ラスト・ムーンサルトレター

一条真也です。
昨夜は中秋の名月でしたが、本日10月7日の夜は満月です。わたしは、宗教哲学者の鎌田東二先生との満月の往復書簡「シンとトニーのムーンサルトレター」を投稿しました。5月30日に鎌田先生が帰幽されて以来、ずっと独りレターを投稿してきましたが、それも今夜で終わりです。20年8ヵ月にわたって続いてきたムーンサルトレターですが、第248信をもってラストレターとなります。


ムーンサルトレター第248信

 

2025年10月7日の21時に第248信を投稿しました。その冒頭に、わたしは「月におられるTonyさん、こんばんは。昨日、10月6日は「中秋の名月」でしたね。中秋の名月は旧暦の8月の十五夜です。翌7日の今夜の満月はいつもより明るく見えるスーパームーンです。中秋の名月と満月の日付がずれることはたびたび起こっており、次に中秋の名月と満月が同じ日付になるのは2030年なのだそうですよ。さて、このムーンサルトレターも248信。Tonyさんがこの世を旅立たれてからは、ずっと独りレターを書いてきましたが、それも今夜が最後です。このレターが、ラストレターとなります。最後に、Tonyさんに大切なご報告をいたします」と書きました。

満月交命 ムーンサルトレター』(現代書林)

 

ブログ「かまたまつり」に書いたように、9月13日(土)に、京都府亀岡の「大本みろく会館」で、鎌田東二百日祭の「かまたまつり」が盛大に開催され、200人を超す方々が参集しました。「かまたまつり」は、Tonyさんご自身が生前に「自分の死後は“かまたまつり”と呼ぶまつりをやってほしい」と語られていた構想を、遺言としてわたしたちに託されたものであります。わたしはTonyさんより、葬儀委員長の大役を仰せつかりました。当日は12時30分から受付開始で、参加者全員に刷り上がったばかりの満月交命 ムーンサルトレター鎌田東二一条真也著(現代書林)が配られました。784ページの鈍器本ですが、わたしからの贈呈です。

 

13時から「かまたまつり」の第一部「鎌田ものがたり」が開始されました。冒頭の追悼ムービーの後、葬儀委員長であるわたしが奉辞を述べました。 わたしは「わが魂の義兄 鎌田東二先生の御霊に捧げ奉ります」として、「去る5月30日、鎌田東二先生はこの世を卒業されていきました。翌31日、わたしは先生のご自宅を訪ね、ご拝顔させて頂きました。その表情はまさに即身成仏のような、深く穏やかで、何とも言えない安らぎに満ちていました。鎌田先生、あなたは本当にご自分の人生を全身全霊で生きられました。この場をお借りして、心から申し上げます。お見事な人生でございました!」と述べました。

ムーンサルトレター第248信

 

わたしは「いつか、わたしもそちらに行ったとき、どうか笑顔で迎えてください。そしてこう言ってほしいのです。『魂の弟よ、本当によく頑張ったな』と。今日、ここに集ったわたしたちの想い、祈り、拍手、涙、そして笑顔。そのすべてが、きっと鎌田先生のもとへ届いています。先生の言葉、歌、祈りは、宗教の壁も、時代の隔たりも超え、これからも、わたしたちの心の奥に、生き続けていくでしょう。そして先生の偉大な足跡と志を胸に刻み、未来へとつないでいくことを、ここにお誓い申し上げます。鎌田先生、本当にお疲れ様でした。そして、ありがとうございました」と述べ、「最後にもう一度だけ言わせて下さい。鎌田先生、お見事な人生でございました!」と述べたのでした。涙がとめどなく溢れ出てきました。

ムーンサルトレター第248信

 

第三部「縁の行者鎌田東二を食べる~かまた学問道 道としての学問・方法としての学問・表現としての学問」のラストは、生前のTonyさんとの約束により、わたしが北島三郎の国民的名曲「まつり」を歌いました。わたしは背に「祭」と入った黄金の法被をまとって登壇しました。ただし、鉢巻きと腰帯だけはTonyさんのイメージカラーであるグリーンに替えました。その装いでわたしが登壇すると、客席からどよめきが起こりました。最初に、「鎌田先生とわたしはカラオケが共通の趣味で、数えきれないほど御一緒しました。わたしは「鎌田先生、お元気ですか? わたしたちは元気です! これから、鎌田先生が大好きだった『まつり』を歌います。月まで届け、この歌・・・」と言ってからカラオケがスタートしました。イントロ部分で「初宮祝に七五三、成人式に結婚式、長寿祝に葬儀を経て法事法要・・・人生は祭りの連続でございます。今日は出口王仁三郎聖師ゆかりの大本みろく会館で鎌田東二百日祭の『かまたまつり』ということで、めでたいなあ~。さあ、祭りだ、祭りだ~! 皆の衆、この世も、あの世も面白く行こうぜ!」と言うと、早くも会場が熱狂の坩堝と化しました。


満月シリーズの書名をラップで連呼しました♪

 

「山の神」「海の神」と口にするたびに大きな歓声が起きます。大本みろく会館の音響やスクリーンも最高です。まるで、出口王仁三郎聖師も応援してくれているような気分になりました。みんなで歌い、踊り、大いに盛り上がりました。わたしは、会場中を練り歩き、みなさんと握手をしながら歌いました♪ 間奏では、「満月交感🎵満月交遊🎵満月交心🎵満月交命🎵」とTonyさんとの往復書簡集の書名を連呼し、さらには「令和の霊界物語♪ この世もあの世も面白く♪」と即興のラップを披露しました。最後は、「これが日本のまつり~だ~よ~♪」の歌詞を「これが鎌田のまつり~だ~よ~♪」に替えました。興奮が最高潮に達しました。歌い終わって、「イエ〜イ!!」と叫ぶと、舞台の左右からジャンボクラッカーが鳴らされました。まさに「狂乱のカーニバル」そのもので、割れんばかりの盛大な拍手が起こりました。歌い終わったわたしは、「鎌田先生、そちらに行ったら、またカラオケ行きましょう! その日まで、オルヴォワール!」と言いました。Tonyさんは喜んで下さったでしょうか?

ムーンサルトレター第248信

 

歌唱後、わたしは葬儀委員長として、そのままステージ上で謝辞を述べました。わたしは、「葬儀委員長でございます。こんな格好で失礼します。本日は、誠にありがとうございました。いま、魂のすべてを込めて、鎌田東二先生に捧げる『まつり』を歌わせていただきました。この曲の最後の一節、『これが鎌田のまつりだ〜よ〜!」と叫んだ瞬間、わたしの胸に去来したのは、先生のあの笑顔と、あのまっすぐな眼差しでした」と述べ、それから「鎌田先生もきっとこの『まつり』の様子を見て、笑顔を浮かべていることを確信しております。そして今日ここにお集まりいただいた皆さまとともに、鎌田先生の偉大な功績と志を胸に刻み、未来へとつなげていきたいと思います」と言いました。そして、「最後にもう一度、心から叫ばせてください。これが鎌田のまつりだ~よ~!」と叫んだ後、「ありがとうございました!」と最敬礼しました。わたしはこの日、奉辞とカラオケの両方をやりましたが、これは1人で「礼楽」を実現したような気がしました。

ムーンサルトレター第248信

 

「かまたまつり」を終えた翌日の9月14日、ブログ「かまたかたみ」で紹介したように、Tonyさんの形見を頂戴しました。「かまたまつり」では、Tonyさんが生前に愛用した数々の品が展示されていましたが、その中でもひときわ目を引いたのが2個の茶器でした。これは「耀盌(ようわん)」と呼ばれる器です。大本教出口王仁三郎が念願して造った茶碗のことで、その独特の輝きと美しさで各界の芸術家や評論家に衝撃を与えました。評論家の加藤義一郎が「星の光」という意味を込めて名付け、その作品は展覧会などを通して国内外に広まり、平和を願う希望の光として多くの人々を勇気づけました。この2個の耀盌を鎌田先生の形見として謹んで頂戴いたしました。

 

出口王仁三郎は「芸術は宗教の母である」と喝破しましたが、わたしは哲学・芸術・宗教は同根であると考え、「宗遊」という言葉を唱えました。拙著心ゆたかな言葉オリーブの木)で詳しく紹介していますが、生前のTonyさんが特に気に入ってくれたキーワードの1つです。宗教の「宗」という文字は「もとのもと」という意味で、わたしたち人間が言語で表現できるレベルを超えた世界です。いわば、宇宙の真理のようなものです。その「もとのもと」を具体的な言語とし、慣習として継承して人々に伝えることが「教え」です。だとすれば、明確な言語体系として固まっていない「もとのもと」の表現もありうるはずで、それが「遊び」なのです。そして「遊び」そのものである芸術は最も原始的な「もとのもと」の表現であり、人間がハートフルになる大きな仕掛けとなります。

 

Tonyさんも宗教哲学者でありながら芸術に情熱を傾けた方でした。特に熱心に取り組んだのが、神道ソングの製作です。神道ソングは、日本神話の中のスサノヲ神の「八雲立つ 出雲八重垣 妻篭みに 八重垣作る その八重垣を」によって始まりました。スサノヲノミコトは神道ソングの創始者であり、親分です。神道ソングはまた、わが国伝統の「しきしま(敷島)の道」、すなわち歌の道であり、言霊の発露の道であるといいます。鎌田先生は「そのスサノヲからのミッションによってわたしは歌を歌う」と述べられましたが、じつは出口王仁三郎は「スサノヲの末裔」を自認していました。ということは、出口王仁三郎から鎌田東二へ、鎌田東二から一条真也へ・・・・・・わたしは、スサノヲの荒ぶる魂を受け継ぐことになるのでしょうか? いずれにしろ、魂の義兄弟の形見ですので、大事にさせていただきます。

ムーンサルトレター第248信

2025年9月27日「産経新聞」(全国版)

 

ということで、20年と8ヵ月にわたって続いてきたこの満月文通も最後になりました。わたしは、最後に「今夜の美しい満月を見上げれば、まん丸いお月様の中にTonyさんの笑顔が浮かんでいるようです。わたしも、いずれそちらへ参りますので、そのときはよろしくお願いいたします。それでは、魂の兄よ、また逢う日まで、オルヴォワール!」と書いたのでした。みなさまの長年のご愛読に心より感謝いたします。それでは、Jurrivhが演奏する「Last  Letter」のピアノの音色とともにお別れしたいと思います。オルヴォワール!



*よろしければ、本名ブログもお読み下さい!

 

2025年10月7日  一条真也