戦後70年を飾る映画「母と暮せば」

一条真也です。
正月の三が日も終わりましたね。
今日は、サンレーの「新年祝賀式典」および「新年祝賀会」が開かれます。
さて、わたしは、 終活WEB「ソナエ」で「一条真也のハートフル・ライフ」を連載しています。「日本の心」や「心ゆたかな生き方」をテーマに月に2回、コラムをお届けしております。その第24回目が本日アップされました。



終活WEB「ソナエ」



第24回のタイトルは「戦後70年を飾る映画『母と暮せば』」です。ここのところ、映画についてのコラムが続いていますが、昨年末にハートフルな日本映画を観ました。松竹120周年記念作品で名匠・山田洋次監督がメガホンを取った「母と暮せば」です。主演の吉永小百合さんの写真が掲載され、「これまでと違う“優霊”ストーリー」「犠牲者のまなざしを感じて生きる義務」という見出しがついています。この映画、戦後70年という「死者を想う」一年の締めくくりにふさわしい名作でした。観る前から「絶対に泣く」とわかっていたわたしは、タオルハンカチを持参しましたが、映画館を出る頃にはビショビショになっていました。



戦後70年を飾る映画『母と暮せば』



原爆で壊滅的な被害を受けた長崎を舞台に、亡くなった息子が幽霊となって舞い戻る姿を描いた人間ドラマです。母親を日本を代表する名女優の吉永小百合が演じ、息子を嵐の二宮和也が好演しています。
1948年8月9日、長崎で助産師をしている伸子(吉永小百合)の前に、3年前に原爆で失ったはずの息子の浩二(二宮和也)が突然姿を見せました。母は呆然としながらも、すでに死んでいる息子との再会を喜びます。



「母と暮せば」は、いわゆる幽霊映画です。しかし、その「幽霊」とは恐怖の対象ではありません。あくまでも、それは愛慕の対象としての幽霊です。生者にとって優しく、愛しく、なつかしい幽霊、いわば「優霊」です。そこには、「幽霊でもいいから、今は亡き愛する人に会いたい」という生者の切実な想いがあります。わたしは、映画とはもともと「死者との再会」という人類普遍の願いを実現するグリーフケア・メディアであると考えています。



わたしたちがこの平和を味わうことができるのも、多くの死者に支えられてのことです。わたしは、70年前の戦争で亡くなられた方々のことを絶対に忘れず、この命を与えられたことに感謝し続けていきたいと思います。
「母と暮せば」のラストは長崎の黒崎教会での葬儀のシーンでした。非常に感動的で、わたしは「死は不幸な出来事ではない」、そして「死者を忘れてはならない」というわが信条を再確認しました。戦後70年となる大きな節目の年の師走にこの映画を観ることができ、本当に良かったです。



次回は1月18日にアップの予定です!



次回の「一条真也のハートフル・ライフ」は、1月18日(月)にアップされる予定です。タイトルは「同志の還暦祝い」です。出版プロデューサーの内海準二さんという方がいます。内海さんが60歳になるので、先日、還暦のお祝いをしました。近年、30歳前後を「アラサ―」、40歳前後は「アラフォー」、50歳前後は「アラフィフ」と呼びます。60歳前後は伝説の名俳優・嵐勘十郎をもじって「アラカン」と言うそうです。還暦は第2の誕生とされ、生まれ直すといって赤子のように赤色の衣服や頭巾などを贈って祝います。わたしは、赤のチャンチャンコの代わりに、内海さんに「還暦祝い」として、ラルフ・ローレンの赤いVネックセーターをプレゼントしました。次回はそんなことを書きます。どうぞ、お楽しみに!


*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2016年1月4日 一条真也