『抱くことば』

抱くことば


一条真也です。
『抱くことば』ダライ・ラマ14世著(イースト・プレス)を再読しました。ダライ・ラマ14世の言葉に グレート・ザ・歌舞伎町の写真をコラボしています。チベット亡命政府ダラムサラや東京でのたダライ・ラマ法王14世の姿も撮影されれされています。また、チベットからダラムサラに亡命してきた僧侶や住人たち、ダラムサラの町並みなどの写真も満載です。 本書に掲載されている写真を眺めているだけでも、チベット人の現在がよく理解できます。


帯には、なんと広末涼子の直筆メッセージが!



写真家の名前はなんだかふざけているような感じですが、帯に記されている推薦者の名前を見てビックリ! なんと女優の広末涼子サンです。個人的には広末サンのファンなのですが、最近の一連の報道を見てもスキャンダラスな印象が強いですね。その広末サン、「人生の目的は、幸せになることです。」というダライ・ラマ14世の言葉を受けて、「接すること、受けとめること、注ぐこと、抱きしめること・・・心が じっくり くつくつ呼吸する本。感じてみてください」と直筆でメッセージを寄せています。


帯の裏にはダライ・ラマ14世の写真が・・・・・・



また、帯の裏にはダライ・ラマ14世が合掌している写真とともに、「わたしたち人間には、愛や思いやりを称えられる能力があります。このささやかな能力こそ、人間のもっとも大切な天分だとわたしは思うのです」「人はなぜ生まれるのか? 人はなぜ生きられるのか? ダライ・ラマからの不滅のメッセージ」と書かれています。



本書は「目次」に続いて、「生きる意味」「愛」「家族」「怒り、悲しみ」「望み」といったテーマの章が並んでいます。「目次」では、「罰当りの、お詫び文」として、有太マン氏(この名前も相当にふざけている?)が次のように述べています。
「自分が“一介の僧侶”であることを繰り返し語られる睨下は、ノーベル平和賞をとっくの昔に受賞し、現代のキング牧師ガンジーマザー・テレサか、そんな人である。オーラ云々以前に、これだけの経験をしている人が、近所のおじいちゃんに見えることがあるのはどれだけ凄いことだろう」
それでは、本書に掲載されているダライ・ラマ14世の名言のうち、特にわたしの心に強く響いたものを紹介していきましょう。




人生の目的は、幸せになることです。




他人を思いやって行動するとき、わたしたちの行動はおのずとよい方向に向かいます。
なぜなら、心が愛で満たされているときには、疑惑の入り込む余地がないからです。




家族は社会のもっとも基本的な核です。
家庭には平和と人間的な価値観が浸透すれば、両親が幸福に、くつろいで生活できるばかりでなく、子供も、孫も、その先の子孫もそうできるでしょう。




子供がいるのなら、離婚すべきではないと思います。
なぜなら子供は大きな傷を背負うことになるからです。




怒りは苦しみをもたらします。
少なくとも、恥ずかしさを感じさせます。




会うと必ず腹が立つというような人がいたならば、自分の心をコントロールできるようになるまでは、その人に会わないのが一番です。




両親や弟を失った悲しみは否定しませんが、
死に関しては哲学的にとらえています。
古き友が去り、新しい友が来る。
それは一日が終わり、また新しい一日が始まるのと同じです。大切なことは、意味ある友であったか、意味ある一日だったか、ということだけなのです。




意外に思うかもしれませんが、
死は悪いことではないし、死について前もって考えておくことは大切なことです。
そうしておけば、いつ死が訪れても、不安はないはずです。心構えがあれば、死は大した問題ではないのです。




だれもが死や老いを迎え、病気におかされていきます。失望を味わうことなどしょっちゅうです。
これらの苦しみは避けられません。
これで十分ではないでしょうか?
考え方や肌の違いをわざわざ取り上げて、
いらない問題を追加することに
なにか意味があるのでしょうか?




もし人間の本性が
憎しみや敵を殺すことであったら、
人類はずっと以前に滅亡していたでしょう。




21世紀は対話の時代です。
平和の実現に向け、外面的にも内面においても
武装解除が必要です。
原子爆弾をなくすことも必要ですが、
一人ひとりの心の中から武器をなくすことで、
外的にも変わっていきます。




異なる宗教が幸福に共存できるとお考えなのですか? 
一輪でも花は美しい。ですが、花束はもっと美しいでしょう?




*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2014年4月22日 一条真也