「中外日報」に『仏と冠婚葬祭』の広告掲載

一条真也です。24日、サンレー社長室に中外日報の最新号が送られてきました。同紙は京都に本社を置く日本最大の宗教新聞です。同紙の1面に仏と冠婚葬祭(現代書林)の書籍広告が掲載されています。中外日報」2025年10月24日号

 

ブログ「玄侑宗久先生との対談」で紹介したように、わたしは昨年5月22日に、芥川賞作家で臨済宗福聚寺住職の玄侑宗久先生と対談いたしましたが、その内容が同書に掲載されています。広告には『仏と冠婚葬祭』の書影とともに「仏教と日本人」「対談 玄侑宗久×一条真也著」「2刷出来」として、「僧侶として、儀式の第一人者として、二人の作家がたどりつた『死』と『葬』、そして仏教の今を考察する。仏教関係者、必読の書!」と書かれています。

中外日報」2025年10月24日号

 

また、「既刊本」として、古事記と冠婚葬祭鎌田東二一条真也論語と冠婚葬祭加地伸行一条真也も紹介されています。三部作の揃い踏みであります! ブログ「日本人の心の三本柱」にも書いたように、わたしは日本人の「こころ」は神道儒教・仏教の3つの宗教によって支えられていると思っています。

「宗教と日本人」三部作が揃う!

 

「礼」は儒教の、「慈」は仏教の、そして「和」は神道の核心をなすコンセプトです。「和」といえば、「和をもって貴しと為す」という聖徳太子の言葉が思い浮かびます。内外の学問に通じていた太子は、仏教興隆に尽力し、多くの寺院を建立します。平安時代以降は仏教保護者としての太子自身が信仰の対象となり、親鸞が「和国の教主」と呼んだことはよく知られます。しかし、太子は単なる仏教保護者ではありませんでした。神道儒教・仏教の三大宗教を平和的に編集し、「和」の国家構想を描きました。

 

聖徳太子は、宗教における偉大な編集者でした。儒教によって社会制度の調停をはかり、仏教によって人心の内的不安を解消する。すなわち心の部分を仏教が担う、社会の部分を儒教が担う、そして自然と人間の循環調停を神道が担う・・・3つの宗教がそれぞれ平和分担するという「和」の宗教国家構想を説いたのです。室町時代神道家の吉田兼倶が、仏教は万法の花実、儒教は万法の枝葉、神道は万法の根本とする「根本枝葉果実説」を唱えましたが、このルーツも聖徳太子にありました。この聖徳太子の宗教における編集作業は日本人の精神的伝統となり、鎌倉時代に起こった武士道、江戸時代の商人思想である石門心学、そして今日にいたるまで日本人の生活習慣に根づいている冠婚葬祭など、さまざまな形で開花していきました。

 

冠婚葬祭の中にも神道儒教・仏教が混ざり合っていると言えます。神前結婚式は決して伝統的なものではなく、それどころか、キリスト教式、仏式、人前式などの結婚式のスタイルの中で一番新しいのが神前式なのです。もちろん古くから、日本人は神道の結婚式を行ってきました。でもそれは、家を守る神の前で、新郎と新婦がともに生きることを誓い、その後で神々を家に迎えて、家族、親戚や近隣の住民と一緒にごちそうを食べて二人を祝福するものでした。つまり、昔の結婚式には宗教者が介在しなかったのです。神道キリスト教も関係ない純粋な民間行事であったわけです。しかし、日本における冠婚葬祭の規範であった小笠原流礼法は朱子学すなわち儒学を基本としていました。昔の自宅結婚式の流れは小笠原流が支配していました。その意味では、日本伝統の結婚式のベースは「礼」の宗教である儒教でした。

 

結婚式における神前式と同様、多くの日本人は昔から仏式葬儀が行われてきたと思っています。葬儀や法要に仏教が関与するようになったのは仏教伝来後の早い段階から見ることができます。しかし、仏式葬儀の中には儒式葬儀の儀礼が取り込まれています。仏壇も、仏教と儒教のミックスです。もし住居に仏壇がある場合、仏教徒なら朝の御挨拶はもちろん御本尊に対して行い、その後で本尊の下段に並んでいる親族の位牌に対して御挨拶をするはず。これは、仏教と儒教とのミックスということ。本尊に対して礼拝するのは仏教であり、本尊の下段の位牌に対して礼拝するのは儒教です。仏教と儒教とがミックスされたものが日本の仏壇なのです。詳しくは、「日本人と宗教」三部作をぜひお読み下さい!

 

 

2025年10月24日  一条真也