一条真也です。
19日、シンとトニーのムーンサルトレター第235信がUPしました。Tonyさんこと鎌田東二先生のレターで初めて知ったのですが、著述家の松岡正剛氏が80歳でお亡くなりになられていました。松岡氏は「知の巨人」と呼ばれ、わが読書道の先達でもありました。訃報に接して驚くとともに、故人のご冥福を心よりお祈りいたします。
NHK公式サイトより
NHK公式サイトの「著述家 松岡正剛さん死去 80歳『編集工学』の方法論など」という記事には、「『編集工学』の方法論や、書籍紹介サイト『千夜千冊』などで知られる著述家の松岡正剛さんが今月肺炎のため亡くなりました。80歳でした。松岡さんは京都市の出身で、早稲田大学を中退したあと、1971年に雑誌『遊』を創刊し編集長を務めました」と書かれています。
また、記事には「1987年には編集工学研究所を設立、生命や歴史、文化などさまざまな情報を編集して組み合わせる『編集工学』の方法論を提唱したほか、日本文化を独自の視点で読み解く著作を次々と発表しました。2000年からはウェブサイト上で書籍を紹介する『千夜千冊』の連載を始め、先月までに合わせて1850冊を取り上げました。また『編集工学』についてオンラインで学べる学校を立ち上げたほか、埼玉県にある『角川武蔵野ミュージアム』の館長も務めていました」とも書かれています。
松岡氏は編集工学研究所所長、イシス編集学校校長を務めておられました。日本文化、芸術、生命哲学、システム工学など多方面におよぶ思索を情報文化技術に応用する「編集工学」を確立。また日本文化研究の第一人者として「日本という方法」を提唱し独自の日本論を展開してきました。著書多数。当ブログでは、ブログ『松岡正剛の書棚』、ブログ『にほんとニッポン』、ブログ『読む力』、ブログ『日本文化の核心』などを紹介しましたが、わたしは著書の本はほとんど拝読しています。特に、『日本文化の核心』は何度も読みました。このたび、わたしは、一般財団法人 冠婚葬祭文化振興財団の理事長に就任しましたが、その就任挨拶で「冠婚葬祭は文化の核である」と述べたことにも影響しているかもしれません。
また、『松岡正剛の書棚』の「目次」の中の「本殿」である第1巻〜第7巻までのタイトルは、Webにも連載された著者の大著『松岡正剛千夜千冊』全7巻の各巻タイトルに対応しています。「目次」の次のページを開くと、書棚の間にたたずむ著者の写真とともに「書棚を編集することは、世界を編集することである」という文字が大書されています。そして、それに続いて「書物は寡黙であり、饒舌である。死の淵にいるようで、過激な生命を主張する。百花繚乱の文芸作品、科学書、思想書、芸術書のどの本に光をあて、どの本に影をつけるのか。どの本を生かし、どの本を殺すのか。畏れ多くも神の真似事をしてみよう」と書かれています。じつに格調高い名文ですね。
『松岡正剛の書棚』の序論『「究極の棚」への序奏』の冒頭には、「本は2500年以上にわたって、『記憶の殿堂』と『意味の市場』をつくってきた。そこには学府も図書館も本屋も書斎も含まれていた。文房四宝もノートも読み聞かせも授業も、印刷所も古本屋もサンタクロースのリボン付きの贈り物も、含まれていた。それに、なんといっても著者と編集者と読者とが鎖のようにつながっていた。そこにどきどきするような出版予告と増刷と品切れとが挟まって、本はまるで生きもののように歴史の波濤をくぐり抜けてきた」と書かれています。
この『松岡正剛の書棚』の序論は、著者ならではの詩的でスケールの大きな文章です。ここから、めくるめく書棚と読書の旅が始まります。本書はまるで「知の小宇宙」のようですが、この総合性はどこかで経験したことがあると思っていたら、かつて著者がプロデュースした『全宇宙誌』(1979年、工作舎)や『情報の歴史』(1996年、NTT出版)などのミクロコスモス性に通じていると気づきました。この2冊は、わが青春の愛読書です。
わが書斎の松岡正剛コーナー
以前、わたしは松岡氏の本をよく読んだものです。また、鎌田東二先生に連れられて渋谷にあった編集工学研究所を訪ねたこともありました。夜間の訪問でしたが、そこには松岡氏をはじめ、田中優子氏、高橋秀元氏らがおられました。その後、わたしが米国スミソニアン博物館で求めた月面写真のパネルをお土産として松岡氏にお届けしたこともあります。なつかしい思い出であります。
『ハートビジネス宣言』(1992年)
さらに、拙著『ハートビジネス宣言』(東急エージェンシー)の帯に推薦文を寄せて下さいました。「気業時代を眺望する1冊」として、「思想と事業にとって最も扱いにくい『気』や『心』が、本書ではなんなく結ばれる。おまけに鬼才マーケティング・プランナーの薀蓄は留まるところを知らない。はたして読者は『教業遊』三位一体の魔術に、ついていけるだろうか」と書かれています。この一文を頂戴したときは感謝の念でいっぱいになり、思わず本に向かって手を合わせたものです。わたしにとって大学の大先輩でもある松岡氏には、大変お世話になりました。
「スミスの本棚」で「読書の達人」として紹介されました
2010年にはテレビ東京系「ワールドビジネスサテライト」内の「スミスの本棚」で、松岡正剛氏、平野啓一郎氏と並んで「読書の達人」としてご紹介いただきました。あのときは、本当に感無量でした。わたしは、若い頃から松岡氏を「読書道の先達」としてリスペクトし、大きな目標としていました。前代未聞の書評サイトである「松岡正剛の千夜千冊」もじっくり読ませていただきました。
わが書評サイトであるオフィシャル・ブックレビューサイト「一条真也の読書館」は現在、2357タイトルを数えています。わたしが最初に書いた書評ブログは、2010年2月15日にアップしたブログ『驚異の百科事典男』でした。 書評ブログを書くことを思い立ったとき、目標は「松岡正剛の千夜千冊」(1850タイトル)でした。「松岡さんのように、いつか1000タイトルにまで行ければいいな」と思っていましたが、まさか2000タイトルを突破するなどとは、本当に夢にも思いませんでした。
この記事の冒頭に書いたように、松岡氏の訃報は鎌田先生のレターによって知りました。ここにも不思議な因縁を感じます。というのも、ブログ「博覧強記は誰だ?」で紹介したように、「博覧強記」の代名詞的存在である博物学者で作家の荒俣宏氏は松岡正剛氏によって発見されました。また、鎌田東二先生は『世界神秘学事典』(平河出版社)や『神秘学カタログ』(河出書房新社)などで荒俣宏氏に抜擢されました。そういえば昔、わたしの著書についてのアマゾンか何かのレビューで、「松岡正剛は荒俣宏を発見し、荒俣宏は鎌田東二を発見し、鎌田東二は一条真也を発見したのです」という一文があり、非常に感激したことがありました。松岡正剛→荒俣宏→鎌田東二→一条真也に流れる「知のDNA」は、たしかにわが読書や執筆に影響を与えている気がいたします。最後に、改めて、知の巨人・松岡正剛氏の御冥福を心よりお祈りいたします。合掌。
2024年9月19日 一条真也拝