長女の結婚式

一条真也です。
時の経つのは早いもので、ブログ「長女の結納」で紹介した昨年11月3日の結納式から7ヵ月が経ち、6月5日の11時から長女の結婚式が行われました。この日は朝から小雨ですが、雨の日の結婚式は新郎新婦の人生に幸運をもたらすと言われているそうです。場所は、松柏園ホテルの新館「ヴィラルーチェ」のチャペルです。


親子3人で入場


母と娘


父と娘


新郎と向き合う

 

新婦の父親であるわたしは、長女と腕を組んで入場しました。長女と腕を組んだことなんて初めてなので落ち着きませんでしたが、そのまま前に進んで、新郎とバトンタッチしました。そのとき、ブログ「そして、バトンは渡された」で紹介した映画のクライマックス・シーンが頭に浮かびました。「娘の結婚」をめぐる映画には、小津安二郎の「晩春」「麦秋」「秋日和」「彼岸花」「秋刀魚の味」などがあります。なんだか、それらの小津映画を観直したい気分になりました。


新婦は新郎のもとへ・・・


そして、バトンは渡された


ああ・・・・・・


結婚式のようす

 

結婚式は粛々と進んでいきました。仕事柄、数えきれないほどの多くの結婚式に立ち会ってきましたが、やはり自分の娘の結婚式となると格別です。さまざまな感情が心に湧いてきました。長女は、2013年1月13日に成人式を迎えましたが、あれから9年後に花嫁になりました。

毎日新聞」2013年2月8日朝刊

 

ブログ「すべての儀式は卒業式」で紹介したように、成人式の本質は卒業式に似ていると思います。というよりも、この世のあらゆるセレモニーとはすべて卒業式ではないでしょうか。七五三は乳児や幼児からの卒業式であり、成人式は子どもからの卒業式。そう、通過儀礼の「通過」とは「卒業」のことなのです。 結婚式というものも、やはり卒業式でしょう。花嫁の父はなぜ涙を流すのか。それは、校長である父親は家庭という学校から卒業してゆく娘を愛しく思うからだと思います。

 

そして、葬儀は「人生の卒業式」です。 長女が成人式を迎えた年の正月、妻の父親、つまり義父が亡くなり、葬儀をあげました。家族を心から愛し続けた義父は、77年の人生を堂々と卒業していきました。わたしは、喪家の一員として葬儀に参列しながら、「死」はけっして不幸な出来事ではなく、人生を卒業することにほかならないのだとしみじみと思いました。義父が存命なら、きっと孫娘の結婚を心から祝ってくれたことでしょう。この日の結婚式には、わたしの父も参列してくれましたが、きっと目には見えなくても、義父も参列してくれているような気がしました。

 

 

感染防止への配慮から、この日の結婚式は親族のみの参加となりましたが、コロナ前なら友人や知人も参列してくれたことでしょう。この後の披露宴は、感染対策を万全にした上でみなさんも参列して下さいます。まさに、新郎新婦を取り巻く「縁」と「絆」が見える化される場となるわけで、わたしはかつて詠んだ「目に見えぬ 縁と絆を目に見せる 素晴らしきかな冠婚葬祭」という歌を思い出しました。最後に、花嫁になった長女に「麻佑、結婚おめでとう。どうか、二人で力を合わせて幸せになっておくれ」と言いたいです。


結婚式のようす


指輪の交換


ついに、この日が来ました


涙が止まらない・・・
麻佑、結婚おめでとう!

 

2022年6月5日 一条真也