「エンディング・ノート」

一条真也です。
ブログ「支え合いの街づくり」で紹介した特別対談を終えた後、わたしは黒崎のコムシティから小倉のリバーウォーク北九州にある北九州芸術劇場へ向かいました。ここで、劇団青春座によって上演される演劇「エンディング・ノート」を鑑賞するためです。


演劇「エンディング・ノート」の看板



ブログ「終活〜今を生きる」でも紹介したように、この演劇公演のコラボ企画として、わたしの講演会が開催されました。「エンディング・ノート」は、第52回北九州芸術祭参加作品にして、劇団青春座の第222回目の公演です。


劇団青春座の井生代表と

思い出ノート』の販売コーナー



18時頃、会場に到着すると、入口に多くの観客たちが並んでいました。
入場すると、すぐに劇団代表である井生定巳さんにお会いしました。ちょうど、わたしがお送りした花があったので、それを間にして記念撮影しました。中に進むと、わたしが監修した『思い出ノート』(現代書林)の販売コーナーがあり、看板に「買うなら、今でしょ!」と書かれていました。(笑)


劇場内は満員でした



席に座ると、劇場内はすでに満員でした。
各所にわたしの知り合いも座っていました。
演劇「エンディング・ノート」のストーリーですが、公演パンフレットには「人間いつまでも生きられん。人生を見つめ直すとき、今が輝く。」というタイトルで次のように書かれています。
小笠原諸島をめぐる『シニアの旅』に、古稀を過ぎた人たちが、それぞれの人生を背負って参加する。船の名は『モラトリアム号』。残された時間を有意義に生きるために、今を楽しもうと、青春の甘酸っぱい想い出を胸に。しかし、このツアーには大きな罠が仕掛けられていた。次々に襲いかかる事件に翻弄されながら、生きる意味を問い直す。
彼らが書いた『エンディング・ノート』は?
『今』が青春真っ盛りのあなたに贈る人生の応援歌。ビートルズの『イエスタディ』が、3年後の再会を約束して・・・・・・。
『終活』とは、人生の終焉をより良く迎えるための前準備のことです。
『エンディング・ノート』は、その第一歩です」


熱演の古田美佐代さんと



内容は予想していたのとはちょっと違ってミステリー仕立てでした。
殺人事件も登場します。多くの松本清張作品を舞台化してきた劇団青春座さんらしい作品と言えるかもしれません。
強く印象に残ったのは、サンレーの社員でもある古田美佐代さんの演技で、霊媒体質の女性を演じた古田さんは「この船には何かあるよ!」とトランス状態で不吉な予言を口走るのですが、あの韓国旅客船沈没事故を連想させました。また、彼女が「大きな魚に連れて行かれるよ!」と叫ぶシーンも鬼気迫る演技で、観客を震え上がらせました。古田さんがこんなホラー女優だったとは驚きです。


小川さち子さん(左)、滝川則子さん(右)と



また、もう1人のサンレー社員である小川さち子さんも、「キラ」という名で、かわいらしい船の女性スタッフ役を演じていました。セリフでは、「眠れないときは、わたしに言って下さいね」というのが印象的でした。当日は会社の関係者もたくさん観劇していましたので、これから会社では小川さんは「キラ」と呼ばれるのではないでしょうか?(笑) また、古田さんには社内旅行か忘年会でぜひ、「この船には何かあるよ!」か「大きな魚に連れて行かれるよ!」をやっていただきたいと思います。(笑)



あと、劇中で流れる音楽も井生代表のご趣味なのでしょうか、「憧れのハワイ航路」「アカシアの雨に打たれて」「君恋し」などの懐メロのオンパレードで、高齢者のお客さんにはたまらなかったのではないでしょうか。先日亡くなった故・やなせたかし氏が作詞した「手のひらを太陽に」も使われていました。そして、ラストではビートルズの「イエスタディ」が流れました。


カーテンコールで挨拶される井生代表

井生代表が謝辞を述べて下さいました

最後は「手のひらを太陽に」を大合唱♪


また、劇の中では何度も『思い出ノート』が登場し、感激しました。舞台の上の役者さんたちが自分の作品を手に持って、または自分の作品を読みながら演技をする場面を見るのは初めての経験なので、ちょっとドキドキしました。芝居が終わった後のカーテンコールでも、井生代表はズラリと並んだ役者さんたちを背に、大観衆の前で『思い出ノート』を紹介して下さいました。「帰りに、ぜひお買い求め下さい」とまで言っていただいいたばかりか、わたしの名前もあげて謝辞を述べて下さいました。恐縮しております。
最後は劇中でも使われた「手のひらを太陽に」を大合唱しました。この歌の「僕等はみんな生きている」という歌詞こそは「終活〜今を生きる!」というメッセージなのかもしれませんね。


出口の前で、井生代表と握手

素晴らしいお芝居でしたね!

思い出ノート』もけっこう売れました



出口の前では、井生代表や古田さん、小川さんとも会うことができました。
わたしは握手をしながら、「素晴らしいお芝居でしたね!」と言いました。
また『思い出ノート』もけっこう売れていました。ありがたいことです。、


観劇の後、思ったことがあります



さて、この「エンディング・ノート」という演劇を見て、わたしが思ったことがあります。それは、「葬儀も演劇である」ということです。
もともと世界各地の古代の王の葬礼から演劇という文化が誕生したという説があります。その意味では、葬儀とは演劇の母です。
また、葬儀には4つの役割があるとされています。それは、社会的な処理、遺体の処理、霊魂の処理、そして、悲しみの処理です。悲しみの処理とは、遺族に代表される生者のためのものです。残された人々の深い悲しみや愛惜の念を、どのように癒していくかという処理法のことです。通夜、告別式、その後の法要などの一連の行事が、遺族に「あきらめ」と「決別」をもたらしてくれます。



愛する人を亡くした人の心は不安定に揺れ動いています。しかし、そこに儀式というしっかりした「かたち」のあるものが押し当てられると、不安が癒されていきます。 親しい人間が死去する。その人が消えていくことによる、これからの不安。残された人は、このような不安を抱えて数日間を過ごさなければなりません。心が動揺していて矛盾を抱えているとき、この心に儀式のようなきちんとまとまった「かたち」を与えないと、人間の心にはいつまでたっても不安や執着が残るのです。この不安や執着は、残された人の精神を壊しかねない、非常に危険な力を持っています。この危険な時期を乗り越えるためには、動揺して不安を抱え込んでいる心に、ひとつの「かたち」を与えることが求められます。葬儀を行う最大の意味はここにあります。



では、この儀式という「かたち」はどのようにできているのでしょうか。それは、「ドラマ」や「演劇」にとても似ています。死別によって動揺している人間の心を安定させるためには、死者がこの世から離れていくことをくっきりとしたドラマにして見せなければなりません。ドラマによって「かたち」が与えられると、心はその「かたち」に収まっていきます。すると、どんな悲しいことでも乗り越えていけるのです。それは、いわば「物語」の力だと言えるでしょう。わたしたちは、毎日のように受け入れがたい現実と向き合います。そのとき、物語の力を借りて、自分の心のかたちに合わせて現実を転換しているのかもしれません。



つまり、物語というものがあれば、人間の心はある程度は安定するものなのです。逆に、どんな物語にも収まらないような不安を抱えていると、心はいつもぐらぐらと揺れ動いて、愛する人の死をいつまでも引きずっていかなければなりません。仏教やキリスト教などの宗教は、大きな物語だと言えるでしょう。死者が遠くに離れていくことをどうやって表現するかということが、葬儀の大切なポイントです。それをドラマ化して、物語とするために、葬儀というものはあるのです。「エンディング・ノート」を観終わった後、そんなことを考えました。

思い出ノート ([バラエティ])

思い出ノート ([バラエティ])

*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2014年5月18日 一条真也