「ライトハウス」

一条真也です。
五輪開催中の東京に来ています。26日の東京都の感染者数は1429人で、月曜日として過去最多。曜日ごとの最多記録を2日連続で更新しました。その夜、日比谷で出版関係の打ち合わせをした後、TOHOシネマズシャンテで映画「ライトハウス」を観ました。暗く不気味な物語でしたが、緊急事態宣言下で五輪が開催されているという異様なパラドックス都市で観るのにふさわしい映画でした。


ヤフー映画の「解説」には、「『ムーンライト』『ミッドサマー』などで知られるスタジオ・A24と、『ウィッチ』などのロバート・エガース監督が組んだダークスリラー。19世紀のアメリカ・ニューイングランドの孤島を舞台に、嵐の影響で島に取り残された二人の灯台守の運命をモノクロ映像で描く。絶海の孤島で狂気に陥る男たちを、『永遠の門 ゴッホの見た未来』などのウィレム・デフォーと『グッド・タイム』などのロバート・パティンソンが演じる。第92回アカデミー賞で撮影賞にノミネートされたほか、数多くの映画祭で高い評価を得た」とあります。

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ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「1890年代、アメリカ・ニューイングランドの孤島に灯台守としてベテランのトーマス・ウェイク(ウィレム・デフォー)と経験のない若者イーフレイム・ウィンズロー(ロバート・パティンソン)がやって来る。彼らは4週間にわたって灯台と島の管理を任されていたが、相性が悪く初日からぶつかり合っていた。険悪な空気が漂う中、嵐がやってきて二人は島から出ることができなくなってしまう。外部から隔絶された状況で過ごすうちに、二人は狂気と幻覚にとらわれていく」


この映画、画面がほぼ正方形で小さいです。今どき珍しい35ミリ白黒フィルム、スタンダードサイズのフォーマットだとか。いつもの習慣で最後列の席で鑑賞したのですが、画面が小さいために描かれている内容がよくわからない場面もありました。でも、モノクロ映像は美しく、どのシーンも写真のようで芸術的でした。ほぼ二人劇というべき作品ですが、実力と人気を兼ね備えた2大スターがダブル主演を務めています。1人は、世界的名優のウィレム・デフォー。もう1人は、最新シリーズの「バットマン」の主演に決定し、ブログ「テネット」で紹介したクリストファー・ノーラン監督のSF大作で人気が爆発したロバート・パティンソンです。デフォーは古典劇風の長台詞を駆使し、パティンソンはどんなに汚い目に遭っても美しさを失わない熱演で、非常に見応えがありました。


怪獣の唸り声のような不気味な霧笛、荒れ狂う嵐などの自然音も素晴らしく、観る者を無意識のレベルで不安に陥れるような効果がありました。そして、さらに観客を恐怖に誘うのが、映像の背景に流れる金切り声のような弦楽器の音です。エガース監督は「古代ギリシャ音楽のような偶然性の音を探していた」「バーナード・ハーマンのような古い映画音楽を思い起こさせる要素を取り込む必要がある」といったこだわりを持っていたそうですが、それをホラー映画音楽の巨匠であるマーク・コーベンが表現しました。「CUBE」(1997年)やエガースの前作である「ウィッチ」(2015年)の音楽も手掛けたコーベンですが、人間の古典的な恐怖をジワジワと炙り出すような不穏な音楽を生み出すことに成功しています。


「ウィッチ」は、わたし好みの映画でした。サンダンス映画祭監督賞のほか、世界各地の映画祭を席巻したファンタジーホラーです。17世紀のアメリカを舞台に、信心深いキリスト教徒の一家が、赤ん坊が行方不明になったことをきっかけに狂気に陥っていくさまを描いています。父親から魔女だと疑われる娘には、「スプリット」などのアニヤ・テイラー=ジョイが扮しています。わたしは魔女映画が好きで、過去の作品はほとんど観ていますが、コロナ禍でとうとう劇場では鑑賞できずDVDで観た「ウィッチサマー」(2020年)があまりもショボいのには失望しましたが、「ウィッチ」は本当に怖い魔女映画でしたね。


 さて、「ライトハウス」には恐ろしいものがいろいろ登場するのですが、それらも確かに怖いけれども、最も怖かったのは逃げ場のない閉鎖空間での人間関係でした。孤島にやって来た“2人の灯台守”たちが外界から遮断されるわけですが、ベテランのトーマス・ウェイク(ウィレム・デフォー)は経験のない若者であるイーフレイム・ウィンズロー(ロバート・パティンソン)に対して上から目線で横柄です。また、所かまわず屁はぶっ放すし、口臭はひどいし、いつも酔っ払っているし、寝るとイビキはすごいし、ルームメイトとしてはかなりストレスのたまる相手です。それでも逃げ場はなく、一緒にいるしかないのです。わたしは、不快指数の高い数々の場面を観ながら、コロナ禍による在宅勤務、学校の休校などで夫や子どもたちがずっと自宅にいる世の奥様方のストレスを想像しました。


ライトハウス」のストーリーは淡々と流れていきます。ベテラン灯台守のウェイクは「夜は俺がやるから、昼の仕事はお前がやれ」と一方的に仕事を割り振り、新入り灯台守のウィンズローは不満ながらも渋々と従い、重労働に明け暮れます。2人は4週間の「お勤め」をやり過ごせば終わりだったのですが、ある出来事から歯車が狂い出します。ウィンズローが1羽のカモメを殺してから、天気が大荒れとなり、迎えの船は島に寄港できなくなります。食料は底を突き、頼みの綱の酒も乏しくなっていきます。ウェイクは、年寄りの上に足が不自由で、力仕事もままなりません。ウィンズローは、1人で石炭を運んだり、水の管理をしたりで、だんだんと神経を蝕まれていくのでした。


ウィンズローがどんどん狂っていく描写には鬼気迫るものがありました。ラストシーンで、ついに彼は灯室(ライトハウス)に入り込みますが、光を見た瞬間、破滅を迎えます。「ライトハウス」には人魚とかラブクラフト風の怪物(ダゴン?)なども登場しますが、『ギリシャ神話』や『旧約聖書』のメタファーに満ちているように思えました。灯台を独り占めするウェイクのパワハラに我慢しながら黙々と働くウィンズローは、神々が課す理不尽な苦難に耐える若者のようです。終盤、ウェイクが海神ポセイドンの姿になる場面もあります。眠るウェイクの尻をウィンズローが覗き見する場面は、睡眠中に息子に犯されたというノアのエピソードを連想させます。最後は、神々から火を盗んだ罪で生きながら肝臓を鷲に食われ続けるプロメテウスのエピソードがそのまま描かれていました。


旧約聖書』のメタファーに満ちた映画としては、ブログ「マザー!」で紹介したダーレン・アロノフスキー監督の2017年にアメリカで公開された超問題作があります。第74回ベネチア国際映画祭コンペティション部門で上映されるや、その衝撃から賛否が極端に分かれ、日本では劇場公開が中止されてしまいました。ようやくDVDで鑑賞したわたしは、ぶっ飛びました。こんなにも観る者に不安をあおり、かつ不快な感情を与える映画は初めてでした。仰天した後は、「よくぞ、ここまで奇妙な映画を作ったものだ」と感心さえしました。

 

マザー!」の舞台はある郊外の一軒家です。そこには、スランプに陥った詩人の夫と若くて美しい妻が住んでいました。ある夜、家に不審な訪問者が訪れますが、夫はその訪問者を拒むこともせず招き入れます。それをきっかけに、翌日からも次々と謎の訪問者たちが現れ、夫婦の穏やかな生活は一転します。それととともに夫も豹変し始め、招かれざる客たちを拒む素振りを見せず次々と招き入れていきます。そんな夫の行動に妻は不安と恐怖を募らせます。訪問者たちの行動は次第にエスカレートし、常軌を逸した事件が相次ぐ中、彼女は妊娠して、混乱の中で出産します。母親になった彼女と赤ん坊には、想像もつかない出来事が待ち受けていました。


ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教

 

 「マザー!」にはやたらと『聖書』の言葉が多く登場します。なんだか、キリスト教の映画のようにも思えてきます。拙著『ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教』(だいわ文庫)では、ユダヤ教キリスト教イスラム教の三大宗教を三姉妹に例えましたが、「マザー!」という映画も宗教的な隠喩に満ちています。すなわち、ジェニファー・ローレンス演じるマザー=地球、ハビエル・バルデム演じる詩人=創造主(神)、エド・ハリス演じる訪問者の男=アダム、ミシェル・ファイファー演じる訪問者の妻=イヴ、彼らの2人の息子の兄=カイン、弟=アベル、マザーが産み落とす赤ん坊=イエス=キリスト(救世主)、家に押し寄せる群衆=人類(キリスト教信者)ということになります。人類は愚行を繰り返す存在ですが、それも「マザー!」の群衆が見事に表現してくれています。


さらに、『旧約聖書』の内容に当てはめると、郊外の家=世界(エデンの園)、詩人が大事に書斎に飾るクリスタル=生命の樹、シンクを壊した訪問者達を追い出す=ノアの箱舟(大洪水)、そして、ラストで妻が家を破壊された怒りに地下のオイルタンクに火を点ける=ヨハネの黙示録に於けるハルマゲドンのメタファーでもあるとされています。ということで、「ライトハウス」は「マザー!」以来のメタファー映画であり、考察マニアにはたまらない作品だと言えるかもしれません。まあ、両作品ともに「天下の怪作」であることは間違いないでしょう。

 

2021年7月27日 一条真也