「サンデー毎日」書評

一条真也です。
サンデー毎日」といえば、日本で最初に創刊された総合週刊誌です。
その最新号(11月3日号)が22日に発売されました。表紙はキムタクですが、ジャニーズ事務所は肖像権管理に厳しいので写真掲載は控えます。(苦笑)


「サンデー毎日」11月3日号



表紙には、「今日から始める“極寒”増税時代に負けない『買う』という生活防衛術」、「異色『憂国』対談 河野洋平×森村誠一 憲法9条は日本の覚悟の表現だ」「国公立・私立262大学 4大模試 最新難易度・理系編」「やなせたかしさんが遺したもの」「団塊世代も集う なんてたって『ライブ』チケット取得難易度ランキング」などの特集記事が紹介されています。そして、同誌の人気コーナーである「SUNDAY LIBRARY」の「オトナの勉強机」には、ライターで国語教師でもある阿武秀子さんが「いつかくる『その日』を迎えるために」のタイトルで、拙著『死が怖くなくなる読書』(現代書林)を紹介して下さっています。



阿武さんは、冒頭で「死が怖くなくなる、なんてことが本当にあるのだろうか。一方で、人間は死亡率100%なのだから、死を怖がることはないのではないかと思ったりもする」と書かれています。これは、多くの人の正直な気持ちでしょう。
そして、『死が怖くなくなる読書』を以下のように説明して下さいます。
「この本は『死』をテーマにした本から厳選した50冊のブックガイド。
グリーフケア(死別の悲しみを癒やす行為)の普及に携わってきた一条真也さんのラインアップ自体に意味がある。その1冊、その著者になぜ注目するのかを、現代社会や私たちの暮らし、心のあり方に照らしながら的確に伝え、本の内容については1冊1冊に敬意と思い入れが込められている」


メメント・モリ 納棺夫日記 (文春文庫) 悼む人 


阿武さんの達意の文章に感服しつつ、最も嬉しかったのは次の一文でした。
「『死を想う』と題された第1章が藤原新也の『メメント・モリ』ではじまり、第5章『生きる力を得る』の締めくくり、つまり最後の本がサン=テグジュペリ星の王子さま』だ。力強いといおうか、何といおうか。全体の構成を眺めただけでも、すごい、という感じがする」
阿武さんは、この他にも青木新門著『納棺夫日記』や天童荒太著『悼む人』に対するわたしの感想を紹介し、「わたしたちは、常に死者と共に存在しているの」という見方が本全体を貫いていると述べておられます。



最後の阿武さんの問いかけも心に響きました。以下の通りです。
「それぞれの本との真摯な対話が堅苦しくなく、それでいておごそかになされている。いつかこの本を手にとってくれればいいのです、でも、あなたのそばにおいておきたいのです、置き手紙のように・・・・・・そんな声が本書の奥から聞こえてくるようだ。アンデルセンの『人魚姫』から読み取れる死の物語は、とても悲しい。一条さんだったら、新美南吉の『ごんぎつね』をどう読むだろう」


ごんぎつね (日本の童話名作選) つるの おんがえし (いわさきちひろの絵本) 泣いた赤鬼 (絵本) 


わたしは、これを読んで非常に驚きました。
なぜなら、『ごんぎつね』は子どもの頃からの愛読書だからです。
何度も読んで、何度も泣きました。現在、わたしのアイフォンには女優の市原悦子さんが朗読した『ごんぎつね』のCDブックが入っているくらいです。『ごんぎつね』は狐にまつわる童話ですが、その他にも鶴にまつわる『つるのおんがえし』、鬼にまつわる『泣いた赤鬼』などの日本の童話が好きでした。それぞれ、最後には狐や鶴や鬼が死ぬ物語で、残された者の悲しみが描かれています。


人魚姫   【Amazon.co.jp限定】 星の王子さま (特典:新潮文庫の100冊キュンタ 壁紙ダウンロード)(新潮文庫)


わたしが『死が怖くなくなる読書』で取り上げた「死」の本は、いずれも「人間の死」についての本でした。例外は、人魚の死を描いたアンデルセンの『人魚姫』、異星人の死を描いたサン=テグジュペリの『星の王子さま』です。
当然ながら、異星人も人魚も狐も鶴も鬼も人間ではありません。でも、彼らも人間と同じ「いのち」であることには変わりはありません。
人間の死に対する想いは「人間尊重」としての「礼」になります。
そして、あらゆる生きとし生けるものの死に対する想いは「慈」となります。
「礼」が孔子的だとすれば、「慈」はブッダ的であると言ってもいいでしょう。



じつは、ブログ「ムーンサルトレター第100信」にも書いたように、わたしは年内に『慈を求めて』(三五館)という著書を刊行する予定です。
孔子文化賞受賞記念出版となった『礼を求めて』(三五館)の続編で、日本最大の新聞系ポータルサイトである「毎日jp」の「風のあしあと」に連載中の「一条真也の真心コラム」をまとめた内容ですが、「世界平和パゴダ」の再開をはじめとした仏教関連のテーマが多いので、「礼」の次は「慈」を求めることにしたのです。
また、ブログ「『慈経』を訳す」に書いたように、わたしは今、上座部仏教の根本経典である「慈経」の自由訳に取り組んでいるのです。
ですから、鎌田東二さんに続いて、阿武秀子さんからも「一条よ、礼だけでなく慈も求めよ!」というメッセージを貰ったような気がしました。



毎日新聞」9月14日朝刊



ブログ「死の恐怖なくなる本」で紹介したように、「毎日新聞」9月14日朝刊でも『死が怖くなくなる読書』を大きく取り上げていただきました。
そして、「『おそれ』も『かなしみ』も消えていくブックガイドと付けられた副題のように、読んだ後には自身が死ぬ恐怖も、最愛の人が亡くなった悲しみも癒される気になる一冊だ」と書いていただきました。


一条真也の真心コラムvol.76



さらに、先程紹介した「毎日jp」の「風のあしあと」に連載中の「一条真也の真心コラム」でも、『死が怖くなくなる読書』を紹介させていただきました。ネットに新聞に週刊誌・・・・・毎日新聞社のみなさんには、心より感謝いたしております。
今回の「サンデー毎日」での書評をきっかけに、1人でも多くの方に『死が怖くなくなる読書』を読んでいただき、死の「おそれ」と死別の「かなしみ」が軽くなるお手伝いができたとしたら、著者としてこれに勝る喜びはありません。
阿武秀子さん、素敵な書評を本当にありがとうございました。


死が怖くなくなる読書:「おそれ」も「かなしみ」も消えていくブックガイド

死が怖くなくなる読書:「おそれ」も「かなしみ」も消えていくブックガイド

*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2013年10月22日 一条真也

ムーンサルトレター第100信

一条真也です。
シンとトニーのムーンサルトレター」第100信がUPしました。
わたしが、「バク転神道ソングライター」こと京都大学こころの未来研究センター教授の鎌田東二さんと満月の夜に交しているWEB上の往復書簡です。Shin(シン)はわたしで、Tony(トニー)さんは鎌田先生です。


シンとトニーのムーンサルトレター第100信がUPしました



わたしは、100信目のレターの冒頭に次のように書きました。
「Tonyさん、100回目の満月が上りました。ついにムーンサルトレターが第100信になりましたね。2005年10月18日に第1信をお送りしてから、早いもので、もう丸8年が経過しました。この8年間、明るい世直しについて、お互い、じつにいろんなことを語り合いましたね」


月への送魂」について書きました

霧ヶ丘紫雲閣の「禮鐘」についても書きました

さらに、天道館も紹介しました



わたしは、ブログ「満月の文通」で紹介した日経新聞の「交遊抄」のこと、ブログ「月への送魂」に書いたセレモニーのこと、ブログ「霧ヶ丘紫雲閣竣工式」に書いた禮鐘のこと、さらにはブログ「天道館の竣工式」で紹介したサンレーの新施設および今後の方向性などを100信目のレターに綴りました。


「Tonyさん」こと鎌田東二先生と 



Tonyさんのレターですが、神道ソングのことを中心に書かれていました。
神道ソングライターであるTonyさんには、2001年にわたしが社長に就任した直後、サンレーの社歌を作って下さるようにお願いしたことがあります。
わたしは渋谷の「八丈島ゆうき丸」という居酒屋でTonyさんにお願いしたのですが、その2時間後にTonyさんが大宮に帰り着いた時にはすでに社歌「永遠からの贈り物」が完成していたので、仰天しました。
Tonyさんが最初に作詞作曲した「神道ソング」は、「日本人の精神の行方」、2番目に作ったのが酒鬼薔薇聖斗に捧げる「探すために生きてきた」、3番目に作ったのがすべての15歳の少年少女に捧げる歌「エクソダス」でした。Tonyさんは、これら3曲をなんと1晩で作られたそうです。


神道ソングを歌うTonyさん



Tonyさんの驚異の神道ソングについては、ブログ「鎌田東二の世界」をお読み下さい。その「神速」ともいえるスピード作詞・作曲術について、Tonyさんは今回のレターで以下のように書かれています。
「『神道ソング』は考えずに作るというか、出来てくるので、すべてが日清チキンラーメンのようにワンタッチ3分間で出来ると言っていますが、実際、その通りなのです。なぜなら歌はわたしが作るのではなく、すでに向こう側に、『在る』からです。わたしはそれを『ダウンロード』するだけ。借りてくるだけ。拾ってくるだけ、です。その時、もちろん、お借りするエキュスキューズは、『礼(霊)』として必要ですが」



そして、Tonyさんは次のような驚くべきことをレターで述べられています。
「今日、朝の9時からずっと今まで、ほぼ7時間、昼食を食べに近くのカフェに行くまで、『余はいかにして神道ソングライターになりしか』について語り続けていました。ぶっつづけで。休むことなく。途中で256曲目の神道ソング最新曲の『約束』を歌いましたが。実は、ポプラ社新書で、『歌うこと。そして祈ること。』という本を出してほしいというオファーがあり、それを受けて、たった1日でそれができると確信し、語りおろしで本を作ろうと考え、それを本日実行したのです」



Tonyさんは、その話=歌を、正味6時間ぶっ続けで、歌い切ったそうです。
ブログ『超訳古事記』で紹介した本以来の語りおろしです。同書は、Tonyさんが現代の稗田阿礼に成り切って語り下ろすという試みでした。Tonyさんは自宅で半日3時間、そしてその翌日、自由ヶ丘にある版元のミシマ社本社で半日3時間語りおろし、2日間正味6時間で出来た本でした。まさに神がかりです!
しかしながら、Tonyさんはレターで次のように述べています。
「本日、それよりも早く、超速で、1日実質6時間で、『歌うこと。そして祈ること。』の新書を語り下ろしました。これは実に、実に、楽な仕事でした。そして、楽しい仕事でした。自己本来の姿を包み隠すことなくただ開陳すればよいだけですし、好き勝手に歌っていればよいだけですから。こんな楽しく、楽な本作りはこれまでありませんでした」



うーん、マンダム! じゃなくて、うーん、凄すぎる!
思うに、神道ソングライターというのは、ほとんどシャーマンですな。
でも、それは誰にでも出来る芸当ではありません。神道ソングライターになれるのは、選ばれし者だけなのです。Tonyさんは次のように書かれています。
「『神道ソング』となるためには、そこに『スピリチュアル・ペイン』(霊的・精神的痛み)や『グリーフ』(悲嘆・哀しみ)があるので、歌の根底には『悲』があるのですが、同時にそれを包み込む『慈』もあるのです。歌とは慈と悲のせめぎ合い・応答関係の中で生まれてくるものですから」



わたしは、このTonyさんの「歌とは慈と悲のせめぎ合い・応答関係の中で生まれてくるもの」という言葉に深く共感しました。というのも、わたしも神道ソングではありませんが、道歌をたしなんでいるからです。自分の想いを5・7・5・7・7の31文字に注入する「へっぽこ道歌人」です。いわゆる短歌においても、慈と悲のせめぎ合い・応答関係の中で生まれてくるということが言えると思います。考えてみれば、『万葉集』に収められた和歌は、相聞歌と挽歌が中心でした。
わたしは、これまで『愛する人を亡くした人へ』、『また会えるから』(ともに現代書林)、『のこされた あなたへ』(佼成出版社)など、グリーフケアの本を書いてきて「悲」については自分なりに考えてきたつもりですが、これからは大いに「慈」についても求めていきたいと思います。



これは、たまたま偶然なのですが、わたしは『慈を求めて』(三五館)という著書を年内に刊行する予定です。いや、ほんとうに。
孔子文化賞受賞記念出版となった『礼を求めて』(三五館)の続編で、毎日jp「風のあしあと」に連載中の「一条真也の真心コラム」をまとめた内容ですが、「世界平和パゴダ」の再開をはじめとした仏教関連のテーマが多いので、「礼」の次は「慈」を求めることにしたのです。はい。
また、ブログ「『慈経』を訳す」に書いたように、わたしは今、上座部仏教の根本経典である「慈経」の自由訳に取り組んでいるのです。はい。



日本経済新聞」10月18日朝刊



さて、わたしたちの文通のことを日経の「交遊抄」に書きました。Tonyさんは京都で日経新聞を購入されたそうで、たいそう喜んで下さいました。しかしながら、日本の将来については大きな不安を抱かれているようです。
以下のレターの文章から、Tonyさんの想いが強く伝わってきます。
「Shinさんが日本経済新聞の『交遊抄』にわたしとの『交遊』のことを書いてくれましたが、『日本』も『経済』も『科学』も『技術』もこれから正念場を迎えると思います。原発の制御もこれから多発する自然災害の中で具体的にどのように可能なのかが問われ、その対策・対応も並大抵ではないと思います。その制御の科学と技術、そして活用力を底上げしなくてはなりませんが、安陪首相の『汚染水は完全にコントロールされている』とか、『過去・現在・未来に健康被害はない』などの根拠のない暴言や大嘘は、それこそ、今後科学や技術がその根拠のなさを証明していくのではないでしょうか。放射能による健康被害も深刻なものになるのではないでしょうか? 2年や3年ではまだまだよくわからないと思います。
とにもかくにも、日本の未来は、日本の未来の安全も安心も安定も『想定内』に収まらない『想定外』の事態に見舞われることは必至でしょう。しかしそんな中で、われわれは覚悟して生きていかねばなりません。そのような生の底力と臨機応変力を常に涵養していく正精進をしてまいりましょう! 
今後ともなにとぞよろしくお願い申し上げます」


Tonyさんのレターの最後は「禮鐘」へのエール



最後に、Tonyさんのレターは次の文章で終っています。
「最後になりましたが、葬儀・告別式での『出棺』の際の『クラクション』を鳴らすことですが、それを『禮鐘』に替えるという試み、大賛成です。それによって、儀式の『質』がよりしめやかにかつ鎮魂供養のこころと意味を持ち始めると思います。そして何よりも、それは参列した方々の心と体で判断され評価されることにより、広がっていくことと思います。ぜひ全国に『礼楽の鐘』を鳴らしてください! お願いします」



これを読んで、わたしは「礼楽の鐘」という表現に大きな感銘を受けました。
そうか、わたしが「礼」を求めている冠婚葬祭人だとしたら、神道ソングライターであるTonyさんは音楽すなわち「楽」の人ですね。
ヤン坊とマー坊が2人あわせて「ヤンマー」になるように、北斗と南が合体して「ウルトラマンA」になるように、ガリ勉と番長が合体して「超人バロム1」になるように、わたしたちShinとTonyは2人あわせて「礼楽」なのです!
だから、わたしたちは100カ月も文通が続けられるほど気が合い、かつ「明るい世直し」という志を共有できるのでしょう。たぶん。

                    
「礼楽」を実現する(?)ムーンサルト・カラオケ♪



シンとトニーのムーンサルトレター」が60信を数えたとき、わたしちは水曜社から『満月交感 ムーンサルトレター』上下巻を上梓しました。今度は120信を数えたら、また単行本を2分冊で上梓したいと願っています。
そのタイトルは『満月交感』のままでもいいですけど、今度は『満月交遊』とか『満月交心』などもいいですね。あと20信、あと1年8ヵ月です。そのときを心より楽しみに待っています。Tonyさん、お互いに激務ですが、健康に気をつけて、われらの「シンとトニーのムーンサルトレター」を何とかこれからも続けましょう。それでは、また次の満月まで。オルボワール!

満月交感 ムーンサルトレター 上

満月交感 ムーンサルトレター 上

満月交感 ムーンサルトレター 下

満月交感 ムーンサルトレター 下

*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2013年10月22日 一条真也