『『鬼滅の刃』に学ぶ絶望から立ち上がるための27の言葉』

『鬼滅の刃』に学ぶ絶望から立ち上がるための27の言葉

 

一条真也です。
『『鬼滅の刃』に学ぶ 絶望から立ち上がるための27の言葉』合田周平&堀田孝之著(笠倉出版社)を紹介します。2020年10月11日刊行の本です。

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合田周平氏

 

著者の合田周平氏電気通信大学名誉教授、(財)天風会元理事長。1932年、台北市生まれ。電気通信大学卒業、カリフォルニア大学バークレイ校にて工学修士東京大学にて工学博士。TDKや東京大学生産技術研究所などに勤務。『海洋工学入門』で毎日出版文化賞を受賞。学生時代に師と仰ぐ中村天風と出会い、以来中村天風の実践哲学を心の支えとしてきました。ブログ「ソーシャルの達人」で紹介したように、長年にわたって親しくお付き合いさせていただいている先生です。ブログ「孔子文化賞受賞祝賀会」で紹介した会の発起人にもなっていただきました。


堀田氏が編集した 『慈経 自由訳』(三五館)

 

もう1人の著者である堀田孝之氏は、ブックライター・編集者。1984年、山梨県出身。横浜国立大学中退。日本映画学校卒業。エンタメ系の編集プロダクションを失踪後、施設警備、ビル清掃などに従事。その後、出版社の三五館とアスコムにて、実用書の書籍編集を約10年経験。三五館時代には拙著『慈経 自由訳』(三五館)の編集をしていただきました。わたしもよく知っているお二人が『鬼滅の刃』の本を出したと知り、大変驚きました。

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本書のカバー表紙の下部

 

本書のカバー表紙には日本刀の写真が使われ、「累計8000万部超大ヒットマンがを『人生の教科書』に! 88歳・最高齢ファンの名誉教授が『鬼滅の刃』の名言を哲学的に解釈し、落ちこぼれ編集者を覚醒させる物語」と書かれています。カバー裏表紙には、「失っても失っても 生きていくしかないです どんなに打ちのめされようと」(『鬼滅の刃』第2巻13話 竈門炭治郎)と書かれています。 

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本書のカバー裏表紙の下部

 

カバー前そでには、以下の内容紹介があります。
「『鬼滅の刃』の登場人物たちが放つ言葉には、現代社会を生きる私たちが学ぶべき、強く、熱く、大切なメッセージがたくさん込められています。この本はそんな『鬼滅の刃』の名言を素材に、『先生とボクの対話篇』という物語形式で、その名言に秘められた哲学的メッセージに迫っていきます。人生がうまくいかないと思い悩んでいるとき、乗り越えられない壁にぶつかり心が折れそうなとき、失敗や挫折から立ち上がれないとき、本書はあなたにシンプルな解決策を与えてくれるはずです。そして、『鬼滅の刃』の新たなる魅力を発見することにもなるでしょう」

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。
「はじめに」
「プロローグ」
SESSION1 
仕事や勉強から「逃げない」ための言葉
SESSION2 
家族や仲間と「絆を築く」ための言葉
SESSION3 
失敗や挫折から「立ち上がる」ための言葉
SESSION4 
「小さな幸せ」を見つけるための言葉
SESSION5 
忘れられない面白さ! 『鬼滅の刃』迷言集
激論番外編
鬼から学ぶ! 人生の道を踏み外さない極意
・彼らは、本当の「加害者」なのか
「おわりに」

 

「はじめに」では、「『鬼滅の刃』は『生き方』を学ぶための最高の教科書」として、堀田氏が「『鬼滅の刃』の登場人物たちが放つ言葉には、現代社会を生きるボクたちが学ぶべき、強く、熱く、大切なメッセージがたくさん込められています。また、先生と語り合う中で、登場人物たちの生き様は、合田先生が長年研鑽を積まれてきた、中村天風の『天風哲学』と相通じるものがあることを知りました」と書いています。

 

続けて、堀田氏は「この本は、『先生とボクの対話篇』という物語形式で、『仕事や勉強から逃げないためには?』『家族や仲間と絆を築くには?』『失敗や挫折から立ち上がるには?』『本当の幸せとは?』『人間が生きる意味とは?』などの問いに、『鬼滅の刃』の名言を素材にして、シンプルかつ具体的な回答を提示していきます。名言に秘められたメッセージを、天風哲学で読み解いていく対話の中で、ボクは、いかに自分の生き方が間違っていたか思い知りました。そして現在、『人生の歩み方」のマニュアルを手に入れたボクは、毎日をポジティブに幸せに過ごせるようになっています』」と述べています。

 

嫌われる勇気

嫌われる勇気

 

 

最初、わたしは正直言って、「なぜ、本書を共著の形にしたのか?」と思いました。宮本武蔵研究の第一人者にして、中村天風哲学の後継者でもある合田氏が『鬼滅の刃』について語るというのは大いに興味を惹かれましたが、はっきり言って合田氏の単著にすればいいだけの話で、落ちこぼれ編集者を自認する堀田氏は不要ではないかと思ったのです。しかし、本書を読み始めて、なぜ共著にしたのかがすぐわかりました。つまり、アドラー心理学を対話形式で説明して大ベストセラーになったブログ『嫌われる勇気』ブログ『幸せになる勇気』で紹介した岸見一郎氏の2冊の著書をモデルにしているのですね。

 

中村天風一日一話

中村天風一日一話

  • 発売日: 2013/03/15
  • メディア: Kindle
 

 

合田氏が交流のあった中村天風は「実践哲学」の巨人でした。「プロローグ」で、「実践哲学というのが、ボクの『人生のマニュアル』になるのではないかと思ったのです」という堀田氏の発言に対して、合田氏は「確かに、実践哲学は人生のマニュアル、人生の行動指針になるだろうね。世界に『哲学』は数あれど、真理と実践法を打って一丸としたのが『実践哲学』だ。真理だけ知っても、実際にそれを人生に活かせなければ何の意味もないからね。実践哲学を知らずに人生を過ごすことは、ハンドル操作の利かない車を運転するくらい危険なことだよ。だから、そこら中で人生の大事故を起こす人が絶えないんだ」と語っています。

 

また、合田氏から『鬼滅の刃』を推薦されて、「わかりました、『鬼滅の刃』を読んで出直してきます!」と言う堀田氏に対して、合田氏は「登場人物たちの『言葉』に注目して読んでみるといい。『言葉』によって、『心が強く』なり、『心の強さ』が人生を切り拓いていくことがよくわかる。これこそ実践哲学の醍醐味だよ。どうすれば困難から逃げずに立ち向かえるのか、家族や仲間と絆を築けるのか、心と体と言葉の関係、心のありようが人生を決めること、などなど、『鬼滅の刃』は、私たち現代人が忘れてしまっている大切なことを教えてくれる」と語るのでした。

 

鬼滅の刃 7 (ジャンプコミックスDIGITAL)

鬼滅の刃 7 (ジャンプコミックスDIGITAL)

 

 

SESSION1「仕事や勉強から『逃げない』ための言葉」では、「頑張れ!! 人は心が原動力だから 心はどこまでも強くなれる!!」(7巻53話 竈門炭治郎)という言葉が紹介されますが、「心が原動力である理由①自律神経を整えて体を強化」として、2人のあいだで以下の対話が展開されます。
先生 まず、「人は心が原動力」という言葉です。これはまさに実践哲学そのものの考え方です。なぜ、心が原動力なのかわかりますか?
ボク 心によって人は突き動かされているから、でしょうか。そのままですが。
生 その通りです。この言葉は禅の世界でいう「心身一如」を表しています。心身一如とは曹洞宗を開いた道元禅師が説いた言葉で、心と体は一体だとする考え方です。どれだけ体を鍛えても、心が弱ければ、強くなれないことを炭治郎は悟っているのです。

 

また、人間活動のすべての基盤は「心」であると喝破する合田氏は、「健康を例にするとわかりやすいでしょう。医学の進歩によって、心の状態が体に大きな影響を与えることがわかってきました。自律神経についてご存じでしょうか。自律神経は毛細血管を含めた人体の血管のすべてに沿って走っている神経です。すべての内臓や血液の流れをコントロールしています。私たちが『食べ物を消化するぞ』と意識しなくても消化吸収できることや、『血液を流すぞ!』と意識しなくても勝手に血液が流れているのは、すべて自律神経のおかげなのです」と語っています。

 

続けて、合田氏は「自律神経はそのほかにも、呼吸や体温調整、免疫機能などを司っています。脳の指を受けなくても独自に機能している『人体の生命維持機能』といえます。実はこの自律神経は、『心』の影響を大きく受けることがわかっています。心が不安や怒りなどのネガティブな感情になると、自律神経のバランスが崩れて、人体の生命維持機能が損なわれてしまうのです。逆に心がポジティブな状態になると、生命維持機能は正常に働き、体をベストの状態に持っていくことができます」と述べています。

 

また、「心が原動力である理由②『氣』と接続する装置になる」として、合田氏は「炭治郎が『心はどこまで強くなれる』と言いますが、これは比喩でもなんでもなく事実です。肉体的な鍛錬には限界があるかもしれません。生まれつきの能力差もあるでしょう。しかし、心はすべての人に平等に与えられ、誰でも自分の力で強くすることができます」と述べます。「どうすれば心を強くできるのでしょうか?」という堀田氏の問いに対して、合田氏は「それは心を、『氣』と接続することです。『元気』の『気』です」と語ります。

 

合田氏は、人間を1台の扇風機だと捉えてみることを提案します。扇風機本体はその人の「体」です。扇風機を動かしているのは電気のおかげです。この事実を踏まえて、合田氏は「扇風機という『体』は、電気という『氣』があって初めて動くことができます。そして、その電気を扇風機まで送り届けるためのコンセントとコードが、君の『心』です。『心』と『氣』がしっかりと接続して、初めて私たちは『体』を動かすことができるのです」と述べます。

 

続けて、合田氏は「私たちは電気そのものを見ることはできません。しかし、確かに電気が存在していることを知っています。同じように空気だって見ることができない。しかし、確かに空気は存在しています。それと同じように、私たち生命は、もっと根本的な『氣』によって生かされているのです。この根本的な『氣』を、実践哲学の世界では『宇宙霊』『宇宙エネルギー』『エーテル』と呼んだり、中国の儒教哲学では『先氣』と呼んだりしています。すべての存在の大本になる『氣』ということです。とはいえ、私はこれらの言葉を好みません。君のように偏見を持ってしまう人が多いからです」と述べるのでした。

 

「頑張れ炭治郎 頑張れ!! 俺は今までよくやってきた!! 俺はできる奴だ!! そして今日も!! これからも!! 折れていても!! 俺が挫けることは絶対に無い!!」(3巻24話 竈門炭治郎)という言葉も紹介されています。「言葉で己を鼓舞すれば心はどんどん強くなる!」として、合田氏は「心を前向きにするのに、『自分で自分をほめる』ことが有効なのは脳科学の世界でも解明されています。脳は『ほめ言葉』をキャッチすると、快楽物質のドーパミンが分泌されたり、『やる気』を司っている前頭前野の血流が良くなることがわかっています。炭治郎は『今までよくやってきた』『できる奴だ』と自分をほめることで、心をどんどん前向きにして、自分の中に『氣』を呼び込んでいたのですね」と述べています。

 

また、言葉には不思議な力が宿るという「言霊」の思想を取り上げ、「『言霊』は心理学的に証明されている」として、合田氏は心理学の世界では、人間には『暗示の感受習性』があることがわかっています。私たち人間は、自ら考えたことや発した言葉に、知らず知らずのうちに無条件に同化してしまう性質があるのです。つまり、あなたがこれまで発してきた何気ない日常の言葉によって、あなたの心や性格は作られていることになります」と述べています。

 

続いて、合田氏は「だから、日常で使う言葉を『前向きな言葉』に変えるだけで、あなたの心や性格は変わります。すると、運命を切り拓いて、人生を変えることができるでしょう。炭治郎や煉獄さんは、言葉が持つ暗示力を利用して、自分を高めているといえます。さらに、炭治郎のこのセリフで素晴らしいのは、『頑張れ炭治郎!』と自分の名前を呼びかけていることです。このように言葉がほかでもなく自分に向けた言葉であると明確にすることで、暗示力をより高めることができます」と述べるのでした。

 

鬼滅の刃 23 (ジャンプコミックスDIGITAL)

鬼滅の刃 23 (ジャンプコミックスDIGITAL)

 

 

SESSION2「家族や仲間と『絆を築く』ための言葉」では、「俺たちは仲間だからさ 兄弟みたいなものだからさ 誰かが道を踏み外しそうになったら 皆で止めような」(201話 竈門炭治郎)という言葉が紹介されます。「なぜ、野生児の伊之助に『利他の心』が芽生えたのか?」として、ネアンデルタール人よりも現生人類のほうが「利他の心」があったため、われわれはこうして生き延びることができたと指摘し、合田氏は「脳には前頭連合野という部位があります。思考や創造など人間らしい思考を司るための部位です。この前頭連合野は『利他の心』や『社会性』も司ることがわかっています。ネアンデルタール人の脳と現生人類の脳を比べると、脳全体ではネアンデルタール人のほうが大きいですが、こと前頭連合野を含む前頭葉の大きさは、現生人類のほうが大きいことがわかってきました」と述べています。

 

つまり、現生人類が生き延びることができたのは、ネアンデルタール人よりも、「利他の心」や「社会性」を持っていたからだと考えられているとして、合田氏は「ヒトは『一人』では生きられません。ポエム的な意味でそう言っているのではなく、ヒトが種として存続するためには、『強い男性』だけが生き残っても成り立ちませんよね。『女性』や『子ども』が守られて、初めて種を存続することができます。そのために必要なのが『利他の心』です。私たち人間が『利他の心』を持っているのは、長い歴史の中で培われた、生存するための戦略だったと捉えることもできます。先にも言いましたが、『利他の心』は『思いやり』に通じます。思いやりとは、相手の気持ちになって考えること。これは、戦いに勝つための戦略思考のベースになるでしょう」と述べます。

 

さらに、合田氏は「批判を恐れずに言えば、『利他の心』を持たない人は、ネアンデルタール人に退化しているといえます。『鬼滅の刃』流にいうと、『鬼に退化している』というわけです。鬼と人間を区別する最たるものは、『利他の心』を持っているか否かですから。鬼は仲間を作って行動することができません。仲間と助け合うという発想もない。強い者が弱い者を守るどころか、鬼舞辻無惨は次々と自分より弱い鬼を殺していく。利他の心が欠如した鬼が滅びるのは必然だったといえます。ネアンデルタール人がそうであったように」と述べるのでした。埋葬の習慣を持っていたことから、わたしはネアンデルタール人については日頃から関心を持っていますが、合田氏のネアンデルタール人=鬼説にはちょっと衝撃を受けました。

 

「人のためにすることは巡り巡って自分のためになる そして人は自分ではない誰かのために 信じられないような力を出せる生き物なんだよ」(14巻117話 竈門炭治郎)という言葉も紹介されています。「『情けは人のためならず』が理解できない若者たち」として、合田氏は「他人への思いやりある行動は、たとえ誰にも感謝されなくても、『自分自身』は見ています。人の脳には、「前頭前野内側部」という自分の行動を評価する部位があります。この部位は君の行動を「素晴らしい!」「偉い!」と常に評価しています」

 

続けて、合田氏は「利他行動をとれば、たとえ他人から評価されなくても、あなたの脳は喜びに溢れ、心は前向きに、ポジティブに変わっていきます。そして、もし相手から『ありがとう!』などと言われようものなら、ミラーニューロンの働きによって、他人の喜びを自分の喜びのように感じて、ますます脳は喜びに溢れてポジティブ思考になれます。他者への思いやりが巡り巡って自分のためになる理屈の1つはこの通りです」と説明します。

 

利他の行動を取って、相手から「ありがとう」と言われる。これは、「思いやり」と「感謝」を交換しているようなものです。合田氏は、「そういった心理を『互酬性の原理』といいます。もともと人間はお互いに報酬を与え合い、お互いに報いる性質があり、誰かから報酬を与えられるとお返しをしたくなるというものです。自分が助けた相手は感謝の気持ちを抱いてくれる場合もありますが、同時に『お返ししたい』という気持ちも抱いています。利他の行為は尊いことですが、相手の気持ちに負担をかけていることも覚えておく必要があるでしょう。そういう負担をできるだけ与えないためにも、『助けてあげる』ではなく『助けさせてもらう』という、相手の気持ちになって考えることが大切です」と述べています。

 

「人に与えない者は いずれ人から何も貰えなくなる 欲しがるばかりの奴は結局 何も持ってないのと同じ 自分では何も生み出せないから」(17巻146話 愈史郎)という言葉が紹介されています。「ビジネスは『利他の心』がなければ成功しない」として、合田氏は、自身がビジネスの現場では「利他の心」が何より大切だと思っていることを明かします。以前、ある会合で合田氏が経営者と話す機会がありました。その人は、ちょうど中国進出に失敗したところで、ひどく中国の悪口を言っていたそうです。「あいつらは嘘つきだ」とか「民度が低すぎて付き合っていられない」とか「相手を騙すことしか考えていない」とか。

 

そこで、合田氏を含めて数人から意見がありました。「あなたが嘘つきで、民度が低く、相手を騙すことしか考えていないから、それが巡り巡ってあなたに戻ってきているだけです」と。その日以来、経営者は会合に来なくなったとか。会社は倒産したそうです。合田氏は、「結局のところ、ビジネスの現場で『心に思っている現象』が現れているにすぎないのです。国家や人種が違っても、信頼と絆で結ばれ、互いに成功を収めている経営者はたくさんいます。『利他の心』がなければ、どんな仕事も成功しません。仕事は「他者」がいて初めて成立するもの。『利他の心』が何より重要になってきます」と語っています。まったく同感ですね。

 

鬼滅の刃 6 (ジャンプコミックスDIGITAL)

鬼滅の刃 6 (ジャンプコミックスDIGITAL)

 

 

SESSION3「失敗や挫折から『立ち上がる』ための言葉」では、「誰が喋って良いと言った? 貴様共のくだらぬ意思で物を言うな」(6巻51話 鬼舞辻無惨)、「全ての決定権は私に有り 私の言うことは絶対である お前に拒否する権利はない」(6巻52話 鬼舞辻無惨)という言葉が紹介されます。「鬼舞辻無惨は典型的なパワハラ上司」として、合田氏が「さまざまなパターンのパワハラが描かれていて、ブラック上司の勉強になりますね」と語っています。

 

すると、堀田氏が「たとえば、下弦の肆の零余子に、『お前はいつも鬼狩りの柱と遭遇した場合逃亡しようと思っているな』と言い、零余子が『いいえ思っていません!』と返答すると、『お前は私が言うことを否定するのか?』とブチギレ殺害。血を分けてくれたら頑張って戦うと言う下弦の弐の轆轤に対しては、『なぜ私がお前の指図で血を与えねばならんのだ』『全ての決定権は私に有り私の言うことは絶対である』『私が“正しい”と言った事が“正しい”のだ』とあっさり殺してしまいます。要するに、議論の余地はなく、何を言ってもダメで、結論ありきなわけです。こういう状況、経験したことがあるのでよくわかります」と雄弁に語っています。

 

ここで、「言葉の暴力を受け流すための新幹線回避術」として、合田氏は「パワハラ上司の言葉は『新幹線』だと捉えましょう。生身の人間がまともに新幹線と対峙したら、どんなに強靭な体を持っていても、一瞬で粉々に砕け散ってしまいます。そこで、言われた內容が蘇ってきたら、『新幹線が近づいてきた』と考え、ヒョイと身をかわすイメージを持ちましょう。どんなに暴力的な言葉でも、君がヒョイとかわせば、心にダメージを受けることはありません。誰かから暴力的な言葉を受けたときは、このイメージを思い出してください。習慣にしていくと、他者のネガティブな言葉に、悪影響を受けることが減っていくでしょう」と述べます。これは非常にユニークかつ効果的な方法ですね。さすがは合田先生、感服いたしました。

 

鬼滅の刃 18 (ジャンプコミックスDIGITAL)

鬼滅の刃 18 (ジャンプコミックスDIGITAL)

 

 

「その瞳の中には 憎しみも怒りもなく 殺気も闘気もなかった 恐らくその瞳が捉えていたものは 俺の求めていた“至高の領域”“無我の境地”に他ならない」(18巻153話 猗窩座)という言葉も紹介されています。「怒りも憎しみもない領域を目指せ」として、合田氏は「相手を打ち負かすとか、負けまいとする敵対意識や怒りがあるうちは、心に絶対的プラス思考は生まれません。相手の言動に惑うことなく、相手の言動をそのまま受け入れる状態が『絶対的プラス思考』です。意識して誰かに打ち勝ちたいとするのは『相対的プラス思考』で、本当の意味でのプラス思考ではありません。なぜなら、どんなに自分の心を強くしたとしても、他者の言動に左右されていたら、本当に自分の人生を生きているといえないからです」と述べます。

 

合田氏によれば、他人に振り回されずに生きるには、怒りや憎しみといった感情を手放し、「絶対的プラス思考」を抱く必要があるといいます。言い換えると、絶対的プラス思考を抱いていれば、誰にも生殺与奪の権を握られないとして、合田氏は「最終決戦で、炭治郎が綺窩座を倒したときを思い出してみてください。炭治郎は伊之助や父の炭十郎の言葉を回想しながら、『透き通る世界』を見ることに成功しました。猗窩座はこのときの炭治郎を『その瞳の中には憎しみも怒りもなく 殺気も闘気もなかった 恐らくその瞳が競えていたものは 俺の求めていた“至高の領域”“無我の境地”に他ならない』と称しています。つまり、炭治郎は、鬼への怒りや憎しみを手放すことで、異次元の能力を得ることができたのです」と述べています。

 

五輪書

五輪書

  • 作者:宮本 武蔵
  • 発売日: 2015/06/12
  • メディア: Audible版
 

 

また、「絶対的プラス思考を実現する宮本武蔵の教え」として、合田氏は、炭治郎の「透き通る世界」は宮本武蔵が『五輪書』で記した「有構無構」という名言にも通じるものがあると指摘します。それは、「構えあって構えなし」ということであるとして、合田氏は「敵が自分に打ち込んでくるとき、未熟な剣士ほど、相手に負けまいと気合を入れ、『斬る』という行為に執着すると武蔵は言います。一方、達人になると、相手の剣さばきの風を感知して受け流し、相手の動作に合わせて剣をすっと出す。すると、相手が自ら刀に当たってくるそうです」と説明しています。

 

さらに合田氏は、こうも述べています。
「絶対的プラス思考とは、相手が攻めてきたときも、そうでないときも、常に自己の心が泰然として揺らぐことのない状態。実践哲学的に言うならば、〈潜在意識〉に雑念妄念がなくなり、『凪』のような心持ちになっているということです。すると、五感の感覚がすべて敏感になり、相手の動きが・スロモーションのように見え始める。炭治郎のいう『透明な世界』への入り口でしょう」

 

鬼滅の刃 17 (ジャンプコミックスDIGITAL)

鬼滅の刃 17 (ジャンプコミックスDIGITAL)

 

 

SESSION4「『小さな幸せ』を見つけるための言葉」では、「どんな時もアンタからは不満の音がしていた 心の中の 幸せを入れる箱に穴が空いてるんだ どんどん幸せが零れていく その穴に早く気づいて塞がなきゃ 満たされることはない」(17巻145話 我妻善逸)という言葉が紹介されます。この回のタイトルは「幸せの箱」。右の回想には、獪岳の幸せを感じて満足するための箱の底に、穴が空いているように描写されています。

 

ここでいう幸せの箱とは、文字通り、人間の心の中にある、降伏を感じる部分の比喩でしょう。その箱に穴が空き、永遠に満たされることなく、ただただ際限なく他人から与えられる幸福、もしくは奪った幸福を貪り続ける獪岳の心が、まさに鬼の代表的なものとして描かれます。その先に待っていたのは、仲間との幸福を見つけ出し、そのつながりの中から、雷の呼吸の新たな型を生み出した善逸に敗北したのでした。

 

「物質的欲望を満たしても幸せにはなれない」として、合田氏は「物質本位の生活をしても、人は幸せになれないのです。なぜかというと、人間は物質や金銭に満ち足りると、得意絶頂になり、心の備えを失ってしまうからです。私たちが本当の幸福感に満たされるのは、『足るを知る』ことができた時。そのためには、今この瞬間をできる限り価値高く生きようとする態度が必要です。それには、理屈なしに三勿三行を思念し、厳守することが求められます(註:「三勿」とは、怒らず・怖れず・悲しまず、「三行」とは、正直・親切・愉快、のこと)」と述べています。

 

また、「『足るを知る』の本質的な部分を知る」として、合田氏は「心を強くするとか、逆境に負けないとか、運命を切り拓くとかいうと、ついつい自分の欲望を満たすための方法だと勘違いしがちです。でも、私たちの根本的な目的が『幸せになる』ことだとすれば、自分が強くなる理由は『誰かのため』でなくては意味がありません。実際、日本人の幸福度が低い理由の1つは、ボランティア活動が諸外国よりも少ないからだといわれています。斜岳的な自己中心的なメンタリティーになっていると、結局幸せを感じられなくなってしまうのです」と述べています。同感です。

 

「幸せそうな人間を見ると 幸せな気持ちになる この世はありとあらゆるものが美しい この世界に生まれ落ちることが できただけで幸福だと思う」(21巻186話 継国縁壱)という言葉も紹介されています。「『奇跡』の連鎖に気づければ、人は必ず幸せになれる」として、合田氏は「君も私も、父の精子と母の卵子が出会うことで生まれました。1回の射精に含まれる精子の数は1億から4億だといわれています。その中で、卵子までたどり着けるのは、ほぼ1個です。受精したとしても、受精卵が子宮内に着床する確率は約何パーセント。着床しても妊娠するとは限りません。妊娠しても約5パーセントは流産してしまいます」と述べます。

 

続いて、合田氏は「このように奇跡的な確率で、私たちはこの世に誕生したのです。そしてこの奇跡は、父や母にも、4人の祖父母に言、8人の曾祖父母にも共通して起こった。それどころか、人類が誕生してから、溶跡の連鎖が延々と繰り返されて、私たちは『今ここに』存在しているのです。その宇宙的な確率の奇跡が、1つでも欠けていたら、私たちはここにいない。『今ここに』いる私たちは、すべからく全員、奇跡の人、幸福な人と言えないでしょうか」と述べるのでした。

 

鬼滅の刃 3 (ジャンプコミックスDIGITAL)

鬼滅の刃 3 (ジャンプコミックスDIGITAL)

 

 

SESSION5「忘れられない面白さ!『鬼滅の刃』迷言集」では、「小生の・・・・・・書いた物は・・・・・・塵などではない」「小生の血気術も・・・・・・鼓も・・・・・・認められた」(3巻25話 響凱)という言葉が紹介されています。響凱は「鼓屋敷」の主である鬼で、自分のことを「小生」と言います。彼は、肩・腹・脚に鼓が埋め込まれた異形の姿をしています。人間だった頃は小説家だったようで、特に『里見八犬伝』を好み、自身も伝奇小説を書いていました。しかし、あまり周囲からは評価されず、彼の作品を酷評した上に、原稿用紙を踏みつけにした知人を惨殺した過去が回想で描かれています。

 

現代語訳 南総里見八犬伝 上 (河出文庫)

現代語訳 南総里見八犬伝 上 (河出文庫)

  • 作者:曲亭馬琴
  • 発売日: 2003/02/05
  • メディア: 文庫
 

 

「鬼になってからも小説を書きつづける熱意に脱帽!」として、堀田氏は「炭治郎は優しいから、誰かの手書きの文字が書かれた紙が落ちていると気づいたら、とっさに踏むのを回避しました。そして、『君の血気術は凄かった』と。この瞬間、初めて響凱は承認欲求が満たされたわけです。『認められた』と涙を流しています。メチャクチャいい奴だな、と思いました。そして、努力が報われてよかったね、と」と述べています。

 

現代語訳 南総里見八犬伝 下 (河出文庫)

現代語訳 南総里見八犬伝 下 (河出文庫)

  • 作者:曲亭馬琴
  • 発売日: 2003/02/05
  • メディア: 文庫
 

 

ここから先の会話がじつに興味深いです。
先生 ところで、響凱が書いていた小説がどんなものか知っていますか?
ボク たしか公式ファンブックによると、『里見八犬伝』のような伝奇小説だったかと。先生 私、一つの仮説があります。『鬼滅の刃』の原作者は、響凱なのではないかという仮説です。
ボク はい? どういうことですか?
先生 『里見八犬伝』は、江戸時代後期に流行した、エンターテインメント文学です。神秘的な因縁によって結びついた8人の剣士が徐々に集結し、反発や敵対を経ながらも、最後は固い絆で結ばれて戦っていきます。「犬」の字を名字に含む八犬士は、それぞれ「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」の文字が書かれた数珠の玉を持っており、体には牡丹の形の痣があるのです。8人と9人の違いがあるものの、それぞれに特徴があり、痣を持っているなど、なんだか『鬼滅の刃』の柱と似ていないでしょうか。

 

「おわりに」で、合田氏は師である中村天風との出会いを振り返り、「先生の天風哲学に支えられながら、人生を歩んできた私は、今、後期高齢者と呼ばれる年齢となりました。しかし、人生を前向きに楽しもうとする心に変わりはありません。「もしろい!」と感じたことにはすぐにのめり込みます。『鬼滅の刃』との出会いもそうでした。ふだん私は漫画を読まないのですが、小学2年生になる孫の喜一君に薦められて『鬼滅の刃』のページをめくってみたところ、『これがまあ、興味深い!』。88歳にして少年漫画に魅せられるとは、自分で『心の若さ』に驚きます」と述べています。わたしも、合田氏はお若いと思います。

 

構えあって構えなし 中村天風と宮本武蔵に学ぶ成功法則

構えあって構えなし 中村天風と宮本武蔵に学ぶ成功法則

  • 作者:合田周平
  • 発売日: 2015/07/31
  • メディア: オンデマンド (ペーパーバック)
 

 

もちろん合田氏の精神年齢は若いですが、それ以上に合田氏が学び続けた宮本武蔵中村天風の思想と『鬼滅の刃』の物語の相性が良かったことがあると思います。本書で合田氏が示すアイデアの数々はいずれも刺激的で勉強になりました。一方、堀田氏のほうは合いの手を入れるばかりで、質問者としては物足りません。これは、やはり合田周平氏の単著にしたほうが良かったと思う読者は、わたしだけではありますまい。合田氏のご健康とますますのご活躍をお祈りいたします。堀田氏も、めでたく資格を取得した警備の仕事を頑張っていただきたいと思います。

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近刊『「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林)

 

最後に、わたしは新年早々に『「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林)を上梓します。経済効果という視点からでは見えてこない、社会現象にまでなった大ヒットの本質を明らかにしました。今回のブームには、漫画の神様の存在や、現代日本人が意識していない、神道儒教や仏教の影響を見ることができます。わたしは、今回の現象は単なる経済的な効果を論じるだけではない、大きな転換点を感じています。新型コロナウイルスの感染におびえる現代人にとって「こころのワクチン」とでもいうべき存在が『鬼滅の刃』であると断言できます。多くの『鬼滅の刃』関連本では語られてこなかった(作者自身も気が付いていないかもしれない)大ヒットの秘密を開陳したいと思います。

 

『鬼滅の刃』に学ぶ絶望から立ち上がるための27の言葉

『鬼滅の刃』に学ぶ絶望から立ち上がるための27の言葉

 

 

2020年月27日 一条真也

同じ日は1日もない

一条真也です。
クリスマス明けの26日、東京都で新たに949人の新型コロナウイルスへの感染が確認されました。1日あたりの感染者数が900人を超えたのは初めてですが、もう東京は年内に1000人を超えてもおかしくありません。医療崩壊も現実的になってきました。そんな日、ある新作CMをYouTubeで観ました。



サントリーの缶コーヒー「BOSS」のCMで、「365 STEPS/フルバージョン」です。女優の伊藤沙莉が新米看護師を演じ、新型コロナウイルスに翻弄され続けた2020年を振り返る内容となっています。3分ちょっとの長さですが、非常に感動的です。

f:id:shins2m:20201226160708j:plainサントリー「BOSS」CMより

 

CM動画には以下のコピーが添えられています。
「忘れられない2020年の日々。様々な取材をさせていただきながら、この映像は生まれました。日々を重ねていくことで、いつかたどり着く場所がある。それは小さくてわかりにくいものだけど、毎日を重ねていく先に未来はある。そんなこと医療従事者のみなさんの姿に教えてもらいました。胸のなかに灯火がともりました。みなさんにこの温かいものがどうか伝わりますように。懸命に働くみなさんの姿にたくさんの勇気をいただきました。すべての1歩に、感謝を」
特に最後の場面に出てくる「同じ日は1日もない」という言葉のリフレインにとても感動しました。たしかに、医療の現場では同じ日は1日もないでしょう。



昨日、菅義偉首相が新型コロナウイルス感染防止についての会見を行いました。「静かな年末年始を」という菅首相のお願いの通りに、東京に住むわたしの2人の娘たちも年末年始は帰省しないことになりました。初めてのことです。会見の冒頭で、菅首相は「まずは最前線で戦っておられます医療従事者の皆様方、介護施設の皆様方、そして、すべての皆様方に敬意と感謝を申し上げます」と述べました。「すべての皆様方」というのはアバウトな表現ですが、わたしは、医療従事者と介護従事者とともに「葬儀従事者」を挙げていただきたかったと思います。実際、医療や介護と同じく、葬儀の現場で働いておられる方々はウイルス感染をはじめ、さまざまなリスクの中で自らの使命をまっとうしておられます。そのことを、ぜひ、世の中の皆様にも広く知っていただきたいと切に願います。


わたしは、医療や介護と同じく、葬祭業もエッセンシャルワークであると考えています。葬儀にはさまざまな役割があり、霊魂への対応(宗教儀礼)、悲嘆への対応(グリーフケア)といった精神的要素も強いですが、まずは何よりも遺体への対応という役割があります。遺体が放置されたままだと、社会が崩壊します。それは、これまでのパンデミックでも証明されてきたことでした。その反動で、感染が収まると葬儀というものが重要視されていきます。人々の後悔や悲しみ、罪悪感が高まっていったのだと推測されます。今回も、コロナ禍が収まれば、もう一度心ゆたかに儀式を行う時代が必ず来ます。いずれにせよ、何が何でも葬儀に関わる仕事は続けなければなりません。そして、医療や介護の現場と同じく、人生の卒業式である葬儀の現場においても「同じ日は1日もない」のです。


「同じ日は1日もない」は、葬祭業だけでなく、ブライダル業界も同じです。現在、感染拡大を受けて、せっかく10月くらいから増え始めてきた結婚式が再びキャンセルされ続けています。ホテルや結婚式場で働かれている方々はきっと大きな不安を抱えて年末を迎えられることでしょう。しかし、結婚式は絶対に必要なものです。結婚式があるからこそ、結婚する覚悟が生まれ、夫婦が生まれ、子どもが生まれ、国も民族も存続していくことができます。業界を挙げての「GoToウエディング」の実施のお願いは残念ながら叶いませんでしたが、この国から結婚式がなくならないよう、わたしたち冠婚葬祭業界は必死で戦っています。結婚式は、さまざまな「思い出」と「感謝」が詰まった場でもあります。ぜひ、盛岡の音楽教室「東山堂」のCMをご覧下さい。これほど、結婚式の素晴らしさを見事に表現したCMを、わたしは他に知りません。
最後に、わたしたちの人生においても「同じ日は1日もない」ということを忘れてはならないと思います。

 

2020年12月26日 一条真也拝 

『「鬼滅の刃」の折れない心をつくる言葉』

「鬼滅の刃」の折れない心をつくる言葉

 

一条真也です。
『「鬼滅の刃」の折れない心をつくる言葉』藤寺郁光著(あさ出版)を紹介します。2020年8月13日に刊行された本です。著者はcart代表。漫画、アニメ、アイドルの分野と、ビジネスとのかかわりについてWeb媒体を中心に執筆。同時に、企業向けの漫画の編集、コンテンツ関連のコンサルティング、プランニングも行っているそうです。 

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本書の帯

 

本書の帯には、「頑張れ!! 人は心が原動力だから 心はどこまでも強くなれる!!(竈門炭治郎)」「自信・覚悟・絆・人生で大事なことはすべて『鬼滅の刃』が教えてくれた」「累計発行部数8000万部超 人気漫画の名言を1冊に!」と書かれています。また、帯の裏には「あなたの中の『強い自分』を呼び覚ますヒント」と書かれています。

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本書の帯の裏

 

アマゾンの「内容紹介」には、こう書かれています。
「いま大ヒット中のマンガ、『鬼滅の刃』。なぜこれほどまでに、多くの人が心を揺さぶられるのか。それは、誰しも抱えている弱さに寄り添い、『強くなりたい』という欲求に応えているからだ。本書は、●感情を動かす●自分を信じる●あきらめない●強くなる●仲間を守るの、5つの軸をもとに、キャラクターたちの名言を1冊にまとめた。鬼滅の刃のキャラクターたちのように、自分の感情を動かし、自分を信じることができれば、誰かを守れるくらい強くなれるはずだ。原作ファンだけではなく、自分の生き方に悩むすべての人に役立つ1冊」


また、以下のようにも紹介されています。
「頑張れ!! 人は心が原動力だから心はどこまでも強くなれる!!(竈門炭治郎)
目標や生きがいがない君への言葉 
『全部どうでもいいから』と言い、コインで何もかも決めていたカナヲを変えた、竈門炭治郎の言葉。自分の心の動きに気づき、一歩前に踏み出すヒントを、炭治郎の言葉から紹介します」



生殺与奪の権を他人に握らせるな!!(富岡義勇)
他人任せにしてしまう君への言葉
守るべき家族がいるのに、命乞いしかできなかった炭治郎を変えた、冨岡義勇の言葉。追い込まれて諦めそうになったとき、最後まで自分の人生に責任をもつヒントを、義勇の言葉から紹介します」



「お前は自分ではない誰かのために無限の力を出せる選ばれた人間なんだ(時任有一郎)
誰かのために頑張って疲れた君への言葉
過去の記憶を封印していた時透無一郎を変えた、兄・時透有一郎の言葉。自信をなくしたとき、確固たる自分を取り戻すヒントを、有一郎の言葉から紹介します」

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。
「はじめに」
第一章 感情を動かす
第二章 自分を信じる
第三章 あきらめない
第四章 強くなる
第五章 仲間を想う

 

「はじめに」では、著者は「なぜ、『鬼滅の刃』は、これほどまでに多くの人を魅了するのでしょうか。個性豊かなキャラクター、涙を誘う名シーン、ハッとさせられる一言、キャラクターたちの友情と絆と想いと涙・・・・・・。いろいろと理由があげられるでしょう。しかし、なかでも最大の理由は、キャラクターたちが持つ自分の弱さと向き合い、葛藤し、それでも立ち上がろうとする“折れない心”にあるのではないでしょうか」と述べています。


第一章「感情を動かす」では、「悔しいなあ 何か一つできるようになっても またすぐ目の前に 分厚い壁があるんだ すごい人はもっとずっと先の所で戦っているのに 俺はまだそこに行けない」(竈門炭治郎/第66話「黎明に散る!」)を選びました。

 

この言葉について、著者は「弱い自分が許せない君への言葉」として、「もし、いまのあなたの実力で、憧れの人と同じ場所に立つことができたら、あなたはその人とまともに戦うことができるでしょうか。その人が戦っている場所で、活躍することができるでしょうか。『分相応』という言葉がありますが、自分の才能・性質・身分がふさわしくなければ、期待されるような結果をのこすことはできません」と述べています。

 

続けて、著者は「あなたの理想とする将来像と現在のあなたにはまだまだ差があり、挫折しそうになるかもしれません。でも、あきらめたらそこで終わりです。悔しいという気持ちが強いのは、それだけあなたが本気だからです。その気持ちを前に進むエネルギーに変えましょう。『悔しいなぁ』という想いを胸に抱きながら、少しずつ前進するのです。前へ進みつづけることが、憧れの人へ近づく最短距離なのです」と述べます。

 

第二章「自分を信じる」では、「胸を張って生きろ」(煉獄杏寿郎/第66話「黎明に散る」)を選びました。この言葉について、著者は「あと一歩踏みだす力がほしい君への言葉」として、「『胸を張って生きる』ために必要なものはなんでしょうか。それは、『自己肯定感』です。『自己肯定感』とは、自分のあり方を評価できる感情、自らの価値や存在意義を肯定できる感情です。すなわち、自らの行動や考え方、在り方や存在意義を肯定して生きることこそが、『胸を張って生きる』ということなのです」と述べています。

 

第三章「自分にできなくても 必ず他の誰かが 引き継いでくれる 次に繋ぐための努力をしなきゃならない」(竈門炭治郎/第103話「縁壱零式」)を選びました。この言葉について、著者は「大きな失敗をしてしまった君への言葉」として、「日本では、伝統や文化の衰退や消滅が進んでいるといわれます。あなたの周りでも見聞きすることがあったり、当事者として問題に直面し、何かを断念したり挫折した経験があるかもしれません」と述べています。

 

また、著者は「鬼殺隊の当主・産屋敷耀哉のように、生まれたときからその一家の継承を運命づけられ、本人に意思はあったけれども、道半ばで思いを成就できぬまま、その道から離脱を余儀なくされることもあると思います。しかし、『断念』『挫折』という言葉だけを聞くと、否定的な印象がありますが、決してそうではありません。なぜなら、最後までやりきることができれば、束縛や重圧から解放されたようなすがすがしい気持ちものこるからです」と述べます。

 

第四章「強くなる」では、「泣くな 絶望するな そんなのは今することじゃない」(冨岡義勇/第1話「残酷」)という言葉を選びました。この言葉について、著者は「落ち込んで前を向けない君への言葉」として、「まずは、気持ちを奮い立たせて『いまできる行動』をとることです。絶望するということは、とてつもなく想定外のことがおき、緊急事態に直面しているわけです。そのまま絶望の闇に巻き込まれてしまっては、どこへ進めばいいかわからなくなります。だから、希望の光を求めて、とにかく動いてください。もがいてください。そして、もう1つ大切なのは、誰かにそのつらい思いを伝えることです。冷静な意見をくれる人、寄り添ってくれる人、あなたの周りにはそのような人はいないでしょうか」と述べています。

 

第五章「仲間を想う」では、「あまりにもたくさんのものを失った それでも俺たちは生きていかなければならない この体に明日が来る限り」(竈門炭治郎/第204話「鬼のいない世界」)という言葉を選びました。この言葉について、著者は「悲しみを乗り越えると決めた君への言葉」として、「鬼舞辻無惨との激闘から3ヶ月がたったものの、腕をうまく動かせず病院で療養する炭治郎。鬼殺隊の柱は不死川実弥と冨岡義勇のみが残り、鬼殺隊は解散することになります。その後炭治郎は、死んだ隊員たちの墓に花を手向け、生家に戻って禰豆子、善逸、伊之助の4人で暮らし始めるのでした。これは、多くの仲間を失ったことを受け入れ、前へ進もうとする炭治郎の心の声です」と述べています。

 

まさに大切な人を亡くしたグリーフケアの言葉であると言えますが、著者は大切な人の死を経験すると、のこされた者は『亡くなった人は天から見ていてくれるだろう』『魂は傍にあるだろう』と自分に言い聞かせます。『ただ離れ離れになっているだけだ』と思いたくても、その人のことを思い出すと悲しくなる。その人のことをつい考えてしまう・・・・・・。そういう気持ちになってしまうときもあるでしょう。大切な人を亡くした現実を自分の頭で理解していく過程は、とても苦しいものです」と述べます。

 

では、そのような大切な人との別れを乗り越えるにはどうすればよいのでしょうか。著者は、「それは、そのつらい気持ちを大切な仲間と共有し、託された思いを見つけることです。日本には古くから『喪に服す』という習慣があります。これは、近しい人が亡くなった際に亡くなった人の死を悼み、一定期間、世間との交わりを避けてつつましく暮らすことです。亡くなった人を知る人々が集まって、思い出を語り合い、悲しみを共有することで、少しずつ悲しみが癒されていくのです」

 

まるで、わたしが書いたような文章なので驚きました。『鬼滅の刃』のコミックを一読して、物語のメインテーマは、わたしが研究・実践している「グリーフケア」であると思いました。鬼というのは人を殺す存在であり、悲嘆(グリーフ)の源です。そもそも冒頭から、主人公の竈門炭治郎が家族を鬼に惨殺されるという巨大なグリーフから物語が始まります。また、大切な人を鬼によって亡き者にされる「愛する人を亡くした人」が次から次に登場します。それを鬼殺隊に入って鬼狩りをする人々は、復讐という(負の)グリーフケアを行います。

 

しかし、鬼狩りなどできない人々がほとんどであり、彼らに対して炭治郎は「失っても、失っても、生きていくしかない」と言うのでした。強引のようではあっても、これこそグリーフケアの言葉でしょう。わたしは、大いに感銘を受けました。本書の著書である藤寺氏も『鬼滅の刃』のメインテーマが「グリーフケア」であることに気づいているようですね。本書は、自己啓発の書としても、コンパクトながらも内容が充実していると思いました。

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近刊『「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林)

 

最後に、わたしは新年早々に『「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林)を上梓します。経済効果という視点からでは見えてこない、社会現象にまでなった大ヒットの本質を明らかにしました。今回のブームには、漫画の神様の存在や、現代日本人が意識していない、神道儒教や仏教の影響を見ることができます。わたしは、今回の現象は単なる経済的な効果を論じるだけではない、大きな転換点を感じています。新型コロナウイルスの感染におびえる現代人にとって「こころのワクチン」とでもいうべき存在が『鬼滅の刃』であると断言できます。多くの『鬼滅の刃』関連本では語られてこなかった(作者自身も気が付いていないかもしれない)大ヒットの秘密を開陳したいと思います。

 

「鬼滅の刃」の折れない心をつくる言葉

「鬼滅の刃」の折れない心をつくる言葉

  • 作者:藤寺郁光
  • 発売日: 2020/08/08
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

2020年12月26日 一条真也

炭治郎になりました!

一条真也です。
みなさん、クリスマス・ウィズコロナは、どうお過ごしですか? 25日も東京において884人という過去2番目の感染者数、重症者数は昨日から8人増の81人、緊急事態宣言解除後では最多となりました。東京に住んでいる2人の娘も今年は帰省しないことに決まりました。ショボ~ン!(´・ω・`)

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炭治郎になりました!

 

しかし、嬉しいこともありました。当ブログの愛読者の方からクリスマス・プレゼントが贈られてきたのですが、それがなんと『鬼滅の刃』の竈門炭治郎のコスプレ・セットだったのです。ブログ「『鬼滅の刃』の本、書き上げました!」で紹介したように、わたしが『「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林)を書き上げたお祝いに頂戴したのですが、いやあ、これは嬉しい!! 早速、着込んで記念撮影をいたしました。

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天下布礼」の鬼退治!

刀ですが、日輪刀がお子様のクリスマス・プレゼントに大人気のため売り切れなので、わが家の庭を荒らす猪をぶっ叩くための木刀を用意しました。わたしは「猪刀(ししとう)」と呼んでおります。(笑)
しかし、その猪は100キロ以上ある巨大なやつで、周囲からは「絶対に、猪とは戦ってはいけませんよ。確実に殺されます!」と釘を刺されました。(泣笑)

f:id:shins2m:20201228072549j:plain鬼殺隊の隊服の背には「滅」の字が!

 

コスプレ・セットはじつに良くできています。
背中に「滅」と入った鬼殺隊の隊服に、おなじみの市松模様の羽織、それに両耳につける「ヒノカミ神楽」の耳飾りまでついています。これは、鬼滅ファンにはたまらないですね!

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耳飾りもあります!
 

社員のみなさんからは「ビックリ仰天しました!」とか、「よくお似合いですね!」とか、「鬼殺隊員ではなく、お館様になって下さい!」とか、「そのまま繁華街に飲みに行かないようにお願いします!」などと言われました。(-m-)ぷぷっ

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全集中の呼吸で励みます!

 

今年がコロナ禍でなければ、これを着て、わたしは忘年会で大活躍したことでしょう。サブちゃんの「まつり」でも歌って、最後は「これが鬼滅のまつり~だ~よ~♪」で締めたかった! 忘年会でなくとも、会社行事である12月29日の「年越しの大祓式」や1月4日の「新年祝賀式典」で着ることも一瞬考えたのですが、厳粛な儀式の場でそれは許されないでしょう。あくまでも正装ではなく、コスプレですから。

f:id:shins2m:20201226122658j:plain新年早々に発売です!

 

まことに残念ではありますが、コロナ禍だからこそ、わたしは『鬼滅の刃』と出合い、本まで書くことができたのです。また、鬼滅が社会現象と呼べるほどの大ブームになったのは「コロナ禍にもかかわらず」ではなく、「コロナ禍だからこそ」だと思います。そのあたりは、「なぜ、コロナ禍の中、大ヒットしたのか」というサブタイトルをもつ『「鬼滅の刃」に学ぶ』に詳しく書きました。同書は本日入稿し、年内最終日に色校を終えて、新年1月早々に発売されます。
価格は、900円です。ぜひ、お求め下さい!

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近刊『「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林) 

 

2020年12月25日 一条真也

『「鬼滅の刃」流 強い自分のつくり方』

『鬼滅の刃』流 強い自分のつくり方

 

一条真也です。
メリー・クリスマス! 今年の子どもたちのクリスマス・プレゼントは、「日輪刀」をはじめ、『鬼滅の刃』関連グッズが大人気だそうです。
『『鬼滅の刃』流 強い自分のつくり方』井島由佳著(アスコム)を紹介します。2020年4月24日に刊行された本です。著者は、大東文化大学社会学社会学助教、心理・キャリアカウンセラー。1970年東京生まれ。東京家政大学大学院家政学研究科人間生活学専攻修了。博士(学術)。専門は教育心理学、キャリア心理学。『鬼滅の刃』や『ワンピース』、『NARUTO』などマンガを活用した講義・研修・セミナーが人気だそうです。

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本書の帯

 

本書のカバー表紙には、「なさけない自分、弱い自分に今日でさよなら!」と大書され、「炭治郎を強くした『誰かのために』という思い」「あなたは、鬼にもやさしさを向けられるか」「毎日の積み重ねが、心も体も強くする」「炭治郎、禰豆子、善逸、伊之助・・・このマンガは折れない心をつくる教科書!」と書かれています。 

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本書の帯の裏

 

また、カバー裏表紙には、「強い自分をつくるために必要なもの」「あきらめない心」「素直さ」「自信」「仲間を信じる心」「優しさ」「使命感」「正直さ」「『鬼滅の刃』で、あなたも、最強の自分を手に入れよう!」と書かれています。

 

さらに、カバー前そでには、こう書かれています。
「炭治郎、禰豆子、善逸、伊之助が、どんどん強くなれるのはなぜか・・・大切な人を守るため、敵を倒すため。思い通りにならないことがあっても、投げ出さずに立ち向かう。強い心のつくり方を『鬼滅の刃』から学ぼう!」

 

そして、アマゾンには。「●『鬼滅の刃』は強い自分を作るための教科書になる」として、以下のように書かれています。
「私たちが生きている現実世界は、過酷です 思い通りにならない。やりたいことは自由にできない。欲しいものはすぐに手に入らない。自分はなんて弱いんだ、もうダメだと思い知らされることが多いことでしょう。生き抜くためには、強い自分をつくりなさい、とよくいわれると思います。でも、どうすれば強くなれるのか、多くの人が考えあぐねています。それは、誰も「こうすれば強くなれる! 」とはっきりと答えられないからでしょう。『鬼滅の刃』では、それがわかりやすく示されます。竈門炭治郎、我妻善逸、嘴平伊之助、富岡義勇、胡蝶しのぶ、煉獄杏寿郎・・・どうすれば、人は強くなれるのか。強いといわれる人は、どうふるまうのか。何を考えているのか。キャラクターを通して、描かれます。キャラクターの必殺技や攻撃は、現実にはまねすることはできませんが、心の持ち方や自分の高め方は、私たちもまねできます。『鬼滅の刃』には、リアルに通じる教えが描かれています。みんなが誰かに教わりたかった、強く生きるための教えが詰まっています。この本では、『鬼滅の刃』に込められたメッセージを、キャラクターのセリフや印象的なシーンを紹介しながら、ひも解いていきます。鬼たちの言動も反面教師として紹介していきます。みなさんが強い自分を手に入れて、どんな困難に直面しても、自分の手で未来を切り開き、夢をかなえるための一歩を踏み出す、お手伝いができれば、幸いです」

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。
「はじめに」
鬼滅の刃』の対立図
本書で紹介する『鬼滅の刃』のストーリーの主な登場人物
第1章 強い自分づくりに
               欠かせない、
               たったひとつの心がけ
~「積み重ね」がひとりの炭売りの少年を変えた~
第2章 折れない心のつくり方
~炭治郎はなぜあきらめないのか~
第3章 強い人がやっている
    自分を強くする習慣
~炭治郎が強くなった理由~
第4章 仲間を引きつける
              「強さ」の秘けつ
~炭治郎の優しさは真の強さの表われ~
第5章 人間の弱さを鬼に学ぶ
~鬼は人間の反面教師だった~
「おわりに」

 

「はじめに」で、著者は、「『鬼滅の刃』が教えてくれる『強さ』とは」として、「どうすれば、人は強くなれるのか。強いといわれる人は、どうふるまうのか。何を考えているのか。キャラクターを通して、描かれますたとえば、主役の竈門炭治郎。彼は、本当に強い人です。でも、炭治郎は、力や技だけが強いわけではありません。炭治郎の強さは、炭治郎の人となりが支えています。たとえば、自分に厳しく、他人に優しくできるところ。良いと思うことに対しては「良い」、悪いと思うことに対しては「悪い」とはっきり言えるところ。とにかく家族思いで、仲間思いなところ。それでいて、人間の敵である鬼に対してまでも慈悲の心を持っているところ。恨まない。妬まない。引きずらない。素直で、純粋で、ひたすら相手の良い部分を探し、そこに目を向け、認めようとするところ・・・・・・」と述べています。

 

鬼滅の刃』はストーリーが面白いだけでなく、キャラクターそれぞれに強い個性があって、人生のお手本にしたいと思わせるところも、この作品が幅広い層の心をつかむ一因となっていると指摘し、著者は「大人も子どもも、みんなが誰かに教わりたかった、強く生きるための教えが、このマンガには詰まっています。だから、みんなの心に刺さり、みんなを熱くさせるのです」と述べています。わたしは、「修行」や「修養」や「修身」といった、かつての日本人が大切にした精神文化が『鬼滅の刃』の中には描かれていると思います。

 

鬼滅の刃 2 (ジャンプコミックスDIGITAL)

鬼滅の刃 2 (ジャンプコミックスDIGITAL)

 

 

「失っても失っても生きていくしかないです。どんなに打ちのめされようと」(2巻 第13話「お前が」より)

これは、婚約者が鬼に喰われたことを知り、ショックで自分を見失った状態になっている和巳という青年に、炭治郎がかけた言葉です。著者は、「相手のことを気づかいつつも、ここで立ち止まらずに前を向くことの重要性を、自分にも言い聞かせるように説いています。理不尽な現実は変えられないことを受け入れ、それに絶望せずに次の一歩を踏み出そうとする、炭治郎の強さをまさに象徴しているセリフといえるでしょう」と述べています。

 

また、舞台が大正時代ということもあり、古き良き日本人の美しい心を大切にしているところが感じられるとして、著者は「目標達成には努力の積み重ねが欠かせないこと。人間は決して1人では生きていけないという現実。相手を認め、敬い、大切にしようとする姿勢の重要性。『鬼滅の刃』は、私たちが当たり前のように思っていながらも、ふだんなかなか意識することのできない“人生の真理”のなんたるかを、人間の強さをこれでもかというほど示してくれます」と述べるのでした。

 

第1章「強い自分づくりに欠かせない、たったひとつの心がけ~『積み重ね』がひとりの炭売りの少年を変えた~」では、「炭治郎を変えたあのときの覚悟」として、著者は「私たちが炭治郎に強い自分のつくり方を学べるのは、刀さえまともに振ったことがない炭売りの子が、技術だけでなく、タフな心も必要な剣士になっていく成長過程を見ることが出来るからです。炭治郎は、小さいころから剣士のエリートとして育てられてきたわけではありません。その道のりは順風満帆とはいきませんでした。だからこそ私たちには学べることがたくさんあるのです」と述べています。

 

また、著者は第1話で、炭治郎が鬼殺隊の水柱である富岡義勇と戦ったけれども惨敗したことに触れ、「炭を売っていた少年が鬼を斬る。義勇との実力差を知れば、その目標がとてつもなく高いものであることはわかります。それでも、その目標に対する思いが強ければ、人間は前を向いていけるものです。そして、その思いが目標を達成する可能性を高めてくれることもあります。これを、『達成動機』といい、失敗を恐れずに目標に向かって挑戦し続ける強い気持ちの原動力になります」

 

鬼滅の刃 17 (ジャンプコミックスDIGITAL)

鬼滅の刃 17 (ジャンプコミックスDIGITAL)

 

 

「これは俺の型だよ 俺が考えた俺だけの型」(17巻 第145話「幸せの箱」より)

わたしたちは、炭治郎や善逸のように特殊な才能を持っているわけではありません。でも、ひとつのことに徹底して取り組むことによって、自分なりの型を見つけることはできるとして、著者は「コツをつかむ。効率の良い方法を見つける。自分がやりやすいように工夫する。そう考えるとわかりやすいでしょうか」と述べます。

 

また、茶道・華道・書道(もしくは香道)の「三道」といわれる日本の伝統芸能、あるいは武道などに通じる「守破離」という考え方があることを紹介し、著者は「これは、茶道千家流の始祖である千利休の『規矩作法 守り尽くして破るとも離るるとても本を忘るな』という教えから広まったものといわれ、基本をベースにしながらひとつのことに真剣に向き合えば向き合うほど上達し、その経験から独自の個性が生まれるというものです」と述べいます。

 

「人との絆は積み重ねることで深くなる」では、著者は「家族間の絆は、生まれたときにすでに存在するものであり、自分1人の意思で簡単に断ち切ることはできません。最近は、愛し合ったり支え合ったりできない家族が増えてきていることが気になりますが、それでも人生のあらゆる局面でかかわり合いを持つことになります。そこにいて当たり前、今さら気恥ずかしいという意識がどうしても生じるため、朝起きて目が合ったら『おはよう』、なにかを手伝ってくれたら『ありがとう』という、基本中の基本の言葉が出てこない人もいます」と述べています。

 

でも、著者は「その殻を破ってみてください。竈門家とまったく同じようにはいかなくても、家族全体が、そしてみなさんの心が、今よりもずっとあたたかく幸せな気持ちに満ちあふれるでしょう。これに対し、他人との絆というものは、最初はありません。同じ時間を何度も共有し、会話を交わし、関係を深めていかない限り生まれないものです」と述べるのでした。

 

鬼滅の刃』は、仲間との友情や信頼、すなわち絆というものがなければ、絶対に乗り越えることのできない壁があるということを教えてくれるとして、著者は「人間は1人では生きていけません。必ず家族以外の人とかかわりを持つシーンが訪れます。学校や会社がその際たる例で、合う合わない、好き嫌いに関係なく、誰かと一緒に行動することが求められます。もちろん、どんな人ともうまくいくとは限らないでしょう。むしろ、うまくいかないことのほうが多いかもしれません。だから、いじめが起こったり、陰で互いのグチや悪口を言い合ったりすることが、残念ですが、なくならないのです」と述べています。

 

続けて、著者は「しかし、嫌なことから逃げてばかりで幸せになれるでしょうか? 自分が思うような人間関係ではないからという理由で、その場から立ち去ったり、会社を辞めたりする人は、次の場所でも同じような問題を抱え、なかなかひとつのところに定着できないものです。このような状態を青い鳥症候群といいます」と述べるのでした。

 

第2章「折れない心のつくり方~炭治郎はなぜあきらめないのか~」の「『誰かのために』という思いは人を強くする」では、著者は「もし、禰豆子もろとも竈門家の全員が鬼に惨殺されていたら、炭治郎はここまで強くなることができたでしょうか?」とたとえ話をした後で、「これは強引なたとえ話です。禰豆子が最初に死んでしまったら、『鬼滅の刃』という物語が成立しません。ですが、それを承知のうえであえて想像をめぐらせると、その後、鬼殺隊の剣士として成長する炭治郎の姿はなかったと思います。状況的に、仇討ちに燃えていたかもしれませんが、自分しか残されていないという無力感がどこかで先に立ち、鬼舞辻にたどり着くことはとうていできなかったのではないでしょうか」と述べています。

 

また、著者は以下のようにも述べます。
「鬼化してしまったとはいえ、まだ生きている禰豆子がいるから。禰豆子のために人間に戻す方法を突き止めたいと心底思ったから。炭治郎は数々の試練に立ち向かい、乗り越えることができたのです。このように、『自分のため』だけでなく、『誰かのため』という思いを持っていると、人間はさらに大きなパワーを発揮することができます。なぜなら、人は誰かのためになにかを達成したときのほうが、満足感が高くなるからです」

 

日本人はとくに他人に対して無関心、それも都会に住む人ほどその傾向が強いといわれていることを紹介した後で、著者は「それでも、人は誰でも思いやりの心を持っており、他人のために行動を起こすことはできるものです。他人に気を配ること、他人を助けてあげることを、心理学用語で『援助行動』や『向社会的行動』というのですが、それができる人は、できない人よりも強い心を持てるようになります」と述べます。

 

「自分を鼓舞すれば、心の炎が消えることはない」では、炭治郎を筆頭に、鬼殺隊のメンバーは自分を鼓舞するため、あるいは律するための言葉を、よく口にしたり、心の中で念じることに言及し、著者は「頑張れ、やれる、できる、怯むな、落ち着け、集中しろ、あきらめるな、喰らいつけ、負けるな、という具合です」と述べています。

 

鬼滅の刃 3 (ジャンプコミックスDIGITAL)

鬼滅の刃 3 (ジャンプコミックスDIGITAL)

 

 

「頑張れ 炭治郎 頑張れ! 俺は今までよくやってきた!! 俺はできる奴だ!! そして今日も!! これからも!! 折れていても!! 俺が挫けることは絶対に無い!!」(3巻 第24話「元十二鬼月」より)

これは、元十二鬼月・響凱との戦いの際に、炭治郎が叫んだ言葉ですが、強力な敵に立ち向かうべく、全力で己を鼓舞しています。まさに言葉には力があるという「言霊」の思想を実践していると言えるでしょう。

 

「確固たる使命感があれば迷いも焦りも消え失せる」では、鬼殺隊のメンバーたちが使命感を得ることによって、迷いや焦りを断ち、まっすぐに行動できるという、プラスの効果を感じさせるシーンを『鬼滅の刃』からたくさん見ることができるとして、著者は「その最たる例が、炎柱の杏寿郎と上弦の参の猗窩座が対峙するシーンでしょう。猗窩座から鬼になることを誘われた杏寿郎は、それを突っぱね、猛攻撃をしかけられて窮地に立たされたときにこう言い放ちます。

 

鬼滅の刃 8 (ジャンプコミックスDIGITAL)

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「俺は俺の責務を全うする!! 
 ここにいる者は誰も死なせない!!」
(8巻 第64話「上弦の力・柱の力」より)

著者は、「死ぬかもしれないという状況に追い込まれながらも、この毅然とした態度。杏寿郎が、自分が柱という立場にいることを認識し、圧倒的な使命感を得ているからこそ言えるセリフだったと考えていいでしょう。使命感は、確実に人間を強くしてくれるものなのです」と述べています。まったく同感です。

 

第3章「強い人がやっている自分を強くする習慣~炭治郎が強くなった理由~」の「目の前の課題に素直に取り組む」では、著者は「炭治郎はなぜここまで強くなることができたのでしょうか? 私は、ばか正直といっていいほどの素直さ、愚直さが、その大きな要因のひとつになっていると思います。素直に人の言うことを聞く。素直に前を向く。素直に相手の強さを認める。この姿勢が、炭治郎が強くなる源泉になったのは間違いありません。炭治郎の素直さは、本当にまぶしい。心の底からうらやましくなるほどです」と述べています。

 

「『お前には負けない』が行動力につながる」では、負けたり失敗したりしても、悔しがらない若者が増えてきているということを大きな問題として取り上げ、著者は「人と競うことが行動に対するモチベーションにならない人が多くなってきました。教育の現場にいると、とくに最近は強く実感します。負けても失敗しても『スルー』する感じです。適当にやっていれば適当に生きられる世の中になってしまったからでしょうか」と述べます。

 

続けて、著者は「とにかく意欲や向上心を持たない人が目立つようになってきました。別に一番じゃなくていい。カッコイイ車は別にいらない。家を建てなくてもいい。結婚はしてもしなくても別にどちらでもいい。可もなく不可もなしの人生で構わない。人と比べず、自分は自分だから、と」とも述べています。

 

さらに続けて、著者は「その一方で、好きなアニメは観たいとか、応援しているバンドのライブに行きたいとか、そういう欲はあります。また、損得勘定は持っているので、『これをやらないと損をするな』とわかれば、多少はやる気が出るようですが、それまでで、こうしたいとか、こうなりたいとか、そういう思いはありません。本当につかみどころがないのです」とも述べるのでした。この著者の指摘は、まったくその通りですね。

 

第4章「仲間を引きつける『強さ』の秘けつ~炭治郎の優しさは真の強さの表われ~」の「あなたも炭治郎のように鬼にも優しさを向けられるか?」では、著者は以下のように述べます。
「炭治郎はボロボロと崩れゆく亡骸を前に手を合わせ、どうか成仏してほしいと念じます。さらにその直後に現れた、鱗滝やその弟子たちと深い因縁のある手鬼を倒した際は、先輩剣士たちの憎き仇であるにもかかわらず、差し出された手をぎゅっと握りしめ、こんな言葉を投げかけます」



「神様どうか この人が今度生まれてくる時は 鬼になんてなりませんように」(2巻 第8話「兄ちゃん」より)

著者は、「炭治郎は、とにかく優しいのです。彼と戦った多くの鬼たちは、死ぬ間際に人間だった頃の記憶を取り戻し、鬼になってしまったことに対して懺悔の念を抱きます。『遅い!』といってしまえばそれまでですが、憎悪に満ちたまま死ぬよりははるかにましでしょう。ある意味、炭治郎が美しい最期を用意してくれたと考えてもいいかもしれません」と述べます。

 

「あなたは誰かを心から応援できるか?」では、著者は「炭治郎は、他人を助けることにかけて天下一品ですが、同時に他人を全力で応援することもできる人です。『頑張れ』が口癖ですし、同期の善逸や伊之助と一緒に鬼と戦っているときは、くどいくらいにはっぱをかけています。応援されたほうは、絶対に悪い気はしませんし、さらにやる気にもなります。場合によっては、その人の運命を変えるきっかけになることもあります」と述べています。

 

ここで、考えさせられるのは「頑張れ」という言葉です。東日本大震災以来、「頑張れ」という言葉は上から目線とか、本当に困難に直面している人への配慮が足りないなどなど、すっかり悪役になってしまった感があります。うつ病グリーフケアの世界でも禁句に近い言葉です。しかし、人はピュアに人を励ましたいとき、「頑張れ」というのではないでしょうか? 東日本大震災の被災地を去るとき、自衛隊員たちが思わず口にしたのも「頑張って下さい」という言葉だったそうです。わたしは、いずれ、「頑張れ」という言葉について徹底的に考察し、この素晴らしい言葉を復権させたいと思っています。

 

第5章「人間の弱さを鬼に学ぶ~鬼は人間の反面教師だった~」の「鬼は利己主義の塊である」では、著者は、炭治郎をはじめとする鬼殺隊のメンバーと鬼との最大の相違点を以下のように指摘します。
「それは、鬼が『分よりも他人』いう考え(鬼舞辻に対する忠誠心は除く)はいっさい持っておらず、ひたすら『自分のため』に行動している点でしょう。そこにあるのは我欲のみ。利己的で、身勝手で、自分さえよければ相手は死んでも構わないというスタンスをとっています」

 

「鬼は優しさの記憶が欠落している」では、本来、優しさを持っている人でも、自分のことしか考えられなくなると、ものごとの本質を見失ってしまうとして、著者は「『鬼滅の刃』で描かれている鬼は、つらい現実から逃れるために鬼舞辻に魂を売ってしまった人たちです。彼らは鬼になったことにより、人間時代に持っていた感情(優しさや他人を思いやる気持ち、感謝する気持ちなど)が欠落しています。これは裏を返すと、どんな人でも、ものごとの本質を見失うと鬼(のよう)になってしまうということを、この作品が示しているということです」と述べています。

 

「鬼の絆には恐怖と憎しみと嫌悪の匂いしかない」では、「絆」という言葉が固い信頼関係で結ばれた人と人とのつながりを意味するとして、著者は家畜をつないでおくための綱がその語源であり、もともとの意味は、信頼関係というより、どちらかというと支配関係を表す言葉なのだそうです。そういう意味では、鬼舞辻と部下の鬼たちとの関係や、下弦の伍の累がつくった疑似家族の関係は、綱の絆で結ばれた状態といえるのかもしれません」と述べます。

 

さらに著者は、「恐怖でつながっている絆はもろく、必ずどこかでほころびを見せるものです。それを証明するような例は、私たちが暮らす現代社会でも、いくつも見ることができます。社員が会社にがんじがらめになっているブラック企業。部員が上の人の言いなりになっているクラブやサークル。上下関係、主従関係がはっきりしていて、上に立つ者の力が強すぎると、得てしてこういう大問題に発展するものです。炭治郎の言うように、恐怖に支配された関係に信頼で結ばれた絆は存在しません。鬼舞辻と部下の鬼たちとの関係と、なんら変わりはないのです」と述べるのでした。本書は、『鬼滅の刃』を教育心理学の視点から読み解いた好著であると思います。

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近刊『「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林)

 

最後に、わたしは新年早々に『「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林)を上梓します。経済効果という視点からでは見えてこない、社会現象にまでなった大ヒットの本質を明らかにしました。今回のブームには、漫画の神様の存在や、現代日本人が意識していない、神道儒教や仏教の影響を見ることができます。わたしは、今回の現象は単なる経済的な効果を論じるだけではない、大きな転換点を感じています。新型コロナウイルスの感染におびえる現代人にとって「こころのワクチン」とでもいうべき存在が『鬼滅の刃』であると断言できます。多くの『鬼滅の刃』関連本では語られてこなかった(作者自身も気が付いていないかもしれない)大ヒットの秘密を開陳したいと思います。

 

『鬼滅の刃』流 強い自分のつくり方

『鬼滅の刃』流 強い自分のつくり方

  • 作者:井島由佳
  • 発売日: 2020/04/18
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

2020年12月25日 一条真也

メリー・クリスマス・ウィズコロナ!

一条真也です。
24日に東京都で感染が確認されたのは888人で、今月17日の821人を上回り、過去最多となりました。それにしてもゾロ目で来ましたね。悪魔の数字である666でも、ラッキーナンバーの777でもなく、888とは! 全国でも3742人の感染者が確認され、2日連続で過去最多を更新しました。いよいよ、東京五輪どころではなくなってきましたね。

f:id:shins2m:20201218103821j:plain 松柏園ホテルにて

 

ともあれ、メリー・クリスマス! 今年は新型コロナウイルスの猛威に席巻されて、聖夜もまったく盛り上がりませんが、みなさま如何お過ごしでしょうか? 本当に、想定外の事態の連続だった1年でしたが、けっして嘆いてはいけません。禍福はあざなえる縄のごとし。人間万事塞翁が馬。わたしは自宅の庭の芝生を猪に台無しにされるという悲劇をきっかけとし、新著『「鬼滅の刃」を学ぶ』を書き上げました。

f:id:shins2m:20201225003016j:plain松柏園ホテルにて 

 

「何事も陽にとらえる」はこれまでも信条でしたが、ただ解釈するだけでなく行動としての「何事も陽に変える」ことの大切さを学びました。わたしは、愛読者の方からクリスマス・プレゼントに鬼滅マフラーをいただき、暖かくしております。鬼滅マスクと合わせれば、炭治郎になったような気分であります。はい。

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暖かいマフラーを 贈られました

 

そして、クリスマスといえば、クリスマスカード。今年も多くの読者の方々から素敵なカードが届きました。また、クリスマスはキリスト教における主イエス・キリストの生誕祭です。わたしが客員教授を務める上智大学は日本におけるカトリックの総本山ですが、樺道学長から上智の四谷キャンパスの写真を使ったカードが届きました。中には身に余るメッセージが書かれており、とても幸せな気分になりました。
みなさま、どうぞ、素敵な1日をお過ごし下さい!

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上智大学からのクリスマス・カード

 

2020年12月25日 一条真也

『鬼滅の日本史』

鬼滅の日本史

 

一条真也です。
24日になりました。クリスマス・イブですが、今年はコロナで盛り上がりませんね。一方、最高に盛り上がっているのが『鬼滅の刃』ブームです。
『鬼滅の日本史』小和田哲男監修(宝島社)を紹介します。日本の古典には鬼が“実話”として記録されています。なぜ鬼は生まれ、人々を苦しめたのか。そして、鬼とは一体“誰”だったのか。『鬼滅の刃』のルーツと隠されたメッセージを探る本です。監修者の小和田氏は1944年、静岡県生まれ。1972年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。2009年3月、静岡大学を定年退職。静岡大学名誉教授。研究分野は日本中世史で、多くの著書があります。 

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本書の帯

 

市松模様の本書の帯には「『鬼滅の刃』に隠された日本史の暗号を読み解け」「リアル鬼殺隊vs鬼 1600年の戦いが蘇る!!!」と書かれ、帯の裏には「古典に残された実在の“鬼”の記録」とあります。

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本書の帯の裏

 

アマゾンの「内容紹介」には、こう書かれています。
「老若男女に大人気の漫画『鬼滅の刃』。空想の世界だと思うかもしれませんが、日本の歴史史料には作品に登場しているような『鬼』の記述が多く残されているのです。日本人は古代から鬼と戦ってきた歴史があります。本書では、そんな史料に残されている鬼とは何かを解き明かしつつ、『鬼滅の刃』で描かれている登場人物や鬼の歴史背景を独自に考察します」

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。
歴史史料グラビア
「鬼に喰われる人々」
「妖術を操る鬼たち」
「鬼の大量発生」
「鬼と人間との戦い」
「鬼とされた人々」
「帝都・東京に現れた鬼」
「仏の世界の鬼」
はじめに
「『鬼滅の刃』に描かれた鬼のルーツに迫る」
第1章 『鬼滅の刃』前史❶
人類の捕食者 鬼の誕生
鬼滅の刃』の鬼のルーツは古典にあった
鬼の誕生と進化の歴史
最初の鬼の誕生
組織化する鬼たち
血鬼術の登場
自らの意思で鬼になる人々
鬼となって復讐する人鬼
女を喰らう鬼たち
鬼の大量出現
人と鬼の間に生まれた半鬼半人
【コラム】今も生き続ける鬼の子孫
第2章 『鬼滅の刃』前史❷
実録 人類VS.鬼
鬼に喰われる側から鬼を斃す側へ
鬼を討伐した歴史上の英雄たち
平安時代の「柱」・藤原秀郷
リアル鬼殺隊・源頼光と四天王
妖術使いと死闘した大宅光圀と山城光成
安倍晴明の末裔・安倍泰成
大頭魔王の使いと死闘した蒲生貞秀と土岐元貞
現代に残るリアル日輪刀
【コラム】鬼からヒントを得て人をつくった西行
第3章  隠された鬼滅の暗黒史
鬼滅の刃』は
 鬼VS.鬼の戦いだった
竈門炭治郎にみる技芸を行う「傀儡子」
時透無一郎にみる山中で生活する「サンカ」
宇髄天元にみる闇に生きる戦闘集団「忍者」
鋼鐵塚蛍にみる製鉄の専門集団「産鉄民」
悲鳴嶼行冥にみる優遇制度があった「盲人」
栗花落カナヲにみる「人身売買」された子どもたち
鱗滝左近次にみる神隠しをおこす「天狗」
嘴平伊之助にみる5000人いた「捨て子」
伊黒小芭内にみる幽閉された「特殊児童」
【コラム】昭和まで存在した「権力が及ばない地域」
第4章  新考察 『鬼滅の刃』の謎
なぜアニメ『鬼滅の刃』は大ヒットしたのか
なぜマンガ『鬼滅の刃』は大ヒットしたのか
なぜ鬼は藤の花を嫌うのか
青い彼岸花はどこにあったのか
なぜ『鬼滅の刃』の鬼たちは異形の目を持つのか
なぜ人が多い場所に鬼が現れたのか
なぜ鬼殺隊の最上位は「柱」と呼ばれるのか
なぜ能力者に痣が発現するのか
なぜ「ヒノカミ神楽」は12の舞なのか
我妻善逸と獪岳のモデルは誰か
【コラム】炭治郎が斬った大岩のモデル・一刀石
第5章  鬼とはなにか
鬼には5つのカテゴリーがある
鬼として蔑まれた人々
山に棲む鬼女
あとがき「鬼は滅んだのか」
「参考文献」



歴史史料グラビア「帝都・東京に現れた鬼」には、「鬼は時代のはざまに現れる。鬼とは人の精神が不安定となった際の『疑心暗鬼』が生み出す産物であり、また混乱する社会情勢の中で、社会の枠組みから外れていった人間たちそのものであるからだ。そのため江戸時代から明治への転換点には多くの怪異談が伝わる。文明開化後も鬼は滅びることなく、戦時中には日本と戦った米英軍を、現在では無慈悲な犯罪者を『鬼畜』と呼び、深層心理に鬼の恐怖心が残り続けている」と書かれています。

 

桃太郎 (新・講談社の絵本)

桃太郎 (新・講談社の絵本)

 

 

はじめに「『鬼滅の刃』に描かれた鬼のルーツに迫る」の冒頭には、「鬼ごっこをして鬼から逃げ回り、『桃太郎』の絵本を読んでもらい、節分には鬼に豆を投げる・・・・・・。鬼は恐ろしくもありながら、子どもにとって身近な存在だ。もっとも大人になって生物としての「鬼」の存在を信じている人は少ないだろう。しかし、令和の時代に大人も子どもも夢中にさせたのは、昔話のひとつに過ぎなかった『鬼退治』の話だ」と書かれています。



また、「令和の人々の心を打つ新たな鬼退治の物語」として、「『これは、日本一慈しい鬼退治。』『鬼滅の刃』につけられたキャッチコピーは、この物語が単なる『善』と『悪』の戦いではなく、鬼の心と向き合い『悪』の闇に光を当て続けようとする、新たな鬼退治の物語であることを表している。絶対悪と思われた鬼もまた、主人公たちと同じように悲しい過去を持っているなど、敵キャラである鬼の背景も丁寧に描かれていることが、多くの人々の心を打ったのだ」とも書かれています。



鬼滅の刃』の独自の設定として、鬼は夜にしか生きられず、日光を浴びると消滅してしまう「弱い存在」として描かれます。そして、鬼たちは「鬼の始祖」である鬼舞辻無惨によって、反乱を起こすことがないように大勢で群れることができなくされています。鬼となることで、悲しい過去とともに人間として生きた楽しかった時間を忘れ、夜にしか生きられない、孤独な存在が、『鬼滅の刃』における鬼なのです。

 

日本霊異記 (新日本古典文学大系 30)

日本霊異記 (新日本古典文学大系 30)

 

 

第1章「『鬼滅の刃』前史❶ 人類の捕食者 鬼の誕生」の「『鬼滅の刃』の鬼のルーツは古典にあった」では、「正史に記録された鬼の存在」として、「今日、生物として『鬼』が存在することを信じている人は少ないだろう。では、古代や中世の人々はどうだったのか。例えば、9世紀の『日本霊異記』には鬼の説話が載っているが、これらは実話として語られている。また『日本書紀』や『日本三代実録』などの正史(政権がまとめた公式の歴史)にも鬼は登場する。こうしたことから、鬼は実在する恐怖の存在という認識だったことがわかるだろう。しかし、これらの記録の多くは、権力者によって卑しめられた抵抗勢力だったり、社会秩序が及ばない山中などに棲む特殊技能を持つ人々、恨みを抱くあまりに狂気を宿した人々であることが多い。現代と異なり、情報が限定的だった古代や中世では、このような異質なものをリアルな鬼として恐れたのだ」と書かれています。



「『鬼滅の刃』の鬼が元人間である理由」では、昔話の『桃太郎』に登場する鬼ヶ島の鬼たちをはじめとするパターン化された鬼のイメージと、『鬼滅の刃』の鬼たちではだいぶ異なるとして、「実は、頭にツノが生え、虎のパンツを穿き、金棒を持つ鬼は近世に入ってから生まれた比較的新しい鬼の姿である。このような姿の鬼は日本の古典に登場する鬼のほんの一部に過ぎないのだ。社会秩序からはじかれた、あるいは自ら外れた『鬼滅の刃』の鬼たちの姿は、人間社会から『異質なもの』=『鬼』としてみなされた日本の古典的な鬼の姿といえるのだ」と書かれています。

 

「最初の鬼の誕生」の「神話に描かれた異形の怪物たち【古代】」では、「黄泉の国の支配者・イザナミとの共通点」として、「日本の神話に登場する最初の鬼的存在は、日本の国土を生み出した女神・イザナミといえるだろう。国土や神々の母でありながら『火の神』を産んだことで命を落としてしまったイザナミは、腐敗した体で死後の世界に君臨する恐ろしい女神となる。その体には8体もの雷神をまとい、さらには黄泉醜女という黄泉の軍勢を自在に操るのだ。『醜』には醜いというほかに、強い、恐ろしいといった意味があり、醜女たちも黄泉の国に棲む鬼の元祖的存在といえる。イザナミの夫であるイザナギが黄泉の国とこの世界とをつなぐ黄泉比良坂を封印したことで生死の世界は分断され、その直後に『鬼滅の刃』の鬼たちの最大の弱点である太陽を司る女神(日の神)・アマテラスが誕生している」と書かれています。



第2章「『鬼滅の刃』前史❷ 実録 人類VS.鬼」の「鬼に喰われる側から鬼を斃す側へ」では、「社会からはじかれた者たちが鬼となる」として、「それまで人間は一方的に喰われる側だったが、平安時代の後期になると鬼は絶対的な力の象徴ではなく、人間によって討伐可能な存在へと変わっていった。それまで陰陽師たちによって鬼を祓い、鬼の侵入を阻んできたが、より積極的に鬼の排除を行うようになったのである。武士の台頭で日本が動乱期を迎える中で、鬼は得体の知れない怪しい者から、権力闘争に敗れた反体制者や盗賊、被差別民といった社会のアウトサイダー、朝廷に対する闇の存在たちが鬼として『邪神』『姦鬼』と呼ばれるようになった」と書かれています。

 

続けて、『鬼滅の刃』に登場する鬼たちは、すべて元人間だがその過去は、体が弱かったり、犯罪者だったり、遊女であったりと、社会的に差別を受ける立場の者たちが多いことが指摘され、「そのような者たちが、社会的な復讐や人間の時には得られなかったものを鬼の力で得ようとする物語となっている。平安時代後期以降の鬼(鬼とみなされた人)も、人間のコミュニティの中に居場所を見いだせずに社会のアウトサイダーとなり、自分たちだけのコミュニティを構築していった。しかし、それは一般の人間社会の人々からみれば脅威でしかなく、時として権力側が『鬼』とみなして討伐する対象となった」と書かれています。



「鬼を討伐した歴史上の英雄たち」では、「受け継がれる『鬼切』の精神」として、「それまで鬼に喰われる犠牲者や鬼と遭遇した者の多くは、一般庶民や地方の行政官の娘といった人々だった。しかし、人間が鬼を討伐するようになると、実在の歴史上の人物が登場するようになる。現実社会において、功名を成した人物が、闇の者たちに対してもその強力な武力を発揮したのである。後世には武士の棟梁的な称号となった征夷大将軍に初めて任命された坂上田村麻呂は、『征夷』の字の通り、東北地方の蝦夷を征伐した人物だ」と書かれています。なお、坂上田村麻呂鈴鹿御前と戦った際に用いた刀は、源満仲へと渡り戸隠山の鬼討伐に用いられ、さらに源頼光、そして頼光四天王のひとり・渡辺綱の手へと渡って、それぞれの鬼を斬ったことから、「鬼切」と呼ばれます。



日本三大怨霊のひとりにも数えられる平将門を討った藤原秀郷は、百目鬼や大百足などの化け物退治の話が残っています。しかし、鬼の討伐で最も有名な人物は源頼光です。権勢を極めた藤原道長の側近として仕えた人物です。弓術の名手で、配下の「頼光四天王」とともに多くの鬼や妖怪を討伐したとされます。「リアル鬼殺隊・源頼光と四天王【10世紀】」の「鬼の首魁・酒呑童子との戦い」では、「古典に記された源頼光と四天王の活躍」として、「数ある鬼退治伝説の中で最も有名なのが、源頼光とその家臣たちによる大江山酒呑童子退治である。彼らはほかにも多くの鬼を退治しており、“リアル鬼殺隊”ともいうべき存在である」と書かれています。



また、頼光は平安時代中期の武将で、清和源氏の3代目にあたりますが、弟の頼信の子孫に鎌倉幕府を開いた源頼朝がいます。摂関政治の最盛期を築いた藤原道長の側近として仕え、貴族的な側面もありました。頼光には、四天王(渡辺綱坂田金時碓井貞光卜部季武)と称される家臣たちがいましたが、「いずれも一騎当千の強者で、彼らの存在も頼光を伝説的な武人として押し上げる原動力になったといえる。『鬼滅の刃』では、鬼殺隊の最上位ランクの剣士を『柱』というが、四天王は頼光にとっての『柱』ともいうべき存在だ」と書かれています。



「妖術使いと死闘した大宅光圀と山城光成【11世紀】」の「リアル血鬼術の使い手・滝夜叉姫との戦い」では、「『鬼滅の刃』に出てくる鬼たちの改心」として、「『鬼滅の刃』には、『生まれながらの鬼』は登場しない。鬼の始祖である鬼舞辻無惨が人間の恨みや嫉妬心につけ入り、自分自身の血を分け与えることで鬼に変えているのだ。鬼になった者は人間だった頃のような思考ができなくなり、人間に対する敵対心が高まり、肉親であっても容赦なく喰い殺してしまう。あるいは、鬼舞辻無惨におだてられて人の命を奪う鬼もいる。まさに人の心を失った悪鬼ともいうべき存在だが、一方で、死の間際になって人の心を取り戻し、安らかに天へ召される鬼もいる」とあります。



「現代に残るリアル日輪刀」の「鬼を斬った名刀の数々」では、「鬼殺隊が装備する鬼殺しの『日輪刀』」として、「『鬼滅の刃』において鬼殺隊が装備している『日輪刀』は、太陽の光以外で唯一鬼を倒せる武器とされる。太陽に一番近い陽光山で採取できる原料の砂鉄(猩々緋砂鉄)と鉱石(猩々緋鉱石)には、陽の光を吸収する作用がある(第9話)。日輪刀の形状は、基本的には鎬造りと呼ばれる一般的な日本刀と同じ形状である。鎬造りは刃と峰の中間よりやや峰側に鎬(刃の背に沿って小高くなった部分)をつけたもので、どちらかといえば実践向きの剣である。一方で、持ち主によって色が変わることから、別名『色変わりの刀』とも呼ばれる(第9話)」とあります。

 

武士の象徴ともいうべき日本刀が最初に世に出たのは平安時代後期で、武家の力が増すにつれて、刀鍛冶の技術も向上していったことが紹介され、さらに「鎌倉時代に入ると各地で名工が登場し、日本刀の黄金期とも呼ばれる時代を迎える。室町時代になると、刃を上に向けて佩く打刀が流行する。打刀のほうが素早く刀を振るうことができたので、戦国乱世との相性が抜群だった。しかし、江戸時代に入って天下泰平の世になると、刀は武家のシンボルとしての意味合いを強めていく。幕末期には再び実用性が求められるようになったが、明治に入ると廃刀令が出され、一部の例外を除く帯刀が禁じられた」と書かれています。



「鬼の首魁を斬った天下五剣のひとつ・童子切安綱」として、「今も数多くの日本刀が存在するが、その中には鬼を討ったと伝わる刀もある。名刀中の名刀として高く評価される『天下五剣』の『童子切安綱』もそのひとつで、大江山に君臨していた最強の鬼・酒呑童子を斬った刀と伝わる。平安時代中期に伯耆国大原の刀工・安綱が作刀したとされ、刀身の強度も斬れ味も抜群。『大包平』と並ぶ『日本刀の東西の両横綱』と称されている。江戸時代の刀剣リスト『享保名物帳』には、『極上々の出来、常の安綱に似たるものにあらず』と称賛されている」と書かれています。

 

鬼と日本人 (角川ソフィア文庫)

鬼と日本人 (角川ソフィア文庫)

  • 作者:小松 和彦
  • 発売日: 2018/07/24
  • メディア: 文庫
 

 

第3章「隠された鬼滅の暗黒史」の「『鬼滅の刃』は鬼VS.鬼の戦いだった」では、「社会秩序からはみ出した『元人間』」として、「現実世界において『鬼滅の刃』に出てくるような異形の鬼が存在したとする確たる証拠は存在しない。それでは現実世界における鬼とは、一体どのような存在だったのか。大きな意味でいえば、鬼とは人間のコントロールを超えた過剰な力や強さ、巨大さ、醜悪さをともなう存在といえるだろう。それは山に棲む獣であったり、疫病であったり、災害だったりしただろう。人々に災いをもたらす人智を超えた観念的な存在が鬼なのだ」とあります。



では、人を喰ったりさらったりするなど、具体的な被害報告がある鬼とは誰だったのでしょうか。結論からいってしまえば、同じ人間であるとして、「ある一方の側から見て、自分たちのコミュニティに害を及ぼす者たちを鬼としたのである。最もわかりやすい例が、土蜘蛛などと呼ばれた、朝廷に従わなかった地方勢力だ。後世になると絵巻などで、蜘蛛の妖怪として描かれたが、実際は紛れもない人間だった。また『清水寺縁起絵巻』には、蝦夷と呼ばれた東北地方の軍勢が鬼のような姿で描かれている。こうした人々は『絶対悪』とはいえない存在だが、鬼として扱われ、一方的に討伐された」と書かれています。



また、現代の日本のような社会福祉制度が存在しない時代において、社会的弱者は秩序ある村からはじき出され、山中に棲んだり漂泊の民となり、中には、強盗や人殺し、人さらいなどを行う犯罪集団になった者もいたとして、「そのような者たちが鬼として蔑まれ恐れられたのだ。昔話には、鬼が人間を恨んだり憎んだり、あるいは怨恨の念から人間が鬼化した話が数多くある。『鬼滅の刃』に出てくる鬼たちは人を喰らう『絶対悪』的な存在だが、このような社会秩序からはみ出て鬼とされた人々の姿と重なる」とあります。



「鬼殺隊は『埒外者』の集団だった」では、「人間のコミュニティに属さない人々」として、「『鬼滅の刃』には鬼以外に社会秩序に属さない者が描かれている。ほかでもない鬼殺隊のグループだ。第4話では鬼殺隊が『政府から正式に認められていない組織』と解説され、第54話では刀を所持している竈門炭治郎たちを見た駅員が、『警官を呼べ』と叫ぶシーンがある。また鬼殺隊のメンバーは、鬼となった者たちにもヒケを取らない悲惨な過去を持つ者も少なくない。作中では一般社会で普通の暮らしをしている者が志願して鬼殺隊に入ることは稀なケースになっているのだ。なぜ鬼殺隊が政府非公認で、社会秩序からはみ出した者たちの集団とする設定にしたのか。ここに『鬼滅の刃』の物語の深さと魅力のひとつがある」とあります。



また、日本には古くから悪事を働くわけではないが、都市部や村落に属さずに暮らす人々がいたことが紹介され、「山地で狩猟する者、製鉄を行う者、薬草を探す者、芸を披露する者など、村落の共同社会とは異なる生業の人々だ。これらの人々は神やもののけのテリトリーとされた山中などに住んだり、各地を渡り歩いたりした漂泊民だったりした。このような『ご近所さん』ではない特殊な職業を持つ人々は、村落にはない生産物や娯楽などを提供する恵みをもたらす者たちである一方、外部から来た得体の知れない輩『埒外者』として、時として蔑む対象となった」とあります。



主人公・竈門炭治郎の家は山中にあり炭売りを生業にし、同期の我妻善逸や嘴平伊之助は捨て子、そのほか盲目の人物や忍者、日輪刀をつくる刀鍛冶の里の人々など、町や村のコミュニティに組み込まれていない人々で、鬼殺隊は構成されていることが指摘され、「『鬼滅の刃』に描かれている世界観というのは、人間のコミュニティからはじき出されて悪事を働くようになった『鬼』と、同じく人間のコミュニティに属さないが恵みを与える『埒外者』=鬼殺隊をベースとしているように考えられるのだ」と書かれています。



さらに、「鬼と同じ能力を持つ『柱』」として、「『鬼滅の刃』では、鬼は人間が持たない特殊能力・血鬼術を操る。一方、鬼殺隊のメンバーも「呼吸」と呼ばれる特殊能力を用いて、鬼の血鬼術に対抗する。もし鬼と鬼殺隊が同じ姿だったとしたら、どちらが鬼か区別はつかないだろう。第128話では、『呼吸』を極めると、やがて鬼の紋様と似た痣が発現すると語られている。これは人間の鬼化を示しているともいえる。古典には、山中で修行して特殊能力を取得し、前鬼・後鬼の2体の鬼を使役した役小角や、式神と呼ばれる鬼を使役した陰陽師安倍晴明など、超能力を持った人物は鬼と近しい存在となっている。鬼とは人の力を超えた存在であるが、『埒外者』たちや村社会の人々とは異なる能力を持っている人々もまた鬼と同等に見られる存在だったのである。『鬼滅の刃』は人ならざる者=鬼と、やはり『普通の人』とは異なる『鬼に近い人』との戦いなのだ」と書かれています。



「竈門炭治郎にみる技芸を行う『傀儡子』」では、「山中で技芸を継承する竈門家の特殊性」として、「『鬼滅の刃』では、主人公・竈門炭治郎の生家が『ヒノカミ神楽』と呼ばれる厄祓いの神楽を代々受け継いでいる描写が出てくる(第40話)。ひと晩にわたって舞い続けることで1年間の無病息災を祈るもので、竈門家の嫡男である炭治郎も舞い型を習得していた。炭治郎の父・炭十郎は病弱だったが、最小限の動きで最大限の力を出す呼吸法を心得ていたので、ひと晩中舞い続けることができた。鬼殺隊となった炭治郎は、『ヒノカミ神楽』から「円舞」「碧羅の天」「灼骨炎陽」などの剣技を繰り出せるようになる。そして、『ヒノカミ神楽』が『始まりの呼吸』と称される『日の呼吸』と関係が深いことが明らかになっていく」と書かれています。



第4章「新考察・『鬼滅の刃』の謎」の「なぜマンガ『鬼滅の刃』は大ヒットしたのか」では、「新型コロナウイルスと鬼の意外な関係」として、「2020年、新型コロナウイルスの流行が世界を席巻した。実は疫病と鬼は古くからの深いつながりがあり、『鬼滅の刃』もまた鬼=疫病とする描写が多く見られるのだ。夏に高温多湿となり、冬に低温低湿になる日本ではしばしば疫病が流行した。奈良時代天然痘と思われる天平の疫病、平安時代の麻疹、江戸時代には梅毒のほか、疱瘡・麻疹・疫痢・フィラリア症・天然痘などが流行した。さらに幕末にはコレラがたびたび流行し、1858年のコレラによる死者は3万人を数えたといわれる」と書かれています。



このため日本の伝統行事には、疫病を祓うためのものが多いとして、「最も有名なものが2月の節分の豆まきだろう。疫病は鬼がもたらすものと考えられ、節分=『季節を分ける日』、つまり季節の変わり目に鬼を祓って健康を祈願したのである。この節分の豆まきは宮中行事追儺式が起源とされる。大きな流行をもたらす疫病の多くは、外国からもたらされた疫病だった。このことから『鬼は外』は外国からもたらされた疫病を国外へと追い出すことを表しているとする説もある」と書かれています。



また、「鬼は疫病そのものを表す存在」として、「赤鬼は天然痘などの疫病に罹り、高温のため顔が赤くなった様子を表しているとする説がある。また死人を想起させる青白い色で描かれることも多い。鬼とは死へと導く恐ろしい存在であり、死人そのものと考えられたのだ」と説明されます。さらに、新型コロナウイルスに対する潜在的な不安感は、日本人の精神的な土壌として息づいている鬼のイメージと結びついたと考えられるとして、「『鬼滅の刃』の爆発的なヒットは2020年になって加速した。新型コロナウイルスの日本における最初の報道は2019年12月31日のこと。2020年に入り中国・武漢でのパンデミック、2月3日に横浜港に停泊するダイヤモンド・プリンセス号でクラスターが発生、4月7日には緊急事態宣言が発令された。以降、連日新型コロナウイルスに関する報道は続き、それに伴い『鬼滅の刃』の発行部数も増加していったのである」と書かれています。



「『鬼滅の刃』は疫病との戦いを描いた物語だった」では、「祓うものから滅するものへ」として、「歴史学者磯田道史氏は、テレビ番組で、『昔の日本人にとって鬼は祓うものだったが、今の鬼ブームでは鬼は滅びるものとして人気に。鬼に対する捉え方が変わっている』(「所ジャパン」フジテレビ、2020年7月20日放送)と指摘している。本来、疫病=鬼は祓ってもまたやってくる存在であった。そのため、毎年季節の変わり目に節分の豆まきを行い、鬼を祓う必要があった。しかし、20世紀に入ると医療・製薬技術の発展によって、多くの疫病の撲滅・封じ込めに成功してきた。疫病=鬼は、祓うものから撲滅できるものとする意識の変化が起きたのだ」と書かれています。



そして、新型コロナウイルスについては2020年9月現在、ワクチンは完成しておらず世界的な封じ込めの目処は立っていないとして、「強力な鬼に対して、傷つき、時に死者を出しながら立ち向かう鬼殺隊の姿は、新型コロナウイルスに恐怖しながらも、疫病を撲滅するために懸命に闘ってきた人類の歴史そのものといえるだろう。この新型コロナウイルスへの恐怖感と鬼殺隊への共感と応援こそが、『鬼滅の刃』の大ヒットの大きな要因と考えられる」と述べるのでした。



「なぜ鬼殺隊の最上位は『柱』と呼ばれるのか」の「『鬼滅の刃』と出雲神話の共通点」では、「『柱』の名称は人の力を超えた存在の証」として、「日本では、神を1人、2人ではなく、1柱、2柱と数える。『柱』の漢字の成り立ちは『木』+『主(燭台で静止している火)』で、『動かない木』を意味する。日本では樹木に神が宿るとされたことから、ご神木など樹木に対する信仰があり、『柱』と数えることにつながったとされる。鬼殺隊は、人の力を超えた存在=神に近い存在として、『柱』という表現を用いたのではないだろうか。もっとも日本の神々は、幸福ばかりをもたらす存在ではなく、時に荒ぶる力で災いをもたらすこともあり、『古事記』や『日本書紀』では、神同士の戦いの様子も多く記されている。『鬼滅の刃』は『柱』という呼吸を使うことで、『神(人ならざる者)』と『鬼(人ならざる者)』という構図を象徴的に表しているとも考えられる」と書かれています。



また、「9名の『柱』と9本の柱を持つ出雲大社」として、「出雲の神々の守護神的存在が、太陽神・アマテラスと並ぶ最高神・タカミムスヒだ。『ムスヒ』とは神道における万物を生み出す力で『産霊』と書く。『日本書紀』ではタカミムスヒが出雲大社の建設を指示したとされ、産屋敷の『産』の字はここからとられたのではないか。さらに古典に残る最初の鬼の記述は、『出雲風土記』にある阿用郷の1つ目鬼である。一方、『鬼滅の刃』では最初の鬼は鬼舞辻無惨とされる。これらを整理すると、『産屋敷』=『タカミムスヒ(産霊)によって建てられた屋敷(出雲大社)』、『9人の柱』=『出雲大社を支える9本の柱』、『最初の鬼・鬼舞辻無惨』=『古典における最初の鬼・阿用郷の鬼』とピタリと一致する」と書かれています。

 

「なぜ能力者に痣が発現するのか」の「痣は鬼化の前現象を表している」では、「実際にある身体能力を向上させる呼吸法」として、「『鬼滅の刃』で鬼殺隊が使う技の名前「○○の呼吸」と呼ばれる。これは「全集中の呼吸」によって、血液中に大量に酸素を取り込むことで心拍と体温を上げ、身体能力を飛躍的に向上させる技術である。全集中の呼吸ほどではないが、呼吸によって一時的に身体能力を向上させることは可能である。有名なのが空手の逆複式呼吸法『息吹』だ。通常、息を吸うと腹が膨らみ、吐くと引っ込むが、息吹では逆に息を吸い込む際に腹を引っ込め、吐く時に膨らませる。『息吹』では完全に息を吐ききる。激しい運動を行った後は呼吸が乱れるが、この『息吹』で空気をすべて吐き切った後に息を吸うことで供給できる酸素量が増加し、すぐに呼吸が整う。この『息吹』を意識すると、筋肉の強化や疲労の軽減などの効果があるとされる。酸素は脂肪や糖質を燃焼させてエネルギーに変える役割がある。運動に身体能力と呼吸は密接に関係している。小さな体でも鬼に対抗できる力を持たせるために、『呼吸』を取り入れたことは理にかなっている設定といえるだろう」と書かれています。



「なぜ『ヒノカミ神楽』は12の舞なのか」の「『ヒノカミ神楽』は最古の舞が原型になっている」では、「高千穂に伝わる『ヒノカミ神楽』のモデル」として、「竈門炭治郎が鬼舞辻無惨を最後に苦しめた技が『ヒノカミ神楽』だ。全部で12種類の型があり、この種類の型を休むことなく繰り返すことで13種類目の型になるとされる。炭治郎は夜明けまで『ヒノカミ神楽』を繰り返し行い、無惨を追い詰めることになる。『ヒノカミ神楽』は、かつて無惨を追い詰めた継国縁壱が用いた『日の呼吸』がベースになっている。縁壱は炭治郎の先祖である竈門炭吉に『日の呼吸』の型を披露し、以降竈門一族はこの『日の呼吸』を『ヒノカミ神楽』として継承してきた」とあります。



「ヒノカミ神楽」は武術としてではなく、新年のはじまりに山頂で行い、一晩にわたって繰り返し舞を奉納することで、1年間の無病息災を祈る行事として伝承されました。神楽の起源は神々の時代にまで遡るとして、「『古事記』や『日本書紀』には、太陽神・アマテラスが岩戸に隠れたため世界が闇に覆われ、さまざまな禍が起きた。神々は話し合い、アマテラスが岩戸を開くように、岩戸の前で祭事を行った。この時にアメノウズメが踊った舞が神楽の起源とされる。その結果、岩戸は開かれ世界に再び光がよみがえった。その後、アメノウズメは地上世界へと降り立ち、宮崎県の高千穂の地に住居を構えたと伝わる」とあります。



あとがき「鬼は滅んだのか」では、「鬼とは、害悪をもたらす『異質なもの』」として、「本書で紹介してきた鬼は、山から降りてくる者であり、朝廷や幕府への反体制者であり、『恨み』や『妬み』を強く持つ不幸な者などである。共通するのは、自分たちの社会秩序、生活空間から外れたところからやってくる、害悪をもたらす『異質なもの』である点だ。このことは古典の中だけに限らない。近代の太平洋戦争においても、『鬼畜米英』の標語のもと、外からの敵を『鬼』としてイメージしたのである。グローバリゼーションや価値観の多様化、SNSに代表されるコミュニケーションの変化によって、現代人はひと昔前に比べて、明らかに『異質なもの』に接する機会が増えたといえる。このことから人々に本能的な防御反応として、自分を『正義』とする自己肥大と他者への攻撃が起きる」と書かれています。



さらに、「現代社会は新たな鬼を生み続けている」として、「第4章において、『鬼滅の刃』のヒットの要因として、改元新型コロナウイルスをあげたが、新型コロナウイルス陽性者や帰省者への誹謗中傷などのいわゆる『自粛警察』などは、まさにこの異質なものへの防御反応が顕著に現れた例だといえるだろう。『自粛警察』側からすれば、新型コロナウイルス陽性者や帰省者などは、自分たちに害悪をもたらす『異質なもの』、すなわち鬼だろう。一方で、自分たちの存在以外を認めずに攻撃をする『自粛警察』は、そのほかの多くの人々にとってやはり『異質な存在』になってしまっている。そして、そのことに本人は気づいていない」と書かれています。



そして、「自粛警察」は、辛い過去やコンプレックスなどから自己を肯定して他者を否定する『鬼滅の刃』における「鬼」そのものといえるだろうとして、「現代社会では『自粛警察』の例に見られるように誰もが鬼になり得る。そしてそのような鬼はいつどこで現れるかわからない。その恐怖感は現代人の心の奥底にも常にあることが、『鬼滅の刃』の大ヒットに表れている。このことから、新たな鬼の物語はこれからもつくられていくだろう。現代においても鬼はまだ滅びていないのだ」と述べるのでした。『鬼滅の刃』の関連本は多いですが、そのほとんどがキャラクターの解説や名言集の類です。そんな中で、本書は日本史における「鬼」と「埒外者」の本質をよく描いており、勉強になりました。また、新型コロナウイルスと「鬼」の関係についても多大なインスピレーションを与えられ、拙著『「鬼滅の刃」に学ぶ』の参考になったことを告白しておきます。

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近刊『「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林)

 

最後に、わたしは新年早々に『「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林)を上梓します。経済効果という視点からでは見えてこない、社会現象にまでなった大ヒットの本質を明らかにしました。今回のブームには、漫画の神様の存在や、現代日本人が意識していない、神道儒教や仏教の影響を見ることができます。わたしは、今回の現象は単なる経済的な効果を論じるだけではない、大きな転換点を感じています。新型コロナウイルスの感染におびえる現代人にとって「こころのワクチン」とでもいうべき存在が『鬼滅の刃』であると断言できます。多くの『鬼滅の刃』関連本では語られてこなかった(作者自身も気が付いていないかもしれない)大ヒットの秘密を開陳したいと思います。

鬼滅の日本史

鬼滅の日本史

  • 発売日: 2020/10/10
  • メディア: 単行本
 

 

2020年12月24日 一条真也