和の心で

一条真也です。
若田光一氏が、国際宇宙ステーション(ISS)の新船長に就任しました。日本時間の3月9日、若田氏は前任のオレッグ・コトフ宇宙飛行士(ロシア)から引き継ぎを受け、第39代目のISS船長に就任。日本人としては初の快挙です。



産経WEBニュース」より



産経WEBニュース」には、「舵取りは『和の心』で 若田光一・国際宇宙ステーション船長が就任会見」の見出しで次のように書かかれています。
国際宇宙ステーションの船長になった若田光一さん(50)が13日、船長就任から初めて記者会見し、『和の心を持って舵取りをしたい。チーム全員でいい仕事をできるように頑張っていきたい』と意気込みを述べ、『寝る前にステーション全体を見通し、設備の状態に問題がないかを確認し、睡眠を取るようにしている』と近況を説明した。
就任後に3人が帰還し、現在滞在している飛行士は3人。広い船内でばらばらに作業することもあるため『夕食は3人で一緒にとるようにしている』と、チームの和を重視する若田流の運営を明かした。
就任後に母タカヨさんと交信したことを紹介、『平常心を忘れず健康に注意して頑張れと言葉をもらった。多くの皆さんに支えられている気持ちでいっぱいです』と話した。若田さんは昨年11月からステーションで長期滞在中。今月9日に前任のロシアのオレーク・コトフ飛行士(48)から指揮権を引き継ぎ、日本人初の船長に就任した。5月中旬の地上への帰還まで船長を務める」



産経WEBニュース」より



若田氏は、日本の宇宙航空研究開発機構JAXA)に所属する宇宙飛行士にして工学博士です。これまでに3度、アメリカ航空宇宙局(NASA)のスペースシャトルに搭乗して宇宙飛行ミッションを行っています。若田氏は1963年(昭和38年)8月1日生まれ。埼玉県大宮市(現さいたま市)のご出身で現在50歳。わたしと同年齢ですね。宇宙に興味を持ったのは5歳の頃だそうです。きっかけとなったのが、アポロ宇宙飛行士の月面着陸でした。当時は米国と旧ソ連の宇宙飛行士しかおらず、宇宙は遠い世界に思えたとか。


大学では航空工学を学び、1989年に日本航空に入社。1つの目標を達成した数年後、若田氏は「宇宙飛行士募集」の記事を目にします。1992年4月に宇宙飛行士候補者に選ばれると、日本人で初めてNASAの宇宙飛行士養成クラスに参加します。その後は「日本人初」の快挙を次々に成し遂げ、NASAや世界がその実力を認める「宇宙飛行士トップ」に登りつめました。
若田氏の輝かしい経歴は、宇宙航空研究開発機構JAXA )のウェブサイトに詳しく掲載されています。 こちらをクリックして、お読み下さい



コマンダーの仕事は、宇宙に飛び立つ約2年半前の訓練時から始まります。
コマンダーとして若田氏はメンバー全員の仕事の割り振りを決め、訓練計画を立てます。今回、若田飛行士の部下はベテラン飛行士2人。NASAのリチャード・マストラキオ飛行士(アメリカ人)は3回の宇宙飛行経験者です。ミハイル・チューリン飛行士(ロシア人)はISS長期滞在3回目。彼らがやる気を維持し、その後のキャリアにもつながるように本人だけでなく、例えばNASA管理職とも話し合いを重ねて、仕事内容を決めていくそうです。



第39次長期滞在クルーのコマンダーに就任した若田氏は、次の第40次クルーも含めた6人のチームの指揮をとることになります。
国際宇宙ステーションは6名のメンバーで構成されます。メンバーの半数にあたる3名が次期も継続滞在するそうです。ちなみに第40長期滞在へ継続するメンバーはアレクサンドル・スクボルソフ(ロシア人)、オレッグ・アルテミエフ(ロシア人)、スティーブン・スワンソン(アメリカ人)の3名。


11人いる! (小学館文庫)

11人いる! (小学館文庫)

異なる国籍の人々が宇宙空間でチームを結成するわけですが、わたしは萩尾望都の『11人いる!』を連想しました。SFマンガの名作ですが、やはり異なる国籍間の宇宙チームの人間関係を描いているのです。
日本人である若田氏は、司令塔として5名の宇宙飛行士メンバーの体調や仕事の負荷を見ながら、「和の心」でスケジュール調整をしていきます。本当に素晴らしいことです。宇宙飛行士としての若田氏の能力や人間性が高く評価されたのは当然ですが、これは日本人が国際的に信用される民族として認められたことにもなります。そして、日本人の根本精神こそは「和」の心です。



「和」は、日本文化を理解する上でのキーワードです。陽明学者の安岡正篤によれば、日本の歴史を見ると、日本には断層がないことがわかるといいます。文化的にも非常に渾然として融和しているのです。
征服・被征服の関係においてもそう。諸外国の歴史を見ると、征服者と被征服者との間には越えることのできない壁、断層がいまだにあります。しかし日本には、文化と文化の断層というものがありません。早い話が、天孫民族と出雲民族とを見てみると、もう非常に早くから融和してしまっています。



三輪の大神神社大国主命、それから少彦名神を祀っていますが、少彦名神出雲族参謀総長ですから、本当なら惨殺されているはずです。それが完全に調和して、日本民族の酒の神様、救いの神様になっています。その他にも『古事記』や『日本書紀』を読むと、日本の古代史というのは和の歴史そのものであり、日本は大和の国であることがよくわかります。



「和」を一躍有名にしたのが、かの聖徳太子です。太子の十七条憲法の冒頭には「和を以って貴しと為す」と書かれています。十七条憲法の根幹は和というコンセプトに尽きます。しかもその和は、横の和だけではなく、縦の和をも含んでいるところにすごさがあります。上下左右全部の和というコンセプトは、すこぶる日本的な考えです。それゆえに日本では、多数少数に割り切って線引きする多数決主義、いわゆる西欧的民主主義流は根付きませんでした。日本とは、何事も辛抱強く根回しして調整する全員一致主義の国なのです。



記者会見では、若い日本人記者から「船長の特権で何かしたいことはありますか? 例えば、食事のメニューを決定するとか、ベッドを大きくするとか?」といった能天気な質問が飛び出しました。それを聞いて一瞬きょとんとした表情をした若田氏は、次の瞬間、大笑いしました。まさに破顔一笑という感じでしたが、それから「食事のメニューを決められたらいいですけど、残念ながら、そんな権限が船長にはないんですよ」とニコニコしながら答えました。



その笑い方の豪快なこと! また、その笑顔の魅力的なこと!
わたしは一発で、若田氏の大ファンになりました。そして、その「笑い」と「笑顔」こそが彼の言う「和」の心に通じているのだと気づきました。
「笑う角には福来る」という言葉がありますが、「笑う角には和が来る」でもあるのです。そう、「笑い」とは「和来(わらい)」ではないでしょうか。
日本人初のISS船長となられた若田光一氏の御健康と任務が無事に遂行されることを心よりお祈りいたします。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2014年3月14日 一条真也