マニカルニカー・ガート

一条真也です。
ブログ「ガンジス川」で紹介したように、15日の早朝、ガンジス川ボートクルーズに参加しました。その後、わたしたちはバラナシの火葬場を訪れました。まずはブログ「ハリスチャンドラ・ガート」で紹介した小さな火葬場を船上から視察し、次に有名なマニカルニカー・ガートを訪れました。


船上から見たマニカルニカー・ガート



バラナシには、マニカルニカー・ガートとハリスチャンドラ・ガートの2つの火葬場があります。ハリスチャンドラ・ガートは地元の人間専用の小規模な火葬場ですが、国際的に有名なのがマニカルニカー・ガートです。ここは大規模な火葬場で、常に4ヶ所ほど同時に火葬しています。メインガートからも近く、観光客も多いです。その観光客を騙そうとするインド人も多いです。


上陸してマニカルニカー・ガートに向かう

マニカルニカー・ガート周辺のようす

マニカルニカー・ガート周辺のようす

コブラ売りがいました



ギャザリーの「インドの聖地ベナレス(バラナシ、ワーラーナシー)のガンジス川沿いで火葬を見ながら生と死を考える」には、「ヒンドゥー教や仏教の聖地・ベナレス(バラナシ、ワーラーナシー等、別の呼び名多数)。その脇に流れるガンジス川沿いでは日夜、人々が祈りを捧げるとともに、インド各地から運ばれた遺体が火葬されています。生と死が混濁するこの町で、火葬の様子を眺めながら人生を考えてみるのもいいかもしれません」と書かれています。


マニカルニカー・ガートに向かう一行

火葬の燃料となるマンゴーの木

多くの人々が寝ていました

マニカルニカー・ガートの火



また、同記事では火葬の流れを以下のように説明しています。
「火葬の流れは概ね下記のようになります。
ただし当然のことながら足を運ぶタイミングによって見られる状況は異なります。
●遺体は竹で組んだ担架に乗せられ、親族に担がれて焼き場にまでやってくる。
●職員が火葬準備を行うため、儀式は非常に事務的に進められる。布に包まれた遺体は最後の沐浴としてガンジス川に浸された後、薪の上に置かれる。
●ボランティアが言うには1人の火葬に300kgほどの薪を使うらしい。
●焼き人が火をつける。バチバチッと薪の爆ぜる音がする。十分ほどたつと布は焼け焦げ、
炎の勢いに中から黒くなった死体が起き上がるように姿をあらわす」
火葬の後、遺灰はガンジス川へと流されます。ここではこうした作業が連日、ひたすら淡々と行われています。過剰な演出は一切ありませんが、死も日常の延長にすぎないかのような光景はかえってインパクト大」


火葬場のすぐ近くに牛がいました

2匹の子犬が寝ていました



同記事には「見学の際の注意点」として、次のように書かれています。
「いくら日常的な風景とはいっても、ここはやはり神聖な場所。最低限のルールは守りましょう。ボートに乗り、ガンジス川の上からガートや沐浴風景を眺めることが出来ますが、火葬場の写真撮影は厳禁ですのでご注意下さい」
「とはいうものの、直接問題視されるのはあくまで火葬場そのもので、そのすぐ間近での撮影はOKです。ボートに乗り、川辺から離れた水上からの撮影なら大目に見てもらえることもあります」


マニカルニカー・ガートの聖なる元火

火葬場から聖なる元火を見上げる

撮影は許可されていました


わたしたちは上陸して、直接火葬場を訪れました。
また、写真の撮影も特別に許可していただきました。
一般にカースト制度の存在するインドでは、最下層のカーストのさらに下のアウト・カーストが火葬に携わるとされています。彼らはバンブー(竹)の棒を持って遺体を焼くのです。そのときの燃料はマンゴーの木の薪なのですが、貧しいものは牛糞で焼かれるそうです。
火葬場所の背後には電気式の焼却炉もありました。電気のほうが安いそうで、電気なら約2000円、火葬なら約5000円だそうです。


火葬場から見たSUNRAY

すべての人を平等に・・・・・・



火葬場からガンジス川に昇った朝日がよく見えました。
その荘厳な光景を眺めながら、わたしは「ああ、SUNRAYだ!」と思いました。太陽の光はすべての者を等しく照らします。そんな社名を持つわが社も、「人間尊重」の精神であらゆる人たちを平等に弔うお手伝いをさせていただきたいと心の底から思いました。


深い河 (講談社文庫)

深い河 (講談社文庫)

ちょうど、前日からガンジス河を舞台とした遠藤周作の小説『深い河』(講談社文庫)を再読しているのですが、マニカルニカーガートが非常に重要な役割を果たしています。このマニカルニカーガートで働く人々はアウト・カーストだそうですが、わたしには人間の魂を彼岸に送る最高の聖職者に見えました。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2016年2月16日 一条真也