一条真也です。
9月5日、ブログ「『月刊 終活』インタビュー取材」で紹介したように、鎌倉新書が刊行する「月刊 終活」の特別インタビューを受けました。そのときのインタビュー記事が掲載された同誌11月号が届きました。
「月刊 終活」2024年11月号
記事は、松柏園ホテルの庭園で撮影したわたしの写真を背景に、「互助会の歴史ある冠婚葬祭事業を日本文化の“核”として再定義し、葬儀のあり方を“アップデート”したい」との大見出しがついています。続いて、
「北九州に拠点を置く互助会大手・株式会社サンレーの社長である 佐久間庸和氏が2024年8月、 一般財団法人 冠婚葬祭文化振興財団の理事長に就任した。社長としてのみならず、作家、歌人、大学教授、俳優 等々さまざまな顔を持つ佐久間氏は、今回の理事長就任に際し何を思い、日本の葬送文化をどのように理解し、日本社会の行く末をどのように見据えているのか? 北九州の地に佐久間氏を訪ね、話を聞いた」というリード文が続きます。
「月刊 終活」2024年11月号
佐久間庸和は“多才の人”だ。九州を中心に結婚式場・葬儀会館など冠婚葬祭関連事業を展開する大手互助会・ サンレーグループの代表取締役社長という一面だけではない。一条真也というペンネ-ムで『儀式論』(弘文堂)や『人生の修め方』(日本経済新聞出版社)、『供養には意味がある』(産経新聞出版)など数々の書籍を執筆。さらに、上智大学グリーフケア研究所をはじめいくつもの大学で客員教授も務め、一般社団法人 全日本冠婚葬祭互助協会の元副会長でもある。まさに、ビジネスマン、作家、歌人、大学教授などと、さまざまな顔を持っているわけだ。そんな佐久間氏が今年8月、全国201の互助会事業者で構成される業界団体、一般財団法人 冠婚葬祭文化振興財団の理事長に就任した。多忙を極める佐久間氏は今回、なぜこの重責を負うことにしたのか?それは、日本の冠婚葬祭文化の行く末を憂いてのことだという。
「もともと、一般社団法人 全日本冠婚葬祭互助協会(以下、全互協)の初代会長は、今年9月に逝去した私の父でサンレー名誉会長の 佐久間進でした。父は当初、全互協の会長として同団体の情報発信、広報、文化人を呼んだ講演、そして国会議員への要望など、あらゆる業務を行ってきました。しかしそれらの役割は、時を経るにつれて徐々に "分化"していきます。現在の全互協の役割は、所轄官庁である経済産業省との交渉や法整備まわりのことに集中しており、それ以外の業務は、1979年に発足した全日本冠婚葬祭互助会政治連盟と、2016年に発足した冠婚葬祭文化振興財団が担当するようになっていきます。つまり、互助会を束ねる業界団体としてのさまざまな機能を、この3団体がそれぞれ 官界、政界、学会の各分野に特化して担うようになったのが今の形、というわけです。
ところが供養業界はこのままではこの先、先細りしていくことは明白です。この人口減少社会にあっては、いくら互助会といえども、前受金(月掛金)も減少傾向にあるのが現状です。葬祭事業は今はまだ大丈夫でしよう。しかしその一方で、子どもの数が減っているために七五三は減っている、新成人も減っているから成人式も縮小傾向、そしてなによりも、かつてのような大がかりな結婚式も減っています。これはではわれわれ、冠婚葬祭事業に取り組んでいる事業者としては、とても明るい未来は描けません。
この業界の市場規模を考えてみましよう。まず、互助会の結婚式場、一般の結婚式場、ハウスウェディングやホテルも含めると、全部で2兆円程度になるといわれています。他方で葬儀分野の市場規使は、1兆7000億円程度といわれています。
それでは互助会の売り上げはどうでしようか?
全互協に加盟しているベルコ、メモリード、日本セレモニー、アルファクラブなどの大手互助会、そして私が代表取締役を務めるサンレー・・・201社すべてを合わせても8000億円にしかなりません。トヨタ自動車は31兆3000億円、三菱商事は17兆2000億円と、日本を代表する名だたる企業の売り上げに比べると、規模は非常に小さいことがよくわかります。当然のことながらこの規模感だけで考えると、若い働き手も積極的にこの業界に挑戦したいとは思ってくれないでしょう。ましてやコロナ禍で冠婚葬祭事業は大打撃を受け、多くの結婚式場が廃業に追い込まれました。つまり現下の状況だけ見ればこの業界は、ピジネスの場としてなかなか魅力的ではない業界のように見えてしまっているわけです」
「月刊 終活」2024年11月号
日本文化の“核"としての冠婚葬祭
いまだ完全収束を見ないパンデミック禍。そして超多死社会が到来した我が国が抱える2040年問題、さらには全世界が環境面において危機に直面するとされる2050年問題……。それらは一見すると、冠婚葬祭の「葬」にはビジネスとしてのメリットがあるように見えるかもしれないが、そもそも市場規模を考えれば、重厚長大産業のように巨大なわけではない、というわけだ。
しかし佐久間氏は、冠婚葬祭というものに対する尋常ならざる想いから、新たな視点でこの業界の価値を“再発見”することができたと続ける。
「それは、この冠婚葬祭を金融業、医療・福祉・教育などのサービス業や、外食産業・情報通信産業などの三次産業ではなく、『文化産業』として位置づけし直すことです。日本文化といえば、茶道、花道、書道、能、歌舞伎、相撲、柔道、剣道など、いくつもありますが、実は冠婚葬祭も、日本文化のひとつであると。
葬儀を例に挙げてみれば、日本の場合、多くはその根幹に仏教があります。仏教は日本文化のすみずみにまで根を張っており、となれば仏式の葬儀は、日本における総合文化、総合芸術といえるでしょう。それは冠婚葬祭というものにすべてについていえることであり、七五三も成人式も長寿祝い、すべては日本文化だということです。
この視点であらためて先はどの『市場規模』を考えてみれば、例えば茶道は約1600億円だそうです。華道であれは約330億円、書道は約400億円、歌舞伎は歌舞伎座の売り上げのみで見てみると年間約30億円。年間6場所を巡業する大相撲は、日本相撲協会の売り上げで見てみると約100億円。そうした中で、8000億円という市場規模の冠婚葬祭互助会業界を置いてみれば、決して小さな存在ではないことがわかるでしよう。となれば、松竹さんの歌舞伎座が歌舞使を守っているように、日本相撲協会が相撲を守っているように、互助会を束ねる冠婚葬祭文化振興財団もまた、冠婚葬祭という日本文化を守っているということに気づいたのです。
日本文化の本質は、すべて「儀式」にあります。例えば茶道はお茶を出して終わりではなく、そこにいたるまでの多くの作法がある。相撲だって、立会いで勝負をするのはせいぜい数十秒間ですが、そこにいたるまでの仕切りこそが大切です。華道、歌舞伎もそうでしょう。つまり、作法、その根底にある意識こそが本質なわけです。そう考えてみれば、我々の取り扱う冠婚葬祭というのは、まさにその作法、儀式そのものを提供しているわけですから、文化の中の文化、日本文化の“核”といっても過言ではないのではないでしようか。こうしたとらえ直しをすることによって、この冠婚葬祭業界で働く方々に、みずからの仕事の重要性を理解していただき、みずからの仕事に誇りを持っていただきたい。そうすれば、新たにこの業界に入ってくださる方々も増えていくでしよう。今回、新たに就任した冠婚葬祭文化振興財団の理事長として私が訴えたいことはこのようなことであり、こうした“文化の発信”こそが、理事長としての私の仕事であると考えています」
「月刊 終活」2024年11月号
天下布礼ですべてはつながっている
冠婚葬祭という事業を「日本文化の核」として再定義し、そのことを広く日本社会に発信していきたい————。
これはまさに、サンレーの経営者という枠におさまらず、作家として文化人として、多くの著作を執筆し、さまざまな発信を行っている佐久間氏ならではの使命といえるのかもしれない。しかし、多くの“顔”を持ちすぎるがゆえに、その多面性の中で整合性を取ることに苦慮することはないのだろうか?
「確かに私は、 一条真也名義で作家業を行い、大学でも客員教授としてアカデミズムの世界でも活動しています。みずからの会社であるサンレーを経営し、そして全互協の参与を務め、このたびは 冠婚葬祭文化振興財団の理事長職を拝命しました。しかし実は、それぞれの立場があるからどこかで折り合いをつけている——といったような“つじつま合わせ”は、まったく考えていないのです。むしろ、すべてがつながっていて、すべてにおいて“同じことやっている”とさえいえると思います。私の活動の根本には、『天下布礼』という言葉があります。
これはサンレーの創業時に父・佐久間進が掲げていたスローガンなのですが、かつて織田信長は、武力によって天下を統一する『天下布武』の旗を掲げました。これに対しこの「天下布礼」というのは『礼』、つまり『人間尊重』の思想で世の中をよくしたいということです。これはまた、死者を敬うという思想でもあります。この考え方を世に広めていくという意味で、およそ私の活動は、すべてつながっている、一貫しているのです。
例えば私は作家として2007年に、『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)という書籍を世に問いましたが、本作を原案とした映画が、『君の忘れ方』という作品として2025年新春に、坂東龍汰さんと西野七瀬さんという若手俳優さんがそれぞれ主人公とヒロインを演じて公開されることとなりました。この本は、親しい人の死に接した方の悲嘆とどう対峙するかという問題を考える『グリーフケア』が大きなテーマとなっていますが、私がこの本を執筆した当初は、互助会の世界においても、この言葉を知っている人は決して多くはありませんでした。しかし私は、遺族の方へのグリーフケア・サポートの重要性を強く感し2018年には上智大学グリーフケア研究所の客員教授になり、またグリーフケア・プロジェクトチームの座長として、冠婚葬祭文化振興財団が認定する『グリーフケア士』の資格制度の立ち上げにも関わりました。かように私の仕事は、すべてにおいてつながっているのです。立ち上げから4年が経った今では、このグリーフケア士の有資格者は1000人を超え、彼らは全国各地で、葬儀後のご遺族の心のケアをしておられる。この仕事は今後、ますます重要なものになっていくでしよう」
「月刊 終活」2024年11月号
「葬儀"も"行う場所」へと変化を
冠婚葬祭を日本文化の核として再定義し、一方でグリーフケアという言葉を世に広めた佐久間氏。では氏は、この先の日本を待ち受ける“超超高齢化社会”において、このエンディング業界をどのように眺めているのだろうか?
「日本は世界一の高齢化社会であり、その中にあって、政令指定都市の中でもっとも高齢化が進んでいるのは、我々サンレーが拠点を置くこの福岡県北九州市です。ここでわれわれは冠婚葬祭事業を行っていますから、なおのこと、今後の日本社会の行く末については考えを巡らしてきました。2010年に宗教学者の島田裕巳氏が『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)という本を出され話題となりましたが、私はあえて氏の考えに反し、同年に『葬式は必要!』(双葉新書)という本を発表しました。とはいえ私も、日本の葬儀のあり方は“アップデート” する必要があると思っています。『残さなけれはいけないもの』と『変えてもいいもの』とを、しっかり見極めなければいけないのです。
例えば、よく報道されているように、過疎化や檀家の減少などで廃寺も増え、日本の寺院の数は減りつつあります。しかしつい一昔までは、お寺で葬儀 を行うのが当たり前でした。そんな時代に私の父・佐久間進は1978年、 小倉紫雲閣という大型セレモニーホールの第1号といわれている大型会館を建てました。
その後、セレモニーホールでの葬儀も一般化しましたが、しかし私はその頃から、『セレモニーホールが、“お寺化”していくのではないか?』と感じていました。
お寺とセレモニーホールの違いはなんでしょうか?
お寺には宗教者がいますが、今はセレモニーホールにも宗教者は来てくれます。私は、お寺とセレモニーホールの決定的な違いを、『グリーフケアがあるかどうか』だと考えています。これまでは我々、互助会などが運営してきたセレモニーホールでは、葬儀を終えればそれでご遺族との関係は終わり———でした。一方でお寺は、その後も一周忌やお盆の際にご遺族と関係を持ち続け、心の交流が行われています。それもまた、グリーフケアの一環でしょう。たからこそ私は、我々もグリーフケアに携わるべきだと考えているのです。なにも私は、我々がお寺に取って代わろうと考えているのではないのです。そうではなく、むしろ補完し合いたい、支え合いたいと考えています。それこそが、私が考えるセレモニーホールの新しい役割です。
私はセレモニーホールを、『葬儀“を”行う場所』から、『葬儀も”行う場所』へと変えていきたいのです。そのためには、ご遺族の方、地域住民の方とのコミュニケーションがなにより肝要です。だからこそわがセレモニーホールでは、ときに映画を上映し、ときにサロンとしてみなさんに場を提供しています。セレモニーホールをコミュニティホールに。冠婚葬祭事業を狭く考えず、変えられるものは変えていく。それこそが、今後のわれわれの大きな役割であり、冠婚葬祭文化振興財団の理事長として、私がなすべきことであると考えています」
『愛する人を亡くした人へ』 (PHP文庫)
なお、記事の最後には「映画『君の忘れ方』とは」として、以下のように映画の紹介が書かれています。
「27歳の放送作家・森下昴には、付き合って3年が経つ結婚間近の恋人がいた。結婚式の準備に追われ、式で岐露するための思い出の与真をまとめていたある日。彼女は帰らぬ人となってしまう。本作は、『死別の悲しみとどう向き合うか』をテーマに、恋人を亡くした青年が、悲嘆に暮れる者にさりけなく寄り添う『グリーフケア』と出会い、みずからと向き合う姿を描く。主人公を演じるのは映画単独初主演となる坂東龍汰。そしてヒロインは、元・巧木坂46の人気メンバー・西野七瀬という豪華キャスト。
本作の原案は、一条真也こと佐久間庸和氏が2007年に発表した著書『愛する人を亡くした人へ 』(現代書林・PHP文庫)である。佐久間氏は本作に『フューネラル・ディレクター』役で出演するほか、全日本冠婚葬祭互助協会と冠婚葬祭文化振興財団も撮影に協力している」
2024年10月31日 一条真也拝