葬祭責任者会議

一条真也です。
5日の午前中、北九州紫雲閣で執り行われた葬儀に参列しました。その後、小倉紫雲閣へ。ブログ「グリーフケア資格研修発会式」で紹介した記念すべきセレモニーが行われた翌日ですが、同じ小倉紫雲閣の大ホールで、サンレーグループの全国葬祭責任者会議が開催されました。2019年11月7日以来の開催です。

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葬祭責任者会議のようす

前回は、特別ゲストとして、上智大学グリーフケア研究所島薗進所長をお招きしました。そして今回、5日の16時半から、わたしは、恒例の社長訓話を1時間にわたって行いました。まずは、前日のグリーフケア資格研修発会式」の発会式に言及しました。わたしは、グリーフケアの普及が、日本人の「こころの未来」にとっての最重要課題と位置づけています。

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最初は、もちろん一同礼!

 

上智大学グリーフケア研究所客員教授として教鞭をとりながら、社内で自助グループを立ちあげグリーフケア・サポートに取り組んでいます。2020年からは、副会長を務める全互協と同研究所のコラボを実現させ、互助会業界にグリーフケアを普及させるとともに、グリーフケアの資格認定制度の発足にも取り組んでいます。全互協内にグリーフワークPTを発足させ、座長として2021年6月に「グリーフケア資格認定制度」を開始するべく活動を進めています。

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グリーフケアの目的は2つある!

 

グリーフケアの目的は、主に2つあります。
「死別の喪失に寄り添う」ことと「死の不安を軽減する」ことです。人間にとって最大の不安は「死」です。死の不安を乗り越えるために、人類は哲学・芸術・宗教などを発明し、育ててきました。哲学・芸術・宗教は「死の不安を軽減する」ために存在していると言っても過言ではなく、それらの偉大な営みが「グリーフケア」という一語のもとに集約されてきています。「こころの時代」と言われてきて久しいですが、「こころの時代」とは「死を見つめる時代」であり、「グリーフケアの時代」です。 f:id:shins2m:20201105163500j:plain互助会とグリーフケアについて

 

 「グリーフケアが冠婚葬祭互助会にとってなぜ必要になっているのか」についても話しました。冠婚葬祭互助会は、結婚式と葬儀の施行会社ではなく、冠婚葬祭に係る一切をその事業の目的としています。確かに結婚式と葬儀を中心に発展してきた業界ではありますが、結婚式と葬儀のいずれも従来は近親者や地域社会で行なってきたものが、時代の流れにより対応できなくなり、事業化されてきたとも言えますf:id:shins2m:20201105165237j:plain
「悲縁」を育てる!

 

グリーフケアについても、葬儀後の悲嘆に寄り添うということから考えると、まさに冠婚葬祭の一部分と言えると思います。このグリーフケアについても、従来は近親者や地域社会が寄り添いクリアしてきた部分でしたが、現在その部分がなくなり、今必要とされているのです。「血縁」や「地縁」が希薄化する一方で、遺族会自助グループに代表される「悲縁」を互助会が育てているとも言えます。f:id:shins2m:20201105200509j:plain
グリーフケアの必要性について

 

わが社の営業エリアにもある地方都市では、一般的に両親は地元に、子息は仕事で都市部に住み離れて暮らす例が多く、夫婦の一方が亡くなって、残された方がグリーフケアを必要とれる状況を目の当たりにすることが増えています。地域社会との交流が減少している中、葬儀から葬儀後において接触することが多く故人のことやその家庭環境が分かっている社員が頼りにされるという状況も増えています。互助会としては、このような状況を放置することはできません。しかしながら、グリーフケアの確かな知識のない中、社員の苦悩も増加しており、グリーフケアを必要とされている方はもちろん、社員そして会社のために必要です。

f:id:shins2m:20201105165327j:plain社会的責任(CSR)を果たす!

 

次に、 「冠婚葬祭互助会がグリーフケアに取り組むことで、地域社会との関係がどのように変わっていくか」について話しました。グリーフケアにとどまらず、地域社会が困っていることや必要としていることに関わっていくのは、冠婚葬祭互助会のような地域密着型の企業にとっては事業を永続的に続けていくために必要なことです。それは社会的責任(CSR)を果たすことにつながり、地域に認められる存在となる重要なキーポイントだと思います。

f:id:shins2m:20201105163700j:plain家族葬罪と罰」について

 

それから、葬儀の話に移り、少し前に週刊誌から取材を受けた「家族葬」の話をしました。ある週刊誌が終活特集を組み、「家族葬罪と罰」というテーマで、取材を受けました。わずらわしい人間関係を避けつつ、あまりおカネをかけたくない人たちが家族葬を選んでいるといいます。結局、家族葬の根本にあるのは、「なるべく労力をかけたくない」という本音です。

f:id:shins2m:20201105201112j:plain葬儀は、面倒だからこそ意味がある!

 

しかし、わたしは「葬儀は、面倒だからこそ意味がある」と指摘し、「よくよく考えてみれば、人がひとりこの世からいなくなってしまうというのは大変なことです。骨になってしまえば、生の姿を見ることは二度と出来ない。取り消しがつかないからこそ、憂いは残さないほうがいい。億劫という気持ちはいったん脇において、関係のあった多くの人に声をかけ、故人と最後の挨拶を交わす場所を用意してあげるべきです。選択を誤れば、最期を迎える自分自身も無念が残るし、家族にも『罪と罰』という意識だけを抱かせてしまうことになる。一生の終わりに間違いを犯さぬよう、よくよく考えて『去り方』を決めなければならない」と述べました。

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熱心に聴く人びと

家族葬」は、もともと「密葬」と呼ばれていたものです。身内だけで葬儀を済ませ、友人・知人や仕事の関係者などには案内を出しません。そんな葬儀が次第に「家族葬」と呼ばれるようになりました。しかしながら、本来、ひとりの人間は家族や親族だけの所有物ではありません。どんな人でも、多くの人々の「縁」によって支えられている社会的存在であることを忘れてはなりません。「密葬」には「秘密葬儀」的なニュアンスがあり、出来ることなら避けたいといった風潮がありました。それが、「家族葬」という言葉を得ると、なんとなく「家族だけで故人を見送るアットホームな葬儀」といったニュアンスに一変し、身内以外の人間が会葬する機会を一気に奪ってしまったのです。

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家族葬」と「直葬」の正体とは?

また、昨今わたしたちが目にするようになった「直葬」に至っては、通夜も告別式も行わず、火葬場に直行します。これは、もはや「葬儀」ではなく、「葬法」というべきでしょう。そして、「直葬」などというもったいぶった言い方などせず、「火葬場葬」とか「遺体焼却」という呼び方のほうがふさわしいように思います。すでにさまざまな関係性が薄れつつある世の中ですが、家族葬をはじめとする密葬的な葬儀が進むと「無縁社会」が一層深刻化することは確実です。さらにそれだけにとどまらず、家族葬で他人の死に接しないことが、他人の命を軽視することにつながり、末恐ろしいことにつながらなければ良いと思います。

f:id:shins2m:20201105164454j:plain葬祭業はエッセンシャルワークだ!

 

さて、最近、「葬祭業はエッセンシャルワークですね」とよく言われます。エッセンシャルワークとは医療・介護・電力・ガス・水道・食料などの日常生活に不可欠な仕事です。そして、葬儀もエッセンシャルワークです。葬儀にはさまざまな役割があり、霊魂への対応、悲嘆への対応といった精神的要素も強いですが、まずは何よりも遺体への対応という役割があります。遺体が放置されたままだと、社会が崩壊します。それは、これまでのパンデミックでも証明されてきたことでした。何が何でも葬儀に関わる仕事は続けなければならないのです。

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熱心に聴く人びと

 

感染症に関する書物を読むと、世界史を変えたパンデミックでは、遺体の扱われ方も凄惨でした。14世紀のペストでは、死体に近寄れず、穴を掘って遺体を埋めて燃やしていたのです。15世紀にコロンブスが新大陸を発見した後、インカ文明やアステカ文明が滅びたのは天然痘の爆発的な広がりで、遺体は放置されたままでした。20世紀のスペイン風邪でも、大戦が同時進行中だったこともあり、遺体がぞんざいな扱いを受ける光景が、欧州の各地で見られました。もう人間尊重からかけ離れた行いです。その反動で、感染が収まると葬儀というものが重要視されていきます。人々の後悔や悲しみ、罪悪感が高まっていったのだと推測されます。コロナ禍が収まれば、もう一度心ゆたかに儀式を行う時代が必ず来ます。

f:id:shins2m:20201105163500j:plainさらに「天下布礼」を進めよう!

 

最後に台風10号では、100人以上の避難者の方々を受け入れた話をしました。「魂を送る場所」であった紫雲閣が「命を守る場所」となったことは画期的であり、「セレモニーホール」が「コミュニティホール」へと進化しました。冠婚業も葬祭業も、単なるサービス業ではありません。それは社会を安定させ、人類を存続させる社会インフラとしての文化装置なのです。「礼経一致」に基づくサンレー の企業姿勢は正しいと信じています。冠婚葬祭は変わるけれども、冠婚葬祭はなくなりません。コロナ禍の時代にあっても、いやコロナ禍だからこそ、さらに「天下布礼」を進めていきたいものです。

f:id:shins2m:20201105171815j:plainグリーフケアの時代」の映像を上映

f:id:shins2m:20201105172429j:plainグリーフケアの時代」の映像を上映

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f:id:shins2m:20201105173209j:plainグリーフケアの時代」の映像を上映

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最後は、もちろん一同礼!

 

なお、社長訓話後は「グリーフケアの時代」の映像を上映しました。その後、小倉紫雲閣から松柏園ホテルに移動して、懇親会が開催されました。もちろん、ソーシャルディスタンスには最大限の配慮がなされていました。料理はどれも美味しかったですが、特に「松茸の土瓶蒸し」が最高でした。

f:id:shins2m:20201105181327j:plain懇親会のようす
f:id:shins2m:20201105182422j:plain「松茸の土瓶蒸し」が最高でした!

 

2020年11月5日 一条真也