『暮らしの中の民俗学2 一年』

暮らしの中の民俗学〈2〉一年


一条真也です。
『暮らしの中の民俗学2 一年』新谷尚紀・波平恵美子・湯川洋司編(吉川弘文館)を再読しました。この『暮らしの中の民俗学』シリーズは全3巻で、各巻のテーマが「一日」「一年」「一生」に分かれて構成されています。3人の編者のうち、新谷尚紀氏と湯川洋司氏は民俗学者ですが、波平恵美子氏は文化人類学者です。なお、くだんのシンポジウムに波平氏も出演される予定です。



本書の帯には「正月や盆、休日や祭りなど、めぐる季節とともに繰り返される暮らしの習慣とリズム。その底に潜む民俗の知恵とは?」と書かれています。また、カバーの裏には以下のような内容紹介があります。
「『一年』という時間をテーマに、生活と暦、正月と盆の性格、稼ぐことの意味、休みと祭り、中元と歳暮にみる人づきあい、旅への現代的期待などを考える。暮らしのリズムを形づくってきた人々の習慣から、現代社会を捉え直す」



本書の目次構成は、以下のようになっています。
「刊行にあたって」
「一年の民俗」・・・・・・・湯川洋司
暦と年中行事・・・・・・・・湯川洋司
正月・・・・・・・・・・・・小川直之
盆・・・・・・・・・・・・・新谷尚紀
稼ぎ・・・・・・・・・・・・安室知
休日・・・・・・・・・・・・松崎憲三
祭り 暮らしの中の祭りと地域への展開・・・内田忠賢
中元と歳暮・・・・・・・・・山崎祐子
旅と観光 客と主人が織りなす民俗・・・・・渡邊欣雄
「参考文献」「索引」「執筆者紹介」



本書の序章である「一年の民俗」では、湯川洋司氏が「1回かぎりの時」と「繰り返される時」という二重の意味を帯びているのが1年であるとして、次のように述べています。
「だからこそ1年の暮らしには、1回かぎりの個人的な行為もあれば、社会的に習慣化して何度も繰り返される行為も含まれる。民俗学は従来、後者の社会的に習慣化した行為の意義を考えてきたものの、そこに込められた個人の思いを掬い取る視点は乏しかった。1年という時間を考えた場合に、その中心に働くことがあるのは間違いないとしても、他方に、あえて労働を控えねばならない日もあれば、特別な祭りや行事に当てるべき日もある。さらにはそうした行事や儀礼を通して社会的関係を築き、これを維持しまた強めることもあれば、そうした人間くさい日常からの離脱を図り、精神の安息や解放を求めようとすることもある」



続けて、湯川氏は本書の構成について次のように述べています。
「本書では、こうした1年間の暮らしを振り返って、そこに生み出されている暮らしのリズムと息吹とを、現代社会の質を問う視角から考えてみようとする。すなわち、1年という時間の束を律している『暦と年中行事』の問題、1年の大きな節目となっている『正月』と『盆』の意義、暮らしのかたちを作るのに欠かせない『稼ぎ』をめぐる問題、これと呼応する『休日』や『祭り』のあり方、社会的関係の一表現としての儀礼的贈答がなされる『中元と歳暮』、精神の解放と日常の見つめ直しを求める『旅と観光』という、8つのテーマを取りあげている」



そして、「正月」について次のようにまとめています。
「正月とは、先祖霊としての歳神を各家に迎え、これを祀ることを通して、生命の更新が果たされるとともに、1年の暮らしを支える生命力が与えられるときだと、民俗学は解説してきた。そうした宗教儀礼的意味合いとは別に、正月には親族や友人、同僚等が集い、互いの健在ぶりを喜び合い1年の健勝と平安を祈り合うことも行なわれてきた。だが近年、初詣をはじめ、お年玉、お雑煮、おせち料理、年始の挨拶、仕事始めなど、伝統的習慣として行なわれてきた正月行事に対する日本人の意識や行動は大きく変化し多様化している」



「盆」についても、以下のようにまとめています。
「盆は仏教に基づく儀礼として発達したものであるが、全国的にみれば地域色豊かな内容をともなって行なわれてきた。本来7月15日を中心になされてきた盆の行事は、太陽暦の採用にともない一月遅れの8月15日を中心に行なうようになったところが少なくない。戦後、この日は戦没者を追悼する行事とも重なり、亡き人のことを想う行事としての意味を拡大させてきた。帰省ラッシュと言われるように、混雑した列車や道路の渋滞に耐えながらも故郷を目指す動きはなお認められているが、他方では海外旅行へ出かけるなど夏の長期休暇として位置づける動きも進んでいる」



「祭り」についても、以下のようにまとめられています。
「現在では休日といえば労働休養日の意味になり、祭日も休日と等しく考えられているが、もともと祭りを行なう祭日は休日ではなかった。祭りは参加すべき義務を負う務めであった。むらの祭りでいえば、それはむらの安寧と一体化をもたらすことが期待されていたからである。現代では、祭りは各地で行なわれる新たなイベントも含めて活況を呈しているが、その祭りに参加するかしないかは、多くの場合、個人の意志に委ねられており、そこに旧来の地域社会に育ってきた祭りとの大きな違いが認められる」


 
最後に、「旅と観光」について次のようにまとめています。
「旅は日常生活を一時的に離れ、広く世間を見て歩く実際教育の側面を持ち、またその過程そのものを楽しむ遊興としての一面も備えてきた。これは旅に出る者の立場からの言い方であるが、旅へ出た者を一時的に受け入れる立場が他方にあるのは明らかであり、それは旅という行為を成立させる重要な要素となってきた。そのことは、ことに観光の場においてより鮮明になる。そこにはある土地を訪ねる『客』と、これを迎え入れる『主人』とが向き合う姿が浮かび上がる。



本文の「暦と年中行事」において、折口信夫が日本の年中行事は複雑そうに見えるが、もとは簡単で「1つの行事の繰り返し」だと説明したことが紹介されます。その「1つ行事」とは、神の来臨を得てこれを祀るという行為です。それは年1回で事足りるのですが、それだけでは心細いと思うようになって2回3回と来臨の機会が増え、それが年中行事として定まれば、さらに臨時の神の来臨を願うようになり、複雑になったのだと折口は述べました。すなわち、年中行事とは元来、「神祭り」を行なうハレの日であり、その日を順序立て秩序立てるのが暦の役割だったことになります。



この折口説について、湯川氏は次のように述べています。
「6月を境に1年が2分される、という折口の指摘は、民俗学では、『年中行事の両分性』などと呼んで整理している。たとえば、正月に家々を訪れる歳神は先祖霊にほかならず、6ヵ月後の7月に先祖霊を迎えて行なう盆と同じ性格を持つ行事であるとしたり、6月1日のいわゆる『氷の朔日』や6月晦日の『夏越の祓』が、12月1日のいわゆる『川浸り朔日』や12月晦日の『大祓』と対応すると理解できることを拠りどころにして、日本の年中行事の重要な構造原理であると説明してきた」



この「年中行事の両分性」というのは非常に興味深いですね。
さらに、折口が言った「古典的な要素」という考えが重要だと思います。
折口信夫は、昭和18年(1943)1月発行の『むらさき』で、口述筆記により「日本の年中行事」を発表しました。そこで折口は、年中行事が重大な意味を持つのは、「我々の生活に、どうしても古典的な要素がなければならぬ」からだと述べたのです。
決まりきった生活様式など考えてみたこともない若い人たちが家庭をもつと、門松を立てたり注連縄を張ったりして生活の型のよさを感じたり、安定した生活の感じに満足を覚えたりしますが、それは「自分達の生活が古典化せられたという喜び」であるとして、それを遂行したということが一人前の人間になったという感じを持たせるのだと説きました。また年中行事は家を基礎に行なわれますが、たとえば大字や小字だけでも同じことをしていることがあります。それが周囲と自分とは同体であることを意識させ、深い人生を感じさせると、折口は述べているのです。



この年中行事に対する折口の考えについて、湯川氏は述べています。
「これまで見てきたように、現代の年中行事を支えている場としては、むらをはじめとする地域社会の影は薄れ、家庭へ重心を移しながら、現在では個人の選択にかかるところへさらに移り変わってきたとみられ、折口の指摘との間には大きな変化が認められる。その変化は、年中行事が暮らしにリズムや秩序を与える『規範力』を弱めてきた過程と重なる」



「盆」の冒頭では、その歴史について新谷尚紀氏が以下のように述べています。
「日本の盆行事の歴史は古い。『日本書紀推古天皇14年(606)の記事に「この年より初めて、寺ごとに4月8日、7月15日に設斎す」とあるのが最初である。この4月8日の設斎とは灌仏会のことであり、7月15日の設斎とは盂蘭盆会のことである。このような仏教儀礼が大和政権に導入された背景には、当時摂政であった聖徳太子や有力豪族蘇我氏の熱心な仏教信仰があったものと推定される」



盂蘭盆会の語のみえる最初は斉明天皇3年(657)の7月15日に「須弥山の像を飛鳥寺の西に作る。且、盂蘭盆会を設く」とあるのがそれで、その2年後の斉明天皇5年(659)7月15日には「群臣に詔して、京内の諸寺に盂蘭盆経を勧講かしめて、七世の父母を報いしむ」とあるそうです。つまり、当時すでに盂蘭盆経が講じられ、七生父母の抜苦と報恩が祈られていたことがわかるわけですね。



その盂蘭盆経とは、西晋(265〜316)の竺法護訳『仏説盂蘭盆経』(『大正新脩大蔵経』収載)と考えられるとか。
『仏説盂蘭盆経』は、インドの目連救母伝説をもとにして中国風の父母への孝養の徳を説くものとなっていますが、サンスクリット語パーリ語で書かれた原典も見つかっていません。また、チベット語訳も発見されていません。そのことから、ブッダの説いた経典ではなく中国で撰述された経典ではないかというのが現在の通説だそうです。


ご先祖さまとのつきあい方 (双葉新書(9))


拙著『ご先祖さまとのつきあい方』(双葉新書)にも書いたように、日本において、盆行事は独特の発展を遂げました。現代日本の盆について、「盆と戦没者追悼」で新谷氏は次のように述べます。
「現代のメディア社会において、盆の月である8月を象徴するのは、連日テレビから流れてくる甲子園の高校野球中継と、8月6日の広島から9日の長崎を経て15日の終戦記念日へとつづく、原爆と戦争の特集記事と戦没者追悼の報道である。8月15日という伝統的な盆の死者供養の日が終戦記念日となったのは歴史の偶然であろうが、この偶然が日本の未来に与える影響は悪いものではないだろう。なぜなら、盆は伝統的に死者供養の日であり死者を悼む日であるために、近代戦争というものが戦闘員と非戦闘員とを問わず、大量の死者を出す悲惨なものだという事実が繰り返し思い出され語り継がれることにより、一定の抑止力として作用すると期待できるからである」



「中元と歳暮」では、白百合女子大学非常勤講師であった山崎祐子氏が再び盆を取り上げて、次のように述べています。
「盆と正月は1年を両分して行なわれる行事であるといわれ、2つの行事の類似性が説かれているが、盆のイキミタマと年末の歳暮の贈答が対応するといわれている。ボンセイボ(盆歳暮)といって、盆と年末に親のところへ持っていく物をセイボと呼ぶところがあるが、2つが似通った習俗であるため、セイボの名が転化したのではないかともいわれている。盆と歳暮に魚を親に贈ることはひろくみることができ、現在でもつづいているところは多い。イキミタマに鯖などの生臭物を用いることについて、早い時期から折口信夫柳田国男が注目をしている」



最後に「旅と観光」で、東京都立大学人文学部教授の渡邊欣雄氏が「民俗学実学である」として、以下のように述べているのが興味深かったです。
「こんにち人は『美しい自然・風景を見る』ことを観光の至上目的とし、『自然』と親しみふれあい『自然』を体験するとはいうが、柳田にとってそれはあるがままの『自然』ではなく、これをいくぶん改変してこそ、仁者・智者の楽しむ『自然』となるものだった。といって柳田は、『破壊はできるが建設は望めない』環境の改変をも戒めている。
そして柳田は講演の聴衆や読者に、『何よりも先づ自分の地方の特徴を理解しなければならぬ』といい、『どういふ種類の人に好まれる風景か』、『如何なる要求を持った旅人が特に快い印象を受けて還るであらうか』、『どうすれば又たびたび来たくなるか』と問いかけている。くわえて『将来如何なる種類の訪問者を期待するがよいかを考へて置くことである。感覚の希薄ななまけ者ばかりを、何千何万と呼び寄せて見たところが、風景は到底日本一にはなれない』と、観光客に対する現地からの評価まで勧めていたのである」



渡邊氏は、民俗学とは、「旅と観光」を企てる客と主人の双方のあいだに立って、ありうべき将来の「旅と観光」の提言を行なうような、そんな実践的な学問なのではないかと述べています。
本来は「儀式」について考えるために本書を読んだのですが、この「旅と観光」への提言を行なう実学としての民俗学というアイデアには感銘を受けました。まったく、その通りだと思います。ならば、民俗学は「儀式創造」についての提言も可能な実学ではないかと思うのですが・・・・・。



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2013年8月4日 一条真也

『暮らしの中の民俗学1 一日』

暮らしの中の民俗学〈1〉


一条真也です。
ブログ「儀式創造シンポジウムのご案内」に書いたように、来る8月8日、一般社団法人・全日本冠婚葬祭互助協会(全互協)創立40周年記念シンポジウムが開催されます。テーマは、「新しい儀式文化の創造に向けて」です。
同シンポジウムに出演するわたしは、ここ最近、民俗学を中心にして「儀式」や「しきたり」に関する本を読んでいます。まずは、『暮らしの中の民俗学1 一日』新谷尚紀・波平恵美子・湯川洋司編(吉川弘文館)を再読しました。



この『暮らしの中の民俗学』シリーズは全3巻で、各巻のテーマが「一日」「一年」「一生」に分かれて構成されています。3人の編者のうち、新谷尚紀氏と湯川洋司氏は民俗学者ですが、波平恵美子氏は文化人類学者です。なお、くだんのシンポジウムには波平氏も出演される予定です。



本書の帯には「朝起きてから夜眠るまで、そして翌日目がさめるまでの24時間。あいさつや飲食など、日常の中に伝えられてきた民俗の知恵とは?」と書かれています。また、カバーの裏には以下のような内容紹介があります。
「激しく変貌を遂げる現代社会、私たちの暮らしはどのように変化してきたのか。『一日』という時間の中で行なう、あいさつ、飲食などの日常的なふるまいに蓄積された生活の知恵を探り出し、日本人の暮らしを見つめ直す」



本書の目次構成は、以下のようになっています。
「刊行にあたって」
「一日の民俗」・・・・・・・新谷尚紀
あいさつ・・・・・・・・・・鳥越皓之
飲食・・・・・・・・・・・・太郎良裕子
装い 穢れと清潔・・・・・・岩本通弥
住まい その新しい見方・・・古家信平
消費と節約・・・・・・・・・波平恵美子
遊び・・・・・・・・・・・・野本寛一
性・・・・・・・・・・・・・新谷尚紀
夜・・・・・・・・・・・・・板橋春夫
「参考文献」「索引」「執筆者紹介」




「刊行にあたって」には、本書を世に問う意図が次のように述べられています。
「社会の変動に対する関心から出発し、日々の暮らしが伝える慣習や技能、観念などに注目し、その伝承と変化の様相に目を凝らす民俗学は、私たちの暮らしのどの部分が変わり、またどの部分が変わらずに伝えられていくのかということを読み解くことで、自分自身がいま立っている歴史的な場を発見することに寄与できるはずです」



そして、このシリーズの全3巻構成について、「第1巻『一日』では、朝起きてから夜寝るまでの間に行なっている日常生活の行為の意味を再確認するとともに、そこに蓄積された生活の知恵について考えます。第2巻『一年』では、めぐる季節の営みとともに繰り返される生活リズムを生み出している人の活動と、その活動を支えている思考や習慣の底に存在するものについて考えます。第3巻『一生』では、繰り返すことのできない個人の生涯に生起する問題を取りあげ、人が生きていくための方法と意味について考えます」と説明されています。




新谷尚紀氏によって書かれた序章「一日の民俗」には、本書に収められた8つの論文の要旨がコンパクトにまとめられています。たとえば、「あいさつ」については次のように書かれています。
「あいさつとは、人が、ある世界へと参入するときと退出するときに行なう行為である。朝起きて信心深い人なら、まずその新しい1日の自分や家族そして世界全体が無事であるようにと、神仏への祈りを捧げるであろう。人間同士の朝昼晩のあいさつの言葉は『おはよう』、『グッドモーニング(よい朝)』、『ボンジュール(よい日)』などよい1日であるようにとの祝福の言葉が多い。あいさつは人と人の出会いと別れの時点で行なわれ、相手が知己の場合と未知の場合、目上と目下ではそれぞれ異なる。未知で初対面の場合には自己紹介が不可欠である。そして、朝昼晩、年末年始、仕事の始めと終わりなど、ときと場合により、また言葉によるもの、会釈やしぐさ、また一定の物品を使用するものなど方法にもさまざまなものがある。そして、その方法は互いに当事者同士に了解できるものとなっている。波平恵美子の調査体験によれば、東北地方南部のある農村では、毎朝早くに雨戸を開けることが近隣同士の朝のあいさつで、遅くまでなかなか雨戸が開かぬ家があると何かあったのではないかと隣家で心配したものだという」



「消費と節約」は、以下のようにまとめられています。
「贅沢や浪費を『無駄使い』といい、節約を『始末』という言い方には自然が与えてくれる資源に対する敬虔な道徳観念がうかがえた。そして、日常の生活で蓄えられた資財は祝儀や祭礼の場では一転して気前のよい大盤振舞いの対象とされ、ケチやシミッタレの態度は人々の軽蔑の対象とされた。そこにはハレとケに対応する消費と節約の生活律が存在したのである」



また「遊び」も、以下のようにまとめられています。
柳田国男は子どもたちの遊びに注目しそれらの中にはかつての大人たちの信仰行事の真似事に由来するものが多いということを『かごめかごめ』の遊びなどを通して指摘している。折口信夫は日本語の遊びには神遊びのように神霊憑依の意味のあることを指摘している。子どもの遊びや大人の遊び、それに神祭りの狂乱の中の遊びを観察していると、遊びとは社会的な秩序体系からの一時的離脱であり忘我陶酔の営みであることが分かる。そして、それは無目的的行為であることからこそ逆に主体的で能動的な行為であり、芸能や宗教などの創造力に富む脱社会的行為である、ということができる」



そして「夜」が、以下のようにまとめられています。
「人生の3分の1は睡眠であるともいわれる。昼食の後の昼寝も夕食の後の睡眠も疲れた身体を休める貴重なものであるが、とくに夕食から夜へという時間には夜なべ、入浴、夜語り、またかつての農山漁村の生活では夜這いなど睡眠を前にしたさまざまな営みが行なわれてきた。また、睡眠には夢見や夢判断、睡眠を妨げる夜泣きをめぐる伝承など幅広い問題領域が広がっている。電気のない時代のかつての夜は昼とはまったく異なる暗闇の世界であった。月の満ち欠けが1月のめぐりを表わし、お七夜や七夕、十五夜、二十三夜など夜の時間を中心とする行事も少なくなかった。また、夜は口笛を吹いてはいけないなど禁忌も多く、妖怪が徘徊し怪談ばなしがさかんに語られる時間でもあった」



このように新谷氏の要約があまりにも見事な仕事ぶりであるため、10ページにわたる「一日の民俗」を読んだだけで本書の全貌をつかむことができますが、もちろん本文にも興味深い記述が多々ありました。
たとえば「あいさつ」では、あいさつの漢字、「挨拶」は柳田国男によると、禅僧が中国から輸入した漢語であることが紹介されています。「挨」は押す、「拶」は押し返すという意味だそうです。また禅宗では、門下の修行僧が問答をもちかけて答えを求めることを意味したそうで、それを踏まえて筑波大学社会科学系教授である鳥越皓之氏は次のように述べています。
「そのような中国文化に対して、私たちの国の普通の人々の生活の中では、挨拶という漢語を使わないで、それを昔から『言葉かけ』と言いつづけてきた。他の人と路上で出くわしたり、すれ違ったりするときに無言で通り過ぎるのは、たいへん失礼な行為と見なされてきたので、そういうときは言葉をかけるのが人として当然のことだという暗黙の了解があったのである」



そして、日常生活におけるさまざまな「あいさつ」や、結婚式などの「非日常的な「儀礼」について触れた後で、「おわりに――人間関係を安定させる型」として、鳥越氏は述べます。
「おそらく、気持ちを表わす便利な手段として儀礼が存在するのではないだろうか。見ず知らずのところに嫁に行くものにとって、先ほど見たような厳密な儀礼の連続としてのあいさつの存在は、どれほどに助かるものか計りしれない。相手に対する敬意の言葉が十分に出がたい人たちにとって、『こないだは』や『お達者で』と天候のあいさつなどの型の存在は、あいさつをすることについて心の負担を軽減させるものだろう」



さらに、「なぜ人間は、あいさつを必要とするのか」について、鳥越氏は次のように結論づけています。
「私たちが生活をしていくためには、人間相互の協力的な関係のネットワークをいつもはりめぐらせておかなければならない。しかしながら、人間というものはしばしば反目しがちであり、それを乗り越えるためには、儀礼のかたちをとりつつでも強制的にコミュニケーションをする必要がある。あいさつとは、なんというか、人間関係を安定させるためのひとつの型であるといえよう」
この鳥越氏の「あいさつ」論、簡潔にして要を得ていると思います。



あとは「飲食」での、ノートルダム清心女子大学大学院人間生活研究科教授の太郎良裕子氏の以下の記述にも「儀式創造」のヒントがあるように思いました。
「かつては、酒を飲む機会も神祭りや秋忘れの収穫祭、特別な行事や冠婚葬祭など特別な日にかぎられ、酒はかならず人が集まって飲むものと決まっていた。冠婚葬祭や地域の祭りと結びついて、神に食物や酒をささげ、そのお下がりを共飲共食するのが宴会であり、大きな盃に酒を注ぎ、これを順に回し飲みする風がよくみられた。しかし、今日、回し飲みという順流れの飲み方は、正月や結婚式など一部にみられるのみで、現在の宴会では、神はほとんど存在せず、人と人が楽しむために飲むようになってきている。神と人が結びつくための宴会から、人と人が結びつく宴会へと変化しているのである」



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2013年8月4日 一条真也