火を吐くドラゴン、玉を抱く龍

一条真也です。
正月三が日が終わりましたが、なんだか炎ばかり見た気がします。1日の能登半島地震の輪島火災、2日の羽田空港火災に続いて、3日は北九州市の小倉で大火災が発生。


 ブログ「小倉で大火事」で紹介したように、ヤフーニュースに「2024年は元旦から三日連続炎を見ている。龍は火を吹く動物だと聞いていたが、今年は火事が多いのかも」という意見がありました。これを読んだわたしは、「たしかに、辰年の正月三が日は、輪島、羽田空港、小倉と、炎ばかり見ているなあ。龍が火を吐いたのかな?」と思いながら、ふと背後の書棚を見て目を見開きました。


わが書斎の二体のフィギュア

 

なんと、そこには二体の龍のフィギュアが置かれていて、しかも一体は火を吐いていたのです。よく見ると、火を吐いている方は東洋の龍ではなく、西洋のドラゴンでした。そう、火を吐くのは龍ではなく、ドラゴンなのです。似ていても異なる存在ですが、ともに動物ではありません。あくまでも想像上の幻獣、あるいは霊獣とされています。

世界の幻獣エンサイクロぺディア』(講談社

 

わたしの監修書に世界の幻獣エンサイクロぺディア講談社)という本があるのですが、世界中のモンスターが紹介されています。その中でドラゴンと龍の違いを細かく説明しています。簡単に言うと、キリスト教の影響もあって「ドラゴン」がキング・オブ・モンスター(そう、古代のゴジラ!)である悪の象徴であるのに対して、「龍」は道教神道ヒンドゥー教などのアジアの民族宗教において神聖な存在であり、吉兆を知らせる有難い神でした。

世界の幻獣エンサイクロぺディア』「ドラゴン」より

火を吐く西洋のドラゴン

 

まず、古代世界には蛇信仰というものがありました。ヘビは脱皮や冬眠をすることから不老不死や再生の象徴と考えられていたからです。しかし、西洋では、ヘビは悪役でした。『旧約聖書』において、エデンの園にいたアダムとイヴを欺く存在であり、一神教であるキリスト教がその勢力を強めるにつれ、土着の信仰は迫害されるようになってしまいます。そしてメソポタミア神話からユダヤ教を経て「ドラゴン=悪」というイメージを強固に持っていたキリスト教徒たちは、「全能なる唯一神(の信徒)によって悪が打ち倒される」という、ドラゴン退治の物語を絵画や本によって広めていきました。そうすることで土着の宗教文化を取り込み、キリスト教徒にとって都合のいい物語に書き換えてしまったのです。

世界の幻獣エンサイクロぺディア』「龍」より

玉を抱く東洋の龍

 

一方で、東洋や南米など、キリスト教が浸透しきらなかった国々では蛇や龍への信仰が続きました。元々は同じく蛇を神として奉っていたのに、まったく違う道を辿ることになったわけですね。ブログ「龍を見ました!」で紹介したように、わたしは昨年の10月24日の早朝、別府湾において生まれて初めて龍を目撃しました。正確には龍の姿をした雲を見たのですが、それは圧倒的に神々しいオーラを放っていました。まったく悪い気は感じず、それどころか、ただただ有難くて涙が出るほどでした。神聖であり、吉兆を知らせる存在としての龍は玉を抱いています。


別府湾の日の出に龍が出現!


ドラゴン・イヤーではなく、龍の年に!

 

わたしたちは、今年の辰年を「火を吐くドラゴン」ではなく「玉を抱く龍」の年としなければなりません。そして、そのためには日本人の心が欧米の文化ばかりに染まらず、もっと日本的な文化を大切にするべきであると思います。具体的には、神社とか寺院、日本庭園、茶道、華道、香道、着物などなど。わたしは昨年、自身の還暦を記念して小倉織の着物をあつらえましたが、これを身に纏うと「ああ、自分は日本人だ!」という実感が強く湧いてきます。今年は、この小倉織を着て、礼法や茶道や和歌に精進したいと考えています。もちろん、文化の核である冠婚葬祭や年中行事を大切にすることは言うまでもありません!


日本文化を大切にしよう!

 

2024年1月4日  一条真也