『ファスト教養』

ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち (集英社新書)

 

一条真也です。
『ファスト教養』レジ―著(集英社新書)を読みました。「10分で答えが欲しい人たち」というサブタイトルがついています。著者は、ライター・ブロガー。1981年生まれ。一般企業で事業戦略・マーケティング戦略に関わる仕事に従事する傍ら、日本のポップカルチャーに関する論考を各種媒体で発信。著書に『増補版 夏フェス革命 -音楽が変わる、社会が変わる-』(blueprint)、『日本代表とMr.Children』(ソル・メディア、宇野維正との共著)。


本書の帯

本書のカバー表紙には、「新書大賞2023ランクイン!」「2020年代の空気を象徴する1冊」「目上の人に気に入られるために古典文学を読む」「名著の内容はYouTubeでチェック」「お金を稼げない勉強はムダ」「各メディアで話題沸騰!『朝日新聞』『日経新聞』『中日新聞』『東京新聞』『週刊文春』『週刊東洋経済』『中央公論』『NewsPicks』『ダイヤモンド・オンライン』」と書かれています。


本書の帯の裏

 

カバー前そでには、「社交スキルアップのために古典を読み、名著の内容をYouTubeでチェック、財テクや論破術をインフルエンサーから学び「自分の価値」を上げろ――このような『教養論』がビジネスパーソンの間で広まっている。その状況を一般企業に勤めながらライターとして活動する著者は『ファスト教養』と名付けた。『教養』に刺激を取り込んで発信するYouTuber、『稼ぐが勝ち』と言い切る起業家、『スキルアップ』を説くカリスマ、『自己責任』を説く政治家、他人を簡単に『バカ』と分類する論客・・・…2000年代以降にビジネスパーソンから支持されてきた言説を分析し、社会に広まる『息苦しさ』の正体を明らかにする」と書かれています。

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。
「はじめに」
第一章 「ファスト教養」とは?
    ――「人生」ではなく「財布」を豊かにする
第二章 不安な時代のファスト教養
第三章 自己責任論の台頭が教養を変えた
第四章 「成長」を信仰するビジネスパーソン
第五章 文化を侵食するファスト教養
第六章 ファスト教養を解毒する
「おわりに」
「あとがき」
「引用・参考文献」

 

「はじめに」の冒頭を、「教養の現在地としての『ファスト教養』」として、著者は以下のように書きだしています。
ひろゆき中田敦彦カズレーザー、DaiGo、前澤友作堀江貴文。この面々は、2021年の年末にエンターテインメントサイト『モデルプレス』で発表された『ビジネス・教養系YouTuber影響力トレンドランキング』の上位陣である。ここまでの文字列に、何とも言えない居心地の悪さと日本の『教養』への不安を覚える人は少なくないのではないか。断定的な口調でたびたびネットを騒がせるインフルエンサーたちが発信するものは果たして教養なのか? 教養とはビジネスの成功者によって語られる概念になったのか? そもそも、『ビジネス』と『教養』は同列に並べられるべきものなのか?」

 

過去の「教養」という言葉と比較して、今の「教養」がとくに色濃く帯びているもの。それは、ビジネスパーソンの「焦り」であるとして、著者は「手っ取り早く何かを知りたい。それによってビジネスシーンのライバルに差をつけたい。そうしないと自分の市場価値が上がらない。成長できない。競争から脱落してしまう・・・・・・。今の時代の『教養が大事』論は、そんな身も蓋もない欲求および切実な不安と密接に結び付いている。ビジネスで役に立つ知識としての教養、サバイバルツールとしての教養。そういう風潮と歩調を合わせるかのごとく、中田敦彦は自身のYouTubeチャンネルを『新時代を生き抜くための教養』と銘打ってスタートさせ、堀江貴文は自著で『骨太の教養書を読め』と煽る」と述べます。ファストフードのように簡単に摂取でき、「ビジネスマンの役に立つことこそ大事」という画一的な判断に支えられた情報。それが、現代のビジネスパーソンを駆り立てるものの正体です。


「『古き良き教養論』の向こう側へ」では、文化を愛する人たちは、ファスト教養の「浅さ」や「不完全さ」を否定することが紹介されます。著者は、「確かにその指摘は正しいかもしれないが、そういった意見は日々の仕事に追われるビジネスパーソンの焦燥感を理解していないからこそ発せられるものである。一方で、ファスト教養の影響下にあるビジネスパーソンが音楽も映画も読書もすべて『コスパ』と『ビジネスの役に立つか否か』で判断するような態度をとっているのを見ると、『文化はコスパや役に立つか否かで判断できるものではない』と違和感を通り越して義憤にかられることもある。ファスト教養が流布している今の状況は批判的に捉えられるべきというのが筆者の基本的な意見である。ただ、だからと言って、ビジネス系のインフルエンサーを見下し、『古き良き教養に戻れ』といったメッセージを出したところで何の役にも立たないこともよく理解しているつもりである。本書が目指すのは、理想を示しながらも、より現実的で、かつ実践的な行動指針を導き出すことだ」と述べます。


第一章「『ファスト教養』とは?──『人生』ではなく『財布』を豊かにする」の「グッドオールドvsファスト」では、「古き良き教養」と「ファスト教養」の2つの概念は、たまたまどちらも「教養」という言葉で括られてはいるが志向しているものは全く異なると指摘し、著者は「これらの考え方が整理および定義されることなく進められる『最近は教養がちょっとしたブームになっている』というような言説は、昨今の実態にそぐわない形に着地することが多いように思える。今現在『ブーム』になっているのは後者に回収されるもの、つまりは『何か(たいていの場合はビジネス)に役立てるため』という明確な目的と結びつく形での教養のあり方である。そういった状況への目配せなく教養の歴史をたどっても、現実に対する処方箋にはなりえない」と述べています。

 

 

教養と呼ばれる概念は今に至るまでたびたび形を変えてきています。大正期には阿部次郎『三太郎の日記』など当時の教養主義に連なる書籍が多数出版されていた一方で、マルクス主義の台頭などによって大正12年の時点ですでに「教養の軽視」が若年層の間で見られていました(筒井清忠『日本型「教養」の運命』)。また、戦後の大学キャンパス文化における教養主義についても、友人に差をつけたり異性の気を引いたりするためのファッションツール、もしくは「インテリ」「知識人」といった身分を獲得するための手段として機能していた旨が指摘されています(竹内洋教養主義の没落』)。

 

 

加えて、『教養のためのブックガイド』(東京大学出版会)の編者の1人である小林康夫の「そもそも教養のスタンダードなどないのではないか」、作家の佐藤優の「(教養について)マニュアルもありません」という発言を紹介しつつ、実際には昭和10年代に発行されていた『学生叢書』が「教養主義のマニュアル本」として機能していたという実態もあることを紹介します。著者は、「こういった点から考えると、古き良き教養が常に『純粋」』形で存在してきたかについては留保が必要だと考えられる。つまり、『同じ入れ物に対して時代に応じて投じられる要素が絶えず変わる』のが教養というものを取り巻く環境の常であり、そういった概念としての断絶性に留意することなく『もともと古代ギリシャでは・・・・・・』『ドイツのビルドゥングとの関連性は・・・・・・』といった観点を持ち出すと議論が余計に混乱する」と述べるのでした。

 

 

第二章「不安な時代のファスト教養」の「すぐ役に立つ人間はすぐ役に立たなくなる」では、ファストという名前のとおり、ファスト教養に求められているのは即効性であると指摘されます。今この瞬間にうまく立ち回りたい。そのために必要なネタが欲しい。なぜなら金儲け、すなわちビジネスにはスピードが大事だから。時間もコストと捉えると、すぐ使えれば使えるほどコスパが良いとも言える。この後、著者は小泉信三の『読書論』に書かれている「先年私が慶應義塾長在任中、今日の同大学工学部が始めて藤原工業大学として創立せられ、私は一時その学長を兼任したことがある。時の学部長は工学博士谷村豊太郎氏であったが、識見ある同氏は、よく世間の実業家方面から申し出される。すぐ役に立つ人間造ってもらいたいという註文に対し、すぐ役に立つ人間はすぐ役に立たなくなる人間だ、と応酬して、同大学において基本的理論をしっかり教え込む方針を確立した」という一文を紹介しています。

 

 

池上彰が本当に伝えたかったこと」では、出口治明氏の『人生を面白くする本物の教養』が刊行される前年、2014年に話題を呼んだのが池上彰氏の『おとなの教養』であったことが紹介されます。『おとなの教養』では小泉信三の話が序章で紹介されています。「すぐ役に立つ」ことへの警鐘を鳴らしたうえで、「だから本当の教養というのは、すぐには役に立たないかもしれないけれど、長い人生を生きていく上で、自分を支える基盤になるものです。その基盤がしっかりしていれば、世の中の動きが速くてもブレることなく、自分の頭で物事を深く考えることができるようになるわけです」と述べています。著者は、「人生の基盤という話は出口が考える教養論に通じる部分も大きい。一方で、『教養はすぐに役に立つものではないが大事』と伝えたいはずなのに結果的には『教養は役に立つツール』というメッセージが伝わってしまう・・・・・・という状況においても出口と池上は共通している」とも述べます。

 

 

「『脅し』としての教養論」では、ここ数年、「VUCAの時代」という言葉がビジネス書やビジネスパーソン向けのメディアでたびたび使われるようになってきたと紹介。「Volatility(変動性)」、「Uncertainty(不確実性)」、「Complexity(複雑性)」、「Ambiguity(あいまいさ)」を意味する単語の頭文字をつなげたこの言葉は、今の時代がいかに不安定であるかを示す際に登場します。そして、多くの場合「そんな時代にビジネスパーソンとして対応するために必要なのは○○」と続きます。「○○」には何らかのスキルセットが入る場合もあれば、具体的な商材名が含まれる場合もあります。そして、この論理展開と教養は非常に相性が良いのです。著者は、「この先何が起こるかわからないからこそ、教養を身につけることで時代の変化と向き合う力を手にすることができる――池上が教養の効用を通じて『想像力』『「創造的」な力』が身につく、としているのとリンクする考え方である」と述べます。

 

 

「世界のエリートのように『美意識』を鍛える必要はあるか」では、教養を学ぶことが一種のブーム化した背景には「これまでとは違う何かを学ばないと生き残れない」というビジネスパーソンの焦燥感があることが指摘されます。「中田敦彦のYouTube大学」も、手軽に幅広い知識を学べそうな期待を持たせる点においてこういった時代の空気とマッチしていると言えます。そしてそんな焦燥感に対するまた違った角度からの回答を(中田がYouTubeチャンネルを立ち上げる以前に)示しているのがブログ『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』で紹介した2017年に刊行された山口周氏の著書でした。


2020年7月時点で20万部(電子書籍3万部を含む)を突破するなど広く支持されている同書が着目したのは「世界的に高名な美術系大学院に幹部候補を送り込むグローバル企業、あるいは早朝のギャラリートークに参加しているニューヨークやロンドンの知的専門職の人たち」です。彼らは「これまでのような『分析』『論理』『理性』に軸足をおいた経営、いわば『サイエンス重視の意思決定』では、今日のように複雑で不安定な世界においてビジネスの舵取りをすることはできない」からこそ「極めて功利的な目的のために『美意識』を鍛えている」といいます。そしてその背景には、VUCA時代には論理的な発想だけで対応するのが難しくなる(関連する例としてコンサルティングファームによるデザイン会社の買収が紹介されている)、すべての消費が自己実現化する中で企業としての美意識の水準が競争力に直結する、システムの変化にルールが追いつかない中で自分なりの「真・善・美」による判断が必要になってくる、といった社会の変化があるとしています。


『世界のエリートは~』は具体的な現象を整理しながら時代の変化を切り取った丁寧な本です。ただ、著者によれば、この本は「ビジネスパーソンこそアートを学ぶべき」という話を説得力のある形で説明しているがゆえに、「楽しむため」ではなく「ビジネスに役立てるため」にアートを学ぶことを正当化した側面があるのは否めないといいます。本書の論旨に引き付けると、『世界のエリートは~』のヒットを介してアートがファスト教養に組み込まれたと言うことができるのです。「ファスト教養は『オウム』への対抗策になるか」では、教養というものの重要性が認識され直すきっかけになった出来事の1つとして1990年代半ばに起こった一連のオウム真理教に関する事件があった(ちょうど1990年代初頭から国立大学で教養部の解体が進んでいたタイミングでもあった)と指摘しています。


第三章「自己責任論の台頭が教養を変えた」の「税金は払ってるんですか?」では、「自力で金を稼ぐ人ほどえらい、社会において存在価値がある」「それができない人は存在価値がない(社会から支援を受けられなくても仕方ない)」といった考え方こそがファスト教養を支える土壌になっているのだとすると、そんな極端な文化はどのように形成され、どのようなプロセスで社会に広く内面化されるに至ったのだろうか。この問いと向き合う著者は、「結論を先取りすると、キーワードは『自己責任』『スキルアップ』、そして『公共との乖離』。小泉内閣構造改革路線に合わせてとくに叫ばれ始めた『自己責任』という概念とリンクするタイミングで、自らの力で旧来の社会システムを変えようとする新たなプレーヤーたちが注目を集めるようになった。彼らの動きはやがて公に対する意識からは切り離された個々人のスキルアップの文脈に回収され、最終的にはそういった流れの中での差別化ツールとして教養が祭り上げられる」と述べています。

 

 

勝間和代は自分の話しかしない」の冒頭には、「基本思想は、勉強すれば幸せになる、お金が手に入るということです」という勝間和代氏の言葉が紹介されています。堀江貴文氏が逮捕された翌年の2007年。あまりにもシンプルな考え方が、『無理なく続けられる年収10倍アップ勉強法』というあまりにもシンプルなタイトルの本によって投げかけられました。著者は、「この本が大きな支持を集めた背景には何があったのだろうか。堀江を含むIT起業家の成功をトレースしたい、という人々の気持ちを刺激したのだろうか。ライブドアが展開したお金をめぐる大騒動を経て、多くのビジネスパーソンは『年収を上げたい』という欲望を隠さなくなった。この本の著者は勝間和代公認会計士の資格を持ち、外資コンサルティングファームマッキンゼーに在籍経験があり、そして3児の母でもある。ある種の『スーパーウーマン』と言ってよいだろう」と述べます。

 

 

勝間氏は自著を通じて彼女のパワフルさを支えるツール、たとえば思考のフレームワークや時間の使い方などのハウツーを惜しみなく開示していきました。「勉強すれば年収が上がる」「努力をすれば幸せになれる」といった勝間氏の話は徹頭徹尾「自分の話」だけです。そしてそこには「自分に対して責任をすべて持てるのは、自分1人だけ」(『断る力』)という自己責任の発想が内在化されています。それゆえ、社会の格差の話になっても「格差をなくした社会のほうが、格差の上位に位置する人たちにとっても、安全で楽」というあくまでも「自分の身を守るため」という目線からの意見になる(勝間和代香山リカ『勝間さん、努力で幸せになれますか』)ことが明らかです。

 

 

ゼロ年代初頭に語られた「自助」と「自己責任」、そして堀江氏のブレイクによって浸透した「稼ぐが勝ち」精神、さらには堀江氏の逮捕による新たな社会へのビジョンを掲げる存在の失墜。そんな流れの中で「自分で努力をしてお金を稼ぐことこそ重要」「そのためのキャリアアップ・スキルアップを志すべき」「それに向けて自分の生活を管理して捧げよう」というメッセージを発信する勝間和代が支持されたのは今考えれば必然だったのだろうとして、著者は「そして、彼女の言うキャリアアップ・スキルアップとは『お金儲けにすぐに役立つ武器を身につける』こととほぼ同義であり、ファスト教養の世界観と完全に合致している」と述べるのでした。

 

 

「教養が差別化ツールになる」では、東日本大震災後の2011年に「さらば!スキルアップ教 教養こそ力なり」という特集が組まれたことが紹介されます。その特集のバックにいた佐々木紀彦がNewsPicksの編集長に就任したのが2014年でした。その前後で出口治明氏や池上彰氏による教養に関する書籍が支持を得たわけです。著者は。「世の中が大きく変わる時期に『歴史に学ぶべき』『文系と理系の垣根を乗り越えるべき』といった観点から教養の重要性が語られ、それが多くの人に支持されていたタイミングと、『お金儲けに直接役に立つスキルアップ(英語、会計、IT)』が飽和し始めたタイミングが一致した。これによって、ビジネスシーンに教養が流れ込んでいく動きは不可逆なものとなった。こういった流れから登場したのが、『すぐに役に立つ』ツールとして教養を取り扱うファスト教養の世界観である。昨今の『教養ブーム』と呼ばれる動きは、ゼロ年代初頭から今に至るまでの大きな流れの中で発生したものであり、決して突発的な現象ではない」と述べています。


ひろゆきが受け入れられた必然」では、10年少し前は自分のことを「よくわかんないヤツ」と述べていたひろゆきですが、もはやそんな状況ではなくなりつつあることが指摘されます。「はじめに」の冒頭で紹介した「ビジネス・教養系YouTuber影響力トレンドランキング」では1位に輝き、ソニー生命が2021年7月に発表した「中高生が思い描く将来についての意識調査2021」では、「将来のことを相談したいと思う有名人」でマツコ・デラックス明石家さんまに続き、3位にランクイン。さまざまな領域に対して小気味よく発言することでメディアでは辛口コメンテーター的な位置づけを確保しつつ、お笑い芸人と共演してテレビタレント的にも振る舞っており、その存在感は無視できないものになってきています。

 

 

第六章「ファスト教養を解毒する」の「トレンドを追わない」では、自己啓発より知識が大事ですが、「新しい知識を得なくては」という感情だけが先走ると何もいいことがないとして、著者は「この状況に陥らないように自身を制御することこそ、ファスト教養と向き合ううえでの防衛戦略である。そのために重要な観点が、『繰り返す』ことである。これについては、ブログ『知的生活の方法』で紹介した渡部昇一先生の名著で示される「あなたは繰りかえして読む本を何冊ぐらい持っているだろうか。それはどんな本だろうか。それがわかれば、あなたがどんな人かよくわかる。しかしあなたの古典がないならば、あなたはいくら本を広く、多く読んでも私は読書家とは考えたくない」という考えが参考になるといいます。

 

 

リベラルアーツとはお金、だけではない」では、KJ法の生みの親である川喜田二郎を含むさまざまな先人の知的生産の技術を『独学大全』(ダイヤモンド社、2020年)という大著にまとめ上げた読書家・作家の読書猿は、教養というものを「運命として与えられた生まれ育ちから自身を解放するもの」「自身の弱点や制約に対抗する知恵や工夫を、私達は知ることで開発することも、学ぶことで手にすることもできる。こうして私達を自由にするものを、私は教養と呼びたいと思います」と定義しています(2021年9月25日のツイート)。著者は、「ここでも学びを通じて到達する自由がキーワードとなっている」と述べています。

 

 

周りから浮いてしまうリスクをとってまで自由を得るための勉強に打ち込むことは今のビジネスパーソンには難しいでしょう。それを踏まえて、著者は、ビジネスパーソンが避けて通れない「ビジネスシーンで競争力を持つための知識」をどう得るべきかについても触れてきました。この2つの方向性、「既存の枠組みから自由になること」と「既存の枠組みの中で戦える知識の習得から逃げないこと」の両輪を回すことが、ファスト教養に抗いながら、ビジネス的な要請に応えていく「ポストファスト教養の哲学」なのではないかと訴えます。

 

 

著者は、思考プロセスをカジュアルな形で自分のものとするためにヒントになるのが雑談を基調としたコンテンツであると指摘し、「1つの大きなテーマをベースに思い付くままに会話を広げていき、思わぬ場所に着地する。こういった雑談のあり方は、『結論を最初に述べよ』といったビジネスシーンの常識とは相容れないものである。ただ、枠をはめずに思考とアウトプットを繰り返し、さまざまな世界を飛び回りながら、発想の自由を獲得していくプロセスこそ、主流の価値観が『ビジネスの役に立つ』『コスパ』に固まりつつある今の時代に大切にすべきものではないだろうか」と述べます。

 

 

自己啓発ではなく知識の習得によって現実にアジャストしつつも既存の物差しを疑う態度を忘れないポストファスト教養の哲学は、先鋭的なアイデアを生み出す層を下支えする土壌を作るうえでも有効なはずだとして、著者は「誰もが成功と成長を求めた結果として不安と疑心暗鬼が充満する社会ではなく、個人としてのチャンスをうかがいながらもいつかどこかで生まれるかもしれない『ジョブズ』(それはビジネスシーンだけでなくカルチャーの領域に関する才能ももちろん含む)を正しく受け止められるリテラシーを持った人々によって構成される社会へ。そんな社会像を共有できるビジネスパーソンを、本書では『教養あるビジネスパーソン』像として定義したい」と述べています。


「おわりに」の「無駄なことを一緒にしようよ」では、「結局のところ、ファスト教養とは何なのか」と問われます。その本質にあるのは、ビジネスやお金儲けに関係しない物事を無駄なものと位置づける姿勢にあるとして、著者は「この考え方を採用すると、世の中には大量の無駄が溢れている。ファスト教養は、そんな無駄なものを『無駄ではないもの=ビジネスやお金に関係すること』に変えようとするムーブメントであるともいえる。そう整理した時に思い出すのが、SMAPが2013年にリリースした楽曲『Joy!!』の一節である。彼らはサビの部分で声を合わせながら〈無駄なことを一緒にしようよ〉と歌う。ロックバンドの赤い公園のリーダーを当時務めていた津野米咲が作詞・作曲を手がけた『Joy!!』のこのラインは、エンターテインメントの本質を言い当てた名フレーズであるとともに、ファスト教養が広がりを見せる社会にこそ響く力強いメッセージでもある」と述べます。

死を乗り越える読書ガイド』(現代書林)

 

ファスト教養の時代に持つべき考え方は、「お金儲けの役に立たない情報は無駄」というスタンスからひたすら距離を取ることであるといいます。それを基本としたうえで、自分の置かれた局面に応じて必要な情報収集も適宜行えばよい。この順番を間違えてはなりません。「今ビジネスの役に立つ」というのは、すなわち「少しずつ古くなっていく価値観に追随する」ことに他ならないと指摘し、著者は「ビジネスの役に立つ教養というものがもし存在するのであれば、それはむしろ『今は無駄だと思われている』『でもそれがいつかスタンダードになるかもしれない』というような価値の転倒を起こそうとする意思と視点によってこそもたらされるはずである。そして、それが何なのかは、短期的なマネタイズに勤しむファスト教養の論者から学ぶことはできない。自分の実感にあった目の付け所を自力で見つけ出さなくてはならない」と述べるのでした。ちなみに、拙著『死を乗り越える読書ガイド』(現代書林)の帯にも書かれているように、わたしは「死生観は究極の教養である!」と考えています。

 

 

 2023年10月10日  一条真也