仏教文化交流シンポジウム

一条真也です。
21日の午後、ブログ「仏教文化交流シンポジウム」で紹介したイベントが開催されました。場所は、門司港レトロ 「旧大連航路上屋」2Fホールです。


会場の「旧大連航路上屋」前で

旧大連航路上屋」の1Fで



シンポジウムの開始は14時からでしたが、わたしは12時頃に会場を訪れて、下見しました。旧大連航路上屋というのは、戦時中ここで兵隊さんたちの身体検査が行われた場所です。合格となった人々は、門司港からビルマをはじめとした南方戦線に向かったのです。そして、彼らの多くは再び祖国の地を踏むことができませんでした。わたしは、まず控室を訪れて、世界平和パゴダの僧侶および関係者のみなさんに挨拶をしました。


シンポジウムのようす

世界平和パゴダの紹介映像が流れました

佐久間会長による主催者挨拶

ウィマラ長老による基調講演



14時からシンポジウムが開始され、最初に世界平和パゴダの紹介映像が流れました。その後、日緬仏教文化交流協会佐久間進会長による主催者挨拶が行われました。それから、世界平和パゴダ住職であるウィマラ長老の基調講演が行われ、続いて「仏教が世界を救う」と題されたシンポジウムが行われ、パネル・ディスカッションが開催されました。


パネル・ディスカッションがスタートしました

語る井上ウィマラ氏

語る八坂和子氏

わたしも語りました

コーディネーターを務めた内海準二氏


このたびのパネリストは、以下の通りです。
●井上ウィマラ氏(高野山大学文学部教授)
●天野和公氏(「みんなの寺」坊守・作家)
●八坂和子氏(ボランティアグループ一期会会長)
一条真也(作家・株式会社サンレー社長)
(コーディネーター)内海準二氏(出版プロデューサー)


人生で大切な五つの仕事―スピリチュアルケアと仏教の未来  ミャンマーで尼になりました  図解でわかる! ブッダの考え方 (中経の文庫)  


井上氏は、ブログ『人生で大切な五つの仕事』で紹介した本の著者です。
天野氏は、ブログ『ミャンマーで尼になりました』で紹介したコミックの著者です。
井上氏、天野氏ともにミャンマーで仏教の修行をされています。
また、八坂氏はブログ「大僧正のお別れ会」をはじめとして一連のパゴダ関連のブログ記事に登場する、これまでパゴダを守ってこられた方です。
コーディネーターの内海氏は、あの「出版寅さん」です。当ブログの読者のみなさんには、もう有名ですね。ただし、天野氏が飛行機のトラブルで到着が大幅に遅れ、天野氏の参加は第2部からになりました。


世界平和パゴダの意義について話しました



パネル・ディスカッションで、「世界平和パゴダ」の意義について訊かれ、わたしは以下のように答えました。
世界平和パゴダは、ミャンマーと日本の友好のシンボルです。そして、その可能性を語り合うことは、大きな意義のあるものと思います。わたしは、現代の日本において、いや東アジアにおいて「世界平和パゴダ」はとても大きな意味と可能性を持っていると思っています。それをパネリストのみなさん、この会場にお集まりのみなさんにお伝えして、ぜひ感想や意見をお聞きしたいと思うのです。わたしは、「世界平和パゴダ」の重要性は主に3つあると思います。



1、東アジアの平和拠点であること。
2、戦没者の慰霊施設であること。
3、上座部仏教の寺院であること。



順を追って説明しますと、1の「東アジアの平和拠点」から。言うまでもなく、日本は東アジアに属する国ですが、門司は東アジアの玄関口です。
海賊とよばれた男』がベストセラーにもなっていますが、主人公のモデルは、出光興産の創業者・出光佐三です。出光興産は、北九州市の門司からスタートしました。現在は内科・小児科医院となっている創業の地は、ここからすぐ近くです。『海賊とよばれる男』は、太平洋戦争で日本が敗戦する場面から始まります。大東亜共栄圏を築くという大日本帝国の野望は無惨に消滅しましたが、じつはそれ以前に出光佐三は東アジアに一大ネットワークを構築していたのです。



1929年(昭和4年)の出光商会(出光興産の前身)の支店別売上高を見ると、1位が大連で2位が下関、以下は京城、門司、台北、博多、若松の順になっています。満州、韓国、台湾の各都市の支店と北九州の支店が並んでいるリストを見て、わたしの胸は高まりました。出光がいち早く東アジアに進出できたのは、門司に本店を置いていたからです。



しかし、現在の日本は中国や韓国といった隣国と非常に微妙な関係というか、領土問題をめぐって険悪な関係にあります。このままでは日本は東アジアの中で孤立してしまう不安があるわけですが、幸いなことに「東アジア最後のフロンティア」とミャンマーとは良好な関係にあります。今年5月の安倍首相のミャンマー訪問によって、日本とミャンマー両国の絆は間違いなく強くなりました。これから、日本は官民をあげてミャンマーの新しい国づくりを応援していくことでしょう。



「二国間の新しいページを開くことができた」と日本の取り組みを評価したテイン・セイン大統領は、「脱中国」を目指しています。その中国に対して、日本は楔を打ち込むことができたと思います。
ミャンマーと日本の交流のシンボルである。世界平和パゴダは、そのまま東アジアの平和拠点となるのではないでしょうか。



2の「太平洋戦争の慰霊施設」ですが、第2次世界大戦後、ビルマ政府仏教会と日本の有志によって昭和32年(1957年)に建立されました。「世界平和の祈念」と「戦没者の慰霊」が目的でした。戦時中は門司港から数多い兵隊さんが出兵しました。映画化もされた竹山道雄の名作『ビルマの竪琴』に登場する兵隊さんたちです。残念なことに彼らの半分しか、再び祖国の地を踏むことができませんでした。そこでビルマ式寺院である「世界平和パゴダ」を建立して、霊を慰めようとしたわけです。



戦争の慰霊施設というと多くの日本人は靖国神社をイメージされるのではないでしょうか。安倍内閣の閣僚が靖国参拝することについて、中国や韓国が抗議をしているようですが、自国の死者への慰霊や鎮魂の行為に対して、他国が干渉してくるなど言語道断です。わたしは、「葬礼」こそは各民族を超えた人類の精神文化の核であると確信しています。



中国も韓国も、安倍首相の靖国公式参拝を絶対に許さない姿勢です。英霊に対する想いの強い安部首相も、あえて混乱を招く行為は控えることと思います。しかし、日本の首相として先の戦争で亡くなられた戦没者への慰霊と鎮魂の務めもあるはずです。そこで、わたしはぜひ、世界平和パゴダを安倍首相に参拝していただきたいと願っています。パゴダは、靖国神社の代替施設となりうる。しかも、A戦犯の合祀うんぬんも関係ない。現在、世界平和パゴダはビルマ戦線の戦没者の慰霊施設という位置づけですが、ぜひ拡大解釈して、すべての戦没者の慰霊施設にするべきだと思います。もともと北九州市は安倍首相、麻生副総理のお二人にとっての重要な政治的地盤でもあり、できれば御両人揃ってのパゴダ参拝が望ましいかもしれません。



3の「上座部仏教の寺院」ということですが、世界平和パゴダの本格再開によって、ブッダの本心に近い上座部仏教は今後さまざまな影響を日本人の「こころ」に与えることでしょう。それは「無縁社会」などの問題にも直結すると思います。その件は後でお話しすることにして、仏教そのものに着目すれば、大乗仏教の国である日本も、上座部仏教の国であるミャンマーも、ともに仏教国ということになります。ともにブッダが説かれた「慈悲」という思いやりの心を大切にする国同士だということです。



また、ぜひともノーベル平和賞受賞者のアウンサウン・スーチー女史に世界平和パゴダを参拝していただきたいと思います。それが実現したとき、日本とミャンマー両国の絆は完全に結ばれるでしょう。スーチー女史は熱心な仏教徒で、過去にも門司のパゴダを訪れていると伺っています。
もちろん、経済面での協力が非常に大事であることは承知しています。
しかし、くれぐれもミャンマーが仏教国であることを忘れてはなりません。両国の仏教交流が成功してこそ、初めて両国民の「こころ」はひとつになるのです。


天野和公氏が到着しました



日本人の「こころ」は仏教、儒教、そして神道の三本柱から成り立っていますが、日本における仏教の教えは本来の仏教のそれとは少し違っています。インドで生まれ、中国から朝鮮半島を経て日本に伝わってきた仏教は、聖徳太子を開祖とする「日本仏教」という1つの宗教と見るべきだと、わたしは考えています。聖徳太子にはじまって最澄空海法然親鸞栄西道元日蓮・・・といった偉大な僧が日本に出現していきました。


語る天野和公氏



2010年1月に、日本人の「こころ」に暗雲を漂わす2つの言葉が生れました。「無縁社会」と「葬式は、要らない」です。前者はNHKスペシャルのタイトルで、後者は幻冬舎新書の書名ですが、わたしは両者は同じ意味だと思います。このような言葉が生れてきた背景には、日本仏教の制度疲労があると思います。何の制度かというと、いろいろあるのですが、最も大きなものは檀家制度でしょう。身寄りのない高齢者、親類縁者のない血縁なき人々が急増して、それこそ檀家という制度が意味を成さなくなってきています。


井上ウィマラ氏と天野和公氏



檀家制度とは、もともと戸籍を管理するという非常に政治的な発想で生れてきました。もちろん、今でも多くのお寺には多くの檀家さんがおられ、仏教を通じての縁を結んでおられるわけですが、そういった幸せな方々とは無縁の孤独な方々も増えているという事実を見逃してはなりません。



そこで、登場するのがこれまで日本人には馴染みの薄い上座部仏教です。
わたしは思うのですが、最澄空海法然親鸞栄西道元日蓮といった方々はブッダのエージェントというか、代理人のような存在であった。ならば、代理人によらないブッダという情報発信源にダイレクトにつながる仏教もある。それが、上座部仏教ではないかと思います。無縁社会を生きる方々は、ぜひ、ブッダと直接つながるべきでしょう。



くれぐれも誤解しないでほしいのは、わたしは日本仏教、大乗仏教を否定しているわけではありません。檀家としてお寺と縁を結んでおられる方々は、そのまま続けられるとよいでしょう。でも、檀家になれない方々はには、上座部仏教と縁を結ぶという選択肢もあるのではないでしょうか。 


上座部仏教と月について語りました



また、上座部仏教と月の関係についても話しました。
ブッダは満月の夜に生まれ、満月の夜に悟りを開き、満月の夜に亡くなったそうです。ブッダは、月の光に影響を受けやすかったのでしょう。言い換えれば、月光の放つ気にとても敏感だったのです。わたしは、やわらかな月の光を見ていると、それがまるで「慈悲」そのものではないかと思うことがあります。



ブッダとは「めざめた者」という意味ですが、めざめた者には月の重要性がよくわかっていたはずです。「悟り」や「解脱」や「死」とは、重力からの解放です。
ミャンマーをはじめとする上座部仏教の国では、今でも満月の日に祭りや反省の儀式を行ないます。仏教とは、月の力を利用して意識をコントロールする「月の宗教」だと言えるでしょう。



わたしは、もともと月に魅せられた人間で、いつか月面に人類共通の慰霊塔を建て、地球上からレーザー光線で魂を送る「月への送魂」という儀式を行いたいと思っています。その意味で、月の宗教である上座部仏教の寺院「世界平和パゴダ」において、「月への送魂」をはじめ、月光浴や満月瞑想など、さまざまな行事を企画すれば素敵だなと思います。


グリーフケア」について語りました



さらには、コーディネーターの内海氏から「グリーフケア」についての質問を受けました。スピリチュアルケア研究の第一人者である井上ウィマラ氏による「グリーフケアの本質」のお話の後、わたしは次のように述べました。



東日本大震災以降、「グリーフケア」が大きな注目を集めています。もともと、日本仏教はグリーフケアの体系でもありました。その最たるものは葬式です。「葬式仏教」とは、「グリーフケア仏教」でもあるのです。いったん、葬式といった儀式の力で時間と空間を断ち切ってリセットし、もう1回、新しい時間と空間をつくって生きていく。そういう意味が、儀式にはあります。  



もし、お葬式をしなかったらどうなるか。そのまま何食わぬ顔で次の日から生活しようとしても、喪失でゆがんでしまった時間と空間をつくり直すことができず、心が悲鳴をあげてしまうのではないでしょうか。儀式には、人を再生する力がある。「カタチ」には「チカラ」があるということです。



また、一連の法要は、故人を偲び、冥福を祈るためのものです。故人に対し、「あなたは亡くなったのですよ」と今の状況を伝達する役割があります。また、遺族の心にぽっかりとあいた穴を埋める役割も。動揺や不安を抱え込んでいる心に「カタチ」を与えることが大事なのです。
さらに、家族や親戚が集まる法要は、血縁の確認の場でもあります。通夜や葬儀の時は悲しみの方が大きいがゆえに、故人を偲ぶというわけにはいきません。だからこそ、初七日から百ヶ日の忌日法要、一周忌から五十回忌までの年忌法要は故人を偲ぶ絶好の機会。故人を偲ぶこと、それは「先祖とくらす」ということなのです。



以上のように、日本仏教の特徴は「先祖供養」の要素が強いと言えます。
ところが、ミャンマー仏教に代表される上座部仏教は基本的に「先祖供養」は関係ありません。あくまでも、ダイレクトにブッダとつながる仏教です。


ブッダグリーフケアについて語りました



ブッダが、死別の悲しみを癒したという有名なエピソードがあります。
シュラーヴァスティーという町で、キサーゴータミーという女性が結婚して男の子を産みましたが、その子に死なれて気が狂ってしまいます。彼女は、わが子の死体を抱きしめて生き返りの薬を求めて歩きまわっていました。それを見たブッダは、「まだ一度も死人を出したことのない家から芥子(けし)粒をもらってくるがよい。そうすれば、死んだ子どもは生き返るだろう」と教えました。
キサーゴータミーは、軒ずつ尋ねて歩いているうちに、死人を出さない家はひとつもないことを悟りました。そして、やっと正気に戻ることができたそうです。
この話は、死なない人間はいない、人間は必ず死ぬのだといったあまりにも当たり前の事実をあらためて教えてくれます。それとともに、最高の「癒し」の物語ともなっています。ブッダは決してキサーゴータミーを無理やり説き伏せたりしたのではなく、彼女自身に気づかせました。自然な形で彼女の心を癒したのです。


300名以上の人で溢れかえった会場



わたしは、人類史上最初のグリーフケア・カウンセラーこそブッダであり、そのブッダの教えを改めて取り入れることによって、日本仏教もその命をよみがえらせることが出来るのではないかと訴えました。そして最後に、「上座部仏教と日本仏教の平和な共存を願っています」と述べました。パネル・ディスカッションの終了後、300名を超す参加者の間から盛大な拍手が起こって、感激しました。
このシンポジウムがきっかけになって、再開した世界平和パゴダが多くの方々に認知され、日本人が上座部仏教を知るようになってくれれば嬉しいです。
なお、このシンポジウムの内容は単行本化を予定しています。


意義深いシンポジウムでした



ハプニングもありましたが、4人のパネリストが自分の考えをしっかりと述べました。世界平和パゴダの意味と可能性を探った意義深いシンポジウムであったと思います。出演された井上ウィマラ氏、天野和公氏、八坂和子氏、コーディネーターの内海準二氏、そして関係者のみなさんに心より御礼申し上げます。
シンポジウム終了後は、みんなで世界平和パゴダを訪れた後、松柏園ホテルで打ち上げを行いました。みなさん、本当にお疲れ様でした!



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2013年9月22日 一条真也