ティーロミンロー寺院

一条真也です。
14日、ブログ「シュエズィーゴン・パゴダ」で紹介した寺院の後、ティーロミンロー寺院を訪れました。バガン仏教遺跡群の中で、最も大きな寺院です。高さ45mの伽藍には、弓形の切妻壁に石膏彫刻が施されています。


ティーロミンロー寺院への門

ティーロミンロー寺院

堂々たるレンガ造りです

入口脇の石仏



ティーロミンロー寺院は、バガン王朝のナンダウンミャー王が、13世紀初めに王位継承者に選ばれたことを記念して建てられたといわれています。
ナンダウンミャーの父王は、王位継承者を選ぶ際に、5人の王子の中から、傘が倒れた方向に座っていたナンダウンミャーを王位継承者に選んだという言い伝えが残っています。まるでお伽噺のようで、想像力が膨らみます。


最初の仏堂へ

ガラス張りの賽銭箱

防犯のテレビ・モニター



最初の仏堂に入ると、ガラス張りの賽銭箱や防犯のテレビモニターが目に入り、少しギョッとしました。こんな文化遺産としての寺院の賽銭を盗む輩もいるのですね。まったく嘆かわしいことです。
なお、この後に訪れた各寺院の賽銭箱もガラス張りでした。


ティーロミンロー寺院の仏像

ティーロミンロー寺院の仏像



バガン壁画礼賛 バガンで途方に暮れる」というブログ記事には、このエピソードについてさらに詳しく紹介しています。以下の通りです。
「ティーローミンロー寺院は、ティーローミンロー王(在位1211−1234)によって建設された。その名の由来ともなった王位継承のエピソードが残っている。彼は王子ではあったが、王位継承順位でいえばけっして上位ではなかった。しかし当時の国王(シトゥ2世?)は王子5人(彼と4人の兄)を集め、白傘が向いた者を継承者とすると発表した。白傘が彼のほうを向いたので、彼は新たな王に選ばれ、名をティー(傘)ロー(好まれ)ミン(王)ロー(好まれ)としたという。年代記は別のエピソードを記している。王は白い傘が彼のほうを向いた場所にこの寺院を建てたという。しかし碑文には、彼はナダウンミャ、すなわち『多くの耳の装飾をもつ者』として現れる」


ティーロミンロー寺院の仏像

ティーロミンロー寺院の仏像



このブログを書いた方は、相当にミャンマーの歴史および仏教遺跡に詳しい方のようです。このティーローミンロー寺院のエピソードについて、以下のような鋭い考察をされています。
「王位継承のエピソードは、常識的に考えてありえないだろう。バガン遺跡を見ればわかるように、バガン朝は強大な王国であり、当然王位継承をめぐってはドロドロした人間関係や争い、陰謀が渦巻いていたはずだ。ティーローミンローの父である前国王ナラパティシトゥ(シトゥ2世)はそんな『生きるか死ぬか』の争いを勝ち抜いてきた王だった。ナラパティシトゥが軍の司令官の地位にあった頃、国王は兄のナラテインカ(ナラトゥ王、在位1170−1174)だった。
ナラトゥ王は弟ナラパティシトゥの美人妻が好きになり、手に入れようと考えた。そこで弟に反乱軍の鎮圧を命じ、出征しているあいだに彼女を王妃としてしまったのである。怒ったナラパティシトゥはアウンスワ将軍を長とする精鋭軍をもってバガンを攻め、兄国王を殺してしまう。この血にまみれた王が継承者を選ぶときに、白傘が向いた方向にいた王子を指名するとは考えがたい。白傘は仏教においては吉祥のシンボルであり、おそらく正当性をあらわしているのだろう。権力争いに勝った新国王が自分の正当性(正統)を強調するために編んだエピソードと考えるべきかもしれない」


ティーロミンロー寺院の壁画

レンガについての説明を受ける



ちなみに、「ティーローミンロー」とは、パーリ語の「ティローカマンガラ()三界の祝福)のモン語訛りである「ティロークマンゴー」を誤読したものだそうです。モン人はバガン朝ビルマ人よりずっと早く、上座仏教を取り入れていいたのですね。


ティーロミンロー寺院にて



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2014年 10月15日 一条真也