「呪詛」

一条真也です。
ネットフリックスで映画「呪詛」を観ました。2022年に作られた台湾製ホラーです。わたしは「映画com. 」という映画情報サイトを愛読しているのですが、ここに突然「呪詛」の特集が組まれ、「最恐ホラー」「観たことを後悔する映画」として紹介。存在をまったく知らなかったホラーマニアのわたしは慌てて、ネットフリックスで視聴した次第です。怖さは、まあまあでした。


「呪詛」は「台湾史上最も怖い」と称され、台湾のホラー映画としては興収が歴代1位。ネットフリックスの日本ランキング1位にもなったそうです。映画com. の「解説」には、「台湾で実際に起きた事件をモチーフに、恐ろしい呪いから娘を守ろうとする母親の運命を、ファウンドフッテージの手法を盛り込みながら描いたホラー映画。かつて山奥の村で仲間たちとともに宗教的禁忌を破り、恐ろしい呪いを受けた女性ルオナン。関わった者は全員が不幸に見舞われ、ルオナンも精神に異常をきたし、幼い娘ドゥオドゥオは施設に引き取られた。6年後、ようやく回復したルオナンはドゥオドゥオを引き取って2人きりの新生活をスタートさせる。しかし新居で奇妙な出来事が続発し、ドゥオドゥオにも異変が起こり始める。6年前の呪いが娘にまで降りかかったことを知ったルオナンは、どうにか呪いから逃れるべく奔走するが・・・・・・。主演は『百日告別』のツァイ・ガンユエン。『ハクション!』のケビン・コーが監督・脚本を手がけ、本国台湾で大ヒットを記録した」と書かれています。

 

映画com. には、「最恐ホラー『呪詛』はどう生まれた? ケビン・コー監督が徹底解説 製作時の“怪現象”も明かす」というインタビュー記事が掲載されています。それによれば、子どもの頃からホラーが大好きだったというケビン監督は、2005年2月に台湾・高雄市鼓山区に住む家族に起こった“怪事件”からインスパイアを受けて「呪詛」を作ったとして、「当初『呪詛』は短編で作ろうとしていました。まず初めに考えたのは『見た後、必ず呪いにかかってしまう』というもの。そして『怖くて見たくない。しかし、見ずにはいられない。それでも見ることができない』といった中毒性がある作品にしようと思っていました。こういう作品を作るためには、どういうものを参考にしたらよいのか。そんなことを考えながら、新聞記事などで、実在の事件を探り始めました。その時、高雄(台湾・高雄市)で起こった事件を知りました」と述べます。


その事件のニュースに触れた際、ケビン監督の胸に芽生えたのは「これ以上追求したくない」という感覚だったそうです。彼は、「台湾人であれば、同じような感覚を抱くと思います。私は題材を探し続ける映画人です。そんな仕事をしているにもかかわらず『これ以上深入りしてはいけない』と思ってしまう。この感覚こそが、求めていた中毒性のポイントだなと思いました。ですから『呪詛』には、この感覚といくつかの要素を取り入れようとしました。映画をご覧になってみればわかるのですが、実際の事件とはそこまで似ている部分はありません。あくまで、深入りしたくないという感覚、それを生んだ要素の一部(宗教、神の存在)をオマージュとして取り入れています。実際の事件はあまりにもシリアスすぎて、そのまま使うことはできなかったんです」と語ります。



「呪詛」には、大黒仏母を信仰する宗教が登場しますが、これは創作であるとして、ケビン監督は「台湾を代表する宗教として、仏教と道教があります。これが人々にとっての“身近なもの”。もちろん実際の信仰対象を使うことはできません。ですが、あまりにもかけ離れたものになってしまうと、台湾の観客が“身近なもの”として感じることができない。身近に感じつつも、実際のものには抵触しないものとはなんだろうと考えていました。その時、中国・雲南省バラモン教の存在を知りました。そこでの信仰対象の色使い、造形が参考になり、そこに道教のいくつかの要素をミックスする形で宗教を創り上げたんです。最終的に目指したのは、古い宗教の神様。身近に感じつつも、実際には存在しない。しかし、それほど遠い存在ではない・・・・・・というものにしました」と語っています。



当初、「呪詛」は、母娘のストーリーではなかったそうです。また、大黒仏母も女性ではありませんでした。そこから母娘の話に決まったことで、ケビン監督は大黒仏母に「妊娠をしている母親のイメージ」を重ね合わせることにしたそうです。大黒仏母には夥しい数の文字が書かれていますが、これもかなり後半になってから設計したものだとか。「呪詛」には、大黒仏母を信仰する邪教の儀式が登場します。「儀式」といえば、ホラー映画の素材と思われるのは儀式バカ一代のわたしとしては心外ですが、奇妙な儀式を登場させることによって宗教学的あるいは民俗学的興味というスパイスが加味され、物語に深みが出ることも事実です。この映画では、「ホーホッシオンイー シーセンウーマ」という呪文が重要な役割を果たしますが、この設定は良かったと思います。


この映画は、ファウンドフッテージ、すなわち「フェイク・ドキュメンタリー」の手法を用いています。「モキュメンタリー」とも呼ばれます。代表的な作品に「ブレア・ウイッチ・プロジェクト」(1999年)があります。ビデオを使った最恐ホラーとして大きな話題になりましたが、超低予算(6万ドル)・少人数で製作されながらも、全米興行収入1億4000万ドル、全世界興行収入2億4050万ドルを記録したインディペンデント作品です。「魔女伝説を題材としたドキュメンタリー映画を撮影するために、森に入った3人の学生が消息を絶ち、1年後に彼らの撮影したスチルが発見されました。彼らが撮影したビデオをそのまま編集して映画化した」という設定ですが、実際は脚本も用意された劇映画です。


モキュメンタリーの手法が使われたホラー映画といえば、「パラノーマル・アクティビィティ」(2007年)を忘れることができません。タイトルの意味は“超常現象”。この映画は実話に基づいて作られているそうですが、家族設定や怪奇現象等、異なる点もいくつかあるとか。同棲中のカップル、ミカとケイティーは夜な夜な怪奇音に悩まされていました。その正体を暴くべくミカは高性能ハンディーカメラを購入、昼間の生活風景や夜の寝室を撮影することにしました。そこに記録されていたものは彼らの想像を超えるものでした。これもかなり怖い映画でした。


「ブレア・ウイッチ・プロジェクト」や「パラノーマル・アクティビィティ」などに強い影響を受けたと思われる作品に、ブログ「女神の継承」で紹介したタイを舞台にした2022年のホラー映画があります。原題は「THE MEDIUM」で、ホラー映画史に残る名作のエッセンスが詰まった内容です。タイ東北部、イサーン地方。その小さな村に暮らす女性ミンが突如体調不良に陥り、それまでの彼女からは想像できない凶暴な言動を繰り返す。ミンの豹変になす術もない母親は、祈祷師をしている妹ニムに救いを求める。ニムは、ミンが祈祷師を受け継いできた一族の新たな後継者として何者かに目され、取りつかれたために苦しんでいるとにらむ。ミンを救おうと祈祷を始めるニムだが、憑依している何者かの力は強大で次々と恐ろしい現象が起きるのでした。


同じく2022年に作られたブログ「哭悲/THE SADNESS」で紹介した作品は、「呪詛」と同じ台湾映画です。制作年も「呪詛」や「女神の継承」と同じ2022年です。この年は、アジアンホラーの当たり年だったと言えます。ただし、「哭悲/THE SADNESS」は宗教ホラーでも心霊ホラーでもなく、ゾンビ映画です。謎の感染症“アルヴィン”に対処してきた台湾。感染しても風邪に似た軽い症状しか現れないことからアルヴィンに対する警戒心が緩んできましたが、突如ウイルスが変異する。感染者たちは凶暴性を増大させ、罪悪感を抱きながらも殺人や拷問といった残虐な行為を行い始めるのでした。



「呪詛」はゾンビ映画ではありませんが、グロテスクな演出には共通するものがありました。皮膚に穴が開くシーンなどは視覚的に辛いものがありますし、痛さを想像すると気分が滅入ります。また、虫がたくさん出てくるシーンがありますが、これも個人的に嫌でしたね。心霊シーンは怖いといえば怖いですが、何か既視感があるというか、過去の名作の寄せ集めの印象がありました。あと、恐ろしい呪いから最愛の娘ドゥオドゥオを守ろうとする母親ルオナンの運命が描かれるわけですが、呪いによって母娘が恐怖体験をするだけでも気の毒なのに、ルオナンは精神病歴のあるシングルマザーなのです。頼る夫もおらず、家族も隣人もおらず、あまりにも可哀そうで胸が痛みました。


儀式の場に立ち入る(Netflix)

 

とはいえ、ルナオンがここまで怖い目に遭うのは自業自得とも言えます。彼女は探検系YouTuberのグループの一員でしたが、このグループは「迷信なんか信じないというノリで、禁忌を破る」という動画を売り物にしていました。メンバーの1人である男性の故郷で行われている儀式があるのですが、その場所には入ってはいけない地下道があります。彼らは本来なら関係者以外立ち入り禁止の結界に乗り込み、隠しカメラで撮影を始めます。そして、禁忌を片っ端から破りまくります。封印の扉を蹴破り、触れてはいけないものに触れ、食べてはいけない供物を食べます。儀式の備品も壊しまくります。しまいには「XX参上!」の文字と男性器の絵を儀式場の入り口に彫るという暴挙ぶり。これはもう別に邪教でなくとも、儒教とか道教とか仏教とかのまともな宗教でもバチが当たるでしょう。

儀式論』(弘文堂)

 

拙著『儀式論』(弘文堂)でも指摘したように、儀式には人々のさまざまな祈りや願いが込められています。それを部外者が非礼な行為で破壊しようとすれば、そこに「呪い」が発動するのは当然です。そして、それは大黒仏母の呪いというよりも、「大切な儀式の場を汚してしまった」というYouTuberたちの自責の念から来る自家発電的「呪い」かもしれません。人間は儀式を行う本能を持った儀式的動物であり、他人の信じる儀式といえども破壊した場合には、その行為を行った者に無意識の底に強い罪悪感が生まれます。その罪悪感がリアリティをもって現実化することが、この映画における「呪い」の本質ではないかと思いました。「触らぬ神に祟りなし」ですね。

2023年3月26日 一条真也