「顕神の夢」展 

一条真也です。
25日、翌26日から久留米市美術館で開催される「顕神の夢―幻視の表現者―村山槐多、関根正二から現代まで」展の内覧会に招待されました。「バク転神道ソングライター」こと京都大学名誉教授で宗教哲学者の鎌田東二先生が監修されている展覧会です。

「顕神の夢」展チラシの表面

「顕神の夢」展チラシの裏

 

顕神の夢―幻視の表現者―村山槐多、関根正二から現代まで」展ですが、公式HPには、「人知を超えた『何か』の訪れにより得た霊的な体験を、創作のモチベーションとする表現者たちがいます。その『何か』をとらえようと焦がれ、制作に向かう彼らの心情を、本展では仮に『顕神の夢』と名付けてみました。「何か」に憑かれ媒体となって私たちの世界へと繋ぐ行為、『何か』からの干渉を感知し幻視体験を通して得たヴィジョン、また直接感得した神仏のイメージの図像化などから生み出された作品の数々。本展では5章構成で51名の作品を紹介し、超越的な存在との関わりを基点とする、いわば『霊性の尺度』で見直すことで、その豊かな力の再発見、再認識を試みます」と書かれています。


出口なお「お筆先」


出口なお「お筆先」の前で


大本神諭の前で


鎌田先生所蔵の出口王仁三郎の茶器を眺める


鎌田先生の解説を聴きながら・・・


鎌田先生の解説を聴きながら・・・


岡本天明三貴神像」(1948年頃)の前で


金井南龍「妣の国」(1969年)


宮川隆「無題」(1993年)

 

この展覧会は、5章構成になっていますが、第1章「見神者たち」では、出口なお出口王仁三郎岡本天明、金井南龍、宮川隆、三輪洸といった作家たちの作品が出品。公式HPには、「得体の知れない、人間を超えた存在。『神』とみなされることもあるその『何か』に見出され、媒介者としての役割を果たす、宗教家、霊媒気質の表現者たちがいます。神懸かりによって『何か』の言葉を自動書記で記した出口なお(1837-1918)、憑依中、わずかな時間で三貴神像を描きあげたという岡本天明(1897-1963)。カンカカリャ(神懸かり)である宮川隆(1955-)の作品には文字とも絵とも判別しがたいものが現れています」と書かれています。


萬鐵五郎「かなきり声の風景」(1918年)


村山槐多「裸婦」(1915年ー16年)

齋藤隆「ドラマ(地の巻)」(1986年)


齋藤隆「ドラマ(地の巻)」の前で


関根正三「三星」(1912年)の前で


花沢忍「夢」2023年


この「夢」が一番好きです!

 

第2章「幻視の画家たち」では、村山槐多、関根正二、河野通勢、萬鐵五郎、古賀春江、高橋忠彌、三輪田俊助、芥川麟太郎、内田あぐり、藤山ハン、庄司朝美、齋藤隆、八島正明、花沢忍といった作家たちの作品が出品。公式HPには、「『何か』が訪れたとき、表現者たちに幻が顕れます。彼らには尋常ならざる感覚があり、幻視、ときに幻聴として意識されます。宗教的なビジョンもまた制作の重要なモチベーションとなります。萬鐵五郎(1885-1927 )の描いた《かなきり声の風景》は、風景画でありながら、まるで生き物がうごめいているようです。画家の内側から聴こえてくる見えざるものを反映しているのかもしれません」と書かれています。


横尾龍彦「龍との闘い」(1998年)


横尾龍彦作品を語る鎌田先生


石塚雅子「迦陵頻伽」(2014年)


黒須信雄「天之眞名井 No.24」(2005年)


佐々木誠久延毘古」(2012年)と

 

第3章「内的光を求めて」では、横尾龍彦、藤白尊、上田葉介、黒須信雄、橋本倫、石塚雅子といった作家たちの作品が出品。公式HPには、「網膜に映る光ではなく不可視の光、つまり心に浮かんだ霊的光とも言える内的なものを第三者にも『見える』ようにするために、表現者は色彩に変換し、絵画化します。その作品は、超感覚的な『響き』を伴う色彩で描かれます。石塚雅子(1965-)は奏者としての一面も持ち、それは内的な光と無関係ではなく、見えざる『何か』からもたらされた『響き』がその画面に出現しています。一方、横尾龍彦(1928-2015)の画面には内的な光、つまり内にうごめく情動が龍として顕れています」と書かれています。


牧島如来鳩「魚籃観音像」(1952年)

長安右衛門「装飾文様(懊悩)」(1927年)


長安右衛門「装飾文様(懊悩)」の前で


真島直子「妖精」(2011年)の前で

第4章「神・仏・魔を描く」では、円空、橋本平八、髙島野十郎、藤井達吉、秦テルヲ、長安右衛門、平野杏子、牧島如鳩、佐藤溪、石野守一、真島直子、吉原航平、若林奮、黒川弘毅、佐々木誠、三宅一樹といった作家たちの作品が出品。公式HPには、「直接的に神仏を感得し、絵や彫刻というかたちに留めた表現者たちによって、そのヴィジョンを通した独自の図像が生みだされました。図像には彼らの内面が投影されますが、『何か』は神や仏としてのみならず、魔としても現れました。牧島如鳩(1892-1975)の《魚籃観音像》には魚籃観音を中心に天女やマリア、天使が同画面に描かれており、仏教やキリスト教および神道にも通じていた牧島独自の図像となっています」と書かれています。


岡本太郎「千手」1965年


岡本太郎作品の前で


横尾忠則「水のある赤い風景」1996年


内覧会場にて


O JUN「XMAZ」(2013年)


背後に視線を感じるような・・・

 

第5章「越境者たち」では、宮沢賢治草間彌生岡本太郎横尾忠則、馬場まり子、赤木仁、舟越直木、中園孔二、OJUNといった作家たちの作品が出品。公式HPには、「こちら側と向こう側、三次元の世界と異次元の世界。その境を越え、常人とは異なる視点からこの世界を眺める者たち。彼らにはこちら側はなじみがたい場所であり、ときとして幻視や幻聴に襲われます。向こう側と通じることで、バランスを保つのです。中園孔二(1989-2015)は己が留まる世界に違和感を抱き、孤独の中に現れ、迫ってくる幻覚を描いています」とあります。


横尾龍彦の3作品の前で


鎌田先生とのツーショット

 

顕神の夢―幻視の表現者―村山槐多、関根正二から現代まで」展の作品がどれも素晴らしかったです。すべてが、そこから異世界にトリップできる「異界の入口」のような妖しさがありました。1点でも妖しいのに、「異界の入口」がこれだけ揃うと、もはやこの展示会場そのものが異界と化していました。


甚六寿司の前で

お疲れ様でした! カンパイ!

 

展覧会を鑑賞後は、鎌田先生と久留米市内の「甚六鮨」で会食しました。この夜の月は半月でしたが、まるでリアル・ムーンサルトレターのように、わたしたちは大いに語り合いました。特に、小倉に原爆が落ちなかった真相、フランスで楳図かずおの漫画と映画「男はつらいよ」がブームになっているという話で盛り上がりました。ちょうど、この日は「神道と日本人」対談の第1稿データが同書の編集者である内海準二さんから届いていましたので、帰宅したら校正作業に取りかかりたいと思います。


わたしも動画に登場します!

 

2023年8月26日  一条真也