山本リンダ最強説

一条真也です。
九州は記録的な大雪となっています。
小倉の自宅に命からがら帰ってきましたが、ブログ「どうにもとまらない!」ブログ「記録的大雪!」で紹介した小倉出身の女性歌手・山本リンダの動画が大きな反響を呼んでいるようです。



草刈正雄が小倉が生んだ芸能界のヒーローなら、山本リンダは小倉が生んだ芸能界のヒロインです。1951年3月4日、福岡県小倉市(現:北九州市)に生まれました。父親はアメリカ人、母親は日本人のハーフでした。父親はアメリカ軍の軍人でしたが、リンダが1歳の頃に朝鮮戦争で戦死。そのため女手一つで育てられました。リンダは母に楽をさせたいと思い、モデルのオーディションに応募。1962年に雑誌「装苑」のモデルオーディションを受検したことをきっかけに、人気モデルとして活動します。1966年、高校在学中の15歳の時に、シングル「こまっちゃうナ」で歌手デビュー。同曲が大ヒットとなり、国民的アイドルとして全国に知られるようになりました。翌年、「第18回NHK紅白歌合戦」で紅白初出場を果たします。当時は舌っ足らずな口調を売りにした、いわゆる「可愛い子ちゃん歌手」でした。

 

しかし、デビュー曲「こまっちゃうナ」が大ヒットした後はヒットに恵まれず、人気は低迷。1971年7月から同年12月まで「仮面ライダー」(毎日放送)に出演。1972年、キャニオンレコード移籍第2弾目のシングルレコードとして、当時の売れっ子作詞家・作曲家であった阿久悠・都倉俊一のコンビによる「どうにもとまらない」を発表。セクシーな大人の歌手にイメージチェンジして発表した同曲は大ヒットとなり、第14回日本レコード大賞作曲賞、第3回日本歌謡大賞放送音楽賞、有線放送大賞夜の有線大賞を受賞。また第23回NHK紅白歌合戦にも5年ぶりにカムバックしました。



1973年には「狙いうち」が大ヒット。この年、第10回ゴールデン・アロー賞グラフ賞、キャニオンレコードヒット賞を受賞。第24回NHK紅白歌合戦にも出場。セクシーな激しい歌と踊りで人気を獲得し、後のピンク・レディーに先駆けて「アクション歌謡」を全国に定着させました。「狙いうち」というタイトルが「ボールをヒットさせる」ことを想起されることから、東京六大学野球明治大学応援団は、作詞者の阿久悠明治大学OBであったこともあり、同曲を「チャンステーマ」として導入しました。それが甲子園にも伝播し、以後は高校野球の応援歌の定番となり、また中日ドラゴンズの応援(得点のチャンスを迎えた時)でも使われていました。



じつは、わたしは山本リンダこそは日本の芸能界が生んだ最強の女性アイドルではないかと考えているのです。彼女は現在の日本の芸能界を席巻しているハーフ・タレントの先駆け的存在ですが、とにかくスタイルが良い。顔もバービー人形みたいに可愛いし、リズム感があってダンスはキレキレだし、さらに加えて歌が抜群に上手い。こんな完璧なアイドルはなかなかいません。山本リンダ最強説を証明するのが、1974年の第25回紅白歌合戦の紅組ラインダンス(ロケットダンス)です。ザ・ピーナッツ梓みちよ、石田あゆみ、チェリッシュの松崎悦子、小柳ルミ子桜田淳子山口百恵といった日本芸能史を彩る錚々たるメンバーの中で山本リンダはラインダンスのセンターを務めているのですが、そのスタイルおよびルックスは群を抜いています。まるで、日本版ワンダーウーマンみたいです。これは非常に貴重な動画ですね。

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新型コロナウイルスですが、1都3県に緊急事態宣言が再出されるも、9日の東京都の新規感染者は2268人で3日連続で2000人を超え、埼玉、千葉、神奈川の3県をはじめ、岐阜、静岡、三重、滋賀、兵庫、長崎の9県で過去最多を更新。全国で新たに7775人という過去2番目の多さの感染が確認され、重症者は827人と最多を更新、国内のコロナ死者はついに4000人を超えました。感染は拡大し続けるし、雪はまったく降りやまないし、日本は大変な事態になっていますが、名曲「どうにもとまらない」を口ずさめば、少しは気が軽くなるかもしれません。沖縄の「なんくるないさー」にも似て、「どうにもとまらない」はシャレにならない深刻な現状をいったん客観視して、不安から逃れる呪文のような気がします。



2021年1月9日 一条真也