一条真也です。
わたしは、これまで多くのブックレットを刊行してきましたが、一条真也ではなく、本名の佐久間庸和として出しています。いつの間にか44冊になっていました。それらの一覧は現在、一条真也オフィシャル・サイト「ハートフルムーン」の中にある「佐久間庸和著書」で見ることができます。整理の意味をかねて、これまでのブックレットを振り返っていきたいと思います。
今回は、『辞世の歌50選』をご紹介します。2010年6月に刊行したブックレットです。わたしは庸軒の雅号で短歌を詠んでいますが、今回は本名の佐久間庸和の名で出しました。とはいえ、著書ではなく、編著あるいは監修書の類です。
日本人は辞世の歌や句を詠むことによって、「死」と「詩」を結びつけました。死に際して詩歌を詠むとは、おのれの死を単なる生物学上の死に終わらせず、形而上の死に高めようというロマンティシズムの表われではないでしょうか。そして、「死」と「志」も深く結びついていました。死を意識し覚悟して、はじめて人はおのれの生きる意味を知ります。
有名な坂本龍馬の「世に生を得るは事を成すにあり」こそは、死と志の関係を解き明かした言葉にほかなりません。また、『葉隠』には「武士道といふは死ぬ事と見つけたり」という句があります。これは、武士道とは死の道徳であるというような単純な意味ではありません。武士としての理想の生をいかにして実現するかを追求した、生の哲学の箴言なのです。このように、もともと日本人の精神世界において「死」と「詩」と「志」は不可分の関係にあったのです。「辞世の歌」とは、それらが一体となって紡ぎ出した偉大な人生文学であると思います。
歌を詠んだ人々は、以下の通り。
在原業平、紀貫之、平忠度、藤原定子、源頼政、菊地武時、武時妻、西行、北条基時、足利義政、明智光秀、光秀妻、足利義輝、伊賀崎治堅妻、蒲生氏郷、島津義久、武田勝頼、勝頼妻、伊達政宗、谷宗牧、北条氏政、細川がラシャ、山崎宗鑑、朱楽菅江、井伊直弼、市川団十郎(初代)、大石良雄、尾形乾山、柏原益軒、滝沢馬琴、良寛、八百屋お七、神方古香、川路高子、本居宣長、北村季吟、黒田如水、月照、西郷隆盛、吉田松陰、高杉晋作、質亭文斗、水野十郎左衛門、村田整、清水次郎長夫人お蝶、伊藤きん、太田垣蓮月、栗林忠道、三島由紀夫、川端康成といった面々です。
わたしが特に好きなのは、次の三首です。
良寛に辞世あるかと人問はば
南無阿弥陀仏といふと答へよ
(良寛)
あらたのし思ひは晴るる身は捨つる
浮世の月にかかる雲なし
(大石良雄)
頼み無き此世を後に旅衣
あの世の人にあふそ嬉しき
(清水次郎長夫人お蝶)
2022年4月3日 一条真也拝