一条真也です。
10月になりました。1日の午前8時45分から、わが社が誇る儀式の殿堂である小倉紫雲閣の大ホールで、サンレー本社の10月度総合朝礼を行いました。今日からはネクタイ着用です。やはり、気合が入りますね!
10月度総合朝礼前のようす
最初は、もちろん一同礼!
社歌斉唱のようす
わたしが登壇しました
続いて、わたしが社長講話をしました。最初に「おはようございます。10月になりましたが、先月の主な出来事からお話します。8月は『死者を想う月』でしたが、9月も死者と関わりの深い月でした」と言いました。それから、以下のような話をしました。6日の夜、北九州市八幡西区折尾のサンレーグランドホールで、秋のイベントが盛大に開催されました。一昨年までは「隣人祭り・秋の観月会」という名称でしたが、昨年からは「リメンバー・フェス」としてアップグレード。ただし、昨年は父である佐久間名誉会長が緊急搬送されたため、参加は叶いませんでした。その3日後に父は旅立ちました。
「リメンバー・フェス」について
リメンバー・フェスは「秋祭り」と言いたいところですが、まだまだ気温が高くて「夏祭り」といった印象です。夏祭りといえば、「盆踊り」の存在を忘れることはできません。日本の夏の風物詩ですが、もともとはお盆の行事の1つとして、ご先祖さまをお迎えするためにはじまったものです。今ではご先祖さまを意識できる格好の行事となっています。盆踊りというものは、生者が踊っている中で、目には見えないけれども死者も一緒に踊っているという考え方もあるようです。照明のない昔は、盆踊りはいつも満月の夜に開かれたといいます。その意味で、このリメンバー・フェスでの盆踊りは正統なのです。
「月への送魂」について
熱心にメモを取る人びと
この日、わたしは浴衣を着て盆踊りの櫓の上にあがって、主催者挨拶をしました。すると、MCから「社長、この後は“月への送魂”も行っていただけると伺いましたが?」の言葉がありました。そう、盆踊りの後に行われるのが、このフェスの“クライマックス”とも言えるセレモニー、「月への送魂」です。夜空に浮かぶ月を目指して、故人の魂をレーザー(霊座)光線に乗せて送る新時代の「月と死のセレモニー」です。故人への想いを“光の矢”に乗せて月へと届ける儀式であり、宗教や形式にとらわれず、誰でも気持ちを届けられる「新しい供養のかたち」です。今年は、佐久間進名誉会長と今年5月30日に帰幽した鎌田東二先生の御霊を「月への送魂」で月に送りました。挨拶では、「会場にいらっしゃるみなさまへ、お願いです。どうか今、この場で、あなたにとって大切だった人を、心の中でそっと思い浮かべて下さい。皆さんの想いは光となって、夜空に放たれます。きっと、月の向こうにいる“あの人”に届くと信じています」と述べました。
「かまたまつり」について
13日、京都府亀岡の大本本部にある「みろく会館」で、わたしが葬儀委員長を務める鎌田東二百日祭「かまたまつり」が開催されました。わたしが敬愛してやまない出口王仁三郎聖師の教えを守る総本山において、わが「魂の義兄弟」の百日祭が開かれ、まことに感無量でした。「かまたまつり」は、鎌田先生ご自身が生前に「自分の死後は“かまたまつり”と呼ぶまつりをやってほしい」と語られていた構想を、遺言としてわたしたちに託されたものであります。わたしは鎌田先生より、葬儀委員長の大役を仰せつかりました。わたしは最初に奉辞を読み、「鎌田先生、お見事な人生でございました!」と述べました。最後は、鎌田先生が好きだった「まつり」を熱唱し、「これが鎌田のまつりだよ~♪」と叫びました。魂が震えました。一人で「礼楽」を実行した気分でした。
一周忌法要と墓石開眼供養について
熱心に聴く人びと
20日、父の一周忌法要が菩提寺である黄檗宗の広寿山福聚寺で行われました。今日は六輝が大安で、さらに大明日と母倉日が重なった大大大吉日だそうです。さすが、佐久間進は”ミスター冠婚葬祭”です。心配していた雨も上がりました。さすがは‟太陽を追う男”です。一周忌法要は、佐久間家の菩提寺である広寿山福聚寺の本堂で十時から執り行われました。パイプ椅子に座ったわたしたち家族は、昨年九月二十日に亡くなった父の冥福を祈りました。三十分ほどの読経と焼香後、集合写真を撮影しました。一周忌法要の後は、新しく建之した墓を開く儀式を行いました。「墓石開眼供養」です。墓石開眼供養の後は、父の遺骨を納める「納骨式」を行いました。
「親の葬儀は人の道」である!
葬儀は人類の存在基盤です。古今東西、人が亡くなって葬儀をあげなくてもいいと考えた民族も宗教も国家も存在しません。もし、日本に「葬式は、要らない」とか「葬式消滅」とかの考えが存在するのなら、それは人類史から見て現在の日本人が異常なのです。「親の葬儀は人の道」というのはわたしの信条ですが、孔子が開いた儒教では、親の葬儀をあげることを「人の道」と位置づけました。その後、孟子は、人の道を歩むうえで一番大切なことは、親の葬儀をあげることだと述べています。史上最高の哲学者と呼ばれるドイツのヘーゲルも、孟子と同様の主張を述べ、「親の埋葬倫理」ということを説いています。
わたしは、いま、幸せです!
最後に道歌を披露しました
わたしは「人の道」を踏み外すことはありませんでした。もちろん父を亡くした喪失感はありますが、一方で最大の務めを果たしたという満足感もあります。葬儀にはじまる一連の死者儀礼を無事に終えて、わたしは大きな安心感に包まれました。それは幸福感といってもよいでしょう。そう、死者へのコンパッションは生者のウェルビーイングとなるのです。9月の各セレモニーでは、サンレーグループのみなさんにも協力いただき感謝に堪えませんが、わが社の儀式力は一段とアップグレードしたように思います。最後に、以下の道歌を披露して降壇しました。
亡き人を忘れず 偲ぶ生き方は
心安らか 幸せな日々(庸軒)
「今月の目標」を唱和
最後は、もちろん一同礼!
その後は「今月の目標」を全員で唱和し、最後はもちろん「一同礼」で総合朝礼を終えました。この後は、恒例の北九州本部会議を行います。コロナ禍以降も、わが社は黒字の確保はもちろん、ベストを尽くして走ってきました。おかげさまで昨年は創業以来最高益を出すことができています。今月も全社員の「こころ」を1つにして、このまま最後まで前向きに走り抜きたいです!
2025年10月1日 一条真也拝