朝本浩文よ、安らかに眠れ!

一条真也です。
小倉高校の同級生で音楽プロデューサーの朝本浩文君が先月30日に亡くなりました。同じく同級生である経営コンサルタントの首藤章三君が報せてくれました。まだそのときは内密とのことで他言は一切しませんでしたが、大変ショックを受けました。高校時代は別々のクラスでしたが、予備校時代はずっと朝本君、首藤君とトリオで行動していました。他の2人は慶應で自分は早稲田に分かれましたが、大学時代も3人で仲良く遊んだ仲でした。


「ヤフー・ニュース」より



ヤフーのTOPニュースにも掲載されていましたが、「音楽ナタリー」配信の「朝本浩文が53歳で逝去」という記事には以下のように書かれています。
朝本浩文が11月30日に逝去したことが明らかになった。53歳だった。
朝本は2014年9月に自転車事故で頭部を強打して意識不明となり、そのまま療養生活を続けていた。朝本の妻、由美氏は彼の療養生活を支援するプロジェクト『AID FOR Asamoto』Facebook公式アカウントにて『朝ちゃん、これからは安らかに。本当にありがとう! 朝本浩文の美しい楽曲の数々が、彼の魂と共に生き続ける事を願っております』とコメントしている。葬儀はすでに密葬で執り行われており、後日彼を見送る会の開催が予定されている。朝本は1985年にAUTO−MODのメンバーとして本格的な活動を開始。これまでにUA,THE BOOM,ZEPPET STORE、THE YELLOW MONKEYなどのプロデュースやアレンジを手がけてきた」


学生時代は朝本君がわたしの小倉の実家や東京の部屋によく泊まりに来ましたし、彼のライブには何度も行きました。六本木のディスコやカラオケにも行きました。当時人気絶頂だったチェッカーズのメンバーを紹介してくれて、みんなで朝まで六本木で飲んだ思い出もあります。カラオケでは、わたしの歌を聴いて「うまいなあ」と言ってくれたことが忘れられません。
早朝のマックや吉野家にもよく一緒に行きました。恵比須でラーメンもよく食ったな。そうそう、松柏園のラウンジでピアノも弾いてくれたなあ。
わたしの処女作『ハートフルに遊ぶ』を手渡したときは、「この本、自分で書いたの? すげえなあ!」と喜んでくれた。本当に、思い出が尽きません。
いつも優しい笑顔を見せてくれました。なんだか涙が出てきました。


「ヤフー・ニュース」のTOPで紹介



じつは、わたしが作詞して彼が作曲した歌が2曲あります。これは2人だけの秘密であり、わたしの宝物です。今夜は献杯して、1人でその曲を歌います。君の魂に届くように、魂を込めて歌います。
偉大な音楽プロデューサー朝本浩文よ、安らかに眠れ! 
君のことは首藤と俺がいつまでも憶えているからな。
御冥福を心よりお祈りいたします。合掌。


*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2016年12月3日 一条真也