なぜ葬儀は必要なのか

一条真也です。東京に来ています。
昨日は雪が降りましたが、今日は好天に恵まれています。19日は、全互連の正副会長会議、拡大理事会、経営者研究会(魚住りえ氏の講演会)、新年賀詞交換会などが予定されており、非常に忙しい一日となります。
ところで、 日本経済新聞電子版の「ライフ」に連載中の「一条真也の人生の修め方」の連載第23回目となるコラムがアップされました。今回のタイトルは、「なぜ葬儀は必要なのか」です。



日本経済新聞電子版「ライフ」トップページ



トップ画面には、「なぜ葬儀は必要なのか」がイラスト入りで紹介されています。昨年の師走、「東京赤坂ロータリークラブ」で卓話を行いました。テーマは、「なぜ葬儀は必要なのか」でした。わたしは簡単な自己紹介をした後、まず「0葬」について話しました。通夜も告別式も行わずに、遺体を火葬場に直行させ焼却する「直葬」をさらに進め、遺体を焼いた後、遺灰を持ち帰らず捨てるのが「0葬」です。



なぜ葬儀は必要なのか



現在の日本では、通夜も告別式もせずに火葬場に直行するという「直葬」が増えつつあります。あるいは遺灰を火葬場に捨ててくる「0葬」といったものまで注目されています。
ただ、わたしたちは「直葬」や「0葬」がいかに危険な思想をはらんでいるかを知らなければなりません。葬儀を行わずに遺体を焼却するという行為は、ナチス・オウム・イスラム国の巨大な心の闇に通じているのです。20年前の一連のオウム真理教事件の後、日本人は一気に「宗教」を恐れるようになり、「葬儀」への関心も弱くなっていきました。もともと「団塊の世代」の特色の一つとして宗教嫌いがありましたが、それが日本人全体に波及したように思います。それにしても、なぜ日本人は、ここまで「死者を軽んじる」民族に落ちぶれてしまったのでしょうか?



葬儀は人類の存在基盤です。葬儀は、故人の魂を送ることはもちろんですが、残された人々の魂にもエネルギーを与えてくれます。もし葬儀を行われなければ、配偶者や子供、家族の死によって遺族の心には大きな穴が開き、おそらくは自殺の連鎖が起きたことでしょう。葬儀という営みをやめれば、人が人でなくなります。葬儀というカタチは人類の滅亡を防ぐ知恵なのです。そして、死者を弔う行為は「人の道」そのものです。以上のようなお話をしたところ、盛大な拍手を頂戴して感激しました。



おかげさまで1位になりました!



なお、第24回目のアップは2月2日(火)で、タイトルは「節分に厄を祓う理由」です。2月3日は「節分」ですね。春が始まる「立春」の前日に「不幸や災いのない一年になりますように」との願いを込めて、毎年、2月3日に節分を行うのです。節分では豆をまいたりして厄を祓います。わたしは例年、この日はわが社が松柏園ホテル内の神社で行われる「節分厄除け祭」に参加します。厄を迎えたわが社の社員や取引先の関係者などが合同で厄除けのお祓いをし、その後は、同ホテルで祝賀会を開く習慣です。次回は、そんな話を書きます。どうぞ、お楽しみに!



次回も、どうぞお楽しみに!



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2016年1月19日 一条真也