富士山

一条真也です。
遠足に行く小学生のようにワクワクしながら、東京のホテルの一室で目覚めました。なぜ、ワクワクしているかというと、今日はこれから新幹線で静岡に向かうからです。そして、新幹線の車中で富士山が見れるからです。
何を隠そう、わたしは三度の飯より富士山が大好きなのです!


宿泊先のホテルの窓から・・・

東京でも、富士山がよく見える



東京のホテルの客室の窓からも、富士山がよく見えました。
新宿の超高層ビル街と富士山が並んでいる姿はなんだかシュールです。
これから、あの富士山に近づくと思うと、胸が高鳴ります。
東京駅から新幹線ひかり467号・岡山行きに乗り込みました。
もちろん、座席は右の窓側です。富士山好きなら常識です。


新幹線の車窓から・・・



もう新横浜のあたりから富士山の姿をバンバン拝むことができました。
熱海を過ぎてからはさらに勇壮な姿が間近に見れて、感動します。
左の通路側に座っていた老婦人が「すみません、富士山を撮ってくれませんか?」とわたしにデジカメを渡してきました。わたしは快諾して、5枚ほど写真を撮ってさしあげました。その方は「よく撮れていますね。ありがとうございます」と、何度も何度もお礼を言われていました。
良いことをすると、本当に気分がいいもんですな。


富士山は世界遺産です!



ブログ「富士山の世界遺産登録」に書いたように、6月22日に富士山が世界文化遺産に登録されました。
ヤフー・ジャパンでは「日本の誇り、富士山。」というサイトをアップしていますが、なんといっても富士山は日本人の「こころ」のシンボルです。
数多くの芸術作品の題材とされ、芸術面でも大きな影響を与えました。
わたしは、学生時代に富士山に車で登ったことがありますが、とても神聖な気分になれました。また、飛行機の機内や新幹線の車内から富士山の勇姿を見るたびに、元気になれるような気がします。


富士山は「信仰の対象」でもありました



富士山は「芸術の源泉」であるとともに「信仰の対象」でもありました。
古来より霊峰とされ、日本人の信仰の対象になってきました。特に浅間大神が鎮座するとされた山頂部は神聖視されました。富士山修験道の開祖とされる富士上人によって、修験道の側面も築かれ、登拝が行われるようになりました。
いわゆる「富士信仰」が生まれ、「富士講」などが派生します。


「真理はひとつ」をイメージさせます



わたしは、富士山の雪に覆われて白くなった山頂部を見るたびに思うことがあります。それは、「真理はひとつ」ということです。
新刊『命には続きがある』(PHP研究所)では、東京大学医学部大学院教授で東大病院救急部・集中治療部長の矢作直樹先生と「宗教」の問題について語り合いました。矢作先生は登山家でもありますが、わたしたちは山の頂が1つだが、そこに至る道はいくつもあるということを確認しました。その道というのが仏教やキリスト教イスラム教といったさまざまな宗教であり、「幸福」という名のそれらの目的地こそ富士山の山頂ではないかと思います。
登るルートは複数でも、富士山の頂上は1つなのです。



日本人は、桜と美人と富士山を好みます。
桜は散ってしまうし、美人は薄命、富士山の雄大な姿はいつも眺められるわけではありません。はかないものほど美しく、見る者の心を打つのでしょう。
そして、日本には四季というものがあります。春夏秋冬・・・・・それぞれの季節は、富士山を背景として一段とその輝きを増すのです。わたしは、四季がある日本、富士山のある日本に生まれたことを心から誇りに思います。
そして、20年に1度の伊勢神宮の御遷宮、60年に1度の出雲大社大遷宮にあたる今年、富士山が世界文化遺産に登録されて、本当に良かったです。
そのうち、「日本一の山」富士山に登ってみたいと思っています。
そんなことを考えているうちに、静岡駅に着きました。
これから、全互協の事業継承セミナーが開催されます。


静岡駅前にて・・・



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2013年11月21日 一条真也

「サプライズ」

一条真也です。
六本木ヒルズでの打ち合わせを済ませ、某出版社社長との会食を終えた後、映画「サプライズ」を観ました。タイトルからして、冠婚葬祭の演出の参考になりそうな匂いがプンプンしましたが、実際はバリバリのホラー映画でした。(苦笑)


原題は「YOU'RE NEXT(次は、お前だ)」で、「V/H/S」シリーズや「ABC・オブ・デス」などの傑作ホラーで知られるアダム・ウィンガード監督の作品です。
両親の結婚35周年を祝う家族パーティーの最中、アニマルマスクの集団の襲撃に遭う戦慄の物語です。突然の襲撃にパニック状態に陥る面々を「パニック・マーケット3D」のシャーニ・ヴィンソン、「コロシノジカン」のニコラス・トゥッチらが熱演しています。もう、ハラハラドキドキし通しの展開でした。


映画「サプライズ」のポスター



映画ポスターには、次のようなコピーが書かれています。
「始まりは、二階の寝室。
一匹目は、ヒツジ。
二匹目は、キツネ。
三匹目は、トラ。
家に誰が入ってきたらしい」



この映画だけは、詳しいストーリーを書くわけにはいきません。
どんなふうに書いてもネタバレになってしまいます。
そして、とにかくカメラワークが素晴らしく、ラストシーンが衝撃的なことだけは明らかにしてもいいでしょう。



次々に人が殺される内容ですが、かの「悪魔のいけにえ」や「13日の金曜日」シリーズも彷彿とさせるのですが、この映画、それらの名作ホラーとは違って、ある意味でスカッとします。このカタルシスさはハンパではありません。わたしは、ここ数ヶ月のストレスはすべて吹っ飛びましたね。(笑)
また、最初は悲鳴を上げていた観客も、最後は笑っている人が多かったのが印象的でした。


荒木飛呂彦の奇妙なホラー映画論 (集英社新書)

荒木飛呂彦の奇妙なホラー映画論 (集英社新書)

ブログ『荒木飛呂彦の奇妙なホラー映画論』で紹介した本の「まえがき」には「ホラー映画とは何か」について、次のように書かれています。
「当たり前と思われるかもしれませんが、人間の在り方を問うための良心作だったり、深い感動へ誘うための感涙作だったりというのは、結果としてそれがどんなに怖い映画であっても逆にホラー映画とは言えません。ひたすら『人を怖がらせる』ために作られていることがホラー映画の最低条件で、さらにはエンターテインメントでもあり、恐怖を通して人間の本質にまで踏み込んで描かれているような作品であれば、紛れもなく傑作と言えるでしょう。つまり『社会的なテーマや人間ドラマを描くためにホラー映画のテクニックを利用している』と感じさせる作品よりも、まず『怖がらせるための映画』であって、その中に怖がらせる要素として『社会的なテーマや人間ドラマを盛り込んでいる』作品。それこそがホラー映画だというわけです」
その意味では、この「サプライズ」は完璧なホラー映画でした。



また、荒木飛呂彦氏いわく、恐怖を相対化できるようになることが人生において大事なのだそうです。ホラー映画というのは、恐怖をフィクションとして楽しむことのカタルシスを教えてくれ、映画鑑賞をより実りあるものにしてくれるのです。さらには、「不幸を努力して乗り越えよう」といった、お行儀のいい建前ではなく、「死ぬ時は死ぬんだからさ」みたいなポンと肩を叩いてくれることで、かえって気が楽になることがあります。
荒木氏は、そういう効果を発揮してくれるのがホラー映画だというのです。
その意味でも、やっぱり「サプライズ」は完璧なホラー映画でしたね。
この映画を荒木氏がどう観るか、とても興味がありますね。



まさに、ホラー映画の中のホラー映画。じつは、登場人物の1人が異様な生存本能を発揮し、観客の共感を呼びます。その人物が殺されずに生き残っていくさまを観ながら、「人生、あきらめてはいけない」「人生、何が起こるかわからない」と、妙にポジティブな考え方になっていきます。詳しく書けないのがもどかしいですが、観終わった後、途方もない爽快感とともに、これからの人生を生きていく勇気のようなものが湧いてくる映画でした。映画館を出た後、六本木ヒルズのクリスマス・イルミネーションが美しかった!


六本木ヒルズのクリスマス・イルミネーション



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2013年11月21日 一条真也