父が死亡叙位を授与されました 

一条真也です。
東京に来ています。27日の朝、わたしは水天宮のホテルから霞ヶ関に向かい、国土交通省観光庁を訪れました。9月20日に満88歳で亡くなった父・ 佐久間進の死亡叙位を授与されるためです。(社)日本観光旅館連盟の元会長としての功績が認められたものです。誠に名誉なことであります。サンレーの石田恭一取締役も同行しました。


観光庁を訪れました



叙位とは、国家や公共に対しての功績のあった人に「位」を授与する栄典制度として運用されています。内閣の助言と承認により天皇の国事行為として行われ、叙勲や褒章とともに日本の最も古い制度の1つです。叙位は、聖徳太子が創設した冠位十二階の制に由来し、約1400年の歴史を有しています。現在の叙位の制度は、大正15年(1926年)の位階令に基づいており、正一位から従八位までの16階が定められています。生前の父は皇産霊神社聖徳太子像を建立するほど、聖徳太子をこよなく尊敬していましたので、さぞ喜んでいることと思います。


観光庁の秡川長官が登場!


死亡叙位の内容が読み上げられました


観光庁長官より死亡叙位を拝受


誠にありがとうございました

 

叙位は、国家や公共に対して功績のあった人が亡くなった際に、その生前の栄誉を表彰し、追悼の意を表すものです。位階に叙せられる叙位の旨を記して授与される証書を「位記」と呼び、天皇の署名と天皇御璽、内閣総理大臣の自署などが押印されます。


亡き父も喜んでいると思います


記念撮影のようす

今回、父は観光の分野において功労があったとして叙位が行われ正六位の位階が授与されます。伝達者は観光庁の秡川直也長官でした。わたしは、故人の長男として万感の想いをこめて、石破茂内閣総理大臣の署名が入った書状を秡川長官より授与していただきました。冠婚葬祭とともに観光の振興に生涯情熱を燃やした父もきっと喜んでいることと思います。関係各位に心より感謝を申し上げます。


セレモニーの後は歓談タイムでした♪

 

その後、秡川直也長官と歓談させていただきました。長官はとても気さくな方で、細やかな気遣いを感じました。わたしは、「おもてなし=ジャパニーズ・ホスピタリティを求め続けてきましたが、ここにあったのですね!」と申し上げました。また、長官室には東京物語彼岸花といった小津安二郎監督のオリジナル・ポスターが飾っていありました。わたしがそのことに言及すると、長官は「映画にお詳しいのですね?」と言われました。そこで、しばらく映画談義となりました。わたしがチョイ役ながら、いくつかの映画に出演していることが知れると、職員の方々が「そういえば、俳優さんみたいですね」と言われ、赤面しました。でも、父の遺影を見た長官が「お父様はハンサムですね!」と言われたのは嬉しかったです。


小津作品のポスターを背に観光庁の秡川直也長官と


お父さん、良かったね!😂

 

小津のポスターは学生時代に神保町の古書店で求められた長官の私物だそうです。わたしが一般財団法人 冠婚葬祭文化振興財団の理事長の名刺をお出しすると、長官はとても興味を持たれた様子でした。小津安二郎の映画には必ず結婚式か葬儀のシーンが登場します。小津は、家族というものを描くにあたって、冠婚葬祭が最高のフィルターになると思っていたのでしょう。小津映画に登場する冠婚葬祭については、12月19日に発売予定の冠婚葬祭文化論産経新聞出版)に詳しく書きましたので、刊行後に長官に献本させていただきます。長官は、知性と気品に溢れる素晴らしい方でした。なんでも、わたしより1歳年下の60歳で、開成高校から東京大学法学部を卒業されたそうです。わたしは、1回お会いしただけで秡川長官のファンになりました。それにしても、浄明正直を重んた父の叙位を授与されるのに、「秡」という、これ以上ないお名前の方にしていただけたことは、まことに光栄でありました。


帰りは日比谷公園を通過して新橋へ・・・


冠婚葬祭文化振興財団まで歩きました

 

それにしても長官以下、大勢の観光庁幹部の方々が死亡叙位の授与式に立ち会っていただきました。父の観光振興に対する貢献が認められて嬉しかったです。一方、息子であるわたしが情熱を燃やすのは冠婚葬祭文化の振興とグリーフケアの普及です。観光庁を後にしたわたしは、日比谷公園を通過して、そのまま歩いて、一般財団法人 冠婚葬祭文化振興財団の事務所がある新橋へと向かいました。13時から開催されるグリーフケア委員会の会議に参加するためです。父が観光の分野で功績を残したように、わたしもグリーフケアの分野で頑張りたいと思います!

 

2024年11月27日  一条真也