『卍とハーケンクロイツ』

卍とハーケンクロイツ―卍に隠された十字架と聖徳の光


一条真也です。
ホリエモン」こと実業家の堀江貴文氏が、ヒトラーを連想させるTシャツを着てNHKに出演したことが問題になりました。堀江氏によると平和祈念のメッセージだったそうですが、NHKは番組内で「不快な思いを抱かれた方にはお詫び申し上げます」と謝罪しました。欧米のみならず日本でも、ヒトラーナチスはタブー中のタブーですね。『卍とハーケンクロイツ』中田顕實著(現代書館)を読みました。「卍に隠された十字架と聖徳の光」というサブタイトルがついています。著者は1961年3月11日大阪府茨木市生まれ、龍谷大学卒のニューヨーク在住の浄土真宗・僧侶です。ニューヨーク仏教連盟前会長、ニューヨーク本願寺仏教会前住職、現在はニューヨーク・インターフェイス・センター副会長、ニューヨーク市警察コミュニティ・リエーゾン、コロンビア大学宗教アドバイザーなどを務めています。


本書の帯


不識庵の面影『卍とハーケンクロイツ』を読んで、本書の存在を知りました。
表紙カバーには「卍」と「卐」のマークが大きく描かれ、帯には「卍(まんじ)と卐(ハーケンクロイツ)は同じなのか、どう違うのか?」と大書され、続いて「その起源と世界中の分布、卍に対する人々の感じ方を調べ、聖なる卍への誤解を解き、卍の復活を目指す」と書かれています。


本書の帯の裏



本書の「目次」は、以下の構成になっています。
「はじめに」
 序章 何故、今「まんじ」なのか?
第一章 日本・仏教におけるスワティカ(卍)
第二章 スワティカ(卍・卐)は世界中にある?
第三章 ホロコースト大量殺戮と「卍・卐」
第四章 ハーケンクロイツ
    スワティカは全く関係がない!
第五章 隠されたヒトラーの十字架
第六章 「鉤の十字架」と
    ドイツ人のアーリア人卓越民族思想
第七章 反ユダヤ主義vs.新十字架との聖戦
第八章 スワティカ復活の予感

「おわりに」
「参考資料・参考文献」



「はじめに」で、著者は、「すべては問いから始まる」と書きだし、「その問いを突き詰めて考えていく時、そこに様々な発見があるものなのだ。一つの問いを様々な角度で見直してみる。今までの研究を知ることももちろん大切だ。それだけならわざわざ本を出す必要がない。紙の無駄、資源の無駄、読者の時間をも無駄にしてしまう。しかし、今までの研究では明らかになっていなかったことやそれをさらに進めて、新たな真相があるならば、それは人類にとっても大切な資料となり、時間を使う価値のあるものとなる」と述べています。



また著者は、本書について以下のように述べます。
「本書は、歴史的、言語学的、文化的、宗教的にグローバルな卍・卐の世界を今までの研究とは違った角度からアプローチしており、決して読者の時間を無駄にすることはない。実際、私が研究をはじめて驚いたのは、その広がりと深みだ。あまりに広がりすぎて、思い切って切り捨てた部分も沢山ある。このあたりも本書を読んで頂くと私の言っている意味が分かっていただけると思う」


序章「何故、今『卍』なのか?」の冒頭を、著者は「アメリカやヨーロッパに住んだことのある人なら、おそらく一度は「卍・卐」のマークの洗礼に遇っているだろう。日本やアジアではまず問題にならないが、西洋社会でこれを知らないと痛い目をみる。英語ではSwastika(スワスティカ)と言うが、卍・卐のマークやこの言葉を口にした途端に、軽蔑の目で見られたり、中には怒りだす人もいる。普段はリベラルで進歩的な感じの西洋人でも、このシンボルに対しては受け入れられないという人も多い。逆に普段、非常に保守的なユダヤ人であっても、それは面白いと興味を持つ人もいる。一般的に、この卍・卐はヒトラーとの関わりにより、否定的な意味に見られているのは確かであり、私も電車などの公共の場では卍・卐のシンボルが入っている表紙の本などはとても読むことができない。図書館でさえ卍・卐やヒトラーのことを調べているというだけで変な視線を感じたことはよくあった」と書きだしています。


また、「(一)何故、まんじ(卍)を選んだか」で、著者は「一般の人ならまだしも、専門家が東洋の卍・卐を知らないということに私は不快感を覚えるとともに、この無知な状況を変える必要があると感じた。『ユニバーサルな邪悪のシンボル』という考えに驚き、何千年もの歴史を持つ吉祥、万徳、幸運、また寺院を表す卍を冒瀆する言葉であろうとも思った。日本の卍はお寺を表す記号でもあるので、仏教自体が否定されたような感じもした。『25年間、ユダヤ人を傷つけてはならないという認識の上で、卍については何も言わずにきたが、やはり誰かが口を開かねばならない時が来たようだ。無知をそのままにしておくことはよくない』と直感した。この体験が卍・卐研究のきっかけとなったのであった」と述べています。


「(三)ホロコーストとの出逢い」では、著者は「この国(アメリカ)ではホロコーストというとタブーで暗いイメージがあったが、彼らの話しはオープンで辛い体験でもそれを話そうという積極的な態度は、私の持っていたイメージを変えた。彼らも被曝者の方と同じように、自分と同じ苦しい体験を他の誰にも経験させてはいけないという理由からその体験を語り続ける必要があると説明した。原爆もホロコーストも以前はタブーとして扱われた過去を持つ(現在もそうかも知れない)が、タブーは『臭いものに蓋をする』のではなく、蓋を取り、臭いものを隠さず公開することにより、本当に乗り越えることができるのである。だからこそ、アメリカやヨーロッパにおける卍・卐についても『タブー』として蓋をするのではなく、見つめ直し、それを公開していくことが必要であると私は考えるようになった」と述べます。


「(四)タブーを乗り越えて」では、著者は「タブーの蓋を取るということは、簡単に言えば、スワスティカについて知らせる機会、話し合う機会を多く持つことである。卍・卐が人類史上において広く深い意味のあるシンボルであることを知らせ、それが対話、ダイアログを生み出す。そこから卐がヒトラーによってどう利用され、ホロコーストの惨事を引き起こしたのかという論議にも繋がっていくだろう。それが、ホロコーストを語り、同時に大量殺人を二度と繰り返さないようにする意味だと考えている。西洋・東洋の両社会において卍・卐の正確な情報が提供され、正しく認識されていくことが肝要なのである」と述べています。著者によれば、ヒロシマが怒りや憎しみや破壊ではなく、「平和」を意味する言葉になったように、スワスティカが人類の近い将来において、否定的な悪のシンボルではなく、癒しや善のシンボルとして認識されたことを願いつつ、本書を著したそうです。



「(五)ユダヤ人、日本人でなく、同じ人類として」では、著者は述べます。
ヒトラーは私たちの外にいるのではなく、私たち一人ひとりに内在し、誰もがヒトラーになる可能性を持っている。『ある日、ヒトラーが私の中にいることを発見した』とは、虐げられた子供たちの救援活動を始めた時にマザー・テレサが言った言葉である。私たち一人ひとりが内に持っている怒り、憎しみ、差別の心を認識する中に、はじめて内なる平和、平穏を見いだすことができる。誰が悪人であるかを認定することにより、自分の中に邪悪で凶暴なモンスターが潜んでいることを知ることがもっとも大切なのである」


『卍と卐の博物誌』上下巻



第一章「日本・仏教におけるスワティカ(卍)」の「(一)私には見えなかった『卍』」では、著者は
「ある時、1冊の本が私の目にとまった。どうも著者の名前が芸名、あるいはペンネームのようなので、内容についても半信半疑であったが、著者名は「植村卍」といい、本名とは思えないような名前であった。本の名前は『卍・卐の博物誌』(上・下2巻)というタイトルで、とにかく手に取って開いてみるしかなかった。その内容は学術的なもので、日本はもちろん、世界の卍・卐について緻密に調べられていた。植村氏の博物誌の第1巻は日本の卍について論じ、第2巻は日本以外の外国の卍・卐について論じている。植村氏の基本となるインフォメーションは1894年にトーマス・ウィルソンが著した『スワスティカ、最初期のシンボルとその変遷 Swastika:the Earliest known Symbol and its Migrations』であった。これは植村氏に限らず、英語で書かれた本なども、20世紀までの世界におけるスワスティカの研究はウィルソンの研究をベースにしているものが多い」



わたしも『卍・卐の博物誌』(上・下2巻)をアマゾンで購入し、一読しましたが、比類ないユニークな研究書であると思いました。本書『卍とハーケンクロイツ』の最大の参考文献であり、その内容のほとんどを『卍・卐の博物誌』に負っていると言っても過言ではないでしょう。著者は「(二)日本でのリサーチ」で、植村卍氏について以下のように述べています。
「彼の名前の「卍」はペンネームではなく、生まれた時に、両親がつけた名前だそうで、自分の名前の由来を知りたいというところから、卍に対する研究が始まったという。植村は仏教学者ではなく、哲学の教授であり、ユダヤ教哲学を専門としている」と述べています。


「(1)『卍』のあるお寺」として、著者は述べます。
「日本で最も卍が多いお寺は『牛にひかれて善光寺参り』という諺でも有名な長野県の善光寺である。長野の善光寺は日本の歴史上にあって重要な仏教寺院であるのはいうまでもない。西洋社会では1998年の長野オリンピックの際に、中国の仏教国であるチベット侵攻に抗議した善光寺の僧侶たちが聖火出発を拒否したことでも知られるようになった。もし、当時、善光寺から聖火が始まっていたら、卍が世界的にも大きな話題になっていたことであろう」



また、著者は「卍」について、こう述べています。
「仏教は『卍』で神道は『鳥居』のマークと普通分けて考えるが、実際には卍が使われている神社も多い。卍が多く使われている神社は東京の文京区にある根津神社吉田松陰を奉った松陰神社、長野県長野市戸隠神社などである。本地垂迹説により、仏、菩薩の権現としての神々(例えば根津権現)が奉られる神社に卍が使われている。これは神仏習合の時代からの影響と考えられる。また、家紋との関わりにより、卍が使われている神社(長州藩吉田家の家紋、戸隠神社の紋)もある」



続いて、「(2)日本のいろいろな『卍』パターン」として、著者は述べます。
「1999年12月にはポケモン・カードの1つに卍があることがわかり、カードは日本のみで販売されていたものであったが、たまたま外国に流出し大きな論争になった。このポケモン騒動がきっかけで、植村氏は『卍・卐の博物誌』を著したと言う。この騒動には西洋中心の見方が反映されている。その論点は東洋の卍を全く認めない内容となっている。AP通信によると、任天堂は謝罪をしているが、それに対して『我々は侮辱的な意味のないことは認めるが、製品は世界中に簡単に流通する。・・・・・・アジア圏に限るということがもっと問題を大きくする』というコメントをしている。言い換えれば、アジアでも卍を使うことが大きな問題であるということである。世界はユダヤ人のためにあるのでもないし、自分中心の押しつけがましい論理は、白人至上主義の考え方と変わらないようにすら感じられる。これも正しい知識が欠如していることが原因であろうと思われる」



「(四)日本語の『卍』の意味」では、著者は述べます。
「どの定義をみても卍はすべて吉祥、万徳などの良い意味であり、邪悪な意味はどこにもない。吉祥とは『めでたい兆し』であり、いわゆる大吉、幸運を意味する。万徳というのは『いろいろな功徳がある』ということで、卍は幸せになるエキスが詰まったシンボルということになる。
卍はサンスクリットの吉祥・万徳を意味するスワスティカ svastikaという言葉に由来し、インドのヴィシュヌ神と関係の深いことがわかる。インド発祥の卍は仏教伝来とともに日本に伝わり、仏教文化、日本文化にとけ込み、日常生活の中にも浸透していったことで、日本では仏教と深い関わりがある。卍はお寺の記号となった」



「(五)仏教経典における『卍』の意味」では、著者は「仏の功徳、吉祥としての『卍』」として「卍は一切の善なる真理であり、教えの根本である。世間で悪行を行う者が半人であり、善行を行うものが満人であると喩えて説かれる。半端でなく、欠けることのない、すべての善良なる真理の教えに満ちあふれたシンボルが卍なのである。このように卍は仏の最高の功徳を表し、吉祥、福徳、幸運、善良という意味になる。この上ない智慧と慈悲の満たされた真理をさとった仏のシンボルこそが卍である」と述べます。



また、「『卍』は光の源を表す」として、「卍・卐の起源は太陽であるとされており、太陽は人類にとって最も大切な光である。仏教においての光は智慧であり、慈悲であるが、それは卍から放たれると言われる」「卍・卐は太陽を崇める信仰、いわゆる太陽信仰からきた神聖なシンボルと理解されるのである。仏の卍が光の源であるという意味の中に、卍の起源との深い関わりを見ることができる。仏教で光とは迷いの暗闇を破る智慧の光、あるいはすべてを照らす慈悲の光を意味し、具体的には仏の言葉、仏の教えが光で表現されるのである。『光』という漢字が『卍』に似た形をしているのも面白い」と述べています。



まとめると、仏教経典における「卍」の意味には以下の7つがあります。
1 三十二相の一つとしての「卍」
2 八十種好、八十随形好の一つとしての「卍」
3 仏の功徳、吉祥としての「卍」
4 大人の相としての「卍」
5 「卍」は光の源を表す
6 「卍」は仏心に比べられる
7 阿弥陀如来菩提樹を荘厳する旗印としての「卍」



「(六)仏教の『卍』は本来、右旋回?」では、著者は「仏教のスワスティカは経典によると右旋回とあるが、現在、普通は左旋回が仏教のスタンダードになっている。仏教の左旋回の卍は日本だけでなく、チベット、中国、韓国、ベトナムなどのすべて仏教に共通している。『仏教大辞典』(富山書房)によると、中国では六三九年の則天武后時代に左旋回の卍が正式な漢字となり、その後、左旋回が定着したという。当時の中国仏教の影響力は非常に大きかったのである。仏教経典によるならば、ヒンズー教ジャイナ教のように、仏教も右旋回のまんじ、すなわち卐が使われるべきものであろう。『華厳経』に『得如卐字髪螺文右旋髪』とあり、右旋回の髪毛が卐字になっている。ナチスの使った卐は『逆まんじ』という表現で、邪悪な意味で使われたことがあるが、実際は『卐』の方が本来なので、正確には現在の仏教が『逆まんじ』ということになるのだろう。ヒトラーに関しても、吉祥の意味の卐をドイツ復興のための幸福の意味で採用したと考えるべきである」と述べます。


第二章「スワティカ(卍・卐)は世界中にある?」の冒頭を「卍・卐は仏教だけのシンボルではなく、実は世界各地で使用されてきたシンボルである。それも仏教、ヒンズー教ジャイナ教といった東洋の宗教だけでなく、キリスト教ユダヤ教イスラム教などでもそのシンボルは使用された歴史がある」と書きだした上で、著者は述べます。
「まず、西洋人の卍・卐に関する理解ということで、J.C.クーパーの『世界シンボル辞典』を見てみると、そこには、『まんじは“吉祥萬徳の集まり”。まんじは、“万”という漢字の原型である。縁飾りに用いられたまんじは、萬字、一万の物事あるいは連続体、すなわち始めも終わりもない無限の持続。生命の無限の甦り、永遠を示す。まんじはまた完全、法に従った動き、長寿、祝福、吉兆、善意を象徴する。まんじは雷文でもある。青色のまんじは天界に属する無限の徳、赤色まんじは仏心に宿る無限の聖徳、黄色は無限の繁栄、緑は農耕生活における無限の徳を表す。右まんじは陽、左まんじは陰である』と言われ、もともとの卍・卐を東洋のものと解釈していることがわかる」


「(一)世界的な『卍・卐』」では、著者は以下のように述べています。
「古代に遡る様々な卍・卐が東洋、西洋を問わずに発見されているが、それはいずれも否定的な意味ではなく、ポジティブで善良な意味で使われていると考えられる。世界のスワスティカを知ると、西洋社会でナチスや白人至上主義といった近年に起こった偏狭な卐に比べて、卍・卐が人類歴史上において、数千年の長い歴史にわたり、また国境を越えた広い範囲で使われてきたかがわかる。
トーマス・ウィルソン Thomas Wilsonの著した『スワスティカ、最初期のシンボルとその変遷 Swastika:the Earliest Known Symbol and its Migrations』(1894年)には、世界中の様々な文化から詳しく卍・卐の歴史、意味などを調査し、その結果が報告されている」



続けて、著者は「卐がヒトラーに盗用され、汚される以前にこの調査は行われたもので、世界的な規模での権威あるスワスティカ研究と言える。西洋における卍・卐に関わる研究をする際の基本的な資料がそこにある。ウィルソンによると、卍・卐は世界で最も古く、幸運・吉祥を表す普遍的なシンボルであり、それは史前にまで遡ると考えられる。多くの古代遺跡にも見られ、仏教、ジャイナ教ヒンズー教といった東洋の宗教、東洋の国々では数千年にわたって使用されているシンボルである。第2次世界大戦までは南北アメリカ大陸のインディアンたちもこのシンボルを使用してきた。ムー、マヤ、アステカ、インカといった古代文明にも見られる。ヨーロッパでは、トロイの遺跡を含むローマ、ギリシャで発見されている。アフリカ大陸でも同様である」と述べています。



「(三)『卍・卐』の起源」では、著者は「なぜ卍・卐が吉祥、幸福の意味になるのだろうか。卍・卐の形は何を表すのであろうか。卍・卐の起源に関する問いである。ミュラーは『卐のしるしは何故吉祥の意味をもっていたのか、また何故サンスクリットでは、卐をSvastikaと呼んでいるのか。・・・・・・ここに、私が考えるに、右回りのSvastikaはもともと太陽のシンボルであり、多分、春期の太陽である、というとても明確な兆候がある。・・・・・・よって、光、命、健やか、富みの自然なシンボルである。古代の神話には太陽は循環として表されるのはよく知られている』と説明している」と述べています。



「(四)諸宗教における『卍・卐』」では、ヒンズー教ジャイナ教ユダヤ教に続いて、キリスト教について、著者は以下のように述べます。
「多くの人はキリスト教の宗教的シンボルとして現在の十字架を見るが、紀元前六世紀までは十字架は正式なキリスト教のシンボルとしては採用されていなかった。その起源は定かではないが、卍・卐は十字架よりも古いキリスト教のシンボルの一つであった。卍・卐のマークは、紀元後1世紀、2世紀頃には、世界の力として救世主キリストを表明する地下墓地によく使用されていた」



また、ゾロアスター教について、著者はこう述べます。
「卍・卐は古代ペルシャゾロアスター教でも見られる。そこでは卍・卐は循環する太陽、生命を与える火の源、無限の創造を表すとされる。考古学調査はゾロアスター教の教えが、原始的コレズミアンの宗教概念である火と自然要素のカルトとのつながりを示している。ウズベキスタン西部、ホラズム州にあるタシュ・ハウリ宮殿の柱は基盤に卐が見られる。多くの学者は中央アジアの古代ホラズムはゾロアスター教とその予言者であるザラスシュトラの発生地であるとしている」



「(六)生きる人類世界宗教文化遺産の『卍・卐』」では、著者は述べています。
「世界中には過去、現在において多くの卍・卐が存在していることを見てきた。それはいろいろなシンボルの中の1つというものではなく、人類史上において稀なる数千年の歴史を誇り、様々な宗教、様々な国の文化が深く関わる国際的なシンボルなのである。太陽や光を表すシンボルであるから、卍・卐は有史以前の古代から人類に光を与え、人類から尊重され、敬愛されてきたシンボルなのである」



続けて、著者は以下のように述べています。
「仏教、ヒンズー教ジャイナ教といった東洋の宗教では今でも神聖なるシンボルであるが、歴史的にはキリスト教をはじめ、様々な宗教にも共通しており、まさに世界を結ぶようなインターフェイス(超宗教)・シンボルだと言える。また卐・卍は精神文化にとどまらず、国境を越え、時代を越えて、道具、装飾品、工芸品、芸術品、建築物など人類の物質文化面にも大きく貢献しているインターカルチャー(超文化)なシンボルでもある。卍・卐こそが『生きた人類世界宗教文化遺産』と呼べるシンボルではないだろうか。その意味でも卍・卐は人類が共に守っていかねばならないシンボルであると私は考えている。
卍・卐は二十世紀の西洋を除けば、『ユニバーサル』な幸運、善福、吉祥のシンボルと受け取られている。『ユニバーサル』と言えば、銀河系宇宙の姿も卍・卐の形をしているではないか」



第三章「ホロコースト大量殺戮と『卍・卐』」の「(一)『卍・卐』研究」では、著者は「アメリカやヨーロッパでは、ナチスの非道、残虐行為や現在の民族差別グループの影響で、東洋の吉祥万徳を表す卍・卐が不当なる扱いを受けてきている。米国憲法修正第1条には宗教・言論の自由を提唱している。仏教やヒンズー教ジャイナ教、あるいはアメリカン・インディアンたちは自由にこのシンボルを使えないようになっている。もし公に使ったならば、どれだけその意味や歴史を説明したとしても現在のアメリカ社会では非難の標的にされるであろう。ドイツなどでは牢屋に放り込まれることにもなりかねない。ナチスは右回り、仏教は左回りであると言っても彼らにはその区別などない」と述べています。



また、著者は以下のように鋭い問いを発します。
「たとえば、ヒトラーが使ったシンボルが十字架であったとするならば、キリスト教の人たちは簡単にこのシンボルはヒトラーによって汚されたのでもう使ってはいけない、と言われて、『ハイそうですか、わかりました、もう使いません』というであろうか。何千年という歴史を持つ十字架がヒトラーの政治的プロパガンダに使用され、数百万という数のユダヤ教徒を殺したため使えなくなったことに対して、あっさりと認めるであろうか。『承知のように十字架は普遍的邪悪の象徴であるから、二度とここでは使えない。キリスト教徒はそれを尊重すべきだ。十字架を使うものは犯罪者と同じだ』と言われたならば、キリスト教徒たちはどういう反応を取るのであろうか」
この著者の発言はまったく正論であり、わたしは全面的に賛同します。


第四章「ハーケンクロイツとスワティカは全く関係がない!」の「(二)ハーケンクロイツの定義」では、著者は以下のように述べています。
「ドイツ語のハーケンクロイツヒトラー以前から使われていた言葉であった。1877年のグリム兄弟によって編纂された権威あるドイツ語大辞典 Deutsches Worterbuchにもハーケンクロイツは出ており、『先端の曲がった十字架(紋章)、高尚なるもの』と説明されている。しかし、その辞典にはスワスティカという言葉は出ていない。後に、スワスティカがドイツ語辞書に現れ、現在も使われているが、これは卍・卐が注目を浴び出したシュリーマンによるトロイの発掘の1880年以降である。シュリーマン著の『イリオス』によると、言語学者のミューラーはドイツにも古来よりある『ハーケンクロイツ』をインド起源の言葉の『スワスティカ』と呼ぶことに反対していた」


続けて、著者は以下のように述べています。
「また、ナチス神秘主義者に読まれたと言われる1908年に出版されたグイド・ボン・リスト著の『ルーン文字の秘密 Das Geheimnis der Runen』には卐のシンボルとともにフィルフォス fyrfos,ハーケンクロイツ hakenkreuzの2つが出ている。当時のドイツ人にとってハーケンクロイツという言葉がより一般的な言葉であり、『スワスティカ』は新たに広まった東洋の幸運のシンボルというニュアンスがあったことになる。もともとは普通名詞のハーケンクロイツは、ヒトラーがこのシンボルを中心に新生ナチス・ドイツの運動を展開し、国旗にまでなった時点で固有名詞として独立した言葉と見なされるようになったのである」



第七章「反ユダヤ主義VS新十字架との聖戦」の「(二)ヒトラー反ユダヤ主義」では、著者こう以下のように述べます。
ヒトラー反ユダヤ主義は突然出現したのではなく、歴史的、社会的、政治的影響などから徐々に形成されていったものなのである。さて、ヒトラー反ユダヤ主義を語る時、忘れてならない重要な人物が二人いる。それは宗教改革でも知られるマルティン・ルターヒトラーの愛した音楽家として知られるリチャード・ワーグナーである。この二人の存在は非常に大きく、ヒトラー自身、『我が闘争』で『偉大なフリードリヒ大王と並んで、マルティン・ルターとリチャード・ワーグナーが立つ』と言い、ルターとワーグナーの名前をあげている。この二人は反ユダヤ主義の活動家であり、彼らの反ユダヤ主義について知ることがヒトラー反ユダヤ主義を知ることになるのである」


「(三)マルティン・ルター(1483〜1546)と反ユダヤ主義」では、著者は以下のように述べています。
「1933年、マルティン・ルターがちょうど400年前に宗教改革を始めたその場所であるウィッテンベルグの聖カストル大聖堂で開かれた大会において、『鉤の十字架』が正式に新たなドイツ人キリスト教徒の十字架として採用されることになった」
「ルターはヒトラーの時代に、反ユダヤ主義を代表する人物であったことがわかる。ヒトラーは彼の言葉や行動を賞賛し、敬意を払っていた。1543年にルターの著した『ユダヤ人と彼らの嘘について』は強い反ユダヤ主義の見解が多く含まれている。近年になって、1994年にアメリカのルター派教会は公式にルターの反ユダヤ主義に関する著書を放棄した」


著者は、「(1)ルター著『ユダヤ人と彼らの嘘について』」として、ルターは『新約聖書』によってユダヤ人に対する彼の見解を説明していると指摘します。それによれば、ユダヤ人はアブラハムの子供ではなく、毒蛇の子、サタン(悪魔)の子供であるといいます。著者は述べます。
「ルターはユダヤ人が救済者であるイエス・キリストを十字架にかけ、殺したことを非難している。『死んでからも呪っているが、貧しいイエス・キリストイスラエル尊い子供たちに何か危害を与えたというのか』と問い、『ユダヤ人の我慢ならないイエスがメシアになろうと欲したからなのか? いやそれはないだろう。もうイエスは死んでしまったのだから。ユダヤ人自身がイエスを十字架に架けた。そして死人はメシアにはなれない。イエスユダヤ人の故郷に戻ることを邪魔するからなのか?それも理由であるまい。死人に邪魔はできないだろうから。じゃあ何が理由なのだ?』とメシアであるイエスを死に追いやった罪を批判しながら、未だにユダヤ人が自分たちの罪に気づかずイエス・キリストを呪っていることを指摘している」


著者は、「(2)ルターとヒトラー」として、「十字架はキリスト教から見るとイエス・キリストがその命にかえて人類に救済の道を開いたポジティブなシンボルであるが、ユダヤ人の目にはそうは見えない。キリストを十字架にかけた責任はユダヤ人の罪であると反ユダヤ主義を展開してきた歴史からも、十字架はユダヤ人にとっては否定的な、反ユダヤ主義のシンボルである。これは十字架だけに限らないが、どんなシンボルも立場が変われば全く違う意味になるということなのである。ヒトラーは決してスワスティカとは呼ばず、『ハーケンクロイツ』、『鉤の十字架』と呼んだことは反ユダヤ主義であることを表明しているのである。ヒトラーの『鉤の十字架』はあらたなドイツ人キリスト教のシンボルであり、ルターを代表とする宗教的な反ユダヤ主義をその内容としていたのである」と述べます。


「(四)リチャード・ワグナー(1813〜1883)と反ユダヤ主義」では、著者は以下のように述べています。
ヒトラーはドイツの首相になってからも、ワグナーのファンであり続けた。1876年から開かれているワグナーのオペラを上演するバイロイトの音楽祭に毎年出席し、それが国家社会党の年中行事となった。ヒトラー自身、ワグナーのオペラに飽きたことはなかったと言い、またワグナー邸にも何度も訪れている。ヒトラーが生まれたのは1889年であり、ワグナーは1883年に亡くなっているので、2人は実際に面と向かって会ったことはない。ヒトラーは音楽や書物を通してワグナーを知り、ワグナーの作品はヒトラーに多大な影響を与えたのであった」


最終章である「第八章 スワスティカ復活の予感」では、著者は「聖徳太子」の名前を挙げ、こう述べています。
「卍・卐によってハッと気づいたことは聖徳太子の名前であった。ご存知のように聖徳太子は日本仏教の祖であり、冠位十二階や十七条憲法法隆寺四天王寺などで知られている。日本に仏教が根付いたのも聖徳太子の功績によるところが大きい。命をかけて仏教を日本の地に根付かせたのが聖徳太子である。その名前が、よく考えてみると『聖』というのはアーリアの漢訳であり、『徳』とはスワスティカの漢訳ではないか。『聖徳』とは『アーリア・スワスティカ』という西洋で誤解されてきた二つの言葉であり、同時に仏教の卍・卐の中心となる言葉である」


聖徳太子の正体とは?



聖徳太子に関しては、拙著『世界をつくった八大聖人』(PHP新書)でも詳しく言及し、その正体についての私見を述べました。いずれにしても、非常に謎の多い聖人です。しかし、著者が言うように「聖徳」とは西洋で誤解されてきた「アーリア・スワスティカ」そのものであり、同時に仏教の卍・卐の中心となる言葉でもあるというのは興味深い指摘だと思いました。自分でも「調べてみたい」と思わせる魅力あるテーマです。


*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2017年7月14日 一条真也