一条真也です。
18日は早朝から松柏園ホテルの神殿で月次祭が行われました。皇産霊神社の瀬津神職が神事を執り行って下さり、祭主であるサンレーグループの佐久間進会長に続いて、わたしが社長として玉串奉奠を行いました。
月次祭のようす
拝礼する佐久間会長
わたしも拝礼しました
神事の最後は一同礼!
天道塾のようす
冒頭に挨拶する佐久間会長
神事の後は、恒例の「天道塾」を開催しました。
まずは佐久間会長が登壇し、冒頭で作家の故堺屋太一氏への哀悼の意を示しました。堺屋氏と佐久間会長は昭和10年生まれ(亥年)同士で、対談を行ったこともある仲でした。それから、古代インドや古代中国における「人生の四季」の考え方や、五木寛之氏の唱える貧困・離婚・病気の「三苦」などを紹介し、最後は「ケア・コンパクトシティ」について話しました。
わたしが登壇しました
グリーフケアについて話しました
それから、社長のわたしが登壇して講話をしました。
この後、小倉織の新工場落成記念パーティーに出席するため、わたしは小倉織のネクタイを締めていました。最初に、わたしは、WEBシステムに写っている各地の社員に向かって話しかけました。そして、この日はわが社の「グリーフケアへの取り組み」について話しました。最初は上智大学グリーフケア研究所の講義で話した内容のダイジェストを紹介しました。
パワポを使って話しました
グリーフケアとは何か。わたしたちの人生とは喪失の連続であり、それによって多くの悲嘆が生まれます。大震災の被災者の方々は、いくつものものを喪失した、いわば多重喪失者です。家を失い、さまざまな財産を失い、仕事を失い、家族や友人を失った。しかし、数ある悲嘆の中でも、愛する人の喪失による悲嘆の大きさは特別です。グリーフケアとは、この大きな悲しみを少しでも小さくするためにあるのです。
「月あかりの会」について話しました
2010年6月、わが社では念願であったグリーフケア・サポートのための自助グループを立ち上げました。愛する人を亡くされた、ご遺族の方々のための会です。月光を慈悲のシンボルととらえ、「月あかりの会」という名前にしました。
なぜ、グリーフケアが必要か?
1995年、阪神・淡路大震災が発生しました。そのとき、被災者に対する善意の輪、隣人愛の輪が全国に広がりました。じつに、一年間で延べ137万人ものボランティアが支援活動に参加したそうです。ボランティア活動の意義が日本中に周知されたこの年は、「ボランティア元年」とも呼ばれます。16年後に起きた東日本大震災でも、ボランティアの人々の活動は被災地で大きな力となっています。そして、2011年は「グリーフケア元年」であったと言えるでしょう。
「こころ」と「かたち」のメタファー
「心のケア」が日本を救う!
グリーフケアとは広く「心のケア」に位置づけられますが、「心のケア」という言葉が一般的に使われるようになったのは、阪神・淡路大震災以降だそうです。被災した方々、大切なものを失った人々の精神的なダメージが大きな社会問題となり、その苦しみをケアすることの大切さが訴えられたのでしょう。
米津玄師が歌う「Lemon」という歌がありますが、今や知らない人がいないくらい有名です。MVがYoutubeで3億回以上再生されています。わたしは、この曲を昨年の紅白で初めて聴きましたが、まさに「グリーフケア・ソング」だと思いました。愛する人を亡くした人は誰でも、この歌の歌詞のように「夢ならば、どんなに良かったでしょう」と思うはずです。「いまだに、あなたのことを夢に見る」はずです。「戻らない幸せがあることを、最後にあなたが教えてくれた」とも思うでしょう。
グリーフ・ソサエティを超えろ!
グリーフケアの時代に光を放とう!
「今でも、あなたは私の光」という言葉も出てきますが、闇の中で光を見つける営みこそ「グリーフケア」ではないでしょうか。わが社の「サンレー」という社名には「太陽の光」という意味がありますが、これは心の暗闇を照らす太陽光のような存在でありたいという願いが込められています。そう、グリーフケアの実践と普及こそは、サンレーの大いなるミッションなのです。「Lemon」のような曲のMVが3億回以上も再生される現実に、わたしは「グリーフケアの時代」の到来を感じてしまいます。そして、その時代を拓くのは、わたしたちサンレーグループであると信じています。そのように語って、わたしは降壇しました。
2019年2月18日 一条真也拝