節分に厄を祓う理由

一条真也です。
明日は「節分」ですね。日本経済新聞電子版の「ライフ」に連載中の「一条真也の人生の修め方」の連載第24回目となるコラムがアップされました。今回のタイトルは、「節分に厄を祓う理由」です。



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トップ画面には、「節分に厄を祓う理由」がイラスト入りで紹介されています。もともと節分とは「季節を分ける」という意味で、「季節の変わり目」ということです。本来は春、夏、秋、冬のすべての季節に節分があります。しかし、一年の始まりが「春」ですので、その春が始まる「立春」の前日に「不幸や災いのない一年になりますように」との願いを込めて、毎年、2月3日に節分を行うのです。



節分に厄を祓う理由



節分では豆をまいたりして厄を祓います。わたしは例年、この日は松柏園ホテル内の神社で行われる「節分厄除け祭」に参加します。厄を迎えたわが社の社員や取引先の関係者などが合同で厄除けのお祓いをし、その後は、同ホテルで祝賀会を開いています。祝賀会では、厄除け者へのインタビュー、厄除け者による豆・餅・5円(御縁)玉配り、さらには厄除け親子獅子舞などで大いに盛り上がります。



厄年の「厄」とは、災厄の「厄」ではなく、役員の「役」、つまり共同体の中で一定の役割を果たすという意味での「厄」年です。役割を振りあてられ、その役割を果たすことができるかどうかという試練を受けることが、厄年の根本的な意味です。それを災いとするのも、人生のよき糧、養分とするのも、すべてはその人次第です。どのような困難が降りかかってこようとも、積極的に前向きに取り組み、課題を解決し、能力を高め、周りからも評価を受けることによって、さらに大きな人格として成長を遂げていく。その時期が厄年なのです。



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なお、第25回目のアップは2月16日(火)で、タイトルは「ブッダ最初の教え『慈経』のメッセージ」です。もうすぐ、インドを訪れます。現地では聖なるガンジス河をはじめ、サルナート、ブッダガヤ、ラージギルなどの仏教聖地を回っています。わたしのバッグには『慈経 自由訳』(三五館)という本を入れておくつもりです。ブッダの最初の教えとされるお経をわたしが自由訳したものです。そこには、ブッダの本心がシンプルに語られているのです。次回は、そんな話を書きます。どうぞ、お楽しみに!



次回も、どうぞお楽しみに!



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2016年2月2日 一条真也