一条真也です。
26日の朝、小倉の魚町の路上で転倒しました。
雨で濡れた石畳に滑ったのですが、咄嗟に柔道の受け身をして頭は打ちませんでした。ただし、鞄を持っていたため完全な受け身は取れず、右半身を石畳の上に強打しました。しばらく、息ができませんでした。右肘と右肩がかなり痛かったので、整形外科に行きましたが、骨折などはしていないようです。もう50代も後半に突入したので、くれぐれも怪我などには気をつけなければなりません。それにしても、単純な投げ技でも路上では必殺技になることを再確認しました。
『証言 新日本プロレス「ジュニア黄金期」の真実』前田日明+ザ・グレート・サスケ+鈴木みのる+大谷晋二郎+エル・サムライほか著(宝島社)を読みました。宝島社の証言プロレス・シリーズの新作ですが、今回は、新日本プロレスジュニア黄金期である90年代を牽引し、2020年1月4日、5日に行われる東京ドーム大会で引退する獣神サンダー・ライガーとのエピソードを15人のレスラーが語っています。ものすごく面白いので、プロレス・ファンの方はぜひ、お買い求めの上、ご一読下さい!
本書の帯
本書のカバー表紙には獣神サンダー・ライガーのシルエットが赤く描かれ、帯には「獣神、引退!」と大書され、「ジュニアのレジェンド、30年の激闘と苦悩」「15人のレスラー、関係者が明かす90代“世界最高峰”リングの舞台裏!」と書かれています。また、カバー前そでには、「平成を駆け抜けた‟小さな巨人”ひとつの時代が終わる――」と書かれています。
本書の帯の裏
本書の「目次」は、以下の通りです。
「はじめに」ターザン山本
「90年代・新日本ジュニア『世界最高峰』の闘いの真実」金沢克彦
第1章 “獣神”の素顔を知る男たち
「ライガーの練習熱心ぶりが、俺の怠け心を正してくれた」
「客席で『前田、死ねー!』と叫んでた女が、山田の彼女だった(笑)」
「生き残るためにライガーと必死に耐えた、しごきとイジメ」
「俺の思い描いていた新日本は、この人だったんじゃないか?」
「マスクマンにさせてもらわないと山田さんは日本に帰らない、と」
第2章 新日本ジュニアを彩った男たち
「ライガーの“佐野愛”は、こじれた恋愛関係みたいなもんです(笑)」
「ライガーとの決勝戦は、10年以上プロレスをやってきた集大成」
「ライガーさんに勝ちたいという思いは、とくになかったですねぇ」
「マスクを被っていても表情が見えるのはライガーさんだけ」
「ライガーさんは大きいですね、試合にしても考え方にしても」
「ライガーさんは、僕にだけなぜか怒らないんですよ」
「ペガサス・キッド&2代目ブラック・タイガー」
新日本ジュニア最高の外国人レスラー2人の栄光と悲劇
第3章 新日本ジュニアに挑んだ男たち
「90年代ジュニア黄金時代の陰のフィクサーは長州さんだった」
「怖くて金本さんとの試合映像を見ることができないんです」
新日本ジュニア「黄金期の軌跡」完全年表
「はじめに」の冒頭を、ターザン山本はこう書きだしています。
「ジュニアヘビー級はプロレスの本場、アメリカにおいては、取り立てて重視されているわけではない。これは世界的傾向でもある。あくまで無差別級、ヘビー級、スーパーヘビー級が興行のメインだ。ただし小型レスラーが主体のメキシコは例外だ。ところで唯一、ジュニアをヘビー級と並ぶ二本柱にしている団体がある。それが何を隠そう新日本プロレスなのだ。その流れをつくったのが若き日のドラゴン藤波。彼の登場によってそれまでプロレスは大人が見るものだったものを、少年少女ファンを動員するという転換期をもたらした。あるいは体が小さいものでもレスラーになれるという夢を少年ファンに与えた。それをさらに決定的にしたのが初代タイガーマスクだ。マスクマン、空中殺法、キック。これがジュニアの三大武器。それによってヘビー級との差別化に成功。初代タイガーマスクの功績はあまりにも偉大だったと言える」
また、ターザン山本はこうも述べています。
「その初代タイガーマスクなきあとのジュニアを支えてきたのが獣神サンダー・ライガーだ。小柄なのに重量感がある。頭のてっぺんから足のさきまで全身、衣装。さらにその入場テーマ曲「怒りの獣神」はインパクト絶大。会場にそれが鳴り響いた瞬間、客のハートを鷲掴みにしてしまう。長州力のテーマ曲「パワーホール」とまさに双璧。リングネームも獣神、サンダー、ライガーと濁音の3連発。リズム感が抜群。マスクマンなので歳をとらないという利点もある。いつまでも若いままだ。1989年4月24日、東京ドームでデビュー。以来、30年。ジュニアのスターとして君臨してきたこと自体が奇跡。初代タイガーマスクがわずか2年ちょっとの現役期間だったことを思うと、ライガーの息の長さは驚異的。もっというなら獣神サンダー・ライガーの2代目、後継者はいない。これはもうプロ野球でいう背番号の永久欠番と同じ扱いにすべきだ」
「90年代・新日本ジュニア『世界最高峰』の闘いの真実」では、金沢克彦氏が、元号が昭和から平成に変わるとともに、新日本ジュニアは新時代へと移行したと説明します。そして、「ライガーが中心軸にいたから、みんな輝くことができた」として、以下のように述べます。
「当時、ライガーとともに黄金期をつくりあげた男たち、新日本所属には、佐野直喜(現・巧真)、保永昇男、エル・サムライ、金本浩二、大谷晋二郎、ケンドー・カシン、高岩竜一、田中稔がいた。常連外国人選手では、ワイルド・ペガサス(クリス・ベノワ)、2代目ブラック・タイガー(エディ・ゲレロ)、ディーン・マレンコ、ネグロ・カサス、ドクトル・ワグナーJr.。他団体からの出場組では、ウルティモ・ドラゴン、ザ・グレート・サスケ、スペル・デルフィン、TAKAみちのく、ハヤブサ・・・・・・。所属を問わず、日本人・外国人も問わず、それぞれが輝きを放って最高峰のジュニアを盛り上げた。結論からいえば、ライガーがその中心軸にドンといたからこそ、みんな輝くことができた。30年以上もライガーを観てきた筆者はそう思っている」
また金沢氏は、「ライガーがいたから、ジュニアというジャンル自体が確立された」として、以下のように述べます。
「こと、ジュニアの黄金期を語るとなると、ライガーはいつも謙虚。それはライガー自身が今もプロレスファンの目で、プロレスを見ることができるからだろう。
『当時、ライガー中心にジュニアがまわっていたわけじゃない。みんなでまわってたんです。あの時代にそれだけの選手が新日本に次々と集まって層が厚かった。たしかに、「ヘビー級よりジュニアが面白いね」ってよくいわれたけど、ヘビー級の試合もすごかった。だから僕、ジュニアのほうが面白いなんてこれまで1回も行ったことないんですよ』
これは逆にいうなら、ジュニアへの深い愛情を感じさせる言葉。生涯ジュニアを誓って、それを貫き通したライガーだから言えるのだ。ただし、筆者の立場からすれば自信を持ってこういえる。ライガーがいたから、ジュニアというジャンル自体が底上げされ確立された。そこが藤波時代、タイガーマスク時代、髙田・越中時代の黄金期との決定的な違いである」
さて、これまでのプロレス証言シリーズと同じく、本書もいろんな選手の発言集(証言集)です。その発言の中から、わたしが知らなかったこと、興味を引かれたこと、「なるほど」と思ったことなどを中心に抜き書き的に紹介していきたいと思います。
「僕もライガーというライバルにめぐり会えていなかったら、今の自分はなかったと思います。あの時のライガーとの闘いがレスラーとしての最大の自信になっているし、それがあったからいろいろなスタイルに挑戦することができたと思っています。ライガーがずっと僕を意識し続けているのは、ジュニアの闘いのなかで同期が僕しかいないからじゃないですかね。ライガーのライバルは後輩ばかりですよね。あとは、いちばんライガーが年齢的にも肉体的にもいい時に僕が新日本を辞めているからですかね。いちばんいい時に試合もできなくなってますから、ライガーの片思いとまではいわないですけど、こじれた恋愛関係みたいなもんです(笑)」(佐野巧真)
「あの頃は、よくあんなすごいメンバーがみんな新日本に集まりましたよね。ペガサスはもちろんだけど、ネグロ・カサスしかり、エディ(・ゲレロ)しかり、フィンレーしかり、みんな個性豊かで、仕事ができる選手ばかりだった。そういうメンバーが集まったのも、ライガーという核の存在があったからでしょう。やっぱり、あいつがジュニアを盛り上げた最大の功労者ですよ。それまでジュニアは、藤波(辰爾)さん、タイガーマスクで、もう完成していたのに、よく自分の色を出して、新しい世界をつくりましたよね。苦労もしたと思いますよ」(保永昇男)
「新日本ジュニアでどの試合が印象に残っているかと言われると、困りますね。たくさんありすぎて、これってのは。すごい試合ばっかりでしたから、みんなガンガンやって気持ちよくなってたと思いますよ。闘ってる選手も、見てるほうも。大谷と試合をやればスッキリするし、高岩はとんでもないパワーファイターだし、サムライさんはどんな技でも受けますからね。カシンはね、偏固ですよ。海外に行く前は仲がよかったのに、帰ってきたら急にプロレスラーという仕事に徹しているみたいな感じになってね。ライガーさんは大きいですね。試合にしても。大きいプロレスラーです」(金本浩二)
「何かの媒体に載ってた長州さんのインタビューを拝見したんですけど、長州さんはメキシコ修業時代に、ネグロ・カサスとかフェルサ・ゲレーラの試合にすごくカルチャーショックを受けたらしいんですね。だから意外にも長州さんはルチャ・リブレが好きなんですよ。よくよく考えてみると、維新軍の6人タッグでのめまぐるしいタッチワークとかも、メキシコのロス・ミショネロス・デ・ラ・ムエルテ(エル・シグノ、エル・テハノ、ネグロ・ナバーロ)とかの闘いに似ているんですよね。そういう長州さんだからこそ、スーパーJ-CUPもプロデュースすることができたんじゃないですかね。それを考えると90年代ジュニア黄金時代の陰のフィクサーは長州さんだったといってもいいかもしれない」(ザ・グレート・サスケ)
実際、長州はスーパーJ-CUPでのTAKAみちのくのプランチャを見て仰天し、「あいつ、宇宙人か?」と言ったそうです。確かに当時の新日本の現場総責任者であった長州の理解がなければ、新日本のジュニア戦線もあれほど盛り上がることは難しかったでしょう。もちろん、その最大の功労者がライガーであることに疑いの余地はありませんが。わたし自身は、ライガーの活躍の陰にどうしてもタイガーマスクの幻影を見てしまい、またワイルド・ペガサスの活躍の陰にはダイナマイト・キッドの幻影を見て、少しだけ物足りない思いをしていたことを思い出しました。ライガーの引退によって、昔の新日本の香りは完全に消えてしまうのが寂しいですが、30年間の現役生活を終えるライガー選手には、心から「お疲れさま!」と言いたいです。
2019年12月27日 一条真也拝