
歩道橋の上で前田日明氏とファイティング・ポーズ
一条真也です。
6月5日、ついに「永遠の格闘王」こと前田日明氏にお会いし、対談をする機会に恵まれました。ブログ「前田日明氏と対談します」で紹介した念願のイベントです。場所は、東京都中央区京橋にある鎌倉新書の本社です。同社が発行する雑誌「月刊終活」の特別対談ということで、この夢のような企画が実現しました。長年の前田ファンであるわたしにとって、こんなに嬉しいことはありません!

最初に屋外で写真撮影しました

カメラマンの要望に応えました
初めてお会いした前田氏は、やはりデカかったです! 身長192センチの巨体ながら、とても腰の低い方で驚きました。その表情は非常に温和で、高潔な人格がしのばれました。対談の冒頭、司会者から「本日はお集まりいただき誠にありがとうございます。本日の特別対談は、日本の格闘技界に一時代を築き、その哲学的な言動でも多くのファンを魅了してきた前田日明さん。そして、冠婚葬祭業の第一人者として、長年『終活』や『死生観』、そして儀式の重要性について深く考察し、数多くの著書を世に送り出されている一条真也さんにお越しいただきました。本日は『日本人の死生観と終活、そして儀式』と題し、お二人の貴重な視点から、日本ならではの『死』との向き合い方、そして儀式が持つ意味について語り合っていただきます。それでは、前田さん、一条さん、よろしくお願いいたします!」との言葉がありました。

屋内に移動して対談スタート!

最初はムチャクチャ緊張しました
最初に、「熱心なプロレスファンである一条さんから見ての、“プロレスラー・格闘家”前田日明への思い」と質問されました。「初めて知ったのは」「試合を生でご覧になったことはあるか」「思い出に残っている試合、名シーン」などの課題があり、まずは「初めて知ったのは」から。まず、わたしは熱狂的なアントニオ猪木ファンでした。ブログ「アントニオ猪木の墓参をしました」で紹介したように、3日に猪木さんのお墓参りができて感無量でした。それで初期の新日本プロレスの試合はずっとテレビ観戦し、ときどき試合会場にも足を運んでいました。もちろん期待の新人だった前田選手のことはよく知っていました。じつは、1983年5月6日、第1回IWGPの初日が福岡スポーツセンターで開催され、わたしも行きました。セミファイナルではハルク・ホーガンがキラー・カーンを破り、メインイベントではアントニオ猪木がアンドレ・ザ・ジャイアントに反則負け(オーバーフェンス)をした大会でしたが、そのときトイレでタイツ姿の前田さんと隣り合わせになったことがあります。(笑)これが、前田さんとの初めての出会いでした。旧UWF時代には早稲田大学の学園祭に藤原喜明さん、佐山聡さん、高田伸彦(当時)さん、山崎一夫さんと一緒に来られて、わたしは最前列のど真ん中に座っていました。質問もしたことを記憶しています。

初めての出会いは1983年の福岡スポーツセンター
次に「試合を生でご覧になったことはあるか」は、もちろんあります。旧UWFが新日本プロレスにUターンした頃もよく行きました。蔵前国技館で長州力が「俺たちの時代だ!」と叫んで世代抗争が開始されたとき、前田さんが「ゴチャゴチャ言わんと、誰が一番強いか決めればいいんや!」と言い放ったことを憶えています。新生UWFの試合はあまり生では観ていないのですが、リングスを旗揚げされてからは東京ベイNKホールなどで観戦しました。「思い出に残っている試合、名シーン」ですが、やはり生で観戦したドン・中矢・ニールセン戦が印象に残っていますね。あと、TV観戦ではありますが、両者ノックアウトになった藤波辰爾戦と、アレクサンダー・カレリンとの引退試合です。日本で異種格闘技戦は数えきれないほど行われましたが、本当に後世に語り継ぐことのできる偉業は、猪木vsアリ戦と前田vsカレリン戦だと思います。しかも、前田さんはあの「霊長類最強」のカレリンに柔道なら一本勝ちしている。本当に凄いことです!

わが前田日明愛を語りました
思い出に残っている前田さんの名シーンも多いですが、わたしはリング上で挨拶をされる前田さんの言葉が好きでした。特に、新生UWFを旗揚げされたときの「選ばれし者の恍惚と不安、二つ我にあり」という言葉が印象に残っています。もともとはフランスの詩人ヴェルレーヌの詩に登場する言葉で、太宰治が「葉」という小説で使ったわけですが、まさかプロレスの団体旗揚げ挨拶で聴けるとは思っていませんでした。前田さんが大変な読書家であり、思想家でもることを思い知った瞬間でした。ブログ「グリーフケア発会式」で紹介した2020年11月4日のグリーフケア資格認定制度の発会式で、わたしはこの言葉を使わせていただきました」と述べました。

だんだん熱が入ってきました!
また、「山本宜久選手との引退試合で、猪木さんをはじめ錚々たる顔ぶれの前で感謝の言葉を述べられたとき、「この御恩、前田日明、一生忘れません」と言われたのも素晴らしかった。あの言葉は、ブログ「長女の結婚披露宴1」で紹介した2022年6月5日に開かれた娘の結婚披露宴での謝辞などでも使わせていただきました。(笑)あと、わたしの座右の書は『論語』なのですが、若い頃は前田さんの『闘う為の論語』というカセットブックをよく聴いていましたね。最後に、前田さんの人間性の高さを深く尊敬しています。新生UWFが解散して袂を分かった後、高田延彦さんのお父さんの墓参りと墓掃除をされたと冨宅飛駆さんの談話で知って、その人間性に感服しました。今日は、本当に嬉しいです!」と一気にまくしたてました。

前田さんへの想いを語りました
わたしがあまりに熱く前田愛を語るので、前田氏も非常に驚かれていました。司会者が「戦後の混乱期に端を発する日本のプロレスリングも長い歴史を積み重ね、高度経済成長期以降のプロレス人気を支えたジャイアント馬場さん、アントニオ猪木さん、小林邦昭さんなど鬼籍に入るプロレスラーも増えてきた。こうした亡くなられたレスラーたちについての個別具体的なエピソード、および思いなどあればお願いします」というリクエストがあり、前田さんが答えられました。重みのあるお言葉でした。

死生観について語る前田さん
また、「プロレスラー、格闘家は身体を酷使する職業であり、自身の“本当の終活”の前に“プロレスラーとしての終活”をまず考えなければならない職業。プロレスラーの“引き際”、そこに向けて準備、終活といったものをどのように考えるか、お聞かせ下さい」というリクエストにも、前田さんは真摯に答えられました。さらに司会者から「そこには顕現する名レスラーたち各々の「死生観」をどのように見るか。その背景にある日本文化における死生観、武士道といったものについて」という質問もありました。

格闘王の死生観に聴き入る
わたしにも、「死生観」や「終活」についての質問がありました。まず、死生観について。わたしは、「かつて日本人は、もっと「死」が身近なものでした。地域社会の中で看取りが行われ、葬儀も近所の人が手伝うのが当たり前。そうした中で、死者への畏敬の念や、先祖を敬う気持ちが自然と育まれていました。柳田國男の『先祖の話』を読むと、よくわかります。しかし、現代は核家族化や都市化が進み、『死』が見えにくくなっています。病院で亡くなり、葬儀も専門業者に任せきり。結果として、『死』を直視する機会が減り、そこから目を背けがちになっている傾向があると感じます。かつての『死を受容する文化』が薄れつつあるのではないでしょうか」と言いました。

鎌田東二先生と前田さんのご縁に驚きました
なお、「先月30日に、宗教哲学者の鎌田東二先生がお亡くなりになられたのですが、その遺作のタイトルが『日本人の死生観』でした。鎌田先生ご自身も、ステージ4のがん患者でありながら、積極的に活動され、その間際まで災害社会支援士の育成に取り組まれていました。素晴らしい死生観をお持ちでした」と述べました。すると前田さんが「えっ! 東二さん、亡くなられたんですか!」と驚かれたので、こちらも驚きました。聞くと、バブルの頃に鎌田先生と前田さんは対談し、貴船神社などを一緒に参拝されたそうです。不思議なご縁に感じ入るとともに、このたびの前田さんとの出会いは鎌田先生の導きだったように思えてきました。やはり、この世は有縁社会ですね!

「修活」についても語りました
次に、「終活」について。わたしは「終活」という言葉に違和感を抱いています。特に「終」の字が気に入らないですね。もともと「終活」という言葉は就職活動を意味する「就活」をもじったもので、「終末活動」の略語だとされています。ならば、わたしも「終末」という言葉には違和感を覚えてしまいます。死は終わりなどではなく、「命には続きがある」と信じているからです。そこで、わたしは「終末」の代わりに「修生」、「終活」の代わりに「修活」という言葉を提案しました。「修生」とは文字通り、「人生を修める」という意味です。よく考えれば、「就活」も「婚活」も広い意味での「修活」ではないでしょうか。学生時代の自分を修めることが就活であり、独身時代の自分を修めることが婚活です。そして、人生の集大成としての「修生活動」があります。

インタビューに答える前田日明さん
前田さんは日本人の未来に対してさまざまな警鐘を鳴らされており、いつも共感しています。かつての日本は、美しい国でした。しかし、いまの日本人は「礼節」という美徳を置き去りし、人間の尊厳や栄辱の何たるかも忘れているように思えてなりません。それは、戦後の日本人が「修業」「修養」「修身」「修学」という言葉で象徴される「修める」という覚悟を忘れてしまったからではないでしょうか。老いない人間、死なない人間はいません。死とは、人生を卒業することであり、葬儀とは「人生の卒業式」にほかなりません。老い支度、死に支度をして自らの人生を修める。この覚悟が人生をアートのように美しくするのではないでしょうか。冠婚葬祭互助会の会員様の多くは高齢者の方々です。ならば、互助会とは巨大な「修活クラブ」であると言えるかもしれません。多くの会員様が穏やかな「死ぬ覚悟」を持ち、人生を修められるお手伝いをしたいものです。

格闘王の言葉には重みがありました
それから、「一般にスポーツ選手の場合、『最高の状態で引退』と『最後まで現役』との2パターンがあると思いますが、それをどう考えますか?」という質問があり、前田さんが答えられていました。前者の代表が前田さんで、後者の代表が藤波さんかもしれませんね。いずれも、偉大なアントニオ猪木の弟子です。「レスラー、スポーツ選手の方のご葬儀で思い出に残っているものはありますか?」という質問には、やはり猪木さんの葬儀を挙げました。出棺の際には、新日本の黄金時代を彩ったリングアナの田中ケロ氏が「永遠なれ闘魂! アントニオ猪木ー!!」とコール。猪木さんの入場テーマ曲「炎のファイター」が流れる中、赤い闘魂タオルを首に巻いた坂口、藤波、棚橋、オカダ、中邑、蝶野、武藤、藤田、小川、船木、柴田勝頼らの現役&OBレスラーたちが棺を運んだそうです。
アントニオ猪木さんの葬儀について
参列者から「イノキコール」が湧き起こり、不世出の燃える闘魂は荼毘に付されました。わたしは、「炎のファイター」が流れる中で棺が運ばれ、「イノキコール」の中を出棺したというのが本当に良かったと思いました。猪木さんの葬儀の写真を見ると、棺を運ぶ参列者はみんな「闘魂」と書かれた赤いタオルを首にかけています。もちろん、故人が現役時代に赤の闘魂タオルを愛用していたからでしょうが、よく葬儀で見かける「輪袈裟」のようでした。これは故人にとって素晴らしい供養になると思いました。また、昨日の通夜式のときにも思ったのですが、祭壇も素晴らしいです。花の生け方もそうですが、赤の闘魂タオルをイメージした祭壇は記憶にある猪木さんそのものだと感じました。猪木さんの戒名は「闘覚院機魂寛道居士」でしたが、「闘」と「魂」が入っているのが凄いです。

父の葬儀について語りました
「近親者、お身内の方のご葬儀で強く印象に残っておられるものについてお聞かせ下さい。一条さん、佐久間さまの場合、昨秋に偉大なお父上を亡くされたばかりですが・・・・・・」との司会者の言葉があり、わたしは「父の葬儀の閉式後は『お別れの儀』が行われました。父の柩を囲み、最後のお別れをしました。棺は白い花で埋め尽くされ、父が生前に愛用した帽子やシャツやスーツなどが収められました。その後、生前はお酒が好きだった父のためにお気に入りの日本酒が用意され、それをグラスに移して百合の蕾に浸して父の唇につけてあげました。そして、この日が誕生日だった父のためにバースデーケーキが用意され、わたしたちは「ハッピー・バースデー」を歌って、ケーキを棺に入れてあげました。このサプライズには、今日で行年90歳を迎えた父も驚いたことでしょう。

命には続きがある!
「冠婚葬祭を事業とする者として、昨今の流れをどう見ているか」という質問もありました。わたしは、以下のように答えました。現代社会は効率化を求め、とかく儀式を無駄だと考えがちです。しかし、人間は「意味を求める存在」です。葬儀という儀式は、単なる形式ではありません。それは、故人様との「お別れ」の機会であり、悲しみを共有し、癒すための「グリーフケア」の場でもあります。また、故人様の「生きた証」を再確認し、残された人々が「生きる意味」を見出すための重要なプロセスなのです。簡素化が進む中でも、人が人であるために、心の区切りをつけるための儀式は、形を変えつつも必要不可欠だと考えています。そして、わたしはは「命には続きがある」と考えています。葬儀という儀式を行うことで故人を思い、またその後の法要などで故人を思い出す。このことは「命」の継続させることだと思っています。

プロレスも葬儀も「神話」の再現である!
それから、「プロレスと葬儀には、ともにある種の儀式性、セレモニー性、形式性、様式美といったものが伴いますね。そこに人々は熱狂し、そして癒やされるように思います。そうした類似性、共通点はないですか?」という質問もありました。わたしは、フランスの哲学者ロラン・バルトが『神話作用』という著書の中の『レッスルする世界』というエッセイでプロレスを論じたことを取り上げました。バルトは「リングの上で、レスラーは『神がみ』となる」として、「プロレスは人間の苦悩を悲劇のマスクの誇張をもって提示する」と分析しています。まさに猪木さんやアンドレやホーガンなどはギリシャ神話の神々のようでしたね。一方、葬儀とは「世界創造神話の再現」という考え方があります。葬儀とは、世界創造神話を再現したものだといわれます。1人の人間が死ぬことによって、世界の一部が欠ける。 その不完全になった世界を完全な世界に修復する役割が葬儀にはあるのです。プロレスと葬儀を繋ぐキーワードは「神話」ではないでしょうか。
アントニオ猪木の「終活」について
続いて、司会者から「まだまだお若いお二人ですが、ご自身の最期をどのように考えていますか?」との質問があり、わたしは「自分の使命や志さえ果たすことができれば、野垂れ死にでも構いません」と言いました。そこで、「アントニオ猪木氏は最晩年、自身が弱った姿をYouTubeにアップしておられましたが、どう思われましたか?」という質問がありました。わたしを含めた多くのファンは、「さすがアントニオ猪木だ。弱い自分、衰えた自分をありのままに見せることができる。本当に強い人間にしかできないふるまいだ」と見ていました。しかし、猪木さんの実弟である猪木啓介さんはブログ『兄 私だけが知るアントニオ猪木』で紹介した著書で、「大変ありがたい評価であり、それもまた真実とは思ったが、正直に言えば私はそれらの声とは少々異なる思いを抱いていた」と書いておられます。「体の自由が利かなくなっても最後までメディアの取材を受け続け、連日のように病床から親しい関係者に電話をかけ続けた姿に、私はトリックスターであり続けた兄貴の強さと弱さを同時に感じ取っていた」と述べるのでした。これには虚を突かれた思いでした。

わたしは「月への送魂」で旅立ちたい!
最後に、「ご自身にとって理想の葬儀、理想のお墓、供養のかたちといったものは?」との質問がありました。わたしは、「先程ご紹介した鎌田東二先生は神主ということもありますが、通夜・告別式は一切行わずに火葬に付されました。その代わりに、死後100日後に『かまたまつり』というイベントというか、フェスティバルを開きます。会場は亀岡にある大本教本部の『みろく殿』で、故人を偲んで歌って踊って、面白おかしくやるお祭りです。この葬儀委員長をわたしが拝命しているのですが、こういった明るい『リメンバー・フェス』もいいなと思います。また、お墓に関しては、わたしと鎌田先生は一貫して『月にお墓を創ればいい』と訴えてきました。月は世界中の古代人が『死後の世界』としてイメージした場所であり、満ち欠けを繰り返す月は輪廻転生のシンボルです。わたしの葬儀はぜひ、『月への送魂』でやりたいです」と述べました。

本当に楽しい対談でした!
その後、アントニオ猪木さんの3回忌法要について前田さんが語られた後、最後に「業界のリーダーとして、今後の葬儀、供養儀式のあり方はどのようになっていくとお考えか?」との質問を受けました。わたしは、「これから、供養の形はさらに多様化していくでしょう。樹木葬や散骨、手元供養など、個人の価値観に合わせた選択が増えるのは自然な流れです。しかし、どのような形であれ、『故人を偲び、感謝する心』が失われることはありません。デジタル技術の進化によって、バーチャルな追悼空間やオンラインでの法要なども増えるかもしれませんが、大切なのはその『心』です。わたしは、儀式の本質は「こころの継承」にあると考えています。形は変わっても、人と人との絆、そして感謝の心を受け継いでいくことが、未来の供養のあり方として最も重要だと信じています」と述べ、対談は無事に終了しました。
これからも、よろしくお願いします!

最後は、お互いに一礼しました
まだまだ前田さんとは話し足りません。宗教やオカルトの話もしたいです。そこで、改めて今度は対談本の企画を提出したいと思いました。対談後は、丸の内にあるパレスホテル東京の中華料理店に移動して、会食を共にしました。そこでも、いろんな話が飛び出しましたが、ここでは書きません。また、このブログ記事もわたしの発言のポイントのみは紹介していますが、基本的に前田さんの発言については一切書いていません。詳しくは「月刊終活」の8月号をお買い求めの上、お読み下さい。

打ち上げでカンパイ!

謙吾マネージャー(元パンクラス)ともカンパイ!

パレスホテルの中華料理は美味しかった!

プロレス&オカルトの秘話をたっぷり聴きました!
それにしても、前田さんとの対談は有意義かつ楽しい時間でした。鎌田先生が旅立たれて元気がなかったわたしですが、前田さんとお会いして、一気に元気になりました。前田さんとのご縁を作って下さった鎌倉新書の小林史生COOに深く感謝いたします。そして、前田日明さん、これをご縁にこれからもよろしくお願いいたします!

永遠の格闘王・前田日明氏のサイン
2025年6月6日 一条真也拝