていた。だからこそあの時代があったんです。
玉袋 ボクらもそれをリアルタイムで観られたのは幸せですよ。



「昭和の名実況 舟橋慶一」(2016年8月収録)では、日本プロレス新日本プロレスの実況を担当し、猪木の数々の名勝負を実況した元テレビ朝日アナウンサーが以下のように語っています。
舟橋 ボクも猪木さんの名勝負はいろいろ実況してきて、ビル・ロビンソン戦なんかも素晴らしかったけど、やっぱりベストといったら大阪と福岡のドリー・ファンク・ジュニア戦なんですよ。というのはね、これは一部の人たちも賛同してくれたんだけど、猪木のピークっていうのは、昭和44年(1969年)から昭和48年(1973年)くらいかなと。だから、そのあとのウィレム・ルスカ戦とか、モンスターマン戦などの異種格闘技戦のときは、最後の力を振り絞ったという感じでしたね。だから、猪木vsアリ戦は、もう「猪木さん、何とかがんばって!」の試合だったんですよね。
玉袋 バリバリのピークに見えても、20代の頃のアントニオ猪木を観てる人からすると、そうだったんだろうな~。
舟橋 だから、全盛期にやったドリーとの試合がベストバウト。それに次ぐのが、ロビンソン戦と、ストロング小林戦だね。


Free as a Bird  タイガー服部」(2023年5月収録)では、猪木の引退試合も裁いた元レフェリーのタイガー服部が登場。忘れられない試合について語ります。
服部 忘れられないのは、北朝鮮でやった猪木さんと(リック・)フレアーの試合だな。
玉袋 おー! 猪木vsフレアー!
服部 猪木さんはやっぱり天才じゃん。フレアーもうまいしさ。あのふたりはそれまで試合したことないし、話したことだってほとんどないのに、あんな試合ができるなんてちょっと考えられないよ。
ガンツ それでプロレスを観たことがない北朝鮮の観客を沸かせちゃうんですもんね。
服部 「この試合なら目をつぶってレフェリーできるな」と思ったよ。プロレスのお手本みたいな試合だからな。
玉袋 すげえな~。
服部 猪木さんは、ほかの人ができないことを平気でやるよね。北朝鮮だって新潟から船で行ったんだよ。
玉袋 万景峰号だ(笑)。


「ブルージャスティス 永田裕志」(2022年11月収録)では、猪木に振り回された最後のレスラーとして知られる永田裕志が登場します。猪木の指示でミルコ・クロコップエメリヤーエンコ・ヒョードルといった総合格闘技最強の男と闘って惨敗した永田ですが、オファーが本番の数字前、しかも対戦相手が二転三転するなどのメチャクチャな状況でした。断りたかった永田でしたが、「おまえが試合をしないと、テレビ放送自体が消滅する。どうか頼む!」と猪木から懇願され、永田は総合格闘のリングに出ていったのでした、以下の会話が展開されます。
ガンツ いまのレスラーでそういう凄い経験をしている人はもういないですからね。
永田 でも「おまえがこの試合を受ければテレビ放送が成立する」って言われたらお助けするしかねえじゃん。だからボクは猪木会長から怒られることばっかりでしたけど、ひとつ自信を持って言えるのは俺は命懸けで猪木会長をお助けしたことが1回あると。
玉袋 そりゃあもう!
永田 たしかにレスラーとしての永田裕志については会長も気に入らない部分もあっただろうし、会長から反対されていたコレ(敬礼ポーズ)もいまだにやってますけど(笑)。でも僕は命懸けで身体を貼って会長を一度だけお守りしたと。それだけはまわりがなんと言おうと、胸を張って自信を持って言えますね。


「平成のテロリスト 村上和成」(2020年6月収録)では、村上が格闘家として注目されていたにもかかわらず、猪木の誘いで小川直也をエースとするUFOに入れられたエピソードが紹介されます。小川のトレーニングに帯同するために、村上はロスを訪れるのでした。
村上 ロスの最終日ですよ。猪木会長と食事をさせていただく機会があって、そこでボクの運命が変わってしまったんですよね。そのとき、突然「おまえ、リングに絵を描いたことがあるか?」って聞かれたんです。
玉袋 出たー、謎かけだよ(笑)。
村上 「なんだ、絵を描くって」って思ったんですけど、「リングに絵を描くって意味がわかるか?」っと聞かれたんで、とっさに「勝ち負けです」って答えたら「おまえアマチュアだな」って言われて。その「おまえアマチュアだな」って言われたのが、すごく恥ずかしく感じたんですね。
ガンツ 意味はわからないけど、甘さを指摘された感じがしたわけですね。
村上 「それじゃ、メシ食えないだろ」って言われて、そこからいろいろ教えていただいたんですよ。「あまえ、パンチとキックが来たらどうする?」「ガードします」「そうだろ? でもプロレスはガードしねえんだよ」「じゃあ、喧嘩で殴られて『来いよ!』って言われたらどうする?」「『そんなの効かねぇよ! オラ、殴ってこいよ』って言い返します」「そうだろ? それがプロレスだよ」って言われたとき、なんか「うわっ、プロレスってすげぇな」って感じちゃったんですよね。


「あとがき」では、玉袋筋太郎がこう書いています。
「猪木さんの言葉の数々はすべて俺の胸に響いたんだけど、もっとも刺さったのは、人生を振り返って『無我夢中で走り続けてきただけ』『必死になって頑張って生きてきたから。そういう姿を見て、何かを感じ取ってくれた人たちがいるのかもしれない』という一節だね。そうなんだよ。俺たちはみんなアントニオ猪木の必死で頑張る姿、闘い続ける姿を見て、脳内猪木ボンバイエを鳴らして、心に闘魂の火を灯してたんだよな。それは今回、この本に出てくれた方々もみなさんそうだったんだと思うよ」と述べ、さらに「この本も読んでくれた人の心の闘魂に火をつけられたら幸いだよ。いま、ぼっちキャンプとかがブームだけど、アントニオ猪木っていうのは、心の火起こしの最高のツールじゃねえかな」と述べるのでした。本書には、藤波辰爾藤原喜明新間寿といった猪木を語る常連たちも揃っていますが、北沢幹之舟橋慶一、タイガー服部といった渋い人選が嬉しく、さらには永田裕志村上和成の発言も興味深かったです。猪木の新しい魅力を発見することができました。

 

 

2024年2月22日  一条真也